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水の怪
河童
河童
各地の河童(かっぱ)の話
北海道の松前地方では駒引という。牛や馬をたぶらかして水中に引き入れるところから、この名がついたとされる。(「さへずり草」/柳田国男『山東民譚集』)
岩木川で、腕を切られた河太郎は、五歳ばかりの童子で、おどろに髪を被っていたという。切り取られた腕を見ると、四五歳の小児のような腕で、指が四本、付根に水掻きが有り、爪は鋭く肌は銭苔のような斑紋があり、色は淡青く黒みをおびていたという。(平尾魯僊『谷の響』巻五ー八)
紫尻を好む。相撲が好きだが腕を下に引くと抜け、麻幹にとける。左甚五郎が木屑に人の尻でも食えといって水に放したという伝説がある。青森県八戸市櫛引では、七日盆の日には馬をとるという。駒引に失敗し、もう取らぬと約束したが、生きて行けないと滝の明神に、この日だけはと願って許されたという。(川合勇太郎『ふるさとの伝説』)
青森県下北半島の正津川の河童が悪戯をして困るので、ショウズの婆さんに祈願して懲らしめてもらったという話もある。この地方の河童は紫尻を嫌うとされている。しかし、一旦見込まれると逃れられず、友達や親戚に化けて必ず川に連れ込む。これは生まれついた運命とされている。(『奥隅奇譚』)
昔、津軽藩若党町の子が川で溺れた。水を吐かせようと手を尽すと、腹の中がグウグウなり、たちまち肛門から長さ一尺六、七寸で体が平たく頭の大きなものが走り出て、辺りを走り回った。打ち殺そうとしたが、川に飛び込まれたという。(平尾魯僊『谷の響』巻五ー七)
真っ赤な顔で、足跡は猿に似て、その長さ三寸、親指が離れている。岩手県松崎村では二代にわたって河童の子を生んだ家があり、その姿は醜怪だったという。また、同県栗橋村の大家には駒引に失敗した河童の詫び証文があるという。(『遠野物語』)
岩手県紫波郡煙山村にも河童の子を生んだ女がいて、女は産屋に誰も入れなかったが、中からクシャクシャと小声の話が聞こえたという。(佐々木喜善『農民俚譚』)
岩手県宮古に伝わる証文は筆で塗りたくっただけのようで、とても文字には見えないという。同県栗橋村栗橋には、駒引に失敗した河童が、自分の左手の指を噛み切って書いた詫び証文があり、この河童は許された家に上がってザシキワラシになったといわれ、主家思いであったとされる。(佐々木喜善『奥州のザシキワラシの話』)
詫び証文の話は各地にあり、下閉伊郡旧野畑村の証文には「又千、又千」とあるといい、この河童は紫尻を好むとされる。(『たのはた風土記』)
下閉伊郡宮守村には、駒引に失敗した河童が喉のはれをひかせる薬の調合を教えた。(前田緑稿本『遠野聞書』)
上閉伊郡大槌村赤浜では、河童はザシキワラシだと信じられていて、嬰児のようにジイジイジイと鳴き、相撲を好み、子供と相撲を取ったなどと伝わってうる。(『岩手郡記』)
陸前高田市横田では、河童が直接骨接ぎをすると伝える。(石川純一郎『河童の世界』/今野円輔『妖怪篇』)
宮城の黒川郡粕川の河童は、堰にいて駒引きをして捕まり、詫びの印に布に手判を押した。この河童は、ザンギリ頭の痩せた子供だったという。(「宮城教育」388/石川純一郎『河童の世界』)
秋田県田沢湖辺りでは、駒を引き、麻幹を持っていると恐れて近寄らないとされる。(『秋田の伝承』)同県由利郡笹子村では、駒引きに失敗し、鱒を毎日届けると約束して許される。きちんと実行していたが、下女がうっかり戸錠前の柱に鎌をかけておいたところ、その届けが途絶えたという話が伝わる。(「民俗学」一ー三)同県仙北郡神宮寺町では、花蔵印神宮密寺に京から快糸印(咽法印)という山伏が来て住み、ある時、河童を捕え厳しく諌めたので、この一郷には河童の災いが無いという。(「月乃出羽路」六)(以上柳田国男『山東民譚集』)
秋田県の角館市には、捕えられた河童が命乞いにチリンゲ(匙)を置いてゆき、これで調合した薬は金創の妙薬となったという話がある。(長山幹丸『秋田の伝説』)
河童の薬と伝えられるものが秋田県にあり、平鹿郡栄村の某家の薬、横手給人町の須田源六郎家伝の薬、仙北郡長信田村の鷹嘴太右衛門製する飛竜散などが伝わっている。(石川純一郎『河童の世界』)
山形県西村山郡の西川町では、老媼の尻小玉を狙って失敗し、捕えられた河童が、命乞いの代償として骨接ぎの秘法を伝授した。(佐藤義則『大井沢中村の民俗』)最上郡最上町では、河原で焼いていた岩魚の串焼きを取った。怒鳴られるとそれを淵に投げ、焼いたはずの岩魚が泳いだという。また、青蜘蛛を使って漁師を水に引込もうとした。同町の小国川の淵では子供が良く水死したことから、旅の山伏に祈祷供養してもらったら、地蔵が現れ、河童の仕業だから銘々初生りの胡瓜を供えよと告げた。そのように胡瓜を供えると以来水難が絶えたという。(佐藤義則『羽前・最上小国郷夜話』)最上町には巻物の河童の詫び証文がある。(安彦好重『出羽今昔物語』)(以上、石川純一郎『河童の世界』)
阿武隈川で駒を引き、逆に引き上げられ、捕まった河童がいた。河童は許されたお礼に、一振りの太刀を差出した。(「福島市の文化財」)いわき市平の河童も駒引きに失敗し、骨接ぎの妙薬の作り方を伝授。また、相撲を取ろうと子供の形で子供の前に現れた。子供は待たせて、仏前に供えたご飯を食べて行くと、河童は逃げだしたという。(『いわき市史』)福島県安達郡安達町の河童は、村の子供達と遊び友達になったが、ある時、昼寝をしていて頭頂の水を取られ遊ぶ力が無くなった。村を守るから川灯籠を流してくれと頼んだという。また、同県信夫郡では、師走朔日をカッパレ朔日、あるいはカッパリャ朔日という。この日、仏様に供えた牡丹餅を食べると河童に引かれないという。(「民俗探訪」39年度)同県河沼郡の不動川の河童が駒引をしようとして捕まり、もう悪戯はしないと約束して放免された。それ以来その地方では水の災害で死ぬ者は一人もいないという。(新編会津風土記」)(以上、柳田国男『山東民譚集』、今野円輔『檜枝岐民俗誌』、石川純一郎『河童の世界』)
常陸の那珂郡では、真木という家の先祖が牛久沼で河童の指を拾い持ち帰った。夜、夢枕に河童が現われ、秘薬の伝授をするという事でその指を戻してもらったという。その薬を岩瀬万応膏という。また、同国六会村では師走朔日にカピタリ餅あるいはカワッパ餅を搗く。その餅を屋敷を出てから最初に渡る橋の下へ「河童にやる」または「川の神様にあげる」といって供える。(石川純一郎『河童の世界』)
常陸国行方郡の芹沢と捻木の間を流れる手奪川で、武士の馬を引こうとして腕を切られた河童がいた。金創接骨の妙薬と毎日魚を献上するという約束で許してもらい、魚が途絶えたら死んだと思ってくれといって川に帰った。数年後、魚が途絶えた日があったので、下男に川へ調べさせにやると、河童の死体があったという。(『茨城名勝誌』/柳田国男『山東民譚記』)
享和年間、常陸の水戸浦に河童の死体がもたらされた。大きさ三尺五寸余、重さ十二貫目で、船に飛込んだ処を船頭が叩き殺した河童だという。その時河童が放った屁があまりに臭く、船頭はその後身体を患ったとされる。その河童には、尻に穴が三つ有り、総体骨が無く打つと首が胴の中へめり込み、胸肩張り出し、背は虫のようだとある。(井上雪雄「山里の怪」「動物文学」十一/今野円輔『妖怪篇』)
下野国塩谷郡栗山村では、湯西川に出て、腕力の強い男に相撲を挑んだという。初めは負けたが、翌日また出て今度は尻子玉を抜いて男を殺したといわれ、駒引きに失敗した時には命乞いの代りに橋を架けたという話が伝わる。また、同郡川俣の馬坂沢の河童は、しばしば赤い鰍に化けるので、これを取ると河童に化かされるという。(下野民俗研究会『栗山の民俗』/石川純一郎『河童の世界』)
群馬県片品川にかかる栃又橋のたもとに観音淵という淵があり、大蜘蛛が現われて爺の手足に糸をかけ、水中に引き込もうとした。糸を傍の切株にかけると、「よいしょ!」の掛け声とともに根こそぎ引抜かれた。その時、河童小僧の皿頭が水中に見えたという。(群馬県教育委員会編『白沢村の民俗』)同県群馬郡倉淵村の河童は、駒引きに失敗し、人寄せの時に膳椀を用意する約束でゆるされたという。(国学院大学民俗学研究会『民俗探報』42年度)同じく碓氷郡松井田町の河童は、手伝いの振りをして現われ、爺の尻を狙った。爺が用心して尻に鉄瓶の蓋をあてていると、そっと手をやった河童は「ああ、いやだいやだ、爺の尻は金尻だ」と言って帰ったという。(群馬県教育委員会編『松井田町の民俗』)また、同県水上郡湯檜曾の河童も駒引きに失敗し、命の代りに膏薬を教えたとか、切られた腕を返してもらう代りに膏薬をおしえたと云い伝えられている。(「あしなか」37輯)(以上、石川純一郎『河童の世界』)
武蔵国館村の引又川の河童は、馬を引こうとして失敗して捕まり、和尚に許された。お礼に翌朝早く、大きな鮒二疋を和尚の枕元に届けたという。(『寓意草』上/柳田国男『山東民譚集』)
千葉県八日市場市吉崎にある新堀淵の河童は、宝珠院の僧に捕まり、以後人馬牛を狙わないと誓文を書き、証拠に一本の松を植えた。人々はこの松を証拠松と呼んだ。また、同県市原市五井町を流れる養老川の河童は、農夫の尻を狙って失敗し、馬鹿なことをするなと諭され「そんなに腹が減っているならこれをやろう」と採れたばかりの胡瓜を貰った。翌朝、その農夫の家の庭に水鳥のような足跡が有り、庭に吊るした馬桶の中に黄色い壺が入っていて、中に二枚の銭が入っていた。一枚づつ使うと何回使っても銭は元の二枚に戻った。ところが二枚いっぺんに使ったところ、銭は元に戻らず無くなってしまったという。同県君津郡峰上村の六所神社の淵に住む河童は、川を渡る馬の腸を齧ろうとして、馬の尾にかじりついたまま引き上げられ、馬方に捕まった。もう悪事はしないと誓い、今度会った時に証文をわらすと云って許された。その証文は石棒だったという。(「毎日新聞」昭和36年/今野円輔『妖怪篇』)
江戸仙台河岸伊達侯の蔵屋敷の淵に河童がいて、水を堰止めると泥に潜って風のように早く動き回ったが、鉄砲に撃たれて退治されたという。(根岸鎮衛『耳袋』巻一)
上記の原文は以下の通り。
『耳袋』巻之一 河童の事
天明元年の八月、仙台河岸伊達侯の蔵屋敷にて、河童を打殺し塩漬にいたし置由、まのあたり見たるものゝ語りけると図を松本豆州持来り。其子細を尋るに、「右屋舗にて小児など故なく入水せしが、怪む事ありて右堀の内淵ともいへる所を堰て水を替へ干けるに、泥を潜りて早き事風の如くもの有り。漸鉄砲にて打留しと聞及びし」由語りぬ。傍に曲淵甲斐守ありて、「むかし同人河童の図とて見侍りしに、豆州持参の図少しも違ひなし」といひぬ。
麹町の飴屋の前で夕方河童が遊んでいた。飴屋が飴をやると、毎夕やってきた。その後、後をつけるとお堀の中に入って行く。ある日その河童は飴屋に一銭を差出すと、その後来なくなったという。(「一話一言」/日野厳『動物妖怪譚』)
深川入船町の河童は、水泳をしている男に害を加えようとして逆に捕えられ、三十三間堂の前で打ち殺されようとしたが、仲裁する者が現れ、今後一切悪さをしないという詫証文を書き、手判を押して許されたという。(津村淙庵『譚海』巻二)
九段弁慶堀で某家の中間が、水の中から子供の声で呼ばれた。近所の子供が落ちたのかと手を差し伸べ、子供の手を取り引き上げようとしたが、磐石の力を込めてもびくともしない。かえって引き込まれそうになったので必死に手を離し、屋敷に戻ったが、生臭い匂いがひどく、水で洗っても容易に落ちず、中間はとうとう四五日寝込んでしまったという。(松浦静山『甲子夜話』十ー十九)
相模茅ヶ崎で五郎兵衛という馬方の馬が引かれそうになったので松葉でいぶすと葦の茂みから出た。命を助けると、少しずつ残せばいくらでも出る徳利を差し出し、さらに子供が安全な場所には片葉の葦を茂らせておくと約束した、また同国滝の川(横浜市神奈川区)の河童は、駄馬の荷を盗んでは馬子を泣かせていた。旅の剣術使いがこれを捕えると、河童は「夫を大蛇に殺され、残された二人の子供のために、悪いと思いつつやった。二度としない証拠に夫の頭の皿を差し出す」と言う。許してやると翌朝、剣術使いの元に河童の皿が届いた。(『神奈川の伝説』/石川純一郎『河童の世界』)
越後国島郡桐島村では、野に放った馬が馳せ帰った。見ると口取綱が伏せた馬槽の下に入っていて、その槽を起こすと綱を身に巻きつけた河童がいた。腕を引き抜くと命乞いをし、腕を返してくれたなら止血骨接の妙薬を伝えると言った。(「越後名寄」三十一、柳田国男『山東民譚集』)同じく越後蠣崎では、農家の子供が遊んでいると、その子の友達に化けて水辺で遊ぼうと誘った。(『三養雑記』、日野巌『動物妖怪譚』)
越後の糸魚川では、力自慢の男が河童の腕を引き抜いた。河童は詫び証文を書き、門口の木釘に毎晩魚を掛けていたが、釘を金釘に変えると、魚の代りに打ち身の薬の作り方を教えたという。(『越佐の伝説』)新津の小口では、金釘に変えたら現れなくなったとする。(『蒲原の民俗』)越後国西蒲原郡白根町の中ノ口川の河童は、陸に上がって度々悪戯をした。捕まって散々に痛めつけられ悪戯が止んだ。しかし、人を取らなくては生きて行けないと神様のお許しを得て、毎年一人は取って良いという。子供が泳ぎに行かないと、その友達に化けて誘ったという。また、ある河童は厠で女性の尻を撫で、その夫が女装して厠に入り、気付かずに尻を触った河童の腕を切り落した。毎日一桶の魚を持ってくる事を約束して許されたが、暫くすると痩せ衰えた河童が現れ、魚の変わりに膏薬の秘伝の伝授に変えてくれと頼んだという。新津では腕を切り落された河童が、腕を返して貰う代りに骨接打身の妙薬を教えたとも、胡瓜を食い、懲らしめのため灸をすえられたともいわれる。(『蒲原の民俗』)(以上石川純一郎『河童の世界』)
越中上新川郡太田村に高崎家という家が有り、そこの新造さんが厠に行き、河童に尻を撫でられた。しかし気丈な彼女は、河童の腕を掴んで引き抜いた。悪戯をした河童は泣いて許しを乞い、詫びの印に毎年鮭を台所の外に置いていった。(「民族」三ー五/石川純一郎『河童の世界』)
若狭三方郡美浜町の河童は、五、六歳の下げ髪の男の子だという。牛の尻子玉を抜こうとして失敗し、詫びて、毎朝魚を届けていたが、鹿角の代りに大きな鉄の鉤をつるしたら来なくなった。また越前坂井郡長畝村では、農家の美人の嫁が、毎夜、平岩の岸にある柳の木にしがみついて「おのれらに負けんぞ」と力んでいた。夫がひきはがそうとしたがすぐに引き離すのが困難なほどの力だった。それから嫁は見る間に衰弱したという。これは河童に魅入られたのだといわれた。(杉原丈夫『越前若狭の伝説』『福井の伝説』/石川純一郎『河童の世界』)
甲斐の北巨摩郡下条村には「下条の切傷薬」という有名な妙薬があった。これは昔、ある農夫が釜無川の河原で河童の手を切り、夜中に取り戻しに来た河童が腕を返してもらう代りに教えたものという。さらに翌朝、戸口の盥に沢山の鯉鮒が入れてあったという。(『裏見寒話』六/柳田国男『山東民譚集』)
信州北安曇郡では、夕顔を早く食べると河童に引かれず、水浴びに行くときは夕顔を尻にはさんで入れば尻子を抜かれないという。(「北安曇郡郷土誌」四/『民俗語彙』)上伊那郡長谷村桃ノ木という所に河童取りが来て、水中から河童をつまみ上げ、まだ若すぎてだめだといって放した。また同村野瀬では、馬が、頭が鉢のように窪んだ河童の子を産んだとされ、美和村では馬を引いたが、驚いた馬のため頭の皿の水をこぼし力を失った河童が、馬子に捕まり孫子の代まで水難を免れさせるといって許されたという。伊那里村杉島では、竹の下家で飼っていた魚を盗んだが、捕まり腕を抜かれた河童は、毎晩腕を返してくれと頼みに来たが返さないでいると来なくなった。それからしばらくして、その家の子供が三峰川で溺れてしまった。さらに辰野町では、天竜川で駒引きに失敗した河童が、詫びの印として二十年あまり川の淵に魚を出していたといい、伊那村の中村家に伝わる「痛風の妙薬」は命乞いした河童が伝授したものという話が伝わる。(松浦義雄『山の動物たち』)信州七貴村塩川原、広津村大日向、八坂村舟場では、駒引に失敗した河童がもう人に悪戯をしないという約束で許された話が伝わり、小谷村季平の来馬の河原で、夜道を通りかかった伯楽に、小僧に化けた河童が出てしつこく安芸の広島へ行こうと誘った。その河童は姫川に棲む河童だったという。(信濃教育会『北安曇郡郷土誌稿』)北佐久郡三井村森影の河童は人の腸を好み、雨の日や夕方現れては夜遅くまで働いている者を襲うという。(北佐久教育会『北佐久郡口碑伝説集』)信州下伊那郡大下条村の池に棲む河童は膳椀を貸し、田植の手伝いもしたが、田植の振舞いのおせちに蓼を混ぜて食わせてからは来なくなったという。(「民俗」二ー五)(以上石川純一郎『河童の世界』)
信州北安曇郡小谷村来馬の淵で、鼓の音がすると必ず溺死者が出た。人を取る二日ほど前に河童が祭をやるのだという。河童に取られた人は最後にニコニコ笑うのでそれとわかる。この時、尻子玉を抜かれるのだといわれる。河童は竜神の使いで、竜神は蛇身で昼に三度夜に三度熱の苦悶を受ける。これを免れるため河童に人の尻子玉を抜かせ食べるのだという。また小谷村下寺では、酒屋の婦人の尻を厠で撫で、女装した主人に腕を抜かれた河童がいて、翌晩非を悔いて柳の枝に梵字を書いたお札を持ってきた。腕を返してやると毎晩戸口の木鈎に柳の枝に刺した魚をかけていたが、金鈎に代えてから止んだという。神城村では、川水が出ると河童はグワーグワーと音を立てて上ってくるとされ、北城村大出の水神ケ淵に棲む河童は厠で尻を撫で、腕を取られ、盥に魚を置くことで許してもらったという。この家に河童秘伝の「水神様の御夢想薬」が伝わっていて、とくに産婦の腹痛に効くとされる。(小池直太郎『小谷口碑集』)
信州小県郡依田窪の立木家は整骨の名医で河童相伝という。また、十人村の甲田池で斉藤某の駒を引こうとして失敗、振舞いの時は必要なだけの膳椀を貸すという約束で許された。その後、近所の人が一膳分隠し、残りを庭に並べておいたところ、貸さなくなった。(小山真夫『小県郡民譚集』)
上総国夷しみ郡岩和田村半左衛門といへる者の方へ、其村の船頭来り、「此程夜/\河童来りて怖しき」由語りければ、半左衛門家に菅相丞の歌也とて持伝へしを書て与へければ、其後は河童来りても其まゝ逃失しとや。右歌は、
ひよふすべよ約束せしを忘るゝな 川だち男うぢはすがはら
右歌のひよふすべと云ふは川童の事の由、菅神の歌といふも疑敷、土人の物がたり取に不足と思へど、聞まゝ書留めぬ。(『耳袋』巻之七)
高山地方ではキュウリを食べて泳ぎに行くとガオロに肝を取られるから、茗荷竹を髪に挿して行けばよいと伝えられる。(「ひだびと」五ー六/『民俗語彙』)飛騨大野郡清見村では、身体が赤く異様の者とされている。駒引に失敗で、詫びのしるしに毎朝魚を届けるが、刃物を置くと来ないという。ある日、うっかり鎌を置いて以来来なくなった。そのガオロの住むところを鬼淵と名付け、金属を忌む場所とされていた。また、恵那郡付知村では、駒引に失敗したガオロが、馬の足につかまったまま下人に打ち殺されようとしたところを主人に助けられた。以降、人畜に害をしないと約束したという。(『濃陽志略』)(以上『山東民譚集』)
飛騨の吉城郡河合村では、二歳前後の赤黒い肌の生き物で、胡瓜畑を荒らし捕らえられたが、わずかな水を得て逃げた。翌日詫びて来て、毎朝魚を届けるといって魚を毎日置いていったが、ある日木の鈎を鉄の鈎に代えると以後来なくなったという。また、大野郡丹生川村小野の河童は、竜王の下僕とされ、乙姫の病気を治すため猿の生き肝を取ろうとして失敗、猿にアケビを投げ付けられた。従ってアケビのなる頃には出なくなるという。(小島千代蔵『飛騨の伝説』)吉城郡上宝村の河童は、川に深田を植えるときに使うオオアシを浮かべ、子供を背負った女を水に誘いこんだという。(国学院大学民俗学研究会「民俗探報」32年度)揖斐郡谷汲村では十二三歳の子供に化け、翁を水遊びに誘った。翁は昼食に瓢の汁を食べたので、川にいっても沈まず難を逃れた。(「同」46年度)吉城郡上宝村大原では駒引に失敗した河童が、詫びのしるしに、客のある度に丼に川魚を入れた。ある時、人数分より多く出しておいたらそれが止んだという。(「同」34年度)揖斐郡徳山村本郷の河童は、川で手を出して逆に捕まった。放免してもらう代わりにアガザ、鹿の角、合歓の木の皮、十六ササゲ、葛の粉を混ぜ合わせて作る河童の膏薬を教えたとされる。また、同村櫨原の河童は瓢汁を好むという。瓢を川に投げたら喜び容易に沈まなかった。ある河童は沈む事が出来なくなって捕まり、櫨原の者は取らぬと約束し放免されたという。 その礼に、魚を届けていたが、木鈎を鹿の角の鈎に代えた所、付け届けは止んだ。(桜田勝徳『美濃徳山村民俗誌』)(以上石川純一郎『河童の世界』)
美濃の加茂郡坂祝村では七、八歳の小児くらいで頭に皿を持ち、六月十六日に尻子を取って水神に供えるといわれ、その前にはなるべく水に入らないという。(「民族」三ー五/『民俗語彙』)
滝川の押出しという物凄い落合の淵に四十九匹の河童がいた。ある大名がこの宿に一泊し、乗馬の足を川で冷やしていると、河童にとりつかれたが、反対に引き出され厩の柱に縛り付けられた。翌日、大将立をさせて放免された。(柳田国男『山東民譚集』)庵原郡両河内村河内部落の鍛冶屋島の渡しにいた。人が来るときれいな襷をひょろひょろ流し、人が手を伸ばすとふっと消すという。水中に引き込んで肛門を取るが、このとき人は笑いながら死ぬ。伊豆の大尽の息子が河童に取られて、怒った大尽が川を堰き止めて淵を干したところ、ハサ(くちばし)の長い亀がいた。このことから河童は亀だろうといわれている。(井之口章次『日本の俗信』)静岡市では、安倍川に出る。一人の男が奔流の真っ只中に飛び込み胸から上を出して矢のように流れ下り、ひょいと河原に飛び上がると今度は物凄い速さで崖下の淵に歩きよって奔流の中に姿を消した。(カワラコゾウと同じ)また、賀茂郡白浜では、「白浜だ、白浜だ」と唱えて川を渡ると河童に取られないと言われている。これは、昔、人に捕まった河童を白浜の人が助けてやったからだという。小笠郡比木村の長川の河童は、筬に化けて老媼をおびきよせ、拾おうとしたところを引き込んだという。下河津村谷津の河童は、駒引に失敗して半殺しにあっているところを、僧に助けられ、お礼に瓶を届けた。その瓶を耳にあてると、せせらぎのような音が聞こえるという。田方郡中狩野村雲金小堀では、切り取られた腕を返してもらうかわりに、傷薬製法の秘伝を伝えたという。(静岡県女子師範学校郷土研究会『静岡県伝説昔話集』/石川純一郎『河童の世界』)
三河の某地、清水権之助という人の領地で駒引に失敗した河童が、手拭いの端を赤く染めた人には害をおよぼさないと約束して許された。以来、付近の人は我も我もと紅手拭いを携帯することとなった。(『水虎考略』後編二)三河国設楽では「カワッパ」といい、強力の勇者と組み合い押さえつけられて、突かれそうになったので、子孫に水難を免れさせると約束して許された。カワッパは一類だから必ず約束は守るといって「ヒヤウスヘハ約束セシヲ忘ルタヨ川立チ男氏ハ菅原」という歌を教えたという。(『落穂余談』四)(以上柳田国男『山東民譚集』)北設楽郡本郷村本郷の河童が、駒を引き、馬の力が強く尻尾につかまったまま人家へ連れて行かれ、厩の入口の柱に縛られた。しかし、下女がうっかり水をかけてしまい、縄を切って逃げたという。また、同郡三輪村川合の河童は、亀淵でかむろ髪の少女に化けて出て、大力の男に火を貸してといい、男が大煙管で頭を打つと、男のほうが失神してしまったという。(福田祥男『虹と黒潮』)北設楽郡下津具村中之沢では、河童が馬に尻尾に食いついたまま離れなかった。棒で打とうとすると、必要な時に椀を貸すと約束して許された。村は重宝して河童が貸してくれる椀を利用していたが、ある人が干つつ壊し返さなかったら、それから止んだという。(福田祥男『新編愛知県伝説集』)二子島では、駒引に失敗した河童が、殺されそうなところを助けてもらい、なおかつ頭の窪みに水を入れてもらって帰された。以来、その河童はお礼に毎朝、一籠の魚を届けてくれたという。北設楽郡富山村では、旧家の竃の上に河童が住みつき、農作業を手伝ったり魚を取ったりしていた。ある日、蓼を食わせられ血をはいて竃から駆け下り行方不明になったという。また、北設楽郡振草村小林の旧家で、田植えを手伝ったり膳貸しをしていた河童がいた。毎年、ゴンゲノボウ(五月祭)には上座に一人前の膳を置いて持てなしていたが、のちに家人が面倒くさくなり、蓼を混ぜて食わせたら逃げて行き、その家も傾いてしまったという。(「民俗」三ー五)葉栗郡浅井町浅井では、河童相伝の秘薬を持つ接骨医がいた。難しい患者が来た時には、その家の池を一巡りすると河童が出て来て処方を伝授したという。(「民俗」二ー五)(以上、石川純一郎『河童の世界』)
出雲国安濃郡鳥井村では、手拭いを目深く被った女に化け、魚商人に手紙を託した。商人は酒屋の忠告で手紙を焼いて難を逃れたという。(岡田建文『動物界霊異記』)また、安濃郡居村では、丸くなってしゃがんでいるような形であるといい、太田町ではガマのような怪という。さらに、同郡朝日村では、明治二十三年に学童が突然もがきながら水に沈んだ。引き上げると肛門が開いていたので河童の仕業とされた。邇摩郡静間村の河童は、駒引に失敗、二日柱に縛りつけられて、夢枕に立ち、この地を去ることを約束して許された。また、手拭いを被った女に化けて、通行人に手紙を釜ヶ淵に投げ入れるように頼んだが、茶屋の主人に見破られ、手紙は焼かれて難を逃れたという話も伝わる。これは、前述の鳥井村と同様な話で、邑智郡粕淵村にも同じような話が伝わっている。(石川純一郎『河童の世界』)
伏見では、和田某という男が淀川に遊んだとき、河童に引き入れられそうになったが、その手を切って持ち帰った。その夜から、腕を返せと河童が出て六夜に及んだ。七日目になりほとほと閉口した様子で、今夜お返し下さらねばもはや継ぐこと相成らずと打ち明けたが、和田は頑として返さず、河童はこの報いは七代の間家貧窮なるべしといって去ったという。(「諸国便覧」/柳田国男『山東民譚集』)丹波では、八月十六日に川に入ると河童が足を引き尻を引くという。河童は女子供と見れば水中に引っぱりこんで尻を抜く。引きこまれる時、ニコニコ笑うがこの時が尻を抜かれている最中だという。(垣田五百次・坪井忠彦『口丹波口碑集』)
播磨の佐用郡では、駒引きに失敗した河童が、手綱を身に絡めたまま厩につながれた。猿に似ているが猿に非ず。頭上に窪みがあり、赤髪は赤松葉のようだった。主人は川で折々人を取るのはこやつと腕を斬った。河童は命乞いし、骨接薬を教えたという。(『西播怪談実記』/柳田国男『山東民譚集』)淡路では、法師に化けて馬を水底に引き入れようと手綱をたぐり肛門に手を入れ肝を掴み出そうとした。駆け出した馬に引きずられて逆に捕らえられ、詫びて、この里の人や牛馬を害さないと約束して許された。(「淡路名所図会」/日野巌『動物妖怪譚』)
岡山県御津郡福渡村福島では、子供たちが相撲をとっていると、見知らぬ子供が来て相撲をとろうという。頭皿があるので子供たちはその水を無くそうと頭を振ると河童も真似をして振り、水を失ってなにもできずに去った。岡山から邑久郡にかけて、水泳の最後に飛び込む時「ゴンゴ(河童)のオンジメまた来て浴びよ」と唱えると、次に泳ぐときも難に遭わないという。(「民族」三ー五/石川純一郎『河童の世界』)
吉野郡十津川村神納川では牛を引く。牛は八人力で、河童は七人力だが、その河童が牛を五百瀬ヶ淵に引き込んだという。また厠から毛の生えた腕を出して尻子玉を抜く。ある日、腕を抜かれた河童が、腕を返してもらう代わりに家伝薬(大和の金草という)を教えた。吉野郡下市町の河童は、寺の和尚に手を掴まれ、よく効く傷薬を伝えた。吉野郡分(正しくは木篇)尾では、某家の馬の尻に食いついて離れない河童に胡瓜をやって離れてもらった。それ以来この家では胡瓜を作らない。吉野川流域では川魚を取りに行く時胡瓜を忌む。胡瓜の匂いに河童が寄ってきて魚が取れぬからという。(高田十郎『大和の伝説』)吉野郡天川村の河童は、蜘蛛を使って人を取ろうとしたが、逆に引き出され、子供の代まで人を取らぬと約束した。また、同村川合では、一方の腕が伸びると片方が縮むへんな男が馬をいじっていた。咎めるとアメノイヨを毎日持ってくると約束するので許してやった。その後、木の鉤を鹿の角に代えるとこなくなったという。(宮本常一『吉野西奥民俗採訪記』)(以上、石川純一郎『河童の世界』)吉野地方では河童をゴウラ、ゴウラボシ、ゴウフゴともいう。川のガマ(瓶穴)の所にいてシリノネヲヌクとかシリノネンドヌクという。特に川水が濁っているとゴウラがいるといって子供の水遊びを禁じる。胡瓜を食べて川に行くなということはこれと関係があるらしい。半夏生に竹ヤブに入るとゴウラがいるともいう。(林宏『吉野の民俗誌』)
大和の西牟婁郡西富田村新田では、手綱を自分の体に巻いて駒を引こうとした河童がいたが失敗、引きずられて厩で見つけられた。河童は、川岸の岩の上に蒔いた煎り豆が芽をふくまでこの地には現われないと約束して許された。(雑賀貞次郎『牟婁口碑集』)東牟婁郡熊野川町小口の河童は、娘に化けてきて仕事中の娘を水浴に誘った。田の草取りに忙しいというと手伝ってくれた。終わって水浴したが、娘は怪しんで尻に石を当てていたために助かったという。(「国学院雑誌」六五ー10、11)日高郡竜神村大熊の河童は、牛引に失敗し、引き上げられて農業を手伝わされた。こき使われ辛抱できず天に星が無くなり川に真砂が無くなり、竜蔵寺に小松が生えるまでは悪さはしないと約束し許された。後年、ある僧が松を植えたら、はたして釣り人が取られた。松を伐ると止んだという。また、寒川村土居にも似た話が有り、牛引に失敗した河童が明神の草引きをさせられていたが、番をしていた男は用心して尻に石を当てておくと「お前の尻は石尻だ」といったという。(森彦太郎『南紀土俗資料』)(以上、石川純一郎『河童の世界』)
博多では、厠で美人の妻女の尻をなで、腕を切り落とされた。手には水かきがついていた。腕を返すかわりに接骨の秘法を教えた。八女郡中広川村高間堤では、三月三日には河童がでるというので誰もこの堤を通らない。河童は相撲を挑むので手に唾をつけると逃げるという。久留米市では、腕自慢の男が筑後川で河童に会った。陸では勝ったが、手を洗おうとしてかがんだ瞬間、水中に引き込まれたという。三井郡太刀洗村で、沢山の子供が相撲をとろうとせがんだ。仏様の御飯を食べて行くと姿が消えた。朝倉郡阿弥陀ケ村でも、厠で尻をなで、腕を切り落とされた河童がいる。この河童も返してもらう代りに接骨の秘法を伝えた。三井郡国分村目渡の河童は田で馬に悪戯し、逆に引き回されて捕らえられた。解放の礼に接骨の秘法を伝えた。柳川市では、駒引に失敗した河童の片腕を証文代りに取った。水に入れるとクルクル廻り、その水を飲むと河童の災難は避けられという。削りとって服用しているうちに形が不明になった。また柳川付近では水に入る時「河童と逆相撲を取れ」と唱えると姿を消すという。(『筑紫野民譚集』)久留米市の河童は黄河から来て、球磨川に住み、九千匹に達した。族長九千坊は乱暴者だったので加藤清正が猿を使って攻めた。河童は肥後を立ち去り、有馬公に許されて筑後川に住み、水天宮の使いとなったという。(「あしなか」三十九)(以上、石川純一郎『河童の世界」)柳川藩の家老の家に河童の腕があった。毎年夏の始め、親類友人の子供を集めて、腕をつけた水を飲ませた。これで長く河童の災いをさけられるといった。(『水虎録話』/柳田国男『山東民譚衆』)
ガワッパ、ヒョウスベともいう。肥前百石村の河童は、小僧に化けて相撲を挑んだ。水辺に近寄るので正体がばれ、肩に噛みつかれた。その夜、その人の家を巡って哀号し、噛んだ人の手でその傷を治さなければ、到底癒えないという。そこで河童は、詫証文を書き、手印を押して出させたという。(『水虎考略後編』/以上、柳田国男『山東民譚集』)佐賀市高木町では、竃の炭を塗っていくと河童に取られないという。昔、隣家の子供に水遊びを誘われたのを怪しんだ母がこのようにすると、その子供は去ったという。佐賀県杵島郡桶村潮見の潮見神社の社家毛利家では「ヒョウスベよ、約束せしを忘るなよ川立おのがあとはすがはら」という水難除の呪歌を伝える。(「郷土研究」二ー三)佐賀県三養基郡安楽寺村の河童は、駒引に失敗し、捕まって石が房ってなくなるまで人馬は引かぬと約束した。(『筑紫野民譚集』)(以上、石川純一郎『河童の世界』)
大分県直入郡の真宗寺建立の際、竹田番匠が大工不足を補うため木の人形に息を吹き込んだ。これを元に戻して川に流したものが河童になったという。玖珠郡の河童は概して水浴する二十代の女性に魅入る。魅入られた女は淫乱になるという。三月で十二匹が生まれ、すぐに川に入って数十年生きる。雌河童に魅入られた男が交わって出来た子には水掻があり、これは一年もたたぬうちに死ぬ。(「あしなか」三十七編)日田郡では、河童に魅入られた少年は他人から見ると、一人で荒れ狂っているように見えた。銘刀や調伏で元に戻った。(「日田郡誌」)築土郡友枝村では、駒引に失敗した河童が、頭の水をこぼしてつかまり、詫証文を書いたという。この地方では田螺を河童の食物という。(「郷土研究」二ー六)(以上、石川純一郎『河童の世界』)
河童の異称
【イガラボシ】 いがらぼし。
和歌山県東牟婁郡で、河童のことをいい、胡瓜を食べて水浴びに行くとこれに尻を抜かれるという。頭に皿三枚をかむり、小猿に似ているという。(松本芳夫『熊野民俗記』/『民俗語彙』)
【イドヌキ】 いど抜き。
徳島の美馬郡で河童のことをいう。人の尻を抜くのでいう。(「方言」四ー二/『民俗語彙』)
【エンコウ】 猿猴。
安芸郡倉橋町で、海の河童を猿猴といい、尻子玉を抜く。川の河童はカワウソ、石垣の間に住み、雨の夜に化けて出る。足に継木して二メートルもの城坊主になる。地上一メートルあたりを殴ればよい。(「民族」三ー五)安芸高田郡白木町志道では、簪に化けて人を引き込もうとした。相手が毛利家の武勇の誉れ高い武士だったので、逆に陸に引き上げられた。足裏の吸盤でしがみついた岩が欠け、大穴があいた。また、神石郡油木町新免では、河童同士が百人の肝を抜く競争をした。ある男が河童に手紙を頼まれ、途中で茶屋に寄るとそこの主人が手紙を読んだ。百人目の肝を分けてやると書いてあったという。同地では古川池の河童に田の草取りを頼んだ。しかし作業の最中でも隣の尻に手を出すので、人は尻に鎌を下げていた。のち古川池に鎌を投げ込まれて姿を消した。(以上、石川純一郎『河童の世界』)
猿猴。出雲で河童のことをいう。八束郡川津村西川津の水草川で、駒引に失敗し村人に陳謝して許された。これは村の氏神宮尾明神の神徳といい、この後、村に猿猴の害は無いという。(柳田国男『山東民譚集』)
猿猴。広島県山県郡中野村で河童をいい、水中にいたので殺そうとしたら、転がし(大桶)の輪買えにするような竹がこの村に生えるまで害をもたらさないと約束して許された。この中野村には気候の関係で大竹が生えない。(『大間知篤三著作衆』三)
猿猴。河童のこと。山口県阿武郡桐島の山口家の伝説には、他の諸国で馬に悪戯して手を折られた河童の話と同じように、やはり骨接ぎの秘薬をこの家の主人に伝えて、折られた手を返してもらったとある。(『民俗語彙』)阿武郡椿郷西分村の河童は、駒引に失敗し、二度とこの村の牛馬を引かないと約束し、誓約書を書いた。この手形を板行している神社があり、牛馬を保護する効力があるという。(「長門風土記」)山口県大津村向津具の河童は、後世に至るまで向津具の庄の中に住まないという券文を代書、河童の手に墨を塗って押させた。これ以降、河童の家は絶えたという。貞享年間のことだが、この証文は少なくとも寛政年間までは産土社に蔵してあった。(『蒼柴園随筆』/柳田国男『山東民譚集』)
猿猴。河童のことをいい、香川県三好郡祖谷山西山で、盆の十六日に川で泳いだ子供が、尻子玉を抜かれた。それ以来、この日には川に入らないという。(武田明『祖谷山民俗誌』)
猿猴。河童のことをいう。猿との混同かともいわれる。愛媛県北宇和郡で、猿の毛を持って泳ぎに行けば、エンコウに取られないという。(「民間伝承」六ー五)同郡御槙村では、鹿の角の緒じめをしたり、鹿の角の箸で食事をしていくとよいという。また、大三島では、土用の丑の日には牛を泳がせるので、エンコウが牛の虫を拾いに出るといって子供を水辺で遊ばせない。(『民俗語彙』)西宇和郡伊方村では、相撲取りが勝負を挑まれた。散々手こずっていると、傍を通る人がきてエンコウは海に飛び込んで逃げた。身体中掻きむしられて、持っていた餅は馬糞に変わっていたという。(「民俗学」三ー一)愛媛県越智郡関前村では、相撲を挑まれたので、エンコウをまたせ、薬師堂の仏飯を食べて出ると「お薬師さんのオブッパを食ってきたな」といって去った。また同村では、七夕以降に泳ぐとエンコウに引かれるという。釣り舟に寝かせておいた子供をさらったともいう。(「民俗探訪」四十一、四十二年度)(以上石川純一郎『河童の世界』)
猿猴。河童。高知県吾川郡神谷村では、川の突堤で馬をつかんだエンコウの手を一晩中ねじった男がいた。他の男がみると腕はずっと下流まで伸び、エンコウはねじれた腕を必死に戻していた。土佐郡地蔵村東石原のエンコウが農家の嫁に魅入り、猟師が淵に向け鉄砲を構えると、それだけでエンコウの腕に穴が空いた。その後、この猟師は祟られたという。また、高岡郡戸波村永野石田の有為ガ淵(ういがふち)では、駒引に失敗したエンコウが、ウイゾノーウイゾノーと呼ぶところを、村人に打ち殺された。これが有為ガ淵の地名の由来とされている。(桂井和雄『土佐の伝説』)高知市と香美郡下田村では、捕えられたエンコウが高知城下では天神の子は取らない、下田村では下田生れは取らないと約束。そこで高知近在の子供は「下田生れで天神氏子」といって水に入る。高岡郡檮原村では、エンコウが命を助けられた代りに魚を届けていたが、木鉤を鹿の角に変えてから止んだ。幡多郡十和村でも鹿の角を嫌うという。そして相撲を挑まれたら手に唾をつけると逃げる、そうしないと木や石にぶつけられる。歯くそも嫌うので、人が噛み付くと正体を現す。盆の十六日、十七日に川に入ると尻を抜かれるという。中村市久保川でも猟師は魔おどしに鹿の角を携行する。また、高岡郡西川津からエンコウの傷薬を売りに来ていたという。(『十和の民俗』(以上石川純一郎『河童の世界』)長岡郡下田村のエンコウは、三十尋ばかりの網を体に巻き、残り六尺で馬を引いたが失敗、捕えられて人獣すべてに害をしないと約束して解放された。村ではそのかわり六月十五日に河童祭りを行うことを定めた。(『土州淵岳志』)幡多郡津大村の河童は駒引に失敗し、手水桶に魚を入れて届けていたが、鹿の角に変えたところで止んだ。吾川郡御畳瀬村の千屋惣之進の家には河童が報謝に持ってきたという珍器がある。皿のようなもので、水難除けのほかに疱瘡平癒のまじないになると評判だった。(『土佐海』)エンコウには婚姻の相談などは聞かせるものではない。もし立ち聞きされると必ず嫁入り婿入りに化けてきて人を迷わす。だから一般に密談するときは、まず弓弦を鳴らして退散させる。(『土陽陰見記録』下)(以上柳田国男『山東民譚集』)元文三年に幡多郡間崎でエンコウを捕えたという。三歳ばかりの童子で、体は鯰のようにぬめり、顔は猿のようだった。手も猿のようで長く爪があり、足は人のようだが前三つ、かかとに一つ爪があった。エンコウは川童子にひとしく、川太郎は獺が歳経るとなるという。(広江清編『近世土佐妖怪資料』)
【ガアタロ】 川太郎。
河童のこと。長崎県五島では赤ん坊のように小さくて、頭の鉢には水があり、人に憑くことがあって狐のように悪戯をするという。ガアタロの腕を抜いた話や、これと交際している老婆の話など様々ある。祇園祭前に泳ぐと尻を抜かれる。チョッパゲ(ふくべの杓)は水に沈まないので河童の敵とされる。同久賀島ではガアタロは水の神の小使で、小豆が好きなので、毎月十一日に小豆飯を供える。(以上、『民俗語彙』)壱岐島では髪を乱した子供の姿で、これを使って長者になったものがいるという。しかし、これが歩いたあとはびしょびしょに濡れ、畳の上まで上がってくるので、長者の妻が来させないようにしたら、家はたちまち没落した。ガァラッパ、ガワッパともいい、尻子と相撲と豆腐を好む。相撲をとって片腕を抜かれ、詫証文を書き骨接の薬を教えた。麻がらに弱い。「何年かたったら尻子をやるから」といって願をかけるという。平戸市では、ある分限者に仕えた女が毎日来て毎晩帰る。どこから来たのか明かさないので、ある時つけて行くと、海の波が二つに裂け、女はその中に入って行った。本居では、門に出して干してあった網の目を数えたという。(以上、折口信夫「河童の話」「壱岐の水」)夜分、旅宿の前を通る足音が暁まで続いた。翌日、旅の者が宿の主人に聞くとあれは河童で日中は山におり、夜に入ると海に行って食べ物を求める。人間には害を及ばさないという。(「水虎新聞雑記」)ヒョウスベともいい、諫早在の兵揃(ひょうすべ)村の天満宮の神官の尻を厠で撫で、手を切られた。返してもらったお礼に、手継の秘法を伝授した。(「河童駒引」)(以上、柳田国男『山東民譚集』)東松浦郡福江町で、暮れ方橋の上で河童が五、六匹相撲をとっていた。男が飛び入りし、一匹の腕を抜いた。幾晩目かに返すとお礼に大きな青石をくれた。(「五島民俗誌」)北高来郡有喜村亀首では、夜釣りの糸に河童がしがみつき、同村中道では駒引に失敗して捕まり、納屋の柱に縛りつけられたが、ドウズ(※のとぎ汁)をかけられ、力を得て逃げた。(「民俗学」三ー一)東松浦郡鎮西町では、六月朔日に川に行けば河童に引かれると伝える。陰暦五月十五日ともいう。(「民俗探訪」43年度)東松浦郡樺島の河童は、竹田番匠が使った人形で、工事のあとどこへでも行って暮らせといって頭を叩いたので、そこがへこんで水が溜まっているという。(以上、石川純一郎『河童の世界』)
【ガァッパ】 がぁっぱ。
対馬で河童をいう。河童のよく現れる魔所をガァッパドコという。ガァッパは人によく憑くが、猿をつれてくると河童の憑いた人に飛びつく。(『民俗語彙』)上対馬町舟志には、オサダ・オサン・オツヤの三姉妹の河童がいた。長姉オサダは詫証文を獲られたがその後も悪さは止まなかった。そこで約束の不履行を「ガッパの証文」という。対馬北部(上郷)の河童の大将は豊(上対馬町)におり、中将は佐護の恵古(上県町)、少将は佐須奈の船倉寺の川にいた。全島に号令する総大将は下郷の鶏知(美津島)にいて、その名を千馬と称した。豊玉島唐洲には河童と仲良しの男がいた。いつも相撲をとっていたが、ある日、山の畑で働いているとガッパが来て「加勢するから一休みせよ」といった。そこで昼寝をすると「爺さん、済んだぞ」と声がかかった。目を覚まして見たが畑はそのままで、壊れた唐鋤が一つ転がっていた。(永留久恵「対馬の妖怪」季刊「自然と文化」84年秋季号)
【ガータラ】 がーたら。
南河内郡滝畑村(現河内長野市)では「がーたろ」と呼び、尻を抜くとされ、また、酒が好きだともいう。(『民俗語彙』)
【ガオロ】 がおろ。
飛騨地方で河童の事をいう。
【ガグレ】 がぐれ。
都城近辺で河童のことをいう。ガゴとも。相撲を挑まれたときには、手に砂をつけて応ずるとよく、脇の下に手を入れさせてはならないという。(「郷土研究」三ー三/『民俗語彙』)
【カシャンポ】 火車坊。
河童のこと。大和では、毎晩牛小屋に入り、涎を牛の全身に塗り付けて病苦させるという。その牛小屋に灰を撒いておくと、水鳥様の足跡がついている。(「河童について」)西牟婁郡富田では、カシャンボが大勢上陸し、藤兵衛という老人が遠方からホーイホーイとしきりに呼ばれた。騙されるものかとあざ笑っていると、たちまち耳元で異様な大声で「阿呆」と叫ばれ、そのまま耳が聞こえなくなったという。(南方熊楠『南方随筆』)
【ガシタロ】 がしたろ。
北松浦郡で河童のことをいい、牛にのる(憑く)ことがある。生柴で叩きながらお経を読んで外す。外したあとはで牛はぐったりと疲れる。(『離島手帖』/『民俗語彙』)
【カシラ】 かしら。
和歌山県西牟婁郡川添村で河童のことをいう。夏の間は川の淵や海辺に住んでいるが、秋口になると山へ入る。川にいる間はゴーライまたはゴーライボウシと呼ばれ、山へ入るとカシラまたはカシャンポといわれる。(「民間伝承」十三ー九)
【ガッコ】 がっこ。
河童のことを福岡県京都郡伊良原村(犀川町)でいう。河童は春の彼岸に山を下りて川へ入り、秋の彼岸に山へ入る。その時ヒョウヒョウと鳴きながら夜明けに峰通りを行く。山に入ったのをセコという。彦山の四里四方ではいたずらをしないという。(『民俗語彙』)
【ガメ】 がめ。
加賀能登地方で河童をガメといい、ガメの親方は千年も劫を経ていて、頭の鉢に一合ほどの水を貯えている。これをひっくり返されると死ぬという。(「民族」三ー五/『民俗語彙』)能美郡中海村遊泉寺のガメ(河童)は、淵から出て来て、堰淵のそばに立つ老人に「この中に入ってごらん。気持いいから」と声を掛けて誘った。老人が断るとガメは諦めて淵の中に帰っていったという。(「民俗学」一ー三/石川純一郎『河童の世界』)
【ガラッパ】 がらっぱ。
鹿児島市で河童をいい、昔から見た人は死ぬといわれる。頭の皿を打たぬと約束してそれを破ったので、次々にガラッパが出て相撲をとり、その人は馬鹿になったという話がある。(「はやと」二/『民俗語彙』)トカラ列島ではガラッパ、ガワッパ、ガッパ、ガウル、ガラル、磯にいるのでイソンコともいう。十島村悪石島のガラッパは、1、体細く頭に皿がある。手足が長く座ると膝頭が頭より高くなる。2、春の彼岸に川に降り、秋の彼岸に山へ登る。彼岸や盆などの物日は山に人間が出ない日とわかって、跳梁している。3、邪悪な精霊の性格があり、人に憑いたり悪戯したりする。山で異変に遭うのはガラッパのせいだという。ガラッパの悪口を言ったり山で名を口にしてはならない。素足でいると何キロも離れたガラッパに聞こえ、仇をうたれる。ただし同志になると魚がよくとれるという。大島郡十島村平島では、魚取りに行くとガラッパが火にあたりにきた。膝頭が頭と同じ高さで口から始終ダラダラと涎をたらし、臭かったという。(「吐喝喇列島民俗誌」/以上、石川純一郎『河童の世界』)
【ガワイロ】 がわいろ。
美濃の武儀郡では河童の事をガワイロといい、子供に化けて相撲を挑み、手を引くとそのまま抜ける。頭の皿には毒が入っていて、これを入れると川の水が粘って上れなくなり尻子を取られる。また胡瓜を食べて川に行くとガワイロに引かれるという。(『民俗語彙』)同じく美濃揖斐郡徳山村ではガワエロといった。猿に化け、陸では顔の白い眉の黒い猿の形をしている。水中では決して姿を見せないといい、人の欲しがるものに化けて人を騙すとされる。(『民俗語彙』)
【ガワエロ】 がわえろ。
美濃揖斐郡徳山村で河童をいう。
【カワウソ】 獺(かわうそ)。
土佐で河童のことをいう。相撲をとるのが好きだが、頭を揺さぶって水を無くせば弱くなる。前足が短いので坂を上るのは早いが、下るときはよろよろしている。(『民俗語彙』)
【カワコ】 川子。
隠岐や出雲地方で河童をいう。(『民俗語彙』)
【カワコウ】 川猴。
河童。岡山県後月郡西江原町ではカワコウ祭りを行う。この祭りのときひょうたんを腰につけていないと尻を抜かれるという。(沢田四郎作『五倍子雑筆』四/『民俗語彙』)
【カワコボシ】 川小法師。
志摩郡越賀村で河童のことをいう。そのカワコボシが持ってきたという石がある。(『民俗語彙』)
【カワタラ】 川太郎。
河童のことで、吉野郡迫川村では夜網に出た男が煙草入れに手拭いを入れておいたためカワタラに取られなかった話がある。(『民俗語彙』)
【ガワタロ】 河太郎。
大分県玖珠郡ではガワタロは小さくて渋紙のような色をし、時々木に登るという。(『民俗語彙』)河太郎は処女を淫すること度々であった。娘はいつとなく患い、健忘のようになって床に着き死に至る。時々娘の所に来るが人には見えず、ただ病人がしゃべったり笑ったりするのでわかる。ミミズを干し灯心とし、油をそそいで点し、その下に娘を座らせておけば河太郎は形を現すという。(津村宗庵『譚海』巻二)
【ガワタロウ】 川太郎。
河童の異称。近江国伊香郡熊野村には、ガワタロウが相撲を挑み、角石で頭を打たれたため謝罪として魚を持参したという話が伝わる。(「郷土研究」一ー五/『民俗語彙』)野洲郡北里村江頭では、ある農家の留守宅に亭主に化けて現れ、その家に入った。その後、本物の夫が戻り、真偽を競ってばれ、打ち殺されそうになったが、詫びを入れて許してもらった。その恩に報いるため、大鮒を二枚、毎日持って来たので、夫の身上は良くなった。十年ほどすると再び河童が現れ、近頃は新田が多くなって魚を取ることが殊の外不自由になり、もはや許したまえと言って来なくなったという。(「観恵交話」/柳田国男『山東民譚集』)
河太郎(かわたろう)。河童の事。徳島県那賀郡平島村赤池の河太郎が、那珂川の辺で駒引に失敗、殺されるところを主人に助けられた。夢枕に立って、井戸の傍の籠に鮮魚を置くといった。但し刃物は忌むという。後日、間違えて刃物を置いておいたら、止んだ。(「阿州奇事雑話」二/柳田国男『山東民譚集』)
対馬で波避けの石塘に集って群をなしている妖怪。丈二尺余で人に似ていて、見た光景は亀の甲羅干しに似ている。老少があって、白髪もある。髪を被ったようなものもあれば、逆に天をつくようなものもある。人を見ると皆海に入る。狐のように人に憑くともいわれる。(松浦静山『甲子夜話』三十二ー九)島原で、海中に人を引き入れて精血をすい、体は必ず返すという。この死体をただ板の上に乗せ、草庵を結んでおけばこの屍体の朽ちる間に河太郎の体も朽ち、自ら倒れるという。(『閑窓自話』/日野巌『動物妖怪譚』)
【ガワッパ】 がわっぱ。
熊本地方で河童のことをいう。ガワッパは桃が好きなので、桃類を食べたあとでは水泳に行かない。駒の蹄の跡に水の溜まった中にでも、土用中は三匹くらいの河童が住んでいる。刃物を恐れるというので水泳に行くときは小刀を持参する。また河童は猿には負けるので、猿の住む山川には河童はいない。仏壇に供えた飯を食べて行くと、目が光るので河童は恐れて寄りつかない。(「郷土研究」一ー二/『民俗語彙』)娘を窓の傍に寝せていると河童に悪戯される。ただしオハグロをつけていると、鉄を嫌うので無事だという。水俣湯出では、毎晩川に行って尻をつけていたら胤をつけられたという。芦北郡花岡の河童は、田植えの約束で酒をもらった。翌朝、田は一面きれいに田植えされていたが、頼んだ爺は気がふれてしまったという。天草下河内の河童が、網にかかって捕まったが、頭に水を掛けられたので逃げた。相撲が好きで、冬は山に登り、黒木の根方にいる。体臭は生臭い。ガワッパが山に登る時は、男女男女と数万列をなして行き、男がギイと鳴けば女が続けてトンという。春の終わりから夏にかけて水辺に下る。天草郡牛深町の河童は、引き抜かれた腕を返してもらったお礼に、二冊の本を残した。一冊は魚釣りの秘伝、一冊は河童相撲の秘伝だったという。この河童は女の河童だったという。同郡城河原村の河童は、川の中に浸けた茄子をむさぼったが、持ち主にだけはそれが見えなかったという。同郡苓北町坂頼川では、「別当さまの子孫でござる」と唱えて水に入れば取られない。石が土になったら尻を取らせるといった爺が別当に祀ったからという。同郡亀場村の河童は荒神様を恐れるから釜の煤を顔に塗って泳ぐ。同郡天草町の河童は光る物を嫌うので、仏の御飯を食べていくと目が光るので取られないという。河童を捕まえたが、うっかり水をかけて逃げられた。また畦で相撲を挑まれたので、おじぎをさせ頭の水をこぼさせて捕まえた。同郡御領村で、夜、キュウリ畑に生臭い臭いがした。翌朝見ると、キュウリを齧った跡があった。また、酒をせびり、飲ませると田植えをしてくれた。同郡中田村では、十匹の河童に三十個ばかりの握り飯で田を耕させ、数日後、また握り飯で水を引かせた。氏神様が百個のふくべを一度に沈めたら村の者の尻を取ることを許すといった。九十九個まで沈めたが、あと一個ができず、降参して住まなくなった。同郡鬼池村では夏越の日に河童は竜宮に集るという。また、海神が蓋で河童を押さえているから、取られないという。同郡本戸村では、舟の横腹についた河童の腕を切り落とした。しかし舟は進まず、ついに沈んだ。漁師は泳いで岸についたが、後高熱を発した。十月に川で泳いでいる子供を媼が注意すると水をかけて逃げ、媼は訳の分からぬ病気になって一ヶ月病んだ。のち厠に行き、手水鉢から手が抜けなくなったので豆腐をいれて河童に謝った。同郡手野村および一町田村には左甚五郎の一夜建立と河童生成の伝説がある。(浜田隆一『天草島民俗誌』)熊本市西部の鼓ヶ淵の河童は修行者に憑き、眠気を催させたという。芦北郡日奈久町では、水車で遊んでいるのを邪魔したら高熱が出た。神社建立に使われた藁人形が、人の尻でも取って食えと川に追われた。相撲をせがまれたが、仏の飯を食べたので、目が光って難を逃れた。河童の字は水につけると読める。手紙を河童に託された人がこれに気付き、宝物を渡せと書き換えたので命が助かった上、長者になったという話が伝わる。 同郡田浦町では「樋の口さん一の孫」と唱えると河童にとられない。樋の口さんはガラッパ神社で、ここに参詣し、小石を拾って袋に入れて水に入れば取られないという。下益城郡当尾村では、子供は小便するとき「ガッパ、ガッパ引っこむにゃ、親の乳は飲まんぞペッペッ」といって川に唾をはく。人の肝を抜いた河童はその人の灰で磨かないと手が腐るという。八月朔日に山へ帰る。ナスの馬を作り花を飾って川に流す。八代郡上松求麻村のガワッパは、駒引に失敗、地蔵の尻が腐るまでは人を取らないと約束した。時々地蔵が倒されていることがある。猿舞師は川を渡るとき猿に目隠しをする。河童を見つけると飛び込んで捕らえるからという。河童は一二時、猿は二四時もぐっていられるので、必ず捕らえるという。猿は馬を疾病と河童から守るという。同村に河童の骨を所蔵している家があったが、これには一文銭を結びつけたあとがあった。鉄を忌み、近寄らぬからといい、骨は水中では透明になるという。同郡松球磨村では、池を新しく掘ったときは底に鉄物を埋めると河童が住み着かないという。鉄を忌むというのは鹿本郡、飽託郡などでもいう。同郡種山村のガワッパは、厠で腕を切られ、河童膏薬を教え、石塔が腐るまで人を取らないと約束した。石塔に時々水をかけるという。六月朔日のコッツイタチ(氷朔日)に河童は山から川に入るので水に入ってはならない。玉名郡山北村では八朔の節句に山に登るという。上益城小峯村では炭焼小屋の炉辺にうずくまっていた。火にあたりたがるという。猫ほどの大きさでガッガッと鳴きながら群れになって移動する。同郡大井曽では河童の骨を水につけ、その水を飲むと病気が治る。患部を撫でると治癒するという。八代市では相撲をとるとき、河童の頭に触らない、人の方はくすぐらないを条件とする。都城市の河童は雨もようの夜更けにヒョウヒョウと鳴き渡るのだという。天草郡宮野河内村では、馬を川にいれたままにすると河童が憑く。とくに種馬に憑くのは駿馬の胤は水界から得たという伝承に基づくからという。同郡大江村では、厠につながれた河童が媼の悪口をいい、ゾーズをかけられて力を得、逃げた。同郡深海村では、力不足で不採用になった男が、河童の家の馬鍬を取り除いてやってから大力を得た。(丸山学『熊本県民俗事典』)飽託郡石原村では、子供を取られた領主が、川に飛び込んで腕を引き抜いたが、これは一本の藁だったという。(高木敏雄「日本の伝説」)河童に引かれた者は黒葬する。火を使わず、衣類から棺まで一切白は用いない。こうすればその河童の目は腐れ、腕腐れして死ぬという。(「郷土研究」二ー三/以上、石川純一郎『河童の世界』)
屋久島などで河童をいう。ただしヴバヤケッMノンという怪と混同して区別がはっきりしない。(「旅と伝説」一二ー九/『民俗語彙』)小坊主に化けて大瀬という所に誘う。人が溺れて死ぬのはガワッパに尻子玉を抜かれるからという。熊毛郡上屋久町では、酔って帰る男に四五人の子供が相撲を挑んだ。片っ端から腕を取って振り回すと、腕は長くなって抜けた。(宮本常一『屋久島民俗誌』)
【カワトノ】 川殿。
久留米市付近では河童のことをカワトノ、コウラワロウ、ガッパ、カワッパなどと言っていた、(『浜萩』/『民俗語彙』)
【カワノモノ】 川の者。
玖珠郡で河童をいう。これに憑かれると病気になる。法者に行って治してもらう。法者は御幣で撫で、紙袋の中にそれを入れて焼く。(柳田国男篇『山村生活の研究』)
【カワババ】 川婆。
北設楽郡振草村で河童をいう。(『民俗語彙』)
【カワランベ】 川らんべ。
木曾地方で河童のことを言う。また、美濃の加茂郡あたりでもいう。
【ガワル】 がわる。
沖永良部島で河童をいう。(『民俗語彙』)
【ガワロ】 がわろ。
喜界島で河童をいう。髪が赤く、頭に皿があり、相撲を挑む。ネィブイガーローともいい、海辺で居眠りしていて、漁師に見つけられることがある。(『民俗語彙』)
【ケンニン】 けんにん。
河童の類。上益城郡内大臣山で、日向堺の山小屋に泊まった人が、夜中に突然石を落す音、木を落す音がして一睡もできなかった。小屋がケンニンの通り道に建っていたからという。(石川純一郎『河童の世界』)
【ゴウラ】 ごうら。
紀州のある地方で河童のことを言う。カワトノという地方もある。(『民俗語彙』)
【ゴボシ】 ごぼし。
志摩郡鳥羽町国崎で、河童をいう。陰暦六月十四日の天王様の日に海で泳ぐとゴボシに尻を抜かれるという。度会郡相賀では、子供が水死するとカンコロボシにギンボ(またはシリノボウ)を抜かれたという。水から上がって「カンコのメーリス、イタチのメーリス、明日も明後日も泳がしてくだされ、あがって候」と唱えれば尻を抜かれないといわれている。メーリスの意味は不明。(三重県教育委員会『鳥羽・志摩漁労調査報告書』/石川純一郎『河童の世界』)
【コマヒキ】 駒引。
河童の異称。
【ゴンゴ】 ごんご。
岡山市付近で河童のことをいう。ゴーゴ、ゴンゴウジともいう。小児のようで頭に皿があり相撲を好む。「ゴンゴのおんじめ、また来てあびる」という。(「民族」三ー五)おんじめは終わりの意味と解されている。御津郡豊岡村では水中に住み、亀の形をしていて、左右の手が通っているという。(「中国民俗研究」一ー一/『民俗語彙』)
【サンボン】 三本。
宮崎県東臼杵郡北方村で河童をいう。指が三本という伝えからか。(「旅と伝説」八ー七/『民俗語彙』)
【シイジン】 水神。
佐渡では河童の事をシイジン(水神)といい、越後の刈羽郡では溺死をシイジンといった。キュウリを食べて行くとこれに取られ、白瓜を食べて行くと取られないといわれた。また、シイジンは六月朔日から出るので、夕顔を食べるか持って行けば取られないともいう。馬蹄の水溜りで助けを乞うていたとか、馬はんぞう(盥)の底に隠れていて捕えられ、シイジン除けの方法を教えてくれた等の話が伝わる。(「高志路」五ー七/『民俗語彙』)
【スイコ】 水虎。
河童の異名。(「週間朝日百科」12)
【スイテンボウズ】 水天坊主。
宮崎県児湯郡西米良村で、河童のことをいう。(『山村調査』/『民俗語彙』)
【スジンコ】 水神こ。
越後の頸城郡で河童の事をいう。(『民俗語彙』)
【セエシン】 せえしん。
信濃の下水内郡で河童のことを言う。
【シリヒキマンジュウ】 尻引きまんじゅ。
播磨の多紀郡大芋村では河童のことをいう。(『民俗語彙』)
【ドチロベ】 どちろべ。
美濃の武儀郡洲原村で河童のことを言う。
【ヒョウスベ】 兵揃。
兵主などとも書き、九州地方で河童をいう。佐賀県杵島郡橘村(武雄市)の潮見神社は河童の主である渋江氏を祀っているが、その祖先が兵部大輔島田丸といい、内匠工が春日社の大工事のとき人形に命を吹き込んで使い、のち川に捨てたものが河童となって出るのを静めたので、以降河童を兵主部と呼ぶようになったという伝説がある。(『民俗語彙』)
【ヒョスボウ】 ひょす坊。
宮崎県で河童をいい、ヒョスンボともいう。秋になるとヒョウヒョウと鳴きながら山に入る。これを遮ると必ず死ぬといわれた。(『民俗語彙』)宮崎市丸山町の薬湯屋に、毎晩夜遅く河童が湯を浴びにきた。河童が使ったあとは一面毛が浮いて大変臭くなる。主人がたまりかねて湯を落しておくと、馬が殺された。また、河童の子を産んだ後家がいる。臨月に産婆が行くと、沢山の川魚を入れた籠が据えてあった。数人生まれたが、皆姿を消し、籠も消えていた。河童は非常な金持ちだが、貧乏になると人の肝を取る。人の生肝は、河童の病気の一番の薬という。さらに、外蟹町では、相撲を挑まれ、全身を爪で引っ掻かれたという話も伝わる。(「民俗学」二ー八)宮崎県児湯郡都農では、河童の腕はもともと猿のもので、猿が欺いて変えたのだという。河童は常に仇を返そうとしているので、猿回しなどが川を渡るときは、猿に目隠しをするという。(「民俗学」二ー十)宮崎県東臼杵郡西郷村では、河童と相撲を取り、頭の水をこぼさせたので、祟られて半病人になった。また、茄子畑を荒らした河童を見た老媼が失神、胡麻の幹と御神酒を供え、蝋燭を灯して祈ったが死んだ。一瞬にして、体が紫色に変わったという。(国学院大学民俗研究会「民俗探訪」38年度)西臼杵郡上野村では、駒引に失敗し泣いていた河童が、媼に水をかけられて逃げられた。望の正月から毎日魚を届けたが、媼が包丁を置き忘れて、止んだ。(熊本商科大学民俗学会「高千穂」)(以上石川純一郎『河童の世界』)
愛らしい童形で、頭は芥子坊主という。杣人の墨壷を欲しがり、天壷(苧で編んで作った壷)を恐れる。山へ行く人は常にこれを肩にかけて行く。墨壷を天壷に載せて差し出すと、河童は驚いて飛び退くという。庄左衛門に腕を切られ、手接の妙薬を教えて自ら接いでみせた。しかし、戻る時配合に一つ欠いたといって水中に消えた。庄左衛門薬は金創によく効いたが、全く切れた手足は接ぎかねたという。(『水虎録語』)耳川上流の一山村で、四更の頃になると怪しい声が起こり、暫くして対岸に達したちまち下流に去った。曙の頃には再び岸に沿って戻る。これは、河童が山を下って海に浴するのだと土地の人はいう。(「日州水虎新話」)(以上柳田国男『山東民譚集』)
宮崎県西諸県郡真幸村の竹上武熊という人は、ガラッパが遊び友達で、カイヤ(小学校)から帰ると、他人が行っても平気で遊んでいた。「それそこにいるじゃないか」と言われても他人には見えなかった。また、同郡ヒャハクの瀧の付近で狩りのため夜明かしをしていると、河童がきて悪戯をする。知らぬ顔をして焚火に当ったまま後のほうにフグリを出して見せると、河童はヒヒッと笑う。引っ込めると悪戯をする。、出すとヒヒッと笑う。これをなぐさみとしていた。同郡真幸村東永江浦の永江浦川の淵に、小坊主が出て、淵に沈んでいた金物を取り除いてくれと頼んだ。村の人は決して取らないと約束を取り付けてとってやった。以来ここではカワドレ(溺死者)は出ない。普通ガラッパに引き込まれた者は、いなくなった場所から遠くない所の川底に端座させられているという。(楢木範行『日向馬関田の伝説』)
【フチザル】 淵猿。
安芸国の井上元重、通称荒源三郎という武士が吉田川の釜淵の水底に潜って退治した。荒は七十人力、淵猿は百人力だったが怪物の力は頭の中央にある水にあることを前もって知っていたので、まずその首をつかんで左右に振り回し、水を落したので容易に生け捕れた。(「老媼茶話」/柳田国男『山東民譚集』)
岩手県土淵村では、河童を淵猿といい、岩の上で遊んでいるのを目撃したという話が伝わる。(佐々木喜善『奥州のザシキワラシの話』)
【フンゴロボウシ】 ふんごろぼうし。
紀州の串本市で河童のことをいう。ガッタラボウシともいう。(『民間語彙』)
【ヘジゴロ】 へじごろ。
鹿児島県の一部で河童をいう。(「鹿児島県方言集」/『民俗語彙』)
【ホグラ】 ほぐら。
天草島でいう。河童の刧を経たもので、山に入ってクロソギという木の切株に棲むという。(『民俗語彙』)
【ミズチ】 みずち。
越中羽咋郡で河童を「みずち」という。昔、淵端某という旧家があり、疳の薬を売っていた。それはこの家の先祖が駒引に失敗した河童から助命の礼として製法を伝授されたものといわれていた。(「郷土研究」一ー四/石川純一郎『河童の世界』)
【ミツドン】 みつどん。
鹿児島県で河童をいい、指が三本だからという。(『民俗語彙』)
【メドチ】 めどち。
青森では河童の事を「めどち」という。その十和田では、猿のような顔で身体が黒く髪をさらっと被った十歳位の子供で、女の子に化けて水中に誘うという。また、人間に子を生ませるともいう。(大谷女子短大『十和田の民俗』)
【ワッパ】 わっぱ。
河童のことで、長崎の小値賀島でいい、童形で池の中から出て相撲を挑む。(井之口章次『日本の俗言』)
【ワロドン】 わろどん。
鹿児島県肝属郡百引村で河童をいう。オジドンともいい、鉄が嫌いで、きれぎれに切り刻んでも元の身体に戻ってしまうので、一切れを飲んでしまうとよい。駒の足跡の水には千匹も住むことができ、これがあると犬も逃げるという。(『山村手帖』/『民俗語彙』)
その他
その他の水の怪
【アカゴ】 赤児。
信州の木崎湖の水中に棲むという怪。十一、二歳の裸身の童形で、色は嬰児のように赤く、髪を猩々のように垂らしている。水面に見え隠れするが、べつに悪さはしない。漁人がしばしば見るという。(『松本と安曇』/『民俗語彙』)
【イデモチ】 いでもち。
熊本県球磨郡で淵の主をいう。腹に吸盤があって人を取り殺す。さかま淵に住んでいて、淵の底に障子が立ててあって、その中にいるなどといわれる。(『民俗語彙』)
【ウブメ】 産女。
山形県最上郡の大蔵村には、産女と呼ばれたモノがいた。ある時、川の波間から乳飲み児を抱えた女が出て来て、通りかかった郷士に「念仏を百遍唱えている間、この子を抱いていて下さい」と頼んでその子を手渡した。郷士は思わず受取り抱いた。女の念仏が進むにつれ赤児は重くなる。それでも必死に耐え抜くと「これで成仏できます」と言って二人は消えた。以来、その郷士は怪力に恵まれたという。(畠山弘『山形県怪談百話』)
山口県豊浦郡乗貞や蓋井島では身持の女の死んだ場合はそのまま埋めず分身させてからでないとウブメとなって出るという。普通ウブメとは産女のことだが、ここの産女は一種の妖怪の意に解されている。(『民俗語彙』)
愛媛県越智郡清水村では赤子の声が川で聞こえるのをいう。夜更けて通ると、ウブメが両足にもつれる。これがお前の親だといって、はいている草履を投げると一時泣き止むという。(『民俗語彙』)
【オイテケボリ】 置いてけ堀。
置いてけ堀という処は川越地方にもある。魚を釣るとよく釣れるが、帰るとするとどこからともなく、置いてけ置いてけという声がする。魚を全部返すまでこの声がする。魚を全部返すまでこの声が止まぬという。(『民俗語彙』)本所七不思議の置いてけ堀などは、何を置いて行くのか判らぬようになったが、元はそれも多分魚の主がいった例であろう。
【オオガメ】 大亀。
岡山県和気群香登の大池や御津郡馬屋下村大窪の奥田池などに主として住むという。この大亀は、人の尻子玉を抜くといわれ、旭川の淵でよく子供をとったという。(「民族」三ー五/『民俗語彙』)
【オシッコサマ】 お水虎様。
川で人を取るとされる。カワショウジモノともいう。(森山泰太郎『津軽の民俗』)
【カワオトコ】 川男。
『倭訓栞』後篇に、身長甚だ高く、色甚だ黒く、河童とは別ものと伝える。美濃地方では、夜網に行って出会った人が多いという。二人並んで物語などをするといい、背の高い方が川男と見られている。(『民俗語彙』)
【カワカムロウ】 川かむろう。
沖縄で、池などで人を引く怪。(折口信夫『沖縄採訪記』)
【カワクマ】 川熊。
秋田の佐竹侯が船で川漁を楽しんでいた時、水底から黒い手が出て殿の鉄砲を奪った。後、水練の名人が川随一の魔所という洪福寺淵の底に潜り、一挺の鉄砲を拾い上げた。その銃には川熊の掴んだ跡があり、佐竹家の什宝としたという。川熊はその後、下流で真夜中に船に手をかけ、その船人に手を切り落されたという。姿は猫のようであったとされる。(「月乃出羽路」五/柳田国男『山東民譚集』)
信濃川で洪水が有ると「あの土手が崩れたのは河(川)熊の仕業だ」という。(外山暦郎『越後三条南郷談』)
【カワコゾウ】 川小僧。
知多郡日間賀島でいわれ、尻子を抜くので、水死人は尻に穴が開いているといわれた。(「民俗誌」/『民俗語彙』)
【カワコマ】 川駒。
秋田地方でいい、水の神の別称とされる。(柳田国男『山東民譚集』)
【カワサル】 川猿。
水の岸に現れるもので、馬がこれに合えばたちまち死ぬ。いずれの川筋でも川猿出れば馬の種絶えるといわれている。伝染病のようなものともいわれる。(「三河雀」/柳田国男『山東民譚集』)
【カワジョロウ】 川女郎。
琴平の南で大水が出て堤が切れそうになると「家が流れるわー」と人が泣くように泣く妖怪。多度津では「高橋で今夜も川女郎が泣きよるわ、水が出たから」などという。(「民間伝承」四ー十一)
【ガワタ】 がわた。
美濃の揖斐郡坂田村川上でいう水の怪。カワウソだともいい、「オーイ」と人間のような声を出す。これが鳴くと水が出るといわれる。(「旅と伝説」十三ー八/『民俗語彙』)
【カワテング】 川天狗。
相模国津久井郡の中川へ夜漁に出ると、真っ暗な中に大きな火の玉が転がるという。また、投げ網に行くと前方に、姿は見えないが同じく投げ網をする者がいたり、大勢の人声がして松明の火が盛んに見えるが、実体は無いという。これらは皆川天狗のせいだとされている。(鈴木重光『相州内郷村話』)
山梨県南都留郡道志村の川に住む川天狗は、魚を好み、怪光を発した。滝のそばに栃の古木が三本あり、溺死者がでると青い火の玉が飛び出すのだという。また村の子供が釣をしていると「子供、子供」と呼び、木の間に黒い坊主が立っていたり、夜釣りをしているとバサリと網を打つ音がし、それからは絶対に釣れなくなるという。(伊藤堅吉『道志七里』/『民俗語彙』)
静岡県では、川天狗は川漁を好むとされる。(『民俗語彙』)
【カワノカミ】 川の神。
壱岐島ではこの名の水神が毎月二十九日に水筋を通って、他の井戸や池に通うという。その時、ヒョーヒョーという声が聞こえるという。また、羽で翔ぶともいう。(『壱岐島壱岐方言集』/『民俗語彙』)
【カワヒメ】 川姫。
築上郡の一部でいう美女の怪。村の若い衆が水車場に集っていると、いつとはなしに水車が回り、その陰に立っている。その座にいる年寄が合図をして、みな下を向く。この時川姫に心を動かす者がいると精気を抜かれる。また、ある人が中津に入ろうとすると美女が川下から水の上をサラサラと飛ぶように歩いて来て、橋のところに来るとひらりと欄干の上に飛び乗ったという。(「民間伝承」四ー七)
【カワミサキ】 川みさき。
高知県安芸郡羽根村などで、三人で川に行くと川みさきに憑かれるという。(「旅と伝説」十六ー二/『民俗語彙』)
【カワラコゾウ】 河原小僧。
人々の見ている前で増水した安倍川に飛び込んで、胸から上をずっと出して泳ぐとも走るともつかず下っていった。丈は七尺余で、ひょいと河原に上がるといままで以上の速度で走り、崖の下の奔流が渦巻くところまできて忽然と消えた。(『静岡県伝説昔話集』/今野円輔『妖怪篇』)
【カンチキ】 かんちき。
山梨県南都留郡の砂原に近い大淵に住む怪物で、カッパに似て背に年古びた亀甲を背負い、髪の毛は四方に振り乱し、顔は烏天狗のように青黒いという。人の尻から手を入れて五臓六腑を引き出して食べるとされる。引く力は物凄いが、押されればすぐにひっくり返るという。(伊藤堅吉『道志七里』/『民俗語彙』)
【ギオンボウズ】 祇園坊主。
六月十四日の祇園祭の日に川に入ると、これが出てくるという。他に祇園波、祇園鮫など色々あり、水神信仰のなごりとされる。(『民俗語彙』)
【サキソマエップ】 サキソマエップ(アイヌ語)。
山の沼などにいて、姿は見えないが匂いが鋭い化け物。この匂いに障り、全身腫れて動けなくなったアイヌの人がいたという。(吉田厳『人類学雑誌』)
【シバテン】 しばてん。
川の堤などに出る怪。形は非常に河童に近く、好んで相撲を挑む。また、土佐郡土佐山村では小童の姿で何十人と出て来て相撲をねだるが、相手になると一晩中独り相撲を取らされる。しばてんは旧暦六月六日の祇園の日からエンコウになる。この日、川に胡瓜を流すのは、このエンコウに食べさせれるためだと言われている。(桂井和雄『土佐民俗記』)土佐にはこれを木の葉天狗という所もあり(『方言集』)、人をたぶらかす生霊の一種ともいう。(『民俗語彙』)
【スジンドン】 水神どん。
鹿児島県肝属郡百引村で河童をいう。鳥のように鳴いて、二月、八月の彼岸に地面または空を通って行く。春は川へ下り、秋は山へ帰るという。(『民俗語彙』)
【チカラミズ】 力水。
姥ともいい、奄美大島で河童に似た怪をいう。頭には皿があり、それに力水が入っている。姥にあったときはこの皿を叩き落すと力を失って消え去る。(「旅と伝説」一六ー九/『民俗語彙』)
【チョーメンコ】 ちょーめんこ。
岩手県の和賀川が造る深い渓谷に住む。姿形は不明だが、夕暮れ時、遊びほうけている子供たちがいると必ず出て来る。(菊池敬一「陸中の妖怪」季刊「自然と文化」84年秋季号)
【テナガババア】 手長婆。
長い手を持つ白髪の老婆で、水の底に住んでいるが、水の中から出て来て、井戸端や池など危険な場所で遊ぶ子供を「水の中に引き込んでしまわれるぞ」といって戒めるという。(「民間伝承」五ー二)
【ドンガス】 どんがす。
和歌山で河童のことをいう。(『和歌山県方言集』/『民俗語彙』)
【ナマズギツネ】 鯰狐。
夜、小川のほとりを歩いていると「ガボ、ガボ」という大きな魚の上る音がする。足を止めて覗くと川上で音がする。急ぎそっちへ行くと、さらに川上で音がする。それを繰り返す。年老いた鯰の仕業という。(平川林木「山陽路の妖怪」季刊「自然と文化」84年秋季号)
【ペポソインカラ】 ペポソインカラ(アイヌ語)。
水の中から外を見ていて、人間に悪さをするという。(菅野茂「アイヌの妖怪」季刊「自然と文化」84年秋季号)一本足で空中を飛び、どんな障害物も突き抜け突進する。(吉田厳『人類学雑誌』)
前述のイワエツゥンナイと似たような怪。かたや山中に現れ一つ目で、こちらは水に住んで一本足とされている。
【マックラゾウレ】 真暗葬礼。
熊本県飽託郡でいい、河童が引き込んだ人の肝を食べるには、入棺の洗湯で洗い、葬式の火でいぶして食べる。そうすると次の人を取ることができるという。それで、河童に引かれた人の入棺には、まず床下に渋を流し、かつ蝋燭も提灯も点けずに葬式を行う。この葬式をクロオクリという。(「民族」三ー一/『民俗語彙』)
【ミレイ】 みれい。
大分県直入郡では、井戸や川の水面を見ながら笑うとミレイに憑かれるという。(「なら」三十二/『民俗語彙』)
【ミンツチ】 ミンツチ(アイヌ語)。
湖または川に住む半人半獣の精霊(パチュラ)。三尺ほどの芥子坊主で、頭を煙管などで叩くと死ぬ。これはオキクルミが疱瘡神と戦わせるため蓬を十字に組んで人形としたもので、その折、討死したものがミンツチになったとされる。そのため片手を引抜くと両手が荷抜ける。紫雲古津のアイヌの中にはミンツチが人の家の娘に嫁入りした話を伝える。シリシヤマイヌとも呼び、海川の漁猟を司る神とされる。(柳田国男『山東民譚集』)
別の地方では、村に豊漁をもたらすが川で死人も出る怪と云い、子供を攫ったり、人を水中に引き入れたり、女に憑き男を篭絡させたりしもするが、人助けもする。足跡が鳥のようで、その姿も三歳から十三四歳の子供の体系とされ、肌は海亀のようで紫あるいは赤色の、河童と同じ怪をミンツチと称している。日高沙流川では河童の親分をミンツチノトノと呼び、人の難を助けると云われる。(更科源蔵『アイヌ伝説集』)
ミンツチノトノは、弓矢を持っていて人の難を助け、または弓を人に与えて急を救う。人を救えばその人の夢に現れ、自分にお神酒を与えよ、神弊を捧げよなどと命じる。これには従わなければならない。(吉田厳『人類学雑誌』)
【ユボウズ】 湯坊主。
壱岐で湯壷に出るという怪。(『民俗語彙』)
火の怪
鬼火
鬼火の類
【イゲボ】 いげぼ。
伊勢渡会郡で鬼火をイゲボという。他ではまだ耳にせぬので、名の由来を想像しがたい。(柳田国男『妖怪談義』)度会郡(三重県)で鬼火のことをいう。(『民俗語彙』)
【キカ】 鬼火。
薩摩の下甑島で火の玉のことだという。大きな火の玉の細かく分れるものという。鬼火の漢語がいつの間にか、こんな処に来て土着しているのである。
鬼火(きか)。下甑島で、火の玉をいう。大きな火の玉の細かく分かれるものをいう。(『民俗語彙』)
【ゴッタイビ】 ごったい火。
伊勢国阿山郡で鬼火のことをいう。(『阿山方言集』/『民俗語彙』)
【フイーダマ 】 火の玉。
鬼火。人魂の類。上ることをタマガエンといい、名詞形にしてタマガイともいう。人の死ぬ時はそのマブイ(霊魂)がフイーダマになって墓場に行くと信じられ、これが上がった近所では近々に人死があるという。人間の霊魂が火の形をしているという考えの他に、小鳥または蝶の形をしているとも考えられている。(金城朝永「琉球妖怪変化種目」/「郷土研究」五ー二・三)火魂。火事を起こすという。形は鳥に似て赤く、または火球が長い尾を引いて飛び回っている。時には台所の竃の後方の、蓋をしていない瓶に住んでいて、火魂が飛んで行って止まった所から、必ず火災が起るという。(島袋源七『山原の土俗』)
狐火
狐火。
きつねび。狐は口から火を吐くという俗説から、暗夜、山野に見える鬼火・燐火などの怪光現象をいう。狐の提灯ともいう。
江戸の神楽坂で、坂から土手の向うを見ると提灯があり、一つが行違うと二つになり、やがて五、六個に増えた。しばらくするとまた一つに寄り集まったという。(酔桃子『反古のうらがき』)
越後の蒲原郡の狐火は、静かな夜に提灯あるいは松明のような火が一里余も続くという。狐の口から吐き出される気が光るのだという。(『越後名寄』/日野巌『動物妖怪譚』)
金沢の真長寺の社中四、五人が従者を連れ総勢四十人ほどで白山に参詣した。その帰り、久保の河原で二つ三つ狐火が燃えた。同行した稲荷の社僧が法印を結んで消すと、その向うに数千もの火が現れた。今度は法印も効かなかった。やがて消えたが、それは道から十里も離れた場所に現れたものだった。(浅香山井『四不語録』)
【キツネタイマツ】 狐松明。
狐火と同じものらしいが、羽後の梨木羽場という村では、何か村内に好い事のある際には、その前兆として数多く現われたといっている(『雪の出羽路』平鹿郡十一)。どうして狐だということが判ったかが、むしろより不思議である。中央部では普通に狐の嫁入というが、これは行列の火が嫁入と似ていて、どこにも嫁取がないからそう想像したのであろうが、それから更に進んで、狐が嫁入の人々を化かし、又は化けて来たという話も多くできている。
【キツネノヨメイリ】 狐の嫁入。
狐火が多く並んで嫁入り行列の提灯を思わせることから名付けられた怪光現象。また、日が照っているのに雨が降る天気をも称する。
宝暦三年八月、八丁堀本多家に狐の嫁入りがあった。日暮から諸道具を運びこみ、九つ前提灯数十ばかりに鋲打の女乗物、前後数十人の供侍が守護し静かに本多家の門を潜ったという。この行列は五、六千石の婚礼の様であったが、本多家の人は誰も知らなかったという。(『江戸塵拾』/日野厳『動物妖怪譚』)
【チュウコ】 宙狐。
中狐。備前地方で空中に現れる怪火。狐火。火の玉か。狐が空中に火を点ずるという考えから起った名で、その火の高く飛ぶのを中(宙)狐という。邑久郡豊原村では狐が古くなるとチュウコになって飛ぶという。(「民族と歴史」八ー一「迷信と宗教」「岡山文化資料」/『民俗語彙』)
油坊
油坊。
あぶらぼう。近江野洲郡の欲賀という村では、春の末から夏にかけて夜分に出現する怪火を油坊という。その火の焔の中には多くの僧形を認めるといってこの名がある。昔比叡山の僧侶で燈油料を盗んだ者の亡霊がこの火になったと伝えられる(「郷土研究」五巻5号)。河内枚岡のお社に近い姥が火を始めとしてこの怪し火には油を盗んだ話がよく附いている。あるいは民間の松の火が、燈油の火に進化した時代に、盛んにこの空想が燃え立った名残りかも知れぬ。越後南蒲原のある旧家に昔アブラナセという妖怪がいて家の者が油を粗末に使うとすぐに出て来てアブラナセ、すなわち油を返済せよといったという話がある(三条南郷談)。鬼火ではないがこれと関係があるらしい。以前は菜種はなく皆胡麻油であった。つまり今日よりも遥かに貴重だったのである。
近江国野洲郡欲賀村で、春から夏にかけて夜出る怪火を油坊といった。その炎の中に多くの僧形が見えるからという。昔、比叡山の僧侶で灯油料を盗んだ者の亡霊がこの火になったと伝えられた。(「郷土研究」五ー五/『民俗語彙』)
【ウバガビ】 姥が火。
南河内郡にある枚岡神社の近くに住む怪しい火。油を盗むといわれたり、近江のアブラボウと類似の怪ともいわれる。(『民俗語彙』)
【ボウズビ】 坊主火。
加賀の鳥越村では坊主火という火の玉が、飛びあるくことが有名である。昔油を売る男が悪巧みをして鬢附けを桝の隅に塗って桝目を盗んだ。その罰で死んでからこの火になったといっている(『能美郡誌』)。しかし油商人なら坊主というのは少しおかしい。
天狗火
天狗火。
てんぐび。箱根では、夏、山から一つの火が上がり二つに割れて飛び回る。ある時、その火が旅宿の方へ近付いてきた。旅宿の主人は人々を座敷に入れ、見ると後日害が有ると言って戸を閉めた。(根岸鎮衛『耳袋』巻九)
上記の原話を下に紹介。
鬼火の事
大御番の在番に箱根宿に泊り、夏の事なれば、同勤之面々旅宿に打寄て、酒抔給て涼み居たりしが、向ふなる山よりひとつの火丸く中に上りけるを見付、「あれは何成らん」と人/\不審しけるに、二つにわかれまた飛廻り、或ひは集り又は幾つにも分れぬるを興じけるに、やがて此辺へ来るやうなれば人/\驚て、「何ならん」と高声に語り合けるに、旅宿の男聞付て早/\坐舗へ出、「とく/\這入給ふべし。後には害もある也」と殊之外恐れ、早/\に戸などを建けるゆへ、いづれも何となく怖しくなりて内に入りけるとぞ。天狗火などいふものならんと、石川翁語りぬ。(『耳袋』巻之十)
土地の人は恐怖叩頭俯伏して、見ることがないという。遠方に出ても人が一度呼ぶとたちまち眼前に来る。この火に会う人の多くは病むとされる。(津村淙庵『湛海』巻二)
南設楽郡長篠村横川では、朝の草刈りにいった男が、満天の星の下で見たという怪。灯が一つぐんぐん動き、二つになったかと思うと次々に増えて山いっぱいにひろがった。そして、また一つになったという。(早川孝太郎『三州横山話』)
【テングノアソビビ】 天狗の遊火。
駿・遠州へ至りしものゝ語りけるは、天狗の遊火とて遠州の山上には夜に入侯得ば、時/\火燃て遊行なす事あり。雨など降ける時は川へ下りて水上を遊行なす事あり。これを土地のものは、「天狗の川狩に出たる」迚、殊之外慎みて戸などを建けることなるよし。いかなるものなる哉。御用にて彼地へ至りしもの、其外予が召仕ひし遠州の産など、語りしも同じ事也。(『耳袋』巻之三)
その他 ア・カ
火・光の怪
【アソビビ】 遊び火。
高知県の三谷山で、色が青く遠方から見ると毬のような火が見える。眼前にあるかと思うとすぐ五丁十丁も離れ、一つになったり数十になって浮遊する。(広江清編『近世土佐妖怪資料』)
【イネンビ】 遺念火。
沖縄では亡霊を遺念と呼び従って遺念火の話が多い。(『山原の土俗』)二つの注意すべき点は、たいていは定まった土地と結び付き、そう自由に遠くへは飛んで行かなぬことと、次には男女二つの霊の火が、往々つれ立って出ることである。これは他府県でもよく聴く話で古い形であろうと思う。ただし亡霊火と現在よばれているのは、専ら海上の怪火のことで、これは群をなし又よく移動する。
沖縄では亡霊を遺念といい、遺念火の話は多い。大抵は定まった土地に結びつき、そう遠くへは飛んで行かない。また男女二つの霊の火が往々に連れ立って出る。現在亡霊火と呼ばれているのは、もっぱら海上怪火のことで、これは群れをなし、よく移動するという。(島袋源七『山原の土俗』)
【ウンメ】 うんめ。
ウゥメ。ウンメンともいう。壱岐の姑獲島で、難産で死んだ者がなるという火の怪。若い人が死ぬとなるともいわれる。宙をぶらぶらしたり、ぼのぼのと消えたりする。その働き方は波形になる、青く気味悪い光。(折口信夫「壱岐島民間伝承採訪記」『全集』十五巻)
【オクリビ】 送り火。
宝飯郡一宮村八名井(愛知県)と江島との境にある掘割の傍に出る怪。人が通ると提灯のような火になって金沢村の榎の傍まで送ってくる。その榎を切ってからは出なくなったといわれている。(『宝飯郡伝説集』/『民俗語彙』)
【オサビ】 筬火。
日向の延岡附近の三角池という池では、雨の降る晩には筬火というのが二つ出る。明治のなかばまでは折々これを見た人があった。昔二人の女が筬を返せ返したで争いをして池に落ちて死んだ。それで今なお二つの火が現われて喧嘩をするのだと伝えている。(『延岡雑記』)二つの火がいっしょに出るという話は、名古屋附近にもあった。これは勘太郎火と称してその婆と二人づれであった。
延岡市にある三角池には、雨の降る晩には筬火が二つでる。昔、二人の女が筬を返せ、返したで争い池に落ちて死んだ。それで今なお二つの火になって現れ喧嘩をするのだという。明治の中頃までは、折々見た人がいあという。(「延岡雑記」/『民俗語彙』)
【オボラビ】 おぼら火。
愛媛県越智郡宮窪村で、沖に見える怪しい火をいう。この火は墓地でも見るという。(『民俗語彙』)
【カゼダマ】 風玉。
岐阜県揖斐郡徳山村で、明治三十年の大嵐の時に出たという。お盆くらいの大きさで明るく、嵐の最中に山から出て、何回も往来したとされる。(「旅と伝説」13ー5/『民俗語彙』)
【カネノカミノヒ】 金の神の火。
伊予の怒和島では大晦日の夜更に、氏神様の後に提灯のような火が下り、わめくような声を聴く者がある。老人はこれを歳徳神が来られるのだというそうである。肥後の天草島では大晦日の真夜中に、金ン主という怪物が出る。これと力くらべをして勝てば大金持になるといい、武士の姿をして現われるともいった。(「民俗誌」)多くの土地ではこれは一つの昔話だったようである。夜半に松明をともしてたくさんの荷馬が通る。その先頭の馬を切れば黄金だったのに、気おくれがして漸く三番目の馬を切ったら、荷物は全部銅銭であって、それでも結構長者になったなどといっている。(『吾妻昔物語』)
愛媛県怒和島で、大晦日の夜更けに氏神様の後ろに提灯のような火が下がり、わめくような声を聞く者がいる。老人はこれを歳徳神がいられたという。(『民俗語彙』)
【カワボタル】 川螢。
印旗沼に現われる怪火。夏から秋にかけての夜、特に雨の日に多く出るとされ、蹴鞠ほどの大きさで光は螢火に似る。舟に乗っている時に、それを舟竿で叩くと砕け散って、舟一面に広がり、生臭く、油のようにぬるぬるしたという。(赤松宗旦『利根川図志』)
【カンタロウビ】 勘太郎火。
名古屋付近でいわれ、二つの火が同時に出る怪。勘太郎とその婆の火といっている。宮崎県のオサビという怪と同じか。(『民俗語彙』)
【キシンボウ】 木心坊。
肥後では椿の木を擂木に用いると、後に木心坊になるというそうである。(「民俗と歴史」六巻5号)古椿が化けて火の玉になったという話は、記録にも二三見えている。以前京都でもいったことである。恐らくこの木は擂木にしなかったのであろう。
京都で、古椿が化けて火の玉になったものという。(柳田国男『妖怪談義』)
【ケチビ】 けち火。
土佐には殊にこの話が多い。たいていは人の怨霊の化するものと解せられている。(『土佐風俗と伝説』)竹の皮草履を三つたたいて喚べば近よるといい(「郷土研究」一巻8号)、又は草履の裏に唾を吐きかけて招けば来るというのは(「民俗学」三巻5号)、もとは人の無礼をゆるさぬという意味であったらしい。佐渡の外海府にも人魂をケチという語がる。
高知県に多く、大抵は人の怨霊が化したものとされている。(『土佐風俗と伝説』)竹の皮草履を三つたたいて呼べば近寄る。(「郷土研究」一ー八)また、草履の裏に唾を吐きかけて招けば来るという。(「民俗学」三ー五/『民俗語彙』)
【ゴンゴロウビ】 権五郎火。
越後本成寺村には、五十野の権五郎という博徒が、殺された遺念といってこの名の火の燃える場処がある。今では附近の農家ではこれを雨の兆とし、この火を見ると急いで稲架を取り込むという。(三条南郷談)
サ〜ワ
【シオノメ】 潮の目。
佐渡の内海府村で言い、夜光虫のように波が光る現象。同村北小浦ではこれをボーコといって、恐れられている。(『沿海手帖』/『民俗語彙』)
【ジャンジャンビ】 じゃんじゃん火。
奈良県中部にはこの名をもって呼ばれる火の怪の話が多い。飛ぶときにジャンジャンという音がするからともいう。火は二つで、二つはいつまでも逢うことができぬといい、これに伴のうて女夫川・打合い橋などの伝説が処々にあった。(「旅と伝説」八巻5号)柳本の十市城主の怨霊の火と伝うるものは、又一にホイホイ火ともいう。人が城址の山に向かってホイホイと二度三度喚ぶと、必ずジャンジャンと飛んで来る。これを見た者は病むというから(大和の伝説)、そうたびたびは試みなかったろうが今でも至って有名である。
大和の各地に出る。飛ぶときにジャンジャンと音をさせる。二つの火の玉が飛んで、もつれあう。これが出たときは頭を上げて見てはならない。見ると二つの火が会えないからという。(『民俗語彙』)
【ススケアンドン】 煤け行灯。
『三州奇談』に金沢の怪物として載るが越後の「煤け提灯」と同じものか。(『民俗語彙』)
【ススケヂョウチン】 煤け提灯。
越後の刈羽郡でいい、少し蒸し暑く、雨のしょぼしょぼと降る晩などに、ふわりふわりと飛び回る火の玉の化物。湯灌の湯の捨て場から飛び出るという。(「高志路」五ー十一/『民俗語彙』)
【タクラウビ】 たくらう火。
備後御調郡の海上に現われるという怪火で、火の数は二つというから起こりは「比べ火」であろう。芸藩通志巻九十九に見えているがこの頃はもういわぬようである。芸備の境の航路には又京女郎筑紫女郎という二つの婦人の形をした岩の話などもあって、もとは通行の船の信仰から起こったことを想像せしめる。
たくろう火。広島県三原市の沖合で、夏から秋の夜、海上にかがり火のような火が連なり、海上を点滅しながら動く。(平川林木「山陽路の妖怪」季刊「自然と文化」84年秋季号)
【タヌキビ】 狸火。
勢田郷高田村で、火を点し人々を脅す怪。野辺に火を上げて、村中が火消しに来ると消え失せるという。(三好想山『蕉斎筆記』卷三)
摂津川辺群東多田村のうなぎ縄手に燐火があって、狸火といった。この火は人の形をし、ある時は牛を引いて火を携えていく形をしていた。これを本当の人間と思って煙草の火を借りたり、話をしても普通の人間と変わりがなかったという。(『摂陽落穂集』/日野巌『動物妖怪譚』)
【タマガイ】 玉が火。
沖縄の今帰仁で、子供が生まれる時には、タマガイという火の玉が上がるという。(「旅と伝説」六ー七/『民俗語彙』)
【チュダマ】 人魂。
奄美大島で、闇の中を薄明かりの球がフワリフワリと漂う。死者または生者の霊魂なので、それを着物で押さえたら元の人の身体に戻り、重病であった人も元気になる。(恵原義盛「奄美大島の妖怪」季刊「自然と文化」84年秋季号)
【テンコロバシ】 てん転ばし。
青森県八戸地方で、雨模様の晩に出る光り物。大きな丸い光り物がグルグル転がって坂を上下する。(『十王陰拾遺』/『民俗語彙』)
【テンピ】 天火。
これはほとんど主の知れない怪火で、大きさは提灯ほどで人玉のように尾を曳かない。それが屋の上に落ちて来ると火事を起こすと肥後の玉名郡ではいい(『南関方言集』)、肥前東松浦の山村では、家に入ると病人ができるといって、鉦をたたいて追い出した。あるいはただ単に天気がよくなるともいったそうである。
渥美郡では、夜、自分の行く手が急に明るく、昼のようになる怪をいう。(『民俗語彙』)
佐賀県東松浦郡巌木町天川では、これが出ると天気がよくなるという。家の中に飛び込んだりすると病人があると言い、そんな家では鉦を叩いて追い出す。県一帯では、火災の前兆と言って忌む。(『民俗語彙』)
長崎県の佐嘉では、時として火毬が降る。人々は念仏を高唱して追う。郊外に追って野に入ればよいが、追わないと人家に入って火を発するという。(松浦静山『甲子夜話』九ー三)
熊本県玉名郡南関町で、天上より落ちる怪火。彗星とは違うという。提灯の火くらいで尾を曵かず、屋上に落ちれば火事になるという。(『民俗語彙』)
【トウジ】 とうじ。
暴風雨中に起こる怪光をトウジという。(「土佐方言の研究」)由来は不明。暴風雨中に起る怪光のこと。(『民俗語彙』)
【トジ・マチャー・ビー】 刀自(妻)待火。
各地にあるが、首里西部の織名平が有名。最初に一つの提灯大の火の玉が現れ、他方からもう一つの火の玉が来て、二つ合わさりユラユラと立ち上がって消え、また現れる。ある男が豆腐売りの美しい人妻に横恋慕し、夫が死んだと告げた。悲しんで妻は自害、後に夫も後を追った。二つの火の玉は、この二人のマブイという。(金城朝永「琉球妖怪変化種目」/「郷土研究」五ー三)
【トビモノ】 飛び物。
光り物という言葉は中世にはいろいろの怪火を呼んでいる。この中には流星もあり、又もっと近い処を飛ぶ火もあった。茨城県北部では現在も飛び物といっている。蒟蒻玉が飛びものになって光を放って飛ぶことがあるという。山鳥が夜飛ぶと光って飛びものとまちがえることがあるともいう。京都でも古椿の根が光って飛んだという話などが元はあった。
常陸国の多賀郡高岡村では、コンニャク玉がトビモノになって、黄色の光を発して飛ぶことがあるという。山鳥が夜飛ぶと光を放つので、このトビモノとよく間違えられる。(大間知篤三「常陸高岡村民俗誌」『著作集』三)
京では、古椿の根が光って飛んだという。(『民俗語彙』)
【ヒカリモノ】 光り物。
年を経た山鳥は尾の節が多くなる。節が十二になると夜暗にヒカリモノとなるという。(今野円輔『檜枝岐民俗誌』)
【ヒケ】 ひけ。
山口県阿武郡大島(萩市)で、海上に現れる火の玉。(「島」一/『民俗語彙』)
【ヒダマ】 火玉。
高知県香美郡山田、高知市、長岡郡改田村など県内各地で見られる怪火。瀕死の人の家から飛び出してくるという。(広江清編『近世土佐妖怪資料』)
【ヒトリマ】 火取魔。
火取魔という名はただ一つ、加賀山中温泉の例が本誌に報告せられたのみであるが(「民間伝承」三巻9号)、路傍に悪い狐がいて蝋燭の火を取るという類の話は諸処にある。果してこの獣が蝋燭などを食うものかどうか。あるいは怪物の力で提灯の火が一時細くなるという石川県のようないい伝えが、他にもあるのではないかどうか。確かめてみたい。
【ホイホイビ】 ほいほい火。
天理市柳本町地方では、今にも雨が降りそうな夏の晩、十市城に向かってホイホイホイと二、三度叫ぶと城趾の方から火の玉が沢山飛んで来て、ジャンジャンとうなりを立てて消え失せる。これを見た者は、二、三日熱に浮かされるという。じゃんじゃん火と同じ。(高田十郎『大和の伝説』/『民俗語彙』)
【ワタリビシャク】 渡り柄杓。
丹波北桑田郡知井村(美山町)の山村などでは光り物が三種あるという。その一はテンビ、二は人ダマ、三はこのワタリビシャクで蒼白い杓子形のものでふわふわと飛ぶという。名の起りはほぼ明らかだが、何がこれになるかは知られていない。(『民俗語彙』)

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