民俗・民間信仰・伝承/超科学の部

異界

異界(いかい)

現世、俗世間でない世界。彼岸、極楽浄土、天国など。

異次元(いじげん) 

我々の存在する三次元的世界でない世界。

[物理]縦、横、高さの世界を三次元といい、それに時間軸を加えた四次元世界に我々の世界(三次元的世界)は存在するため、時間軸を他の軸と同じように操作することが出来ないとされる。それに対して、平面だけの世界や、時間軸を自由に操れる多次元を異次元世界と云う。
また、時間軸を超える軸は我々の次元では理解できないものであるため、理解できない物、理解を超えるものを異次元のものというようになった。

極楽(ごくらく) 

きわめて安楽な場所や境遇。

[仏教]梵語sukhavati.極楽浄土の略。阿弥陀仏の居所。西方十万億土を経た所にあって、諸事具足し、全く苦患のない安泰な世界で、阿弥陀仏が常に説法しているとされ、念仏行者は死後ここに生まれて仏果を得るという。極楽安養浄土。
【類語】浄土。(切支丹、キリスト教徒の死後の世界では)天国、ぱらいそ(パラダイス)。

【反対語】(仏教、キリスト教共に)地獄。 

地獄(じごく) 

奈落。悪人の落ちる死後の世界。

[仏教]梵語naraka. niraya.の訳。六道の一とされ、瞻部州(せんぶしゅう)の地下二万由旬(ゆじゅん)の、鉄囲山(てつちせん)の外辺の黒闇所にあるとされ、悪業をしたものがここに落ち、苦報を受ける所。閻魔が支配し、鬼類がこれに属して罪人を呵責するとされている。八大地獄、八寒地獄など一三六の種類が有る。

浅井了意の著した『伽婢子』に地獄を描写した記述がるので参照ください。

[キリスト教]救われない魂が陥るという世界。永劫の罰責をうける幽府(インフェルノ)と、苛責によって浄罪され昇天を許される煉獄(ブルガトリオ)がある。

地獄関連語

[地獄の季節](じごくのきせつ)
象徴派の詩人アルチュール・ランボーの代表詩集。隆慶一郎は青春時代、この詩集をバイブルとして座右に置いていた。 

かぐや姫(かぐやひめ) 

古い物語上の人物。
『竹取翁物語』の主人公。竹の中から生まれ、数々の奇瑞を現し育てた老夫婦を富ませ、月からの迎えで空高く浮かび去ったという話から、「かぐや姫」=「宇宙人」説が根強く残る物語。

[竹取翁物語](たけとりのおきなのものがたり) 一般には「竹取物語」の名で知られる。『かぐや姫』の名で童話などに翻案され、広く親しまれている。成立は平安初期といわれ、我国最古の創作物語とされる。作者未詳。二巻。 

女護の島(にょごのしま)

女だけが住むという伝説の島で、日本の東方の海上に有り、男が漂着すれば帰さないと伝える。中国から伝承した「羅刹国」(女人国、女国)伝説の転訛したものとされる。中世以降近世中期安永ごろまでの日本地図には、「羅刹国」が記載されていた。

「この島は隠れなき女護の島とぞ申しける。義経仰せけるやうは、女ばかりにて、和合のかたらひなくして、種をば継ぐぞ、とのたまへば、さればこそとよ、是より南にあたり、南州といふ国あり。その方より吹きくる風、南風と申す。これ含みて最愛とす。又生るゝも女にて、かやうに多く侍る也」(『御曹子島渡り』)

「女人国 この国東北海の隅に有り。国の内に男子なし。もし男子行く時は返ゑさず。女みな井の水に影を写して即ちはらむ。また女子を産むと言ふなり」(『異国物語』下)

鬼(おに)

「隠」という詞からきていて、姿がみえないという意。

[神話]天つ神に対して、地上などの悪神、邪神などをいう。また、伝説上の山男、巨人や異種族をいったとされる。さらには恐ろしい形をして人にたたりをおよぼす怪物、もののけをいう。
[仏教]餓鬼、地獄の青鬼、赤鬼が、美男・美女に化け、音楽・双六・詩歌などにすぐれたものとして人間世界に現われる。後には陰陽道の影響で、人身に牛や虎の角や牙を持ち、裸で虎の皮の褌をしめた形になった。
転じて、怪力で性質が荒い人や、非常に勇猛な人、無慈悲な人などを譬えたり、ある事に精魂を傾ける人を譬える詞として使われる。(『広辞苑第二版』)

江戸時代の仮名草子作者浅井了意の書に、鬼を表して「あるひは髪赤く、両の角火のごとく、あるひは青き毛生てつばさあるもの、又は鳥のくちばしありて牙くひちがひ、又は牛の頭、けだものゝおもてにして、身の色あかきはベニのごとく、青きは藍に似たり。目のひかりはいなびかりのごとく、口より火焔をはく」(『伽婢子』巻之三)とある。
また、『宇治拾遺物語』(下)には人に恨みを持った人間が鬼となった話が有り、怨霊と同じ成立ちのものも有る。

鬼籍(きせき) 

閻魔が死者の姓名を記す帳面。このことから、死亡する事を「鬼籍に入る」という。

鬼門(きもん) 

陰陽道で、鬼が出入りするといわれ、万事に忌み嫌われる方角で、それは東北(艮)とされている。転じて、行くのがいやな所や、相性の悪いいやな相手に使う。

前鬼後鬼(ぜんきこうき)

役行者に従したとされ、その像に一緒に彫られている鬼形の従者。前鬼は鉞(よき)を持ち、後鬼は壺を手にし笈を負っている。

『吉野山独案内』五に「釈迦岳一里麓に山鬼生(せんぎう)と云ふ所あり。むかし役の行者に仕へし、前鬼・後鬼の末孫此所に住めり」と記された山鬼生は、奈良県吉野郡下北山村前鬼で、前鬼・後鬼の子孫と称する、五鬼助・五鬼継両家のほか、計五家が住していた。この二鬼は夫婦で、二人の間に五児がいて、それぞれ五鬼熊(西村)、五鬼童(堀内)、五鬼継(森本)、五鬼助(小中)、五鬼上(中村)の五人とされ、それぞれ戸を構えていたが、森本坊・小中坊の二戸だけが残り、最近では小中坊の一戸となっているという。和歌山藩本草学者畔田伴存の『吉野郡山記』には「前鬼後鬼と云ふはいづれぞ、と尋ねけるに、前鬼と申すは前鬼山にあり、後鬼と云ふは洞川の者共也。古は後鬼六人許りありしに、次第に血脈他家より継替りて、家はあれども、祈祷を勤むる事なし」と記されている。(『好色一代男全注釈』) 

百鬼夜行(ひゃっきやぎょう) 

様々な妖怪が列をなして夜行すること。(『広辞苑』第二版)「ひゃっきやこう」とも読み、いろいろな姿をしたばけものどもが夜中に歩き回ることをいい、このことから、多くの人が不正行為や醜行をしながら、だれも怪しまない、無秩序な状態の意に用いられる。
また、陰陽道では「百鬼夜行の日」として正月二月の子の日、三月四月の午の日、五月六月の巳の日、七月八月の戌の日、九月十月の未の日、十一月十二月の辰の日が挙げられ、これらの日は人々の夜行が禁じられていた。この「夜行日」に外出したため、百鬼の夜行に出会い病に落ち入った男の話が『古本説話集』に有る。『今昔物語集』には夜行日に外出し鬼と遭遇するが、尊勝陀羅尼の霊験によって難を逃れた話が有る。
この他、後出の「悪鬼」のように、鬼が含まれる述語は多く、また「鬼の撹乱」「鬼の眼に涙」など鬼がつく諺も多い。また、「羅生門の鬼」「戸隠山中の鬼」や「酒呑童子」「伊吹童子」など××童子は鬼と称され、史書にも頻繁に現われる。さらには、昔話「桃太郎」「こぶ取り爺さん」などにも登場し、お馴染みのキャラクターでもある。隆慶作品では、八瀬童子を「鬼の子孫」として、『花と火の帝』において主人公岩介に異能の力を持たせた。

『宇治拾遺物語』(上)に、「こぶ取り爺さん」の原話、「百鬼夜行」の話などがあるので参照ください。

各地の鬼の話

文明四年(1472)、常陸国の雨引観音の名で知られる楽法寺が戦火を受けた。諸堂を焼かれ、茫然と焼跡に佇んでいた住職吽永の眼前に、突然マダラ鬼神が馬に乗って現われ、山中の鬼を駆使して木や石を運ばせ、七日七晩で本堂を完成させた。その最後の夜、鬼たちは焚火を囲んで車座になり、奇妙な鬼太鼓を打叩きながら、鬼踊りを踊って、寺の寿ぎを祝ったという。(『郷土資料事典』8)

昔、因幡国の岩屋に三面鬼が住んでいて、因幡中の人々を悩ませていたが、八上姫が美女に姿を変えて現れ、鬼を退治したという。今、八頭郡用瀬町の洗足山中にある岩屋がその鬼の岩屋とされ、宮原にある犬神神社はこの鬼の亡霊を鎮めるために建てられたものと云われている。(『郷土資料事典』31)

富士郡元吉原村近くの田圃に鬼が島がある。ここには昔、鬼が多く住み、農作物を荒らしたり、人を苦しめたりしていた。人々が揃ってその鬼を退治したといい、今でもここを鬼が島と村人は呼んでいる。(『静岡県伝説昔話集』/今野円輔『妖怪篇』)

○元興寺 大和幽考に云、南都元興寺の鐘楼に鬼あり、夜毎に鐘撞者をとる、爰に道場法師と云て、本国は尾州海部郡の人にして、十歳のころ、はなはだ力つよく他に越たり、元興寺の僧を師として仕ふ、此童子ある夜、鐘楼に行て、鬼と力をあらそふ、暁におよんで、鬼退去らんとす、童子鬼の髪を握る、髪剥おちて皮宍あり、此童子は、後に道場法師といひし也、今小児を賺恐の詞となれり(『近代世事談』巻之五)

悪鬼(あっき) 

祟りをする妖物。(『広辞苑第二版』)

【悪鬼羅刹】(あっきらせつ) 

羅刹は梵語で、悪鬼の通名。速疾・大力で人を魅惑し、あるいは人を喰うという鬼。悪鬼羅刹と重ねることで、極悪非道の鬼という意味合いを表現。

隆慶一郎は、比叡山を焼き払った織田信長を悪鬼羅刹と表現した。

天邪鬼(あまのじゃく) 

[神話]天探女(あまのさだめ)が転訛した言葉。

アマノザコ→アマノジャコ→アマノジャク。これに邪鬼という文字を充てた。やがて、仁王像の足下で踏みつけられている小鬼を天邪鬼と称するようになった。
→ 人の言動に逆らう者を譬えるようになる。

岩手九戸辺りでは、炉の灰の中にいるとされている。(『九戸郡誌』/『民俗語彙』)

嬰児は一日は天邪鬼が子守りし泣かせない。一日は地蔵様が子守りして泣かせる。という俗信が秋田県には有る。泣かせるほうが、子供は良く育つという。(『秋田県の俗信迷信』/『民俗語彙』)

常陸では、山彦は、天邪鬼が山中で真似をしたものという。(「旅と伝説」十一ー七/『民俗語彙』)

童子(どうじ)

本来は子供という意味で、出家を希望しているが未だ剃髪得度していない幼童を主に言った。これら童子は、寺にいて僧侶に接待し、仏典学習のかたわら給仕や出行の供をし、法会の時には綱などを引いた。こうした子供は、髷を結わず前髪だけを切り揃えたおかっぱ髪のままである事から、こうした童子髪の人を童子と言うようになる。一般の人々とは異形であったため、これらの人々を恐れる心理から、鬼のイメージと結びつき、酒顛童子、伊吹童子のような鬼を意味する言葉にも転訛した。

茨木童子(いばらぎどうじ) 

羅生門の鬼。

渡辺綱(わたなべのつな)により一条戻り橋で片腕を斬り落されたと云う伝説がある。これは、羅生門の楼に住みついた盗賊が、毎晩門の近くを通る人から金品を脅し取っていたが、剛勇の渡辺綱がこの話を聞き懲らしめてやろうと羅生門に出向いた。賊は逃げる途中、一条戻り橋の上で綱に腕を切られたという。この話が鬼退治の伝説になったとされる。

伊吹童子(いぶきどうじ)

伊吹山に棲むとされた鬼。
ある時、頭目の酒顛童子とともに、山中で源頼光に退治された。

酒顛童子(しゅてんどうじ)

酒呑童子とも書く。
『御伽草子』などでなじみの伝承上の鬼(人物)で、丹波国の大江山を根城にしていたとされる。

『醍醐随筆』には、
日本の鬼とは鈴鹿山、大江山、羅生門などの事にや侍らん。鈴鹿山の鬼は強盗なるべし。往来の人をころしてはぎとる故に、鬼といひはやしたるならん。大江山の酒顛童子は、叡山の児にて、大酒のみにて色つねにあかし。酒に酔てくるふゆへに酒顛と名づく。強力のものにて酒狂の時は人をそこなふによりて、山を追出されぬ。民家にもゆるしをかざれば、大江山のふもとにたゝずみて、往来の人をなやましぬと聞ゆ。羅生門の鬼も又強盗成べし。勇力あるにより人をなやます。渡辺綱と出合てきられたるを、こと/\〃しくいひ伝るなるべし。
と有る。

八瀬童子(やせどうじ)

洛北の八瀬村の村民。昔時、この村の男達は童子髪であったことから、「八瀬童子」と称され、鬼の子孫とされた。この八瀬童子は、籠輿丁として朝廷に仕えていた「供御人」でもある。 
『元禄世間咄風聞集』に保井算知老の話として「やせの里之ものは、古伝教大師入唐之時、帰朝之時分御供して二十四人来る。其子孫之由。」とある。

保井算知:『江戸鹿子』に「碁/芝金杉新網町 本因坊/同町 保井三知」とある。 

○八瀬童子は王孫なりといへども、塞驢嘶余曰、門跡御輿舁事八瀬童子也、従�閻魔王宮�帰時輿舁タル鬼ノ子孫也とあり。いぶかしき説なれども、王孫といふはあらぬこと成べし。(『橘窓自語』橋本経亮著 谷文晁写)(中央公論社刊 三田村鳶魚編「鼠璞十種」上巻より)

夜叉(やしゃ)

《梵語yaksa》八部衆の一。形貌醜怪で人を害し食うなど、猛悪なインドの鬼神。天夜叉・地夜叉・虚空夜叉などに分ける。(『広辞苑』第二版)

陰陽・卜占

陰陽・卜占(おんよう・ぼくせん)

現代ではさすがに占いをまともに信ずる人は少ないが、決して知る事の出来ない未来に対して、僅かでもヒントを得ようとする人々の欲求は強く、易や占星術に限らず血液型や手相、顔相、あるいは趣味嗜好など人の行動のあらゆるモノが、占いの対象となっている。その傾向は精神医学やカウンセリングが未発達な地域や、社会が不安定な時代に多くみられる。我国では多分に「占い師」がカウンセラーの役を担っているため、他の文明諸国よりも盛んな傾向にある。

占い(うらない) 

卜(うらない)。卜占(ぼくせん)。占象(うらかた)によって神意を問い、未来の吉凶を判断・予想すること。(『広辞苑第二版』)

未来の出来事を知ろうとする欲求は、おそらく未来という概念を持った時から有ったと思われる。それが何時頃からか体系化され、占いを業とする者が現れ、神事・祭祀と結びつき陰陽師等に見られるような政事と密接に関係する役職もうまれる。昔時は亀の甲羅や動物の大腿骨を焼き、そこに現われる亀裂(占象)を読んで吉凶を判断した。現代では公の意思決定に「占い」が関与する事は考えられないが、戦国時代までは「占い」でその吉凶を判断し、行動していた。合理主義的な考え方の代表と云われる信長でさえ、今川義元との決戦となる桶狭間合戦の直前に、熱田の八幡社で戦勝祈願をして占った際、吉目が出るまで池に神文札を投げ入れたという話が伝わっている。

占師(うらないし) 

簒置(さんおき)とも。伝へ聞く、周易は伏羲にはじまり、これよりおこつて断易・三世相の法なり、日本にしては、賀茂の保憲天文道に達せし其の流れなりとも、又は伯道上人より安倍晴明相伝すといへり。都には所々に名人あり。俗語に手占・見通しなどゝて信仰する也。伊勢・近江・讃岐などに此の流れあつて諸国に出る也。中にも軽行きなるは、道のかたはら門のすみにうづくまりゐて、下輩の男女を相する也。判の占・五音調子の占、品々ありとかや」(『人倫訓蒙図彙』三)

「およそ占ひは土御門どの家にして、今の占ひする者みなこの門流たり。又修験の流れ山伏の家にも占ひをすれども、これは制の外なり。山伏は祈祷の家なれば、祈祷をたのむとて、人すぐに占ひをも頼みしが例となりて、おしなべて今の世には山伏が占ふ事となりぬ。みな末々の山伏の渡世のためにする事なるべし。天門新撰の八卦をみて、ヱ順ト逆をくり、毎月又は一代の守り本尊を立て、うそを取り交ぜ、似あわしく云ひ、人の気にかゝる事を云ひて、終りには祈祷をあつらへねばならぬやうに云ひ廻す。女童のだまさるゝは理り、歴々の鬚の生へた男が銭銀を取らるゝ事也」(『人倫重宝記』五の六)

易(えき) 

易経。易占。算木(さんぎ)と筮竹(ぜいちく)を用いて吉凶を判断する占法。中国に古く始まる。

占星術(せんせいじゅつ) astrology.

古代のバビロニア、ペルシャ、インド、サラセン、中国などに始まり、中世まで行われた一種の占卜。人生・社会の現象を天体、特に惑星の運行によって予言した。近世以前の天文学ともいわれる。 

御神籤(おみくじ) 

御御籤。籤(くじ)。神仏に祈願して、事の吉凶をうらなうくじ。

吉凶を記した多くの串を匣または筒に入れて、小孔から取出してとる。多くの御神籤は、串に記された番号から、その番号と同じ番号が書かれた小箱から、籤札を取り出す。
現在では、寺社を訪れた際の戯れとして御神籤を引き、一時の話題として楽しむものとなっているが、戦国期には、戦をするかしないか、何時攻めるか等の作戦にも、御神籤の結果が用いられた。これは、生死を決するような重要な事柄ゆえに、神意を重んじたものといえる。

【籤】(くじ) 

人選や運勢を占う際に紙縒りや竹串などを引いて神の意志を判断する神判の一種。『日本書紀』の有馬皇子がくじを引く記事が最も古い例とされる。「あみだくじ」というのは、放射状に作ったくじが、阿弥陀如来の光背に似ていることからついあ名とされる。

陰陽道(おんみょうどう) 

おんようどう。古代中国の陰陽(いんよう)五行説に基づいて、天文・暦数・卜筮・相地などをあつかう術。

大宝令に規定され陰陽寮がおかれたが、次第に俗信化したという。陰陽寮に関する用語の解説は、『官位』の項の「官職用語」解説にあるので参照ください。

陰陽師(おんみょうじ) 

令制で陰陽寮に属し、卜筮・相地などを司る職員。後には民間にあって、加持祈祷を業としていた。最近では安倍晴明を主人公とした小説や映画『陰陽師』で、その超能力的な面が強調され有名となった。

民間の陰陽師については、『宇治拾遺物語』(下)に法師陰陽師の逸話が収載されている。法師陰陽師とは僧形の陰陽師で、民間にあって僧侶でありながら加持祈祷を生業としていたとされる人々。また、この民間陰陽師は特に播磨国に多かったともいわれている。

『中世職能民職種一覧』にも「陰陽師」の項あり。

この陰陽師は山伏、密教僧などと共に加持祈祷を行って病を平癒する役目も担っていたが、それと同様な役割として西洋ではウィッチ・ドクター(呪医・呪術医)がいた。

方違え(かたたがえ) 

陰陽道の禁忌で祟り神などのいる方向を避ける事。目的地がその方向にある場合には、一旦別の方角に行き一泊し、翌日目的地へ向かう。『源氏物語』で光源氏が空蝉の家に寄ったのもこの「方違え」のため。

怪談

怪談(かいだん) 

ばけものに関する話。
妖怪・幽霊・鬼・狐・狸などについての迷信的な口碑・伝説の類。

怪談物(かいだんもの) 

怪談を主題とする小説・浄瑠璃・講談・落語などの総称。浅井了意の著した『伽婢子』がその源流とされている。落語などの怪談話で有名なものに、「四谷怪談」「番町皿屋敷」「牡丹灯籠」などが有る。 

皿屋敷関連

菊むしの事
摂州岸和田の侍屋舗の井戸より、寛政七年の頃夥しく異虫出て飛廻りしを捕へ見れば、玉むし・こがね虫のやうなる形にて、巨細に虫眼鏡にて是をみれば、女の形にて手を後ろ手にして有りし由。素外といへる俳諧の宗匠行脚の時、ひとつ二つ懐にして江府に来り知音者に見せけるを、予が許へ来る者も顕然と見たるよし語りぬ。津富といへる宗匠もひとつもらひて仕廻置、翌寅の春人に見せるとて取出しけるに、蝶と化して飛行しと也。右は元禄の頃青山家尼が崎在城の時、右家士に喜多玄蕃と言ひて家禄少からず給はりし者の妻、甚妬毒深く、菊といへる女を玄蕃心をかけて召仕ひしを憤りて、食椀の中に密に針を入て右菊に配膳させしを、玄蕃食しかゝりて大に怒りければ、「菊が仕業なる」よし、彼妻讒言せし故、玄蕃なさけなくも菊を縛りて古井戸へ逆さまに打込殺しけるより、下女の母も聞て倶に古井戸の内へ入て死せし由。其後右玄蕃が家は絶/\に成りしとや。今は領主もかはりて年へけるが、去年は百ヶ年忌に当りしが、菊が怨念の残りて異虫と変じけるや。播州皿屋舗といへる浄瑠理など有しが、右の事に本づき作りけるやと、彼物語りせし人のいひぬ。(『耳袋』巻之五)

於菊虫再談の事
前に記すお菊むしが事、尼ケ崎の当主は松平遠江守にて、御奏者番勤仕ある土井大炊頭実方兄にて、土井家へ為見られし右むしを営中へ持参にて予もみしが、前に聞し形とは少く違ひて、後より見れば女の形に似たり。後ろ手に縛りてはなく、蟋蟀の髭のやうなる者にて小枝のやう成るものに繋あり。図大概を左に記す。委細の書記も土井家より借てみしが、別に記ぬ。(『耳袋』巻之五)

この皿屋敷話は、『江戸砂子』に牛込御門内の皿屋敷の話が有って落語等で馴染みの「番町皿屋敷」話として伝わるが、寛保元年(1741)に為永太郎・浅田一鳥作の浄瑠璃「播州皿屋敷」が大坂豊竹座で上演され、この皿屋敷話には「番町」系と「播州」系の二つの話が伝わることとなった。上記の下女菊が盗賊向坂甚内の娘とする話も伝わり、関連の記事が『参考文献余滴』「向坂甚内」の項に紹介してあるので参照ください。

伝説(でんせつ) 

神話・口碑などの「かたりごと」を中核にもつところの古くから伝え来った口承文学。(『広辞苑』第二版)

語り伝えられた物語などの類で、元となる話は事実であったり、伝来であったりするが、それらが誇張・歪曲され、その時々の文化・道徳や価値観によって取捨選択されながら伝えられた話。 

加持・祈祷

加持・祈祷(かじ・きとう) 

巫女、密教僧、修験者などが神仏の力を頼んで、病気や憑物を祓ったり、戦などの勝利、無事を祈る宗教行事。

いたこ 

東北地方で、口寄をする巫女をいう。(『広辞苑』第二版)

青森県下北半島恐山の「いたこ」が有名。巫女がトランス状態となり、死者の霊が巫女にのりうつり、巫女の口を通して依頼者に所縁の者の霊の言葉を伝えるという。

ウタ 

琉球で口寄せを行う巫女のこと。

口寄せ 

民間の巫女などが、死霊を呼び寄せて身に憑依させ、その家族などと会話させること。口開き、ほとけ口ともいう。死霊ではなく神霊を呼び寄せる場合は神口といい、一般に口寄せという場合はほとけ口を指す。また、同じ死霊でも死後百日を経ないものとそれ以上過ぎたものとでは、口寄せの作法は異なる。

結界(けっかい) 

元来は寺院の堂塔・伽藍の区域を定めること。

[仏教]僧尼の過失を少なくするために一定の区域を制限することで、仏道修行の障害となるものの入ることを許さなかった。禁制という意で、女人結界など、比叡山や高野山などで、ある地点から女性の立入りを禁止する区域。

このことから、魔物を入れないために印を結び、真言を唱え、法力をもって境界を造る事をいう。

『花と火の帝』では、後水尾天皇を守るために岩介が結界をはったり、帝自らが結界を結ぶ様子が描かれている。

類語

バリア(Barrier)。SF用語でサイコ・バリア(Psycho-Barrier)。

護法(ごほう) 

密教や修験道などで行う憑霊の術法。修法により、不動明王などの仏と一体となり、その眷族を駆使し、悪霊を追い払うなどの行為。役行者が駆使した前鬼・後鬼などもこの護法によるとされる。 

呪禁(じゅごん) 

まじない・祈祷を行い、もののけなどを払う事。
まだ、祭祀を重んじて政事が行われていた時代、災害や飢饉、病気など災禍を齎す原因が現代のように解明されていなかったため、それらを齎すものを物の怪などの仕業として、それを退散させる呪法が重んじられた。これらの呪法を呪禁という。

【呪禁師】(じゅごんし) 

令制で「典薬寮」に置かれた職員。まじないなどを掌り、病の治療などに従事した。

【呪禁博士】(じゅごんはかせ) 

「典薬寮」に属し、呪禁を教授した。 

憑依(ひょうい)

元来は依りすがり、依りどころなどの意。ここから霊などがのり移る事をいい、モノに憑かれるなどという意になった。
代表的な例に、狐憑き、悪魔憑きなどが有る。

関連逸話

矢作川にて妖物を拾ひ難儀せし事
宝暦のはじめにや、三州矢作の橋御普請にて、江戸表より大勢役人・職人等彼地に至りしに、或日人足頭のもの川縁に立しに、板の上に人形様のものを乗せて流れ来れり。子供の戯れや、其人形のやう小児の翫びとも思はれざれば、「おもしろきもの也」と取りて帰り、旅宿に差置けるに、夢ともなく「今日かゝりし事ありしが、明日は斯/\の事有べし。誰は明日いづれへ行べし」など夜中申けるにぞ、「面白きもの也。是は彼の巫女などの用ゆる外法とやらんにもある哉」と懐中なしけるに、翌日も色/\の事いひけるにぞ、始めの程はおもしろかりしが、大にうるさく厭ひおもひしかども捨んもまた恐しさに、所のものに語りければ彼者大に驚き、「よしなきものを拾ひ給ひけるなり。遠州山入に左様の事なす者ありと聞しが、其品拾ひ給ひては禍を受る事也」と云ひし故、詮方なく十方に暮て、「いかゞし可然哉」と愁ひ歎きければ、老人の申けるは、「其品を拾ひし時の通、板の上に乗せて川上に至り、子供の船遊びする如く彼人形を慰める心にて、其身うしろ向にていつ放すとなく右船を流し放して、跡を見ず立帰ぬれば其祟りなしと云ふ」由語りけるにぞ、大に歓び其通なしてはなし捨しとや。(『耳袋』巻之三)

幻獣

幻獣(げんじゅう) 

不思議な生物の事。
古くは鬼や天狗、河童、人魚、霊獣などで、近年ではツチノコやヒバゴンなどの未確認生物や不思議な生き物をいう。
江戸時代の絵図や瓦板に目撃されたという姿を、現代にとどめる。絵図は厄除けとして掲げられるなどの需要があったらしい。

【類語】

怪獣。モンスター(Monster)。 

怪獣(かいじゅう)

あやしいけもの。不思議な獣。(『広辞苑第二版』)

古今東西、人間は妖怪や化物などと同様に怖いもの見たさの心理があるのか、この種の話が好きなのだろうと思う。特に科学が発達した近代以後、未知のものに惹かれる傾向が強いようだ。その代表ともいえるゴジラやウルトラマンシリーズの怪獣ものは、いまだに根強い人気があるし、トリック写真が暴露されて以来その感心が薄れたとはいえ、ネス湖のネッシーやヒマラヤの雪男などの話は、子供ばかりでなく人々を引き付ける。
こうした現代の想像上の怪獣や未確認生物ばかりでなく、絶滅した恐竜なども怪獣の概念に含まれている。また、中国から伝わった龍や麒麟なども怪獣の一種で、近世まではそれらは神の使いとして仏画などに描かれた。

[怪獣逸話]

彦坂家椽下怪物之事
文化三寅年、小普請支配なりし彦坂九兵衛駿府御城番被仰付、彼地へ引越とて家内取込居たる折ふし、或日椽下より奇怪の物出けるよし。頭は鼬の如く、足手はなく惣身は蛇の如く、大さ弐尺廻り程にてしゆろの如き毛惣身に生ひて、長さは三丈斗も有べし。椽下より出て庭の内を輪になりて暫く過、又椽下へ入りしと也。何と申物にや、知るもの更になしと也。(『耳袋』巻之七) 

河童(かっぱ) 

かわわっぱの略で、想像上の生き物。川童。
水陸両棲とされ、形は四、五歳の子供のようで、面は虎に似、嘴尖り、背中に甲羅があり、毛髪少なく、頭上に凹みがあって、少量の水を容れる。その水が有る間は陸上でも力強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸うとされる。河中で子供が良く溺死するのは、河童のせいだとされた。

かわっぱ、河(川)郎、河(川)伯、河(川)太郎、旅の人などの異名を持つ。
仁徳天皇の時代(313〜99)、中国の奥地に住んでいた九千匹の河童集団が、揚子江を下り、黄海に出て、日本へ渡来。肥後の前川(球磨川の分流)河口付近に上陸したという言い伝えがあり、熊本県八代市の八代城址付近には自然石でできた『河童渡来の碑』が建立されている。(『郷土資料事典』43)

[各地の河童の話]「日本の妖怪」参照。

麒麟(きりん) 

中国古来の想像上の動物。

中国で、聖人が現れる前に出現すると云われ、形は鹿に似て大きく、尾は牛に、蹄は馬に似、背毛は五彩で毛は黄色、頭上に肉に包まれた角がある。生草を踏まず生物を食わないとされる。やがて、傑出した人物を喩えて言うようになる。麒麟児。我国ではジラフ(Giraffe)の訳語となった。 

一、麒麟と云ふは二字ともに同じ物か。騏リン(馬篇)とも又同か、如何。
牝をば麒と云ふ、牡をば麟なりと、順が和名には云へり。郭璞曰、麒似レ麟而無2角端1、似レ貊、角在2鼻上中1、作レ弓と云へり。この獣は虫をふみころさぬ故に、名2仁獣1。騏リン(馬篇)とかけるはおなじよみなれども、よき馬のたぐひなるべし。つのはしゝむらのつのにて、物をつく事をえねば、仁と云ふか。やはらかならば、ゆみにつくることおぼつかなし。牛の尾、馬のつめありて、つのゝさきに肉あり。つのあれども物をつく事をしらず、虫をふまず。是の故に仁獣なり。(『塵袋』四)

天馬(てんば)

天上界に住むという馬。駿馬の喩え。(『広辞苑』第二版)

[ギリシャ神話で]天空をかけるという、翼の生えた馬。ペガサス。(『新明解国語辞典』第三版)

我国にも、大陸から伝わったと思われる天翔る馬の話が有り、『今昔物語集』などには聖徳太子が「黒き小馬の四の足白き有り、其れに乗て空に昇て、雲に入て東を指て去給ぬ」と有る。

【ペガサス】(Pegasos) 

ギリシャ神話の有翼の天馬。メドゥサから生れ、ゼウスのため雷霆の運び手となり、蹄で地を蹴って多くの泉を噴出させた。一時英雄ペレロフォンの乗馬となったが、のち天に上って星座になったといわれる。ローマ時代には不死のシンボルでもあった。(『広辞苑』第二版)  

人魚(にんぎょ) 

上半身は人間で、下半身が魚の想像上の動物。(『広辞苑』第二版)

アンデルセンの童話『人魚姫』の物語で有名だが、これ以前に日本にも人魚の話は伝わり、若狭の船乗の娘が人魚の肉を食し「八百比丘尼」となった話もある。
また、アイヌの伝承にある「アイヌソッキ」という怪生物は、上体は人間で腰から下が魚とされ、人魚の姿そのもの。この生き物は噴火湾の海に住み、この肉を人間が食べると長寿を保つとされ、「八百比丘尼伝説」の人魚の肉と共通したものとなっている。

『武道伝来記』に、津軽の海に流れ着いた人魚の話があり、それによれば、「唐紅の鶏冠があり、面は美女の如く、四足は瑠璃をのべて鱗は金色に光り香り深く、声はヒバリ笛のように静かな音だった」という。(日野厳『動物妖怪譚』)

出羽の海に度々流れ寄った。その度に鎌倉幕府に注進、幕府が占わせると、兵乱の兆しありとして祈祷した事もある。(『北条五代記』/日野厳『動物妖怪譚』)

御浅明神の使者という人魚は、頭は人で襟に鶏冠のようなヒラヒラする赤いものがあり、その下は魚である。乙海村の漁師が櫂で打ち海に投じると大風が起こり海鳴りが十七日間続いた。やがて一月ばかり過ぎて大地震が起き、御浅岳の麓から海辺まで地が裂け、乙海村一郷が埋もれたという。(菊岡沾涼『諸国里人談』)

竜(りゅう) 

鱗虫の長とされる巨大な想像上の霊獣。
中国では鳳(ほう)・麟(りん)・亀(き)とともに四霊獣の一とされた。また、蛇形の鬼神で、仏法八部衆の一に数えられ、地上・空中・水中に住し、雲雨を自在に支配する力を持つとされる。
元は蛇をトーテム神とするクラン(氏族)が人首蛇身の神を祀り、それに様々なトーテム神を祀っていた周辺のクランがそれぞれの特徴を蛇神に付加・併合させ創られた神獣が龍とされる。それゆへ、龍には狗や馬、鹿、虎などの様々な特徴が現れるが、基本はもっとも有力なクランが祀っていた蛇神が元となった。こうして出来たトーテム神である龍をクラン神としたのが黄河中流域の中原で栄えた諸夏の民族で、以後、中国は西方、東方、北方からの異民族の支配を受けるが、文化的源流は保持され、それのシンボルとして龍があり、中国的とされる龍紋様が存続し続けていると、関一多はその著『伏義考』の中でトーテミズム的な観点から述べている。

【ドラゴン】(Dragon) 

西洋の神話で、翼と爪を持ち口から火を吹く想像上の動物。爬虫類の形で表わされ、一般に暴力・悪の象徴とされるが、泉・宝物・女性を守護するという伝説もある。

[竜関連逸話]

竜を捕るといふ事
御府内繁花にて人気盛んなれば、昇竜など見しといふも邂逅の事也。国々にてはかゝる事度々ありし事也。予が佐州に居し時は、昇竜といふ様子を見侍りし。又佐州には竜損ととなへ、風雨之損之外、田畑の損じ、家作の損じを書出し候事時/\有りしが、越後・越前なども又竜損の事を唱ふる由、山崎宗篤へ咄しければ、宗篤、「此頃清朝より渡来之書の内、刑銭新語(寛政七年渡来の書『刑銭必覧』)といへる書を見しが、専ら経済の事を書たるものにて、右の内に竜の動静にて田畑を損ざし、家屋を破る事あり。依之竜を捕へ刑する事あり。其手法は、雪の降りし頃、蟄竜ある所は其所斗雪消て積らず、其所を見定めて檜の材木を土中へ深く打込みぬれば、竜損のうれひなしと、右書に見ゆる」よし語りぬ。予彼書は見ざれ共、一事の奇法に付、爰にしるしぬ。(『耳袋』巻之十) 

狐(きつね) 

本来は食肉目犬科のほ乳類で、我国の山野に多く生息する動物。
古来から、人を欺くとされている。また、稲荷神の使いともされ、稲荷社の門前にはその石像が有り、祀られている。
浅井了意の著した『伽婢子』に狐が美女に化け、人の精気を奪う話があるので参照ください。

[狐関連の怪]

「日本の妖怪」に各地の狐関連の怪をまとめてあります。   

狸(たぬき) 

食肉目の獣。東アジアに分布し、山地・草原に穴居する。
我が国では狐とともに人を騙すと言い伝えられる里山の代表的な獣。アナグマと混同され、狢ともいう。また猯(まみ)ともいう。

[狸関連の怪]

「日本の妖怪」に各地の狸関連の怪をまとめてあります。

モモンガ

齧歯目の獣。ムササビに似て混同されるが、小形で、飛膜の発達は悪く、尾は扁平。体は灰褐色で下部は白い。北半球の森林にすみ、常に樹上に生活し、若葉・樹皮・昆虫などを食う。夜行性。ホンシュウモモンガなど。ももが。ももんがあ。

着物をかぶって肘を張りムササビの翅を張った真似をして子供などをおどすたわむれ。 「柳からモモンガアと出る子かな」(一茶)人をののしっていう語。畜生。 辰巳婦言「勝手にしろエももんがあめ」(『広辞苑』第二版)

○摸々具和(ももんぐは) 毛美無佐々美(ももむささび)といふ獣、一名晩鳥、又野衾といふ、大さ毛色鼬鼠にひとしく、肉翅にして爪あり、これを張は翼となり、収れば足のごとく、蝙蝠に似たり、面長く鬚あり、尾七八寸ばかり、よく果実を喰ふ、手を以これを握る、鼠のごとし、昼は深山にかくれて夜出る夜行の人の炬松を翦てこれを消、その烟火をふく、よつて妖怪なりと、人これをおそる、本草にいふ所の壘鼠也、土人これを呼て、もゝんぐわと号、小児を怖のことは、これよりはじまる(『近代世事談』巻之五)

幻術

幻術(げんじゅつ)

人の目をくらます妖術。魔法を以て怪しい術を行うこと。(『広辞苑第二版』)

呑牛術、火焔術など、現代でいうマジック・トリックや、居すくめの術のような瞬間催眠、集団催眠などの術をいう。また、気功などの技もつかわれていたと思われる。

[『塵袋』にある幻術の記述]
一、まぼろしとは、ねもいらぬと思ふに夢のみゆる様なるを云ふにや。楊貴妃うせて後まぼろし尋けると云ふは、何と心うべき事ぞ。
まぼろしとは幻の字也。天竺に幻師と云ふ物あり。幻術を施す一道の物也。頌文をしかけてまじなふに、其の呪力によりて不思議を現ずる也。木の葉やかやのおれ等をもまじなひて、人にもなし、馬牛にもなし、宮殿財宝にもなす事心に任たり。種々の芸能を施さしむ。其の術を止むる時、目のまへに見えつる事ども、みな一時に失ぬ。是ぞまぼろしの本体にてあるべき也。楊貴妃尋けん方士も、術を施て天をかけり、地にも入ければ、是は幻術に准じてまぼろしと云ふ。うたゝねのまぼろしも物の見ゆるやうにてあとなき事、幻師に術をとくににたれば、なぞをへて云ふ。まぼろしとなづくる詞は、ありと見つるものゝなきには、人の空事をしてほらすににたり。目ほらしと云ふべきを、通音にひかれてまぼろしとは云ふなるべし。(『塵袋』五)

喜多村信節の『嬉遊笑覧』の雑伎・弄玉の項に「呪師」として幻術を述べた文があるので参照ください。

飯綱の法(いづなのほう) 

狐を使うという一種の妖術。天福元年に信濃の人伊藤忠縄、其の国の飯綱山に登って行を修め神通を得たことから始ったとされる。(『廣辭林』新訂版)

『宇治拾遺物語』に、滝口道則が信濃の郡司から異術を習う話があり、道則は最初の試験に失敗し、第一の秘術は得られなかったが、第二の秘術を学び、都に帰り「み几帳の上より賀茂祭などわたし給ひけり」と記され、飯綱の法の一端が窺い知れるが、ここに見える術とは、一種の幻術のようなものと思われる。『妖異博物館』によれば、江戸期にはこのような異術を「飯綱の法」と称していたという。

  • 【イズナ】 
  • 憑依する動物霊の一種で、クダ狐に似た小型の狐といわれ、イズナ使いと呼ばれる呪術者によって操作され、人の心を読みとって主人に教えたり、金品を持ち運んだり、人に取りついて病気にしたりするとされる。小松和彦氏は「イズナ」の語源を「命綱」の可能性が有ると指摘している。 

幻術師(げんじゅつし)

「呑牛術」や「生花術」など、一種の目くらましを得意とする術者。幻術使い。

昔時、修験道の行者や陰陽師などの加持祈祷を業とする者の中から、兵法家と同様に高家に召し抱えられようとした者等。常人には無い力を誇示するためトリックや催眠術・気功術などの技を身に付け、大名の軍師となったり、あるいは人の注目を集めることで、呪術や易占等の依頼を受けていた。「果心居士」「飛び加藤」などが有名。また、二階堂平法の松山主水は「心の一方」という居すくめの術を得意といた。 

呪術

呪術(じゅづつ)

神仏や霊などの力を借りて、様々な現象を惹起させようとする事。

呪いをかけるなどの法を云い、我国では密教系の修験者や山伏などが、護摩壇を設けて「御敵退散」「御敵調伏」などの修法を行った。応仁・文明の乱で、東軍細川勝元が西軍山名宗全に対し「五壇の法」を行ったと『応仁記』に有り、合戦に際し、多くの武将は呪術的力にも頼って戦いに臨んでいた。「五壇の法」とは、密教の修法の一つで、道場内に五大明王(不動明王・降三世明王・軍茶利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)をそれぞれ壇に祀り、同時に修法を行うもので、禁裏や公家の社会で、安産・除病・除障などを祈るために行われてきた修法といわれている。真言密教を伝えた弘法大師が、興福寺(山階寺)の修円僧都と呪詛の掛け合いを行い、謀を廻らして大師が勝利した話が『今昔物語集』に有る。
一般には、「丑の刻参り」と云われる藁人形(人型)に五寸釘を打ったり、護摩札を貼ったり、竹筒に人型に切った紙を閉じ込め埋めるなどの呪いの術が行われていた。

[西洋]魔術と同義で、天使の力で善の現象を起させる白呪術(白魔術)と、悪魔の力によって悪意の現象を起させる黒呪術(黒魔術)がある。

丑の刻参り(うしのこくまいり) 

日本の代表的な呪詛法。丑の刻(午前二時〜四時)に、呪う相手の姓名を書いた藁人形を神社の神木や鳥居に呪文を二十遍づつ毎日唱えながら釘付けにする。これを行えば七日目の満願の日に相手を呪い殺す事ができるが、これを人に見られるとその効力を失うとされる。この丑の刻参りは、逆さにした五徳に蝋燭を挿したものを頭に被り、白装束の姿として描かれるが、これは『太平記』の記述によったもの。

金輪の法(こんりんのほう)

後醍醐天皇が御自ら護摩壇を築き、金輪の法を修して鎌倉幕府の調伏を行ったと「太平記」にある。金輪の法とは、天皇が御即位の際にとり行われる四海統領、つまり山野河海すべての御領地を統治なさることを示す「四海統領の灌頂」、別名「東寺流輪王灌頂の法」のこと。この法の中心にあるのは「荼吉尼天法」だと云われる。東寺の鎮守神は稲荷神社で、狐に乗った美しい女人で示される荼吉尼天は「辰狐王菩薩」であり、その修法は使者神として狐を使う最も強力な修法であるとされる。真言宗東寺派によって説かれ、平安時代藤原一族によって推し拡められたといわれる。(『花と火の帝』下30) 

不動金縛りの術(ふどうかなしばりのじゅつ)

大聖不動明王金縛密法といい、瞬間催眠術とされる。三宝院派、聖護院派両派の修験者が行う究極の護身術。居すくめの術。遠当ての術。修行を積むと多数の人間を同時に動けなくすることが出来たといわれる。→「心の一方」

【不動金縛り返し】(ふどうかなしばりかえし)

金縛りの術を懸けてくる攻撃に対し、その相手の術をそのまま返す術。

【不動明王生霊返し】(ふどうみょうおうしょうれいかえし)

精霊・異能

精霊・異能(せいれい・いのう)

現代で、超能力と云われる超人的能力を持つ者・もの。また、その能力。

座敷童(ざしきわらし) 

座敷童子。旧家に住む精霊の一種。

『遠野物語』で有名になった怪。主に旧家にいて、一般的には白い着物を着た六七歳の童女が家の中で楽しそうに遊ぶという。これを見るものは年齢が同じ位の子供で、大人にも年上の子にも見えない。(『妖怪談義』)昔は岩手県などの小学校の教室などに毎日のように出たという話もある。特に何か悪戯をする訳でも無く、害の無い怪といわれる。

ザシキボッコ、クラワラシ、クラボッコ、コメツキワラシ、ウスツキコ、ホソデ、ナガテなど様々な呼称がある。

[各地の座敷童の話]

「日本の妖怪」参照。

仙人(せんにん) 

道家の理想人物。
人間界を離れて山中に棲み、穀食を避けて不老不死の法を修め、神変自在の法術を得たものの称。
道教では、霊山・仙境に入り、修行して不老長生の仙人になる事を目的としているとされる。

○仙人 延享二年丑八月頃にも有し。牛奥忠左衛門娘一歳の時、大村兵部方へ、近所の事、殊に友達なれば、其日も行て物見に遊び居たり。(兵部屋敷は築戸下、忠左衛門は小日向住。)早七ツ過の頃おひ、西より東をさして鶴一羽飛行けり。其鶴の上に小き仙人乗り、巻物を見ながら、飛行せしを見たり。右の兵部も見たりとなり。忽ち向ふ屋舗落合、五右衛門長屋に被レ隔て見えず、鶴は鳶程と覚しよし。(『奇異珍事禄』)

『宇治拾遺物語』(下)にある仙人の逸話も参照ください。 

天狗(てんぐ)

深山に棲むといふ想像上の怪物、人類の形姿をなし、鼻高くして翼あり、常に羽団扇を持ちて飛行自在なり。(『廣辞林』新訂版)

天狗には大天狗、木っ葉天狗、烏天狗などの種があり、直木三十五氏は『岩見重太郎』の中で、武術の隆盛とともに天狗伝説が盛んになったと述べ、木っ葉天狗、烏天狗などの山伏姿の天狗は、狩野探幽が天狗を山伏姿に描いたことから生まれたと述べている。

[『塵袋』にある天狗の記述]
一、天狗を天狐ともかけることあり、同異如何。
両様共に用るか。日本記には、天狗とかきて、あまぎつねとよめり。字はいぬにて、よみはきつねなることも、かよへることをあらはすにやあらむ。山臥のすがたに変じて人につくものはさることにて、星の中に天狗星と云ふあり。天狗流星とも名く。大流星と名て光りものゝ如にして、とをりたるあとの光もしばしはのこりて、ひるのやうにかゞやく星也。舒明天皇九年春二月、この星ありけり。僧旻法師申て云く、流星にはあらず、是れ天狗也。其吠声似レ雷云々。
行者の慢心等によりてなりたる天狗も、そこは、一にもやかよふらん。別類の物にや。天狗と云ふ魔王所部の従類也。妙善王・金着女と云ふこともあるべし。
又、陰山有レ獣、状如レ狸。白首あり。名2天狗1。食レ蛇と云へる事もあり。是又別の獣なり。名は同くして種類別也。又天弧と云ふ星あり。弧は弓也、狐にはあらず。(『塵袋』一)

[各地の天狗の話]

「日本の妖怪」参照。

【天狗道】(てんぐどう) 

中世以来の天狗はほとんど武士道の精髄を発揮している。少なくとも武士道中の要目は天狗道においてことごとく現われている。殊にその極端を具体して見せている。すなわち第一には清浄を愛する風である。第二には執着の強いことである。第三には復讐を好む風である、第四には任侠の気質である。儒教で染め返さぬ武士道はつまりこれである。これらの道徳が中庸に止れば武士道で、極端に走ればすなわち天狗道である。殊に高慢剛腹の風というものは、今日でも「あの人は天狗だ」などと、諺になって都会でも行われている。(『妖怪談義』)

【天狗の相撲場】(てんぐのすもうば) 

夏山の草の繁った中に、十数坪ほどの苔地や砂場があるのをいう。出羽の月山バラモニ沢や朝日岳、母苅山、黒森山など各地に見られる。黒森山の相撲場では、ある男が松茸狩りに行った時、そこで大男に会った。声をかけたが返事が無く、大男の蓑は山草のようであったという話が伝わる。(丹野正『炉辺山話』)

妖精(ようせい) Fairy。

西洋の伝説・物語に出てくる自然物の精霊。美しく深切な女性の姿をとる。東方の起原と考えられるが、ケルトやラテン系の民族に多く、各国で名は違う。(『広辞苑』第二版)

水の妖精、森の妖精など、水や森などの自然界には精が宿るとされる。

仙女(せんにょ) 

中国や我国で深山に住むとされる。

魔(ま)

まがまがしきもの。 

悪魔(あくま) 

[仏教]仏道を妨げる悪神。魔羅。

この事からSatan(サタン)、Demon(デーモン)、Devil(デビル)の訳語となり、東西を問わず神や仏の善に導こうとする教えを邪魔するものをいう。転じて、極悪非道の人間等を喩えていう言葉となる。

悪魔は人の心の中にいて、形は無い。 【反対語】仏、神。

【悪魔主義】(あくましゅぎ) 

象徴主義の一派。十九世紀に現れた文芸または思想の一傾向。好んで醜悪・頽廃・怪異・恐怖などの中に美を見い出そうとするもの。その代表はポー、ボードレール、ワイルドなど。(『広辞苑第二版』)

この象徴主義派の詩人ヴァレリーやマラルメ、ランボー等に、師の隆慶一郎は多感な青年時代に傾倒した。ランボーの『地獄の季節』を『葉隠』にひそませ兵役に赴いたエピソードは、『死ぬことと見つけたり』の冒頭で師自らが紹介している。

【悪魔払い】(あくまばらい) 

祈祷などをして悪魔をはらい除くこと。(『広辞苑第二版』)

主にユダヤ教・キリスト教でいう宗教儀礼エクソシム(祓魔式)をいい、カソリックではローマ教会典礼式書に定められている。中世までは実際的な呪術として行われていたが、科学知識の進展とともに次第に形式化し、現在では異教徒だった者が洗礼を受ける時や、献堂式などの時に行われるだけとなっている。

【小悪魔】(こあくま) 

小さな可愛らしい悪魔。このことから男を虜にしたり、惑わせる魅力の有る女性を譬えていう。 

閻魔(えんま) 

閻魔王、閻魔大王などの略。

[仏教]梵語Yamaraja.インド神話で光明・正法の神。のち、人類最初の死者であることから死の神として冥界を支配した王。転じて仏教に入り地獄の主となり、十八将官八万の獄卒を従え、地獄におちる人間の生前の善悪を審判・懲罰を下すとされる。経典により、地獄菩薩の化身ともいい、天部ともいうなど異名も多い。その像は、古くは仏像に似て、左手に人頭をつけた旗を持ち、水牛に乗るが、のちには中国の服装で忿怒の相をなす。(『広辞苑第二版』)

【閻魔帳】(えんまちょう) 

閻魔が亡者の生前の罪悪を書きとめるとされる台帳。転じて、教師が生徒の採点や行状を書き留めたり、警察が罪科を調べて書き留めておく帳簿などをいう。

【閻魔堂】(えんまどう) 

閻魔王及びその眷属を祀ってあるお堂。

魔女(まじょ) 

悪魔と契約を結んで魔術が使えるようになった者。
主に西洋の概念で、男女ともあり、魔女を表わすウィッチという語には男女双方の概念がある。魔男という言葉もあるが、圧倒的に魔女の使用例が多いので魔女という言葉に一括している。

魔女は悪魔とサバトと呼ばれる宴を開き、そこで悪魔と交わるとされている。実際には、呪術的な伝統医療(白魔術)を行っていた者たちが、キリスト教によって異端とされ、魔女扱いされるようになった。十四世紀から十七世紀にかけての魔女裁判が席巻した時代には、そのような呪術に関わらない者たちも讒言などによって魔女に仕立てられ凄惨な刑死をとげた。

民間神・まじない

民間神・まじない(みんかんしん・まじない)

ここには、宗教にならなかったり、体系化される前の民間信仰の神や、前述の呪術と似ているが、「のろい」ほど過激でない素朴な「おまじない」などをまとめた。

竈の神(かまのかみ)

かまどを守護する神。奥津日子命(おきつひこのみこと)・奥津比売命(おきつひめのみこと)を祭る。後、仏説を混じて三宝荒神ともいう。かまがみ。かまどがみ。(『広辞苑』第二版)転じて妻の異称ともなる。

一、へついをまつると云ふは、かまの神か、沐浴の神か。
此の国にかまをば湯わかすうつはものとす。大国には飯をする器なり。是の故にかまの神をば福神とす。この朝にはかまに飯する事は、をぼろけにはなけれども、其の神をまつるをへついまつると云ふにや。昔し、後漢の宣帝の時き、陰子方と云ふ人ありけり。孝心ありてなさけふかきもの也。臘日につとにおきて炊に竈神形をあらはしてみえけり。これは黄羊をまつるに、にはかに家とみゆたかなり。田を七百余頃(径五十四歩也)ありと云へり。このふるきあとをたづねて、今の人もあつる。竈神の名は弾、字は子郭也。黄衣をきて髪をかぶれり。其の名をよべば悪をのぞく。頭は猪の如云々。古今注に、犬の一名は黄羊と云へり。竈神に祭は実の羊か。
礼記云、竈者老婦之祭也云々。注云、炊者也云々。飯する老女のまつりと云ふか。かまにもかぎらず。礼記には、盆瓶は炊器也と云へり。かまのあし三つあるをば鼎となづく。大国には是を用ふ。(『塵袋』一)

【荒神さま】(こうじんさま) 

三宝荒神の略。竈の神。かげにいてそれぞれの人を保護すると信じられていた神。また、西日本では同族祭祀で、屋敷神として祀った神をいう。(『広辞苑』第二版)

庚申(こうしん)

本来は十二支で「かのえさる」のことだが、庚申の日の夜、青面金剛などを祭って寝ないで三尸の災いを防ぐ習俗「庚申待ち」「庚申会」の略。(『広辞苑』第二版)

一、庚申には夜るねぶらずと云ふ、何の心ぞ。
人のむまるゝより、三尸(さんし)と云ふ物ありて身をはなれず、人を害せんとす。庚申の夜、人の罪過を天に告。上尸は人の頭に居して、眼くらし、面のしはをたゝみ、髪のいろを白くなさしむ。中尸は腸の中に居て、五臓を損じ悪夢をなし、飲食をこのましむ。下尸は足にゐて命をうばひ、精をなやます。庚申の夜ねぶらずして三尸の名をよべば、禍をのぞき福をきたす。孝子三尸経に見たり。夜半の後ち南に向て再拝して曰、
上尸又彭俗青色 中尸白色 下尸又彭矯赤色 彭侯子 彭常子 命児子 悉入窈冥之中 去離我身と三反となふべし。
古語云、三守2庚申1三尸伏、七守2庚申1三尸滅云々。これによりて七庚申をまぼるとなるか。(『塵袋』一)

【庚申塚】(こうしんづか) 

路傍などに青面金剛(庚申)を祭ってある塚。三猿の形を刻んだ石塔(庚申塔)などを立ててあることが多い。(『広辞苑』第二版)

【青面金剛】(せいめんこんごう) 

顔の色が青い金剛童子。大威力があって病魔・病鬼を払い除く。六臂三眼の忿怒相をしている。俗に民間で行われる庚申会の本尊で、猿の形相をしているもの。(『広辞苑』第二版)

照照坊主(てるてるぼうず)

晴天を祈って、軒下などにかけておく人形。晴天となれば、睛(ひとみ)を書き入れて神酒を供えた後、川に流す。(『広辞苑』第二版)照り照り坊主ともいう。

「神に祈り願うのではなく、神を脅迫して自分の願いをきき届けさせようという信仰を脅迫信仰という。一番卑近な例をとれば、『照る照る坊主』だ。本来『照り照り法師』、晴天を祈る神である。「照る照る坊主、照る坊主、あした天気にしておくれ」と祈った後で、もしこの願いを容れず、明日雨になった時は、「お前のお首をチョンと刎ねよう」まこと凄まじくも残忍な脅迫である。これが所謂脅迫信仰であり、『百大夫』はこの『照る照る坊主』と同じだった。『照り照り法師』は中国で『掃晴娘』と云うことで明らかなように女性である」と隆慶一郎は『かくれさと苦界行』(160p)の中で述べている。

道祖神(どうそじん)

道路の悪霊を防いで行人を守護する神。日本では、さいのかみ・さえのかみと習合されてきた。くなどのかみ・たむけのかみ。(『広辞苑』第二版)

一、さいの神とて、小社にまろき石ををくは石神か。
道祖神也。是は昔し黄帝の子とをく遊ことを好て路のほとりに死に玉ひけるが、今道祖神となり玉ふ。故に路のかたはらにいはひたてまつる。此の神に祈てことの成否をとふ時き石につげて軽重を定るか。路ゆき人を護る神也。石には非ず。石は路頭に便宜の物なれば、しはじめたるなるべし。日本記には、伊弉冉尊すて玉へる杖を岐(くなど)神と云ふと云へり。くなどの神とは道祖神也。くなどのふむひとゝ云ふ姓あり。其をば道祖史とかけり。さればさえの神も和漢に別なるべき神也。(『塵袋』一)

【障の神・賽の神】(さえのかみ・さいのかみ)

伊弉諾尊が伊弉冉尊を黄泉の国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女を遮り止めるために投げた杖から成り出た神。邪霊の侵入を防ぐ神。道行く人を災難から守る神。みちのかみ。道祖神。(『広辞苑』第二版)

百太夫信仰(ひゃくたゆうしんこう)

遊廓にて広く信仰された招客などのまじないや占い。
古くからおこなわれた呪(まじな)いに畳算がある。箸や千枚通しを畳の上におとし、突き立ったところから端まで畳の編み目を算える。それが丁なら吉、半なら凶としておいて、客の来る来ないを占った。古川柳の、
「しまいには来るとしておく畳算」というのがそれである。
よい客がつくかどうかに彼女らの運命がかかっている。何としてもいい客を引きつけたい。それにはこんな奇妙な呪いもあった。
深夜、人が寝静まってから、こっそりはだしで道路の四つ辻に立つ。そして、思う客のいる方角へ向き、掌であの辺りを三度たたき、その手で三回手まねきをすると、あとは脇目もふらず帰って寝る。そうするとそれから数日中に、かならずその客が来るというのである。これは吉原だけでなく、花柳界全体に行われた呪いである。
待人の呪いには、ほかに動物や器物に願いを託するものがある。最もよく使われたのは蛙で、その背に針を突きさして理科の標本のようにする。蛙の本性は飛びはねることだが、それを突き刺し苦しめる。すると蛙の精魂は、早く楽になろうと飛んでゆき、客をつれて来るという思想である。本物を使ったこともあったのだろうが、後には手製の型紙で間にあわせた。
「待ちかねて女郎蛙へ針をさし」
他愛ないとも思えるが、案外われわれの身近にもこの種のことがあって笑えない。(『歴史読本』昭和44年11月号稲垣史生「ありんす国深秘考」より)

『かくれさと苦界行』(p167〜)でも、おしゃぶが客招きのために似たような行動を行っている描写があり、蛙の話とそれを読んだ同じ川柳も書かれている。

傀儡子も遊女も、百太夫(百神)を信仰していた。これは「木偶の棒」で、それを遊ばせるのが傀儡子や遊女や巫女であった。これは古代の民間信仰の百神と同じものと思われ、道祖神や、東北の「おしら神」も同種のものである。原始・古代からの民間信仰の一分枝が、彼らを担い手として残っていったものである。(脇田晴子「傀儡子・白拍子.遊女」)

物の怪・妖怪

物の怪・妖怪(もののけ・ようかい) 

人に取り付いて悩ましたという死霊、生霊など。 

悪霊(あくりょう) 

祟りをする死人の霊。

辞書には、もののけ、怨霊とも有る。「世々の御悪霊とこそはなり給ひたれ」(大鏡)

まだ医学が現代のように発達していない時代、原因不明の疾病、主に精神疾患などの原因を「悪霊憑き」として怖れ、護摩を焚いたり、経文を唱えるなど加持祈祷で対処していた。身体の変調が主に精神的なものであったならば、おそらくこれらの祈祷等で平癒することもあったと思われる。「怨霊憑き」「狐憑き」なども同じ。 

お化け(おばけ) 

ばけもの。へんげ。妖怪。(『広辞苑第二版』)

化く(ばく、はく:自動詞下二段活用)からきている詞で、形を変える。異形のものに変るという意。辞書には「化物」として、狐・狸・猫などが化けて怪しい姿をするものとある。類語としては、幽霊、モンスターなどがあるが、「お化け」といった場合には、もう少し愛敬があるものか。しかし、これも水木しげる氏の漫画などの影響で、後世のイメージの部分が強い。現実には、現代のような電気の光が無い時代においては、夜の暗さは人々に現代人の想像を上回る恐怖心を齎していたと思われる。

[同義語] 化け物。物怪(もののけ)。妖怪。

【お化け屋敷】(おばけやしき) 

お化けの出るという屋敷を称する。化物屋敷。現代では、心霊スポットなどと称して好奇心や興味本意で訪れたり、肝試しの場となる事が多い。

怨霊(おんりょう) 

怨を抱いて祟りをする死霊または生霊。(『広辞苑第二版』)

人間や生き物は、その肉体に魂(霊)が宿る存在として、古代から信じられている。しかし、霊魂は目に見えず形の無いものであるため、原因の分らない現象や精神撹乱などを自らの心に受け入れるため、それらを引き起こすモノとして心霊という概念が広く人々の心に根付いた。これら心霊(霊魂)は、物質的なものでは無いために不滅であり、肉体からも自由に離脱する。さらには通常では目に見えないため、特殊な能力を持つ者がそれらを見ることができるというロジックを可能とし、修行を積んだ高僧たちの独擅場となり、やがて霊媒師や呪禁師など鎮魂、除霊を業とする者も現れる。

これら死霊や生霊の話は『今昔物語』『古今著聞集』などの他、『源氏物語』にも六条の御息所の生霊など平安時代の文学に現れる。また、隆先生の作品『風の呪察殺陣』では信長を呪った昇運が、長嘯をもって数多の死霊を呼び集める光景が描かれ、『死ぬことと見つけたり』でも、竜造寺高房の怨霊を登場させている。 

除霊(じょれい) 

取り憑いた悪霊を取り除く事。
呪禁の一種で、主に霊による憑依から原因となる悪霊を取り除く事とされ、霊媒師などによって行われる。

【浄霊】(じょうれい)

除霊が原因となる霊を取り除くだけなのに対し、より積極的に、その人の霊を清浄・透明なものにするという行為。 

心霊現象(しんれいげんしょう) 

今日の科学では説明出来ない、一種の精神・心理現象。

霊魂が見えたり、死者の霊と交流したり、言葉を交さず思いを相手に伝えたり(テレパシー)、透視(千里眼)したり、あるいは念写、念動などの超科学的な現象の総称。

【心霊写真】(しんれいしゃしん) 

見知らぬ人物や死者の顔など、本来写っているはずの無いモノが写っている写真やビデオ。 

幽霊(ゆうれい) 

亡者。
死者が成仏し損い、この世に姿を現したものとされ、幽霊の発する常套句ともいえる「うらめしや〜」という言葉に表れているように、この世に未練や恨みを強く持った者の魂だとされる。我国では、死者が幽霊となり化けて出るのは、深更から丑三つ時、寂しい場所に大方単独で現れる事が多く、彼(彼女)に狙われたら何処へ逃げても追い掛けられるとされる。
木室卯雲の著した『奇異珍事録』には、「今年七月十六日に二子山を、昼八ツ時頃、幽霊千人計り、幡、天蓋をかざし通りし由、右峠の者も皆々見候由(略)幽霊は夜の物にて、二人出たるを聞ず。是は左にあらず。凡千人程と云へるは、珍ら敷事なれば爰に記す。」とある。

[霊関連逸話]

霊気残れるといふ事
佐州外海府といへるは別て海あれ強き所也。鳥居某其湊に番所役勤し時、同所浜辺に住居せしもの、ある夜船を引上げ侯声のしける故、海端へ至りみるに聊かかゝる事なし。両三夜も同じ声なしける故、其浜辺に至りしに、彼声のしけるあたりと思ふ処に覆へれる船流寄たり。驚きて大勢人夫をかけ引起し見しに、鍋・釜の類は沈しとみえて見へず。され共箱・桶の類は船の中に有りしが、其箱に海府村の村名ありけるにぞ、「さては此程行衛知れざりしといひける船ならん」迚、其村方へ知らせ、人来りて改けるに相違無かりしとや。右船は相川の町へ薪を積廻し戻りの節、鷲崎の沖にて難風に逢ひ行衛知れず成しが、自然と乗組の霊気残りてかく声をなしけるものならん。海辺には時々ある事のよしかたりぬ。(『耳袋』巻之三)

下女の幽霊主家へ来りし事
鵜殿式部といへる人の奥にて召仕ひ、数年奉公して目を懸け仕ひし女、久々煩ひて暇を乞ひし故、永の暇を遣し暫く過ぎけるに、右の女来りて式部母隠居の宅へ至り、「久々厚恩にて養生いたし難有」由を述ければ、老母も其病気快よきを悦び賀して、「未だ色も悪しき間、能養生いたし帰参して勤よ」と申ければ、「最早奉公相成候」由、「土産にと手前にて拵へし品」とて、団子を二重持参せしまゝ、相応の挨拶等いたし、「左もあらば先づ養生を加て勤めよかし」とて挨拶なしければ、右女は其坐を立て次へ行し故、老母も無程勝手へ出、「誰こそ病気快とて返りしが、未色も悪しければ傍輩も助け合て遣すべし」言しに、家内の者共、「右下女の帰りし事誰も知らず」と答へて、所々尋しに行方なし。「さるにても土産の重箱ありし」迚重を見しに、重箱はかたの如くありて内には団子の白きを詰めて有りし故、宿へ人を遣りて聞しに、「右女は二、三日已前に相果ぬ。知らせ延引せし」とて、右宿の者来り届し由。不思議の事也と、鵜殿が一族の語りけるなり。(『耳袋』巻之四)

妖怪(ようかい) 

お化け、化け物、物怪などの総称。

幽霊のように取り憑いた人の処へ出掛ける事は無く、出現場所は大抵決まっていて、幽霊は出会いたく無くとも向うから現れるのに対し、妖怪・化け物はその場所を避けて生活すれば一生逢わずに済むモノとされる。出現時刻も夕暮れか明け方の薄暗い時とされ、幽霊のように人の寝静まった丑三つ時などにはあまり出現しない。また、柳田国男氏は、「化け物は相手を選ばず、むしろ平々凡々の多数に向って、交渉を開こうとしていたかに見え、一方、幽霊はただこれぞと思う者だけに思い知らせようとする」と述べている。
また、谷川健一氏は日本の妖怪・化け物の多くは大和政権の人々により山間部に追いやられた先住民や山人、精錬技術を伝えた渡来人たちで、その異様な風体や特殊な技術、類い稀な運動能力で恐れられた人々を指していたのだろうと『日本の神々』(岩波新書)のなかで述べている。これら異能の人々は大和政権の神々「天つ神」と区別して、初めは「国つ神」として恐れられ、崇められていた。その伝承の中から、鬼や天狗などの怪物・妖怪を生み畏怖の対象となっていった。なんども反抗し従わない民が「天の邪鬼」となり、タタラを踏んで銅などの精錬に従事した人々は、炉の炎にあぶられながら裸体で作業する異形の人々であったため、鬼の姿をそれになぞらえるようになった。彼らは片方の眼で炉の炎の加減を絶えず見つめることから、視力が弱り片目になるものが多かったという。また、炉に風を送るためにタタラを踏みつづけることから足を悪くし片足になる人も多くいた。こうして一つ目一本足の異形の人々が山野を徘徊していたことから、一つ目の鬼や一本足で立つ一つ目小僧という妖怪を生んだ。




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