白女
古今集巻八離別歌云、源のさねがつくしへ湯あみんとてまかりける時、山崎にて別ををしみける所にてよめる、白女「命だに心にかなふ物ならば何か別れのかなしからまし」、後撰集巻十五雑歌(五紙左)云、女ともだちのもとにつくしよりさし櫛を心ざすとて、大江玉淵朝臣女「難波がた何にもあらずみをつくしふかき心のしるしばかりぞ」、大和物語(抄四巻の十八紙左)云、亭子の帝河尻におはしましにけり、うかれめにしろといふ物ありけり、めしにつかはしたりければ、まゐりてさぶらふ、上達部、殿上人、皇子達のあまたさぶらひ給うければ、しもにとほくさぶらふ、かうはるかにさぶらふよし、歌つかうまつれ、とおほせられければ、すなはちよみてたてまつりける、「浜千鳥とびゆくかぎり有ければ雲立山をあはとこそみれ」とよみたりければ、いとかしこくめで給ふて、かづけもの給ふ、「命だに心にかなふものならば何か別のかなしからまし」といふうたも、此しろがよみたる歌なりけり、(此語、大鏡巻卅右、大同小異、古今著聞集、十訓抄にも出、又、二十紙右云)、亭子のみかど鳥かひの院におはしましけり、例のごと御遊有、このわたりのうかれめどもあまたまゐりてさぶらふ中に、声おもしろく、よしある物は侍りやととはせ給ふに、うかれめばらの申やう、大江のたまぶちがむすめといふものなん、めづらしうまゐりて侍る、と申ければ、見させ給ふに、さまかたちも清げなりければ、あはれがり給て、うへにめしあげ給ふ、そも/\まことか、などとはせ給ふに、とりかひといふ題を人々によませ給ひけり、おほせ給ふやう、たまぶちはいとらうありて、歌などよくよみき、此とりかひといふ題を、よくつかうまつりたらんにしたがひて、まことの事はおぼさん、とおほせ給ひけり、承りて、すなはち「浅緑かひある春にあひぬれば霞ならねど立のぼりけり」とよむ時に、帝のゝしりあはれがり給ふて、御しほれた給ふ、人々もよくゑひたる程に、酔なきいとになくす、帝御うちぎひとかさね、はかまたまふ、ありとあるかんだちめ、四位、五位是に物ぬぎてとらせざらんものは、座よりたちね、との給ふければ、かたはしよりかみしもみなかづけたれば、かづきあまりて、ふたまばかりつみてぞおきたりける、かくて南院の七郎ぎみといふ人有けり、それなん、此うかれめのすむあたりに、家つくりてすむときこしめして、それになんのたまひ、あづけゝる、かれが申さん事、院にそうせよ、院より給だせん物も、かの七郎ぎみよりつかはさん、すべてかれにわびしきめなみせそ、と仰られければ、つねになん、とぶらひかへり見ける、(此語、大鏡八の卅五、大同小異)古今著聞集巻之五(四十三紙右)云、歌よくうたひて、声よき物を、ととはるゝに、丹後守玉淵が女に白女と申けり云々、(大鏡裏書云、丹後守大江玉淵事参議音人卿男)大和物語亭子の帝河尻に云々の条の註云、江口の遊女也、或説に源のつくるがむすめと云々、
遊女記
自山城国与渡津浮巨川、西行一日、謂之河陽、往返於山陽、南海、西海三道莫レ不レ遵此路、江河南北邑々処々分流向河内国、謂之江口、蓋典薬寮味原樹、掃部寮大庭荘也、到摂津国有神崎、蟹島等地、比レ門蓮レ戸人家無レ絶、倡女成レ群棹扁舟看検舶、以薦枕席、声過渓雲、韻飃水風、経廻之人、莫レ不レ忘レ家、州盧浪尤、釣翁商客、舳艫相蓮、殆如レ無レ水、蓋天下第一之楽地、江口則観音為レ祖、中君、□□□小馬、白女、主殿、蟹島則宮城為レ宗、如意、孔雀、香炉、三枝、神崎、則河孤姫為長者、孤蘇、宮子、力余、小児之属、皆是倶尸羅之再誕、衣通姫之後身也、上自卿相下及黎庶莫レ不下接床第施中慈愛上、又為妻妾歿レ身被レ寵、雖賢人君子不レ免此行、南則住吉、西則広田、以レ之為下祈徴嬖之処上、殊事百太夫、道神之一名也、人別宛□之数及百千、態蕩人心、亦古風而已、長保年中、東三条院(兼家女詮子)参詣住吉社、天王寺、此時禅定大相国(道長)被レ寵小観音、長元(後一条)年中、上東門院(道長女彰子)又有御行、此時、宇治大相国(頼通)被レ賞中君、延久年中、後三条院同幸此寺社、狛犬、壹等之類並レ舟而来、人謂神仙、近代之勝事也、相伝曰、雲客風人為レ賞遊女自京洛□河陽之時、愛江口人、刺史以下自西国入江之輩愛神崎、神崎人皆以始見為レ事之故也、所レ得之物謂之団手、及均分之時廉恥之心者、忿励之与、大小諍論不レ異闘乱、或切鹿絹尺寸、或分米斗升、□□有陳平分レ肉之法、其豪家之侍女、宿上下舶之者謂之□、亦遊得少分之贈為一日之資、愛有レ髷、俵月絹之名、舳取登指、皆土九公之物、習俗之法也、雖レ見江翰林序、今亦記其余而已、
注:宛は正しくはリットウ。壹は正しくはリッシンベン。鹿は正しくは鹿三つ。月はイトヘン、
檜垣嫗
後撰集巻第十七雑上(四紙右)云、つくしの白河といふ所にすみ侍けるに(まへよりイ)大弐藤原興範朝臣のまかりわたるつひでに、水たへんとて打よりてこひ侍ければ、水をもて出てよみ侍けるひがきの嫗、「年ふれば我黒髪も白河のみづはくむまでおいにける哉」、かしこに名たかく、ことこのむ女になん侍ける、大和物語(抄三の五十一紙云)、つくしに有けるひがきのごといひけるは、いとらうあり、をかしくて、世をへける物になん有ける、年月かくてありわたりけるを、すみともがさわぎにあひて、家もやけほろび、物の具もみなとられはてゝ、いといみじう成にけり、かゝりともしらで、野大弐うて(討手)の使にくだり給ひて、それが家のありしわたりを尋て、ひがきのごといひけん人に、いかであはん、いづくにかすむらん、とのたまへば、此わたりになんすみ侍りしなど、ともなる人もいひけり、あはれ、かゝるさはぎにいかに成にけん、たづねてしかな、とのたまひけるほどに、かしら白きをうなの水くめるなん、まへよりあやしきやうなる家にいりける、ある人ありて、是なんひがきのごといひける、あはれがり給ふてよばすれど、はぢてこでかくなんいへりける、むば玉の我黒髪は(おひはてゝかしらの、家集)白河のみづはくむまで成にけるかな、と読たりければ、あはれがりて、きたりけるあこめ(相)ひとかさね、ぬぎてなんやりける、又おなじ人、大弐のたちにて、秋の紅葉をよませければ、鹿の音はいくらばかりのくれなゐぞふり出るからに山のそむらん、このひがきのご歌なんよむといひて、すき物どもあつまりて、読がたかるべき末をつけさせんとて、かくいひける、わたつみのなかにぞたてるさをしかは、とてすゑをつけさするに、秋の山べやそらにみゆらん、とぞつけたりける、檜垣嫗集(塙本二百七十二巻十七紙右)に有り、
宮木
後拾遺集第廿釈教(八紙五)云、書写のひじり結縁経供養し侍けるに、人々あまた布施おくりける中に、おもふ心や有けん、しばしとらざりければよめる、遊女宮木、津の国のなにはのことか法ならぬあそびたはぶれまでとこそきけ、遊女記、木作レ城はおなじ人なるべし、
靡
詞花集巻第六別(三紙左)云、東へまかりける人のやどり侍けるが、あかつきにたちけるによめる、くゞつなびき(傀儡靡)はかなくもけさのわかれのをしき哉いつかは人をながらへてみし(むイ)
戸々
千載集巻第十三恋三云、藤原仲実朝臣備中守にまかれりける時、ぐしてくだりけるを、おもひうすくなりて後、月を見て詠侍ける、遊女戸々、数ならぬ身にも心の有かほに独ぞ月をながめつる哉、
妙
新古今集巻第十覇旅歌(十二紙右)云、天王寺へまゐりけるに、にはかに雨ふりければ、江口に宿をかりけるに、かし侍らざりければ、よみ侍ける、西行、世の中をいとふまでこそかたらめかりの宿りををしむ君かな、返し、遊女妙、世をいとふ人としきけばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ、山家集下(六紙右)撰集抄、
源平盛衰記巻第八(九右)西行法師と云るが云々、(九紙左)云、江口の妙に宿をかり、仮の宿と読しかば、心とむな、と返しつゝ云々、
木姫
公卿補任曰、嘉禎三年、従三位藤原兼高、十月廿七日叙、故中納言長方卿四男、母江口遊女、木姫、イ隠(壱イ)岐守師高朝臣、
初君
玉葉集巻第八旅(十八紙左)云、為兼佐渡国へまかり侍りし時、越後の国てらどまりと申所にて、申おくり侍りし遊女初君、物おもひこしぢの浦のしら波の立かへるならひありとこそきけ、
阿已
新続古今集巻第九離別歌(四紙右)云、尾張国に京よりくだれりける男の、かたらひつき侍けるが、あすのぼりなんとしける時、しぬばかりおぼゆれば、いくべき心ちせぬよしいひけるに、傀儡阿已、しぬばかり誠になげく道ならば命とともにのびよとぞおもふ、
侍従
新続古今集巻第十羅旅歌(十紙右)云、あづまのかたよりのぼりけるに、あをはかといふ所にとまりて侍けるに、あるじの心あるさまにみえければ、あかつきたつとて、堪覚法師、しるらめや都を旅になしはてゝ猶あづまぢにとまる心を、返し、傀儡侍従、東路に君が心はとまれども我も都のかたをながめむ、
小観音
遊女記白女条に既出、古事談第二臣節条云、御堂召遊女小観音、(観音弟也)其出家之後、被レ参七大寺之時、帰洛経河尻、其間小観音参入、入道殿聞レ之頗赭面、給御衣被レ返遣之云々、
中君
遊女記白女条に既出、
小馬
遊女記白女条に既出、
主殿
遊女記白女条に既出、
如意
遊女記白女条に既出、
香炉
遊女記白女条に既出、古事談第二巻臣節条云、小野宮大臣愛遊女香炉、其時又、大二条殿愛此女、相府香炉被レ問云、我与レ鬚愛レ何乎、汝已通大臣二人、(二条関白鬚長之故称レ之)
孔雀
遊女記白女条に既出、
三枚
遊女記白女条に既出、
河孤姫
遊女記白女条に既出、
孤蘇
遊女記白女条に既出、
宮子
遊女記白女条に既出、
力余
遊女記白女条に既出、
小児
遊女記白女条に既出、
狛犬
遊女記白女条に既出、
壹
遊女記白女条に既出、
長柄
壬生忠見集(十三紙右)云、いよにくだるに、よしあるうかれめに、おとにきゝめにはまだみぬはりまなるひゞきのなだと聞はまことか、返し、女、年ふれば朽こそまされ橋柱むかしながらの名にはかはらで、
己支
元良親王御集(塙本二百冊之二紙右)云、宮うかれめこ支に住給ふ頃、せまりつといひさわぐを聞給ふて、蔵人にいひつかはしける、ひとりのみ世にすみがまにくゆる木のたえぬ思ひを知人のなき、いとへどもうき世間にすみがまのくゆる煙を待よしもがな、御返し、女、はゝ木々を君が住家にいりくべてたえし煙の空にたつ名は、
毛止里
相如集(塙本二百五十一の三紙右)云、はらへの使に難波にゆきて、もとりといふうかれめにつきて、津の国のなにはの蘆のほのかにもねにきと人にいひつべきかな、おなじもとりにやる、行末は命もしらず夢ならでいづれのよにかまたはあふべき、
熊野
中右記巻之四(七十五紙右)元永二年記云、九月三日夜半、参北殿御前、乗レ車出レ門、下官権中納言同車、向源相公六条亭令同車、天曙間乗善光寺別当清円船、(伝平等院所供儲也)以円賢(弥勒寺別当)船為女房御船、以八幡別当光清舟為伊与守船、以上野前司実房舟為相公船、自余不レ能委記、勧修寺僧雖レ被レ設八珍膳於予船、道間組合也、扈従人々、源相公、伊与守、権中将、下官及三人息男等也、又禅師小野僧都被レ参、過土曲之間江口、熊野与比和君同船、追一舟中指二笠、発今様曲、付船漸過神崎之間、今長者、小最、弟黒、輪鶴四艘参会、各五、内有下望与州寵愛之気上、暫遊廻水上之間、微雨灑漸滂沱、留女房船於遊女白古宅、与州以下遊君向北前宅、及半夜唱歌至暁更、各帰宿、相公迎熊野、与州招金寿、羽林抱小最、下官自レ本此事不レ堪、仍帰自沈寝了、四日云々、五日云々、六日出神崎、於高浜召遊君六人、纒頭長者金寿、(三領単衣)熊乃、江口、伊世、(三領)、比和(江口)、輪鶴、(各一領)此外、伊与守給レ米云々、路間長谷荘、真上荘、平田荘(平等院左也)送酒肴、過江口之間、遊女群参、長者熊野自レ本在此船為レ饗、書長者請文令レ和母子判、給熊野、件母子預纒頭又戸母給レ扇、事了、猶相具熊野、伊世二人、宿八幡別当光清木津荘、光清儲珍膳、
比和君
中右記既出、
小倉
前に同、
弟黒
前に同、
輪鶴
前に同、
白古
前に同、
金寿
前に同、
伊世
前に同、
小三日
傀儡記
傀儡子者無定居無当家、穹廬鬚氈帳遂水草以移徒、頗類北狄之俗、男則皆使弓馬以狩猟為レ事、或双剣弄七九、或舞木人闘桃梗、能生人之態、殆近魚竜曼蜒之戯、変沙石為金銭、化草木為鳥獣、能□人自、女則為愁眉啼粧折腰歩齲歯笑、施レ朱傳レ粉、倡歌淫楽以求妖媚、父母夫智不レ誠、□丞雖レ逢行人旅客、不レ嫌一宵之佳会、徴嬖之余自献于金、繍服、錦衣、金釵、鈿匣之具、莫レ不異有レ之、不レ耕一畝不レ採一枝葉、故不レ属県官、皆非土民、自限浪人、上不レ知王公、傍不レ怕牧宰、以レ無課役為一生之楽、夜則祭百神、鼓舞喧嘩以祈福助、東国美濃、三河、遠江等党為豪貴、山陽播州、山陰馬州土党次レ之、西海党為レ下、其名儡、則小三日、百三、千載、万歳、小君、孫君等也、動韓娥之塵、余音繞レ粱、周書霑レ纓、不レ能自休、今様、古川様、足柄、片下、催馬楽、里烏子、田歌、神歌、棹歌、辻歌、満周(固イ)風俗、呪師、別法士之類、不レ可勝計、即是天下之一物也、誰不哀憐者哉、
百三
傀儡子記既出、
千載
前に同、
万歳
前に同、
小君
前に同、
孫君
前に同、
目古曾
古事談第二臣節条云、二条師長実著水干装束、遊女(神崎君目古曾)ニ、イカゞミユルト被レ問ケレバ、目出ク御座ノ由申レ之、重被レ問云、水干装束ニテ又ヨカリシ人、又誰ヲカ見哉云々、肥前守景家ト申人コソ見候シカト、詞未レ了前忽解脱云々、
金
古事談第二巻臣節条云、神崎遊女金は大治年間之女、十訓抄巻第十(十八紙左)云、伊通公参議の時、大治五年十月五日の除目に、参議四人、師頼、長実、宗輔、師時等、中納言に任ず、是皆位次の上臈也といへども、伊通其恨にたへず、宰相、右兵衛督、中宮太夫、三の官を辞して、檳榔毛車を大宮表に引出して、破りくだき、褐水干にさよみの袴著て、馬にのりて、神崎の君かねが許へおはしけり、今は官もなき徒者なれる由なり云々、梁塵秘抄口伝集(三紙右)云、神崎のかね、女院に候ひしかば、まゐりたるには申てうたはせてきゝしを云々、猶うたひしを、らねがつぼねむかへりしかば云々、(四紙右)云、資賢やかねなどがうたをきゝとりて云々、
若御前
続古事談上巻(五十一紙右)云、其時白拍子ノ会アリケリ、若千歳ニゾアリケル、糸竹口伝(十五紙右)云、若御前ノ流ト云箏弾、世間ニアリ、彼人ハ按察大納言宗俊ガ孫也、京極大臣宗輔公女、鳥羽院御時、男子ノ装束ヲシテ具シマキラレタリケルニ、若御前ト云名ヲタビテケリ、名誉ノ箏弾ナリ、祖父、曾祖父マデ箏ノ家ナリ、箏ノ少将ノ局ト云人ノ弟子也、彼若御前ノ流ヲバ、三位実俊ツタヘラレタリ、其子中将公世卿、御賀ノ時スゝミ申サレシカドモ、御承引ナカリキ、今ハ絶タルニヤ、中ニモ妙音院大臣箏ニ名ヲ得給ヘリ、委ハ系図ニミエタリ、平家物語妓王が条に出す、合せみるべし、
梁塵秘抄口伝集(八紙右)云、あこまろが母は大進の姉にて、和歌と申候ひし也云々、
延寿
平治物語巻一(廿二紙云)云、みのゝ国あをはかにつき給ふ、かの長者大炊がむすめえんじゆ、
和名抄大須本抜云、建長八年二月、延命、延寿、石熊等、利銭日記同年四月、白拍子玉王注進云々、
梁塵秘抄口伝集(三紙左)おとまへがやう、あこまろがには、ことの外にかはりたれ、延寿がは、あこまろがあなじさまなれど云々、
延命
前条に出、
石熊
前におなじ、
大玉王
前条に見えたる玉王は、大玉王の大の字落たるなり、古今著聞集第廿(卅四紙左)云、白拍子ふとだまわうが家にある女に、ある僧かよひけるを、本妻あさましく物ねたみのものにて、いかにせんとねたみけれども、猶用ひず通ひけるほどに云々、建長六年二月二日の夜、又此僧かの女に合宿したるに云々、
妓王
平家物語巻一(十二紙右)云、其頃京中に聞えたる白拍子の上手、ごわう、ぎ女とておとゝひ有、とぢといふ白拍子が娘也、しかるに、あねのぎわうを入道相国ちようあひし給ひしうへ、いもうとのぎ女をも、世の人もてなす事なのめならず、母とぢにもよき屋つくりてとらせ、毎月に百石百貫、たのしひ事なのめならず、抑我朝に白拍子のはじまりける事は、昔鳥羽院の御宇に、島の千ざい、わかの前、かれら二人が舞出したりける也、始は水かんに立ゑぼし、白さや巻をさひて舞ひければ、男舞とぞ申ける、しかるを、中ごろより、ゑぼし、刀をのぞかれ、水干ばかり用ひたり、扨こそ白拍子とは名付けれ、京中の白拍子、ぎわうが事のめでたきやうを聞て、うらやむ者も有、猜者も有、うらやむ者は、あなめでたのぎわう御前のさいはひや、おなじいう女とならば、誰もみなあのやうでこそありたけれ、いかさまにも、ぎといふ文字を名に付て、かきはめでたきやらん、いざや、我らもつひてみんとて、或はぎ一、ぎ二とつき、或はぎふく、ぎとくなど付しも有けり云々、(此間の事は今様の部に出す、依て略す、同十六紙右)云、さてしも有べき事ならねば、ぎわう今はかうとて出けるが、なからん跡の忘れがたみにもとや思ひけん、しやうじになく/\一首の歌をぞかきつけゝる、もえ出るもかるゝもおなじ野辺の草いづれか秋にあはではつべき、(中略、前におなじ)かくて都にあるならば、又もうきめをみんずらん、今はたゞ都の外へ出んとて、ぎわう廿一にて尼になり、さがのおくなる山里に、柴の廬を引結び、念仏してぞゐたりける、いもうとのぎ女是を聞て、あね身をなげば、我も共に身をなげんとこそ契りしが、ましてさやうに世をいとはんに、誰かおとるべきとて、十九にてさまをかへ、姉と一所にこもりゐて、偏に後世をぞねがひける、母とぢ是を聞て、わかき娘共だにさまをかふる世の中に、年おひ、よはひおとろへたる母、しらがを付ても何にかはせんとて、四十五にてかみをそり、二人の娘もろともに、一向せんじゅに念仏して、後世をねがふぞあはれなる、(中略、同廿一紙左)云、されば、かの後白河のほうわうの長がうだうのくわこちやうも、ぎわう、ぎ女、とぢらがそんりやうと、四人一所に入られたり、
妓女
前条に出、
とぢ
前条に出、
仏
平家物語巻一(十二紙左)云、かくて三年といふに、白拍子の上手一人出来たり、かゞの国の者なり、名をば仏とぞ申ける、年十六とぞ聞えし云々、(二十一紙右)に、仏が尼に成る事、年十七と有、委しくは今様の巻、またぎわうが条と引合て見べし、
侍従
平家物語巻十(十六紙右)云、池田の宿にも着給ひぬ、かのしゆく長者ゆやがむすめ、じゝうがもとに、其夜は三位(重衡)しゆくせられけり、じゝう三位の中将殿を見奉て、日頃はつてにだに思召より給はぬ人の、けふはかゝる処へ入らせ給ふ事のふしぎさよとて、一首の歌を奉る、旅の空はにふのこやのいぶせきにふる里いかに恋しかるらん、中将の返事に、ふるさとも恋しくもなし旅の空都もつひのすみかならねば、やゝ有て、中将かぢ原をめして、さても、只今の歌のぬしはいかなる者ぞ、やさしうも仕つたるものかな、とのたまへば、かげときかしこまつて申けるは、君はいまだしろしめされ候はずや、あれこそ八島の大臣殿(宗盛)の、いまだ当国の守にてわたらせ給ひし時、めされ参らせて御さいあひ候ひしに、老母をこれにとゞめおきつれば、いとま申しゝかども、たまはらざりければ、頃はやよひのはじめにてもや候けん、いかにせん都の春はをしけれどなれしあづまの花やちるらん、といふ名歌つかまつり、いとまたまはつてまかりくだり候ひし、海道一の名人にて候、とぞ申ける、
千手
平家物語巻十(十八紙左)云、年のよはひ二十ばかりなる女房の、色しろうきよげにて、かみのかゝり誠にうつくしきが、めゆひのかたびらにそめつけの細まきして、ゆどのゝとをさしあけて参りたり、其あとに、十四五ばかりなるめのわらはめ、かみはあこめだけなりけるが、こむらごのかたびらきて、はんざふたらいにくし入て、持て参りたり云々、(十八紙右)云、中将しゆごのぶしにの給ひけるは、さても、只今の女房はいうなりつる物哉、名をば何といふやらん、ととひ給へば、かのゝすけ申けるは、あれは手ごしの長者がむすめで候が、みめかたち、心ざま、いうにわりなき者とて、此二三年は、佐殿にめしおかれて、名をばせんじゅのまへと申候、とぞ申ける、其ゆふべ、雨すこしふつて、よろづものさびしげなる折ふし、件の女ぼう、びは、こと持て参りたり、かのゝすけも家の子らうどう十よ人引具して、中将殿の御まへちかふ候けるが、酒をすゝめ奉る、千じゅのまへしやくをとる、中将すこしうけて、いとけうなげにておはしければ、かのゝ介申けるは、かつきこしめされてもや候らん、むねもちは本より伊豆の国の者にて候へば、かまくらにてはたびにて候へども、心のおよばん程は奉公仕候べし、何事も思召事あらば、承つて申せ、と兵衛佐殿おほせ候、それ何事にても申て、酒をすゝめ奉り給へ、といひければ、情なき事をきふにねたむ、といふらうゑいを、一両度返したりければ、三位の中将、此朗詠をせん人をば、北野の天神、まい日三度かゝつて守らん、とちかはせ給ふとなり、されども、しげひらは、今生にてははや捨られ奉つたる身なれば、じよゐんしても何かせん、但ざいしやうかるみぬべき事ならば、したがふべし、とのたまへば、千じゅのまへ、やがて、十あくといふとも、猶ゐんぜうす、といふらうえいをして、極楽ねがはん人は皆、みだの名がうをとなふべし、といふ今やうを、四五返うたひすましたりければ、其時、中将さかづきをかたぶけらる、千じゅのまへ給はつて、かののすけにさす、むねもちがのむときに、ことをぞ引すましたる、三位中将、ふつうには此がくを五常らくといへども、今しげひらがためには、後生らくとこそくはんずべけれ、やがてわうじやうのきうをひかん、とたはぶれ、びはをとり、てんじゆをねぢて、皇じやうのきうをぞ引れける、かくて夜もやう/\ふけ、よろづ心のすむまゝに、あな思はずや、あづまにもかゝるいうなる人の有けるよ、それ何事にても今一こゑ、とのたまへば、千じゅのまへかさねて、一じゅのかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶも、皆これぜんぜのちぎり、といふしらびやうしを、誠におもしろふかぞへたりければ云々、(二十一紙右)云、其後中将南都へわたされて、きられ給ひぬと聞えしかば、千じゅのまへは中々おもひのたねとや成にけん、やがてさまをかへ、こきすみぞめにやつれはてゝ、しなのゝ国ぜんこうじに行ひすまして、かの後世ぼだいをとぶらひけるこそあはれなれ、
横笛
平家物語巻十(二十一紙左)云、高野に年頃しり給へるひじり有、三条の斎藤左衛門もちよりが子に、斎藤たき□時よりとて、本は小松殿の侍たりしが、十三の年本所へ参りたりければ、建礼門院のざうしよこぶえといふ女あり、滝口是にさいあひす云々、(二十一紙右)云、うき世をいとひ、誠の道に入なんとて、十九のとし、もとゞりを切て、さがのわうじやういんにおこなひすましていたりける、よこぶえ、此よしをつたへ聞て、我をこそすてめ、さまをかへん事のうらめしさよ、たとひ世をそむくとも、などかかくとしらせざらん、人こそ心つよくとも、たづねてうらみん、と思ひつゝ、ある暮がたに都を出て、さがのかたへぞあくがれける云々、(二十二紙左)住あらしたる僧坊に、念じゆしけるを、滝口入道が声ときゝすまして、御さまのかはりておはすらんをも、みもし、見え参らせんがために、わらはこそ是まで参て侍へ、と具したる女にいはせければ、滝口入道むねうちさはぎ、あさましさに、しやうじのひまよりのぞきて見れば、すそはつゆ、袖はなみだに打しほれつゝ、すこしおもやせたるかほばせ、誠にたづねかねたる有さま、大道心者も心とわう成ぬべし、滝口入道を出して、まつたく是にはさる人なし、もし門たがひにてもや候らん、といはせければ、よこ笛なさけなううらめしけれども、力およばず、なみだをおさへてかへりけり、其後、滝口入道、同宿の僧に語りけるは、是も世にしづかにて、念仏のせうげは候はねども、あかず別し女に、此すまひを見えて候へば、たとひ一度は心づよくとも、またもしたふ事あらば、心もはたらき候なんず、いとま申とて、さがをば出て高野へ上り、しやう/\〃しんゐんにおこなひすましてぞいたりける、よこ笛もさまをかへぬるよし聞えしかば、滝口入道一首の歌をぞおくりける、そるまではうらみしかども梓弓まことの道に入ぞうれしき、よこぶえが返事に、そるとても何かうらみん梓弓引とゞむべき心ならねば、其後よこ笛はならの法花寺に有けるが、其思のつもりにや、いく程なくて、つひにはかなくなりにけり云々、
静
平家物語巻之第十二(二十五紙左)云、判官はいそのぜんじといふ白びやうしがむすめ、しづかといふ女をちようあいせられけり云々、義経記巻四義経都落の条(二十五紙右)云、其ころ、世にもてなしけるいそのぜんじが娘に、しづかといふ白拍子を、かりしやうぞくきせてぞ召上せられける云々、(二十八紙左)云、其外しづかなどをはじめとして、白拍子五人、惣じて十一人、ひとつ船にぞのり給へる、同書の第五よしの山の条(一紙左)云、判官聞給ひ、くるしき事にぞおぼしめしける、しづかゞ名残すてがたく、(中略、三紙左)、判官びんのかゞみを取出して、是こそ朝夕にかほをうつしつれ、見ん度ごとに義経をみると思て見給へとて、たびにけり、是賜はりて、今なき人の様に、むねにあてゝぞこがれける、泪のひまより、かくぞ詠じける、見るとてもうれしくもなしますかゞみ恋しき人のかげをとめねば、とよみたれば、判官枕をとり出して、身をはなさで是をみ給へとて、かくなん、いそげども行もやられず草枕しづかになれし心ならひに、それのみならず、財宝を其数とり出してたびけり、其中に、ことに秘蔵せられたりける、したんのどうにひつじの革もてはりたりけるたくぼくのしらべの鼓を給はりて、仰られけるは、此つゞみは義経秘蔵して持つるなり、白河院の御時、法住寺の長老の入唐の時、二ツの重宝をわたされけり、めいぎよくといふびは、初音といふつゞみ是なり云々、(四紙左)しづかよし野山に捨らるゝ条云、供したる者ども、判官のたびたる財宝をとりて、かきけすやうにうせにける、しづかは日くるゝにしたがひて、今や/\と待けれども、帰りてこと問ふ人もなし、せめておもひのあまりに、なく/\枯木のもとを立出て、あしにまかせてまよひける云々、(中略、五紙左)云、ある御堂のかたはらに、しばらく休、これはいづくぞ、と人にとひければ、よしのゝみたけ、とぞ申ける、しづかうれしさかぎりなし、月日こそおほけれ、けふは十七日、この御えん日ぞかし、たうとくおもひければ、道者にまぎれ、御正面に近づきて、拝み参らせければ、内陣、外陣の貴賤、中々数をしらず、大しゆの所作の間は、くるしみのあまりにきぬ引かづき、ふしたりけり、つとめも果しかば、しづかもおきゐて、ねんじゆしてぞ居たりける、げいにしたがひて、思ひ/\のなれこまひする中にも、おもしろかりし事は、あふみの国より参りけるさるがく、いせの国より参けるしらびやうしども、一ばんまふてぞ人にける、しづか是をみて、あはれ、我も打とけたりせば、たんせいをはこばざらん、ねがはくは、権現の此度安穏に都に返し給へ、又あかで別し判官に、ことゆゑなく、今一たび引あはせ給へ、さもあらば、母のぜんじとわざと参らん、とぞ祈り申ける、道者皆下向して候、しづか正面に参りて、念珠して居たりける所に、わか大しゆ申けるは、あらうつくしの女の姿や、たゞ人ともおぼえず、いかなる人にておはすらん、あのやうの人の中にこそ、おもしろき事もあれ、いざやすゝめて見んとて、正面に近付しに、そけんの衣をきたる老僧の、はんしやうぞくの珠数もちて立しが、あはれ権現の御前にて、なに事にても御入候へ、御ほうらく候へかし、とありしかば、(中略、七紙右)ものはおほくならひしたりけれども、別して白拍子の上手にて有ければ、おんぎょく、もじうつり、心もことばもおよばず、聞人泪をながし、袖をしぼらぬはなかりけり、つひにかくぞうたひける、(白拍子のうたひもの、今様の部に出、略レ之、七紙左)云、一とせ、都に百日の日でりありしに、院の御幸ありて、百人の白拍子の中にも、しづかゞ舞たりしこそ、三日のこうずひながれたり、扨こそ日本一といふせんじを下されたりしか云々、(八紙右)云、修行の坊にとりいれて、やう/\いたはり、その日は一日とゞめて、あけゝれば、馬にのせて人をつけ、北白川へぞおくりける、是はしゆとの情とぞ申ける、巻之第六(二十二紙右)しづかかまくらへ下る条に云、大夫判官四国へおもむきたまひし時、六人の女房達、白拍子五人、惣じて十一人の中に、ことに御心ざしふかゝりしは、北白川のしづかと云白拍子、よし野のおくまで具せられたりける、都へかへされて、母のぜんじが許にぞ候ける、判官殿の御子を妊じて、近き程に産をすべきにてありしを、六はらに此事聞えて云々、(中略、二十三紙右)云、一たんのかなしみのがれんために、ほつしやうじなる所にかくれ居たりしを尋出して、母のぜんじもろともにぐそくして、六原に行、ほりの藤次請取て下らんとしける、磯のぜんじが心の中こそむざんなれ、まのあたりうき目を見んずらん、とかなし、又とゞまらんとすれば、たゞひとりさしはなつて、はる/\〃と下さん事もいたはしく云々、(二十余四紙右)鎌倉殿仰られけるは、殿上人には見せ奉らずして、など九郎には見せけるぞ、其上、天下の敵になり参らせたる者にて有に、と仰せられければ、前司申けるは、しづか十五の年までは、おほくの人々おほせられしかども、なびく心もさふらはざりしかども、院の御かうにめしぐせられ参らせ、神泉苑の池にて、雨の祈りの舞の時、判官に見えそめられ参らせて、堀川の御所にめされまゐらせしかば、たゞかりそめの御あそびのためとおもひ候しに、わりなき御心ざしにて、人々あまたわたらせ給ひしかども、ところ/\〃の御住居にてこそわたらせたまひしに、堀川殿に取おかれ参らせしかば、是こそ身にとりては面目、とおもひしに、今かゝるべしと、かねては夢にもいかでかしり候べきとて、さめ/\〃となきければ、御前の人々是を聞て、鎌倉殿の御前をもはゞからず、こしかたより今までのしづかゞ身を、おめずおくせず申たり/\とて、おのおのほめ玉ひけり云々、(二十六紙右)云、かくて月日もかさなれば、其月にも成にけり、しづかおもひのほかにけんらう地神もあはれみ給ひけるにや、いたむ事もなく、其心つくと聞て、藤次の妻が、ぜんじもろともにあつかひけり、ことさら御産も平安なり、少人なき給ふ声を聞て、ぜんじあまりのうれしさに、白ききぬにおしまきてみれば、祈るいのりはむなしくて、三神相応したるわかぎみにてぞおはしける云々、(二十八紙云)しづかわか宮八幡へ参詣の条、(三十三紙云)鎌倉殿やがて御参詣有りけり、しづか舞ぬると聞て、若宮には門前に市をなす云々、(三十四ン紙)云、左衛門のぜう、藤次が女房もろとも打つれて、廻廊にぞもうでたりける、ぜんじ、さいばら、そのこま、其日の役人なりければ、しづかとつれ、廻廊の舞台へのぼる、(中略)、しづかは神前にむかひて、ねんじゆしてぞ居たりける、先いそのぜんじ、めづらしからねども、法らくのためなれば、さいばらにつゞみうたせて、すきものゝせうしやと云白拍子を、かぞへてぞ舞たりける、心も詞もおよばれず、さしも聞えぬぜんじが舞だにも、これ程におもしろきに、ましてしづかゞ名にしおふたる舞なれば、さこそおもしろかるらめ、と申あひける云々、(三十七紙右)云、しづかゞ其日のせうぞくには、白きはかまふみしだき、わりびしぬひたるすいかんに、たけなる髪をたからかにゆひなして、此程のなげきにおもやせて、うすげせうまゆはそやかにつくりなし、みなくれなゐの扇をひらき、ほうでんにむかひてたちたり云々、(卅七紙左)しづか、其日は白拍子はおほくしりたれども、ことに心にそむものなれば、しんむじやうのきよくといふ白拍子の上手なれば、心もおよばぬこは色にて、はたとあげてぞうたひける、上下あとかんずる声、雲にひゞくばかりなり、(中略)、祐経、心なしとやおもひけん、すいかんの袖をはづして、せめをぞ打たりける、しづか君が代をうたひあげたりければ、人々是をきゝ、なさけなき祐経かな、今一折まはせよかし、とぞ申しける、せんずるところ、てきのまへのまひぞかし、おもふ事をうたはばやと思て、しづやしづしづのをだまきくりかへしむかしを今になすよしも哉、芳野山みねの白雲ふみ分て入にし人のあとぞ恋しき、とうたひければ云々、(三十八紙左)云、かゝるうき世にながらへても、なにかせんとやおもひけん、はゝにもしらせず、かみをきりてそりこぼし、てんりうじのふもとに草のいほを引むすび、ぜんじもろともにおこなひすましてぞ有ける、すがた、心、人にすぐれたり、をかしかるべきとしぞかし、十九にてさまをかへ、次の年の秋のくれには、おもひやむねにつもりけん、念仏申、往生をぞとげにける、きく人、てい女の心ざしをかんじけるとも聞へける、
いそのぜんじ
平家物語、義経記、前条に出、
玉寿
古今著聞集巻九武勇第十二(十一紙左)云、貞綱は酒に酔て、白拍子玉寿と合宿したりけり、思ひもよらぬに、寝所に打入たりければ、貞綱太刀をぬきて打はらひて、玉寿引立て、後園にしりぞきて、檜垣より隣へこして、我身もともに遁にけり云々、
金
古今著聞集巻之十(二十三紙右)云、近頃、近江国かいづに、金といふ遊女有けり、其頃のさたの者なり、法師の妻にて、年頃すみけるに、件の法師、又あらぬ君に心をうつしてかよひけるを、金もれ聞て、安からず思けり云々、此金大力なる事みへたり、
姫法師
諸門跡譜巻之中(六紙右)云、後鳥羽院愛女舞女姫法師、
虎
曾我物語巻之四(二十八紙左)大いそのとらおもひそむる事の条に、されば、しうぢやく身をはなれず、おんせいつきずして、大磯のちやうじやのむすめとらといひて、十七さいになりけるいうぐんを、すけなりとしごろ思ひそめて、ひそかに三とせぞかよひける、これやふるきことばに、うつし得たりやうひとうのゑくぼを、なしあらはせりにんみんあふきたるくちびるを、なんど思ひ出して、をり/\なさけをのこしける、同巻(二十五紙右)とらを具してそがへゆきし条云、かくて月日をおくりけるが、さだむるつまもつべからずとて、たゞとらがなさけばかりにひかれて、をり/\通ひける、たがひの心ざしの深き事は、ふつくんにもおとらず、千代よろずよとぞちぎりける、そも/\このとらと申は、ははは大磯のちやうじや、ちちは、一とせあづまにながされしふしみの大納言さねとものきやうにてぞましましける、なん女のならひ、りよしゆくのつれ/\〃、一夜のわすれがたみなり、されば、とらが心ざまじんじやうにして、わかの道に心をよせ、人丸、赤人のあとをたづね、なりひらのむかし、源氏、伊勢物語になさけをうつし云々、同巻(初紙右)十郎おほいそへゆきてたちぎゝの条云、此二三年なさけをかけてあさからぬとらに、いとまこはんとて云々、(二紙左)云、をりふし、とらがすみかには、とものいうくんあまたなみゑて、物がたりしける中に、とらが声とおぼしくて、たゞいまのぼる人々は、いづの国の誰人ぞ、聞給はずや、せんぢんはよこ山のとうまのぜう、とぞ申しける、とらききて、まことや、ぐしのことばに、みゝのたのしむときにはつゝしむべし、心のおこる時にはほしいまゝにすべからざれとは申せども、あはれ、げにこのとのばらの、うま、くら、よろひ、はらまきを、わらはにくれよかし、女ぼうたちきゝて、あはぬねがひもの、なにの御ようにや、といふ、すけなりにまゐらせ、おほふ事を、とばかりいひて、なみだをうかべけり云々、同巻(三紙右)わだのよし盛さかもりの事の条云、みやこの事はかぎりあり、ゐなかにては、きせ川のかめづる、てごしのせうしやう、大いそのとらとて、かいどう一のいうくんぞかし、一献すゝめてとほらばや、しかるべく候とて、かのちやうなのめならずによろこびて、とほさぶらひのちぎりをはらひ、よしもりこれへ、としやうじけり、とらにおとらぬ女ぼうども三十よ人いでたゝせ、ざしきへこそはいだしけれ、(中略)、されども、とらはざしきへ出ざりけり、よしもり心えずおもひて、この君たちもさる事なれども、とらごぜんのけんざんのためたり、などや見え給はぬ、(中略)、とらは又、十郎が心を見かねて、いかにや、むかしのふん女が事をみしり給はずや、さやうの事だにあるぞかし云々、同巻(十一紙右)あさひなとらがつぼねへむりにゆきし事の条云、さても、はゝはとらをせいしかね、何とてはゝにはしたがはざるや、とぞいひける、とらは猶も泪にむせび、ながれをたつる身ほどかなしき事はなし、つまの心をおもひしれば、はゝのめいにそむき、はゝにしたがへば、ときのきらにめづるに似たり、とにもかくにも、わがおもひみだれそめける黒髪の、あかぬなさけのかなしさよ云々、(中略)、十郎此あり様を見て、何かはくるしかるべき、一たんこそあれ、ざしきへいで給へかし、母のめいにそむきなば、みやうのせうらんもおそろし、と申ければ、とらは是にもしたがはず、たゞなくよりほかの事はなし云々、(下略)同巻(十四紙左)とらがさかづき十郎にさしぬる事の条(よしもりいかる事みへたり、文略レ之)同巻(十六紙左)五郎おほいそへゆきし事の条(五郎があにの後ろにある事をしりて、よしひで歌をうたひて、座を和らぐる事みへたり)同巻(十八紙左)あさひなと五郎ちからくらべの事の条云、あさひなさかづきとりあげ、三どほす、そのさかづきをとらのみて、よしもりにさす云々、同巻(二十紙左)そがにてとらが名残をしみし事の条(二十二紙左)云、こんどの御ともをさいごにさだめ、ふたゝびかへらじと思へば、別のみちすてがたくて、と申ければ、とらきゝもあへず、十郎がひざにかゝり、しばしは物もいはざりけれ、やゝありて、うらめしや、とはずばしらせじとおぼしめすかや、まことにわらはゝ大いそのいうくん、あさましきものゝ子なれば云々、(中略)、十郎がひざのうへも、とらが泪にうくばかり、袖もしぼりぞ兼たりける云々、(中略)、是をかたみにとて、すけなりにそふとおぼしめせとて、びんのかみをきりてとらせぬ、とらは泪もろともにうけとり、はだのまぼりにふかくをさめ、ものをもいはず、ふししづみぬ云々、(中略)、今をかぎりの別なり、のちの世までのかたみとて、十郎きたりけるめゆひのこそでに、とらがこうばいいろのこそでにきかへて、心のあらばうつり香よ、しばしのこりてうきわかれ、なぐさむほどもおもかげの、きかへしきぬにとまれかし云々、同巻(二十七紙右)山びこ山にての事の条(そがとなかむらのさかひ山びこ山まで、とら御前の十郎をおくりし事也)同巻第十(十六紙右)云、あにの十郎は、やはんに打死し給ひぬ、おとゝの五郎どのは、あかつきにおよびいけどられ給ひき、此人のふるまひは、てんまきじんのあれたるにや、かゝるおびたゞしき事を、大いそのとら御前のいもうときせ川のかめづる御ぜんより、大いそへつげさせ給ふ御つかひなりとて、はしりとほりけり、同巻第十一(初紙右)とらがそがへ来りし事の条云、あま一人、こき墨染の衣におなじいろのけさをかけて、あしげなる馬にかいくらおきてのりし人出きたる、何ものぞとみれば、十郎がつねにかよひし大いそのとらなり云々、(文長ければ略す)同巻(六紙左)はゝはとらをぐしてはこねへ登りし事の条(十八紙右)云、又大いそのきやくじんの御心ざしこそ、世にすぐれては候へ、かまへて/\、おこたらずとぶらひ給へ、とおほせられければ、とらもなみだをおさへて、仏事とうけたまはりし事、ゑしんはつぐわんのぎなりければ、あかぬ別れのみち、いつかはおこりたり候はんと云々、同巻第十二(初紙右)とらはこねにていとまごひして行わかれし事の条に云、さる程に、大いそのとらは、十郎すけなり打死して後、いかなるふちかはにも入ばや、と思ひけれども、なき人のぼだいのためにもなるまじければ、ひとへにうきよをそむき、かの人のごせをとぶらはん、と思ひたち、けさ、衣などとゝのへて、はこね山にのぼり、百ケ日の仏事のをりふしに、なく/\ひすいのかざりをそりおとし、五かひをたもちけり云々、(中略)、とら御ぜんに申されけるは、そがへいざなひ、十郎がかたみに見まゐらせ候はん、といはれければ、とら、もつとも御とも申、たがひのかたみに見えまゐらせたく候へども、大磯にてのついぜん、又はぜんくわうじへの心ざし候、げこうにこそまゐり候はめ、とて行別れけり、同巻(二紙左)出のやかたのあと見し事の条云、かくてとら心に思けるは、此ついでに、十郎のむなしくなりしふじのすそ野、出の屋かたの跡を心ざして、はこねの山をうしろになして行程に云々、(中略)、つかのほとりにてねんぶつし、くわこいうれい、じうぶつとくだつ、とゑかうすれば、十郎のこんれいも、いかばかりうれしとおぼすらん、と思ひやられてあはれなり、とらなみだのひまより、かくぞつらねたまひける、露とのみきえにしあとをきてみれば尾花が末に秋風ぞふく、うき世ぞと思ひそめにしすみごろも今また露や何とおくらん云々、同巻(六紙右)手ごしの少将にあひしことの条云、さても、とらはあるこいへにたちより、あるじのをんなをかたらひて、せうしやう御ぜんをよび出して、たび人の、これにてそと申べき事の候、と申給へといひければ、やすき事とてよび出しけり、少将はとらがかはれるすがたを見て、いひ出すべきことばもなくて、たゞなみだをぞながしける、とらなく/\申けるは、かのすけなりにあひなれて、すでに三年になりさふらふ、しゆくゑんふかきゆゑにや、又よの人をみんとおもはざりつるなり、此人うせ給ひぬるとききしときは、おなじこけのしたにうづもればや、と思ひしかども、つれなきいのちながらへて候ぞや、されば、世をわたるあそびものゝならひは、心にまかせぬ事もさふらふべし、と思ひて、百ケ日のぶつじのついでに、はこねにてかみをおろし云々、同巻(八紙左)とらと少将はふねんにあひたてまつりし事の条云、さる程に、二人はうちつれだち、あさ衣、かみのふすまをかたにかけて、諸国をしゆ行し、しなのゝ国ぜんくわうじに、一両年のほど、たねんをまじへずしてねんぶつ申、くわこしやうりやう、とんせうぼだい、といのり、又みやこにのぼり、はふねん上人にあひたてまつり、ねんぶつの法だんをくわしくちやうもんし、いやましにねんぶつしゆぎやうすゝみけるこそ、ありがたけれ、同巻(九紙右)とら大いそにとぢこもりし事の条(かうらいじの山のおくの廬に、少将もろとも住し事也)同巻(九紙左)母と二の宮のあね大いそへたづね行しことの条(十一紙右)とら出あひよび入し事の条(十四紙右)云、とらなみだをとゞめて申しけるは云々、(中略)、あのあまごぜんはわがあねにてまし/\候、みづからをうらやみて、おなじくともにさまをかへ、ひとついほりにとぢこもり云々、
少将
前条にみえたり、猶、曾我物語巻八(二十七紙左)すけつねがやかたへゆきし事の条云、すけなりすこしもはゞからず、やかたのうちへいり、見たまへば、てごしのせうやうはさゑもんのぜうが君とみえたり、ちやくしいぬばうにしやくとらせ、さかもりしけるをりふしなり云々、同巻(二十四紙左)やかたのしだい五郎にかたる事の条(三十七紙右)云、びぜんのくにのぢう、きびつみやのわうとうない、手ごしのせうしやう、きせがはのかめづるを並べおきて、さかもりなかばなりしに云々、同巻第九(十八紙右)すけつねうちし事の条(十九紙右)云、あたりをみれば、人もなし、さゑもんのぜうはてごしのせうしやうとふしたり、わうとうないは、たゝみすこしひきのけて、かめづるとこそふしたりけれ云々、同巻第十二(七紙左)少将しゆつけの事の条云、かくてせうしやうは、とらがかはれるすがたを見て、まことにうらやましく、なれるすがたかな、だうりかな、ことわりかな云々、(中略、八紙左)云、御身は十郎どのぜんちしきとして、うき世をそむき給ふ、われは又、御身のすがたをぜんちしきとして、ころもをすみにそめんとおもひ候とて、やがてひすいのかみをそりおとし、花のたもとをぬぎかへて、こきすみぞめにあらためつつ、年廿七と申に、するがの国手ごしの宿を出立けり云々、同巻(十五紙左)せうしやうほうもんの事の条云、かくて、はゝも、二の宮も、ぶつだうのおもむき、くはしくきかまほしく候へ、と申ければ、とらはせうしやうのかたを見やり、すこしうちわらひ、あねごはねんぶつのほうもんどもしらせ給ひて候へ、申てきかせまゐらせ給へ、と申ければ、わらはもくはしき事はしりまゐらせず候、一とせみやこにて、ほうねん上人おほせられしは云々、(法文略レ之、少将のとらのあねなる事、前にもみえたり)
亀鶴
虎が条、少将が条に出たり、又からいとぞうし下(十二紙左)云、二番は、きせ川のかめづる、しぼりはぎをうたふたり云々、(歌は今様の部に出)
とねくろ
梁塵秘抄口伝集云、あそびとねくろが、いくさにあひて、臨終のきざめに、いまは西方極楽の、とうたひて往生し云々、
ぼたん
からいとざうし下(八紙右)云、五番は、むさしの国いるまがはのぼたんといひししらびやうし、是をはじめて十一人なり云々、(十二紙左)云、四ばんは、いるまがはのぼたん、すゞりわりをうたふたり云々、
千代
前太平記巻之第九(十四紙左)云、爰ニ松崎ノ千代ト云シ遊君ハ、九州第一ノ美女ニテ、無双ノ舞姫ナリケルヲ云々、(松崎ハ筑前也)
白菊
北条時頼記巻之第六(九紙左)云、円が谷に白菊といふ白拍子有云々、
力寿
源平盛衰記巻第七(二十紙右)近江石塔寺事条云、大江定基、三河守ニ任ジテ、赤坂ノ遊君力寿ニ別テ、道心出家シテ大唐国ニ渡云々、
亀菊
婦人養草巻之第一(二十五紙右)云、承久三年、武家天気にそむく事は、其時の舞女、亀菊といふものゝ申状に依て也、其ゆゑは、後鳥羽院より、亀菊が訴訟を、鎌倉へ両度までおほせらるれども、義時同心せざるがゆゑに、御気色あしく成て、承久の乱おこれり、承久兵乱記云、摂津国長江、倉橋の両荘は、院中に近う召つかはれける白拍子、亀菊に給ひたりけるを云々、
八幡愚童訓下(二十四紙左)云、承久兵乱為御祈祷御幸アリき云々、(二十六紙左)二位殿、亀菊御前理不尽ニ内奏シ、光親、宗行中納言ノ御気色、近習尊長、尊範ガ梟悪被レ勧、西面下朧メラガ力ヲ憑セ給テ、無益ノ合戦ヲ思食立テ、只一日ノ聞ニ、天下ハ暗ト成ハテヌ、(中略)、傾城トハ城ヲ傾クト書、依レ有先蹤也、亀菊御前ニ過タル傾城コソ無リケレ、
文殊御前
婦人養草巻之第三(二十三紙右)云、竹岡の尼といはれしは、もとは室といふ所の流婦なり、中納言源顕基ふかく愛せられけるが、後にはすてられて、京より室へかへり、尼になり、竹岡といふ所に、後世をつとめて有ける、ある時、中納言の御内のもの、西国より京へかへるとて、路にて此尼にあへりければ、陸奥紙に我黒髪をつつみ、一首の歌をよみて、中納言の従者ののる舟のうちへ投入しなり、つきもせぬうきをみるめのかなしさにあまとなりても袖ぞかはかぬ、此歌を中納言見たまひて、くやみ、あはれがり給ふとなり、
桜木
尾花集巻之第二(二十紙左)云、題しらず、遊女桜木、ものおもふとながむる空のしぐるゝは身をしる雨のふるにぞ有ける、
雲井
尾花集巻之第五(八紙左)云、八月十五夜、たのめける人のまからざりければ、遊女雲井(江戸)、もろともにみてこそ月は月ならめ何中空にあくるがるゝ身や、
音羽
尾花集巻之第五(八紙右)云、人のもとより、おとにきく音羽の滝のいとはやもみなれぬ袖になみのかくらん、とよみて、つてにおこせける返しに、遊女音羽(江戸)、よる瀬なき袖のしら波数ならぬ音羽の滝の音もはづかし、
浅尾
渚の松巻之第五(二紙右)云、八月十五夜、たのめける人のとはざりければ、遊女浅尾(越後柏崎)もろともにみてこそ月も月ならめ空だのめにもふけ行はうし、
刈藻
渚の松巻之第十二(四紙左)云、身をなげきてよめる、遊女刈藻(越後柏崎)河竹のよそにながれの名は立て枕さだめぬうきねにぞなく、
栄花物語三十一殿上花見巻(十四紙左)上東門院住吉石清水詣の条にいはく、えぐちといふ所になりて、あそびどもかさに月を出し、らでん、まき絵さま/\〃に、おとらじ、まけじとしてまゐりたり、こゑども、あしべ打よする浪の声も、江ぐちのいふべきかたなくこそ見えしか云々、(十六紙左)云、二日、あまの河といふ所にとまらせ給ひて、あそびどもめして、物どもたまはす、人々みな物ぬぎなどす、同三十八松のしづえの巻(十七紙左)後三条院住吉詣の条に云、二十二日のたつのときばかりに、御船いだしてくだらせ給ふ程に、江口のあそび、ふたふねばかりまゐり、禄などをぞ給せける、
更科日記(九紙右)云、足がら山といふは、四五日かねて、おそろしげにくらがりわたれり、やう/\入たつふもとの程だに、空のけしきはか/\〃しくもみえず、えもいはずしげりわたりて、いとおそろしげなり、麓にやどりたるに、月もなくくらき夜の、やみにまどふやうなるに、あそび三人、いづくともなく出来たり、五十ばかりなるひとり、二十ばかりなる、十四五なると有、いほのまへに、からかさをさゝせてすゑたり、をのこども火をともしてみれば、むかし、こはたといひけんがまごといふ、髪いとながく、ひたひいとよくかゝりて、色しろく、きたなげなくて、さても、ありぬべき下づかへなどにてもありぬべし、など人々哀がるに、声すべて似るものもなく、空に澄のぼりて、めでたく歌をうたふ、人々いみじう哀がりて、けぢかくて人々もてけうずるに、にしぐにのあそびは、えかゝらじ、などいふをきゝて、難波わたりにくらぶれば、とめでたくうたひたり、みるめのきたなげなき、声さへにる物なくうたひて、さばかりおそろしげなる山中にたちて行を、人々あかず思て、皆なくを、おさなき心地には、まして此宿りをたゝん事さへあかず覚ゆ云々、同記(十四紙右)云、美濃国なるさかひに、すのまたといふ渡りして、野上といふ所につきぬ、そこにあそびども出で来て、夜一夜うたうたふに、あしがらなりしおもひ出られて、哀に恋しき事かぎりなし云々、
江次第巻第十五(二十二紙右)八十島祭条(三十四紙右)云、次中宮御料、次東宮御料宮主著膝突西面、捧御麻修レ禊、了以祭物投レ海、次帰レ京、於江口遊女参入、纒頭例禄如レ恒云々、
明日香井和歌集下(五十五紙右)吾妻へ下るとて、あをはかの宿にて、あそびて侍ける傀儡のぼるとてたづねければ、身まかりけるよし申をきゝて、たづねばやいづれの草の下ならん名はおほかたのあをはかの里、
藤原光経集(五十五紙左)云、貞応二年十月二十六日、津の国をばやしといふ所に、湯あみんとてまかりて侍りしほど、なれあそびし遊女に、十一月九日、小屋野より別るとて、旅人のゆきゝの契り結ぶともわするな我を我も忘れじ、
古事談巻之第三に云、書写上人可レ奉レ見生身普賢之由祈請給、有夢告云、欲レ奉レ見生身普賢者可レ見神崎遊女之長者云々、仍乍レ悦行向神崎相尋長者之家之処、只今自レ京上日之輩群来、遊宴乱舞之間也、長者居横座、執レ鼓弾拍子之上句、其詞云、周防ムロツミノ中ナルミタライニ、風ハフカネドモサゝラナミタツ云々、其時聖人成奇異之思、眠而合掌之時、件長者応現普賢之貌、乗六牙白象、出眉間之光照道俗之人、以微妙之音声説曰、実無漏之大海ニ五塵六欲之風ハ不レ吹トモ、隋縁真如ノ波タゝヌトキナシト云々、其時聖人信仰恭敬シテ拭感涙、開レ自之時ハ又如レ元為女人之顔、弾周防室積船、閉レ眼之時ハ又現菩薩形演法文、如レ此数ケ度敬礼之後、聖人乍涕泣退帰、于レ時件長者俄起レ坐、自間道追来聖人之許示云、不レ可レ及口外ト、謂了即逝去、于レ時異香満レ空云々、長者俄頓滅ノ間、遊宴醒レ興云々、(此語西行撰集抄五の巻十九のひだりにもみえたり)
今昔物語集旧本巻之第十三定法寺別当之条(八十八紙右)云、遊女、傀儡等ノ歌ヲ招テ、詠ヒ遊ブヲ常ニ業トス云々、同巻之十九(四十八紙左)云、仏事ヲバ不レ営リケリ、常ニ、遊女、傀儡ヲ集テ、歌ヒ嘲ケルヲ役トス云々、
平家物語巻の第五(三十八紙云)富士川合戦の条云、其辺近き宿により、ゆう君、ゆう女どもめしあつめ、あそび、さかもりしけるが、あるひはかしらわられ、或はこしふみをられて云々、同巻之第六(十八紙右)云、今年正月十五日、備後のともへおしわたり、遊君、遊女共召あつめて、あそびたはぶれ、酒もりしける処へ云々、同巻之第十(四十紙左)云、三河守範頼、やがてつゞいてせめ給はゞ、平家はたやすうほろぶべかりしに、むろ、たかさごにやすらひ、遊君、ゆう女どもめしあつめ、あそびたはぶれてのみ月日をおくり給ひけり云々、
増鏡巻之第一(二十六紙左)云、とほつあふみの国はしもとの宿につきたるに、れいのゆう女、おほくえもいはずさうぞきてまゐれり、頼朝うちほゝゑみて、はしもとの君に何をかわたすべき、といへば、かぢはら平三景時といふぶし、とりあへず、たゞそまやまのくれであらばや、いとあいだちなしや、馬くら、こんくゝり物などはこび出てひけば、よろこびさわぐ事かぎりなし、同巻之第六(二十二紙左)云、鵜舟御らんじ、白拍子御船にめし入て、歌うたはせなどせさせ給ふ云々、
曾我物語巻之第五(二十二紙左)五郎をんなになさけかけし事の条(二十三紙右)云、ときむねも、けはひざかのふもとに、しりたるものゝ候、五日、十日をへてゆく道にても候はず、このたびいでなんのちは、又あひみん事もかたし、明日まゐり、あひ申さん、とてうちわかれけり云々、(かぢはらげんだざゑもんとあらそひの事、略レ之、三十四紙左)云、そも/\此ゐしゆをたづぬるに、けはひざかのふもとにゆうくんあり、ときむねなさけをかけ、あさからずおもひしに、ひくてあまたの事なれば、かぢはらがはまいでして、かへりざまに、この女のもとにうちよりて、夜とともにあそびけり、あかつきかへるとて、いかゞしたりけん、こしのかたなをわすれいでけるを、女のもとより、かたなをつかはしけるとて、いそぐとてさせるかたなをわするとはおこしものとや人のみるらん、かげすゑむまにのりながら、ゆんでのあぶみをいまだふみもなほさず、返歌をぞしける、かたみとておきてこしものそのまゝにかへすのみこそさすがなりけれ、そのころ、げんだざゑもんは、歌道には、ていか、かりうなりともおもひしなり、さても此うたのおもしろさよ、と思ひそめて、かげすゑかよひなれけり、よその事わざなどたはれければ、女ひきこもり、五郎一人にもかぎらず、しゆつしをとゞめけり、これをしらで、五郎、かのもとにゆき、たづねけれども、あはざりけり、なにによりけるにや、あやふくとものゆうくんにとひければ、かぢはらげんだどのゝとりておかれ、よのかたへはおもひもよらず、といひければ、五郎きゝて、ながれをたつるあそびものをたのむべきにはあらねども、世にある身ならば、げんだには思ひかへられじ、と身一ツのやうにおもひける、ひんはしよどうのさまたげとは、おもしろかりけることばかな、人をも世をもうらむべからず、とて此うたをよみて出きぬ、あふとみるゆめぢにとまるやどもがなつらきことばにまたもかへらん、とかきて、ひきむすびておきたりけり、五郎かへりてのち、此女出てみれば、むすびたるふみあり、とりあげてみれば、日ごろなれにし五郎がしゆせきなり、このうたをつく/\〃見て、文をかほにあて、さめざめとなきつゝ、とものゆうくんに、これ御らんぜよや、人々、はぢともしらで、はづかしや云々、同巻(二十九紙右)五郎がなさけかけし女しゆつけの事の条云、さるほどに、みな人よくきゝ給へ、ていじよりやうふにまみえずとは、まへにいひつる女の事也、いかなるていじよか、二人の夫に見え、いかなる身にてか、ひく手あまたにむまれつらん、さらぬだに、われらふぜいのものは、よくしんにぢうする、といひならはせり、おのれをしるものゝために、かたちをつくろふ、ともんぜんのことばなるをや、われ又かひ/\〃しくなければ、かげすゑがまことのさいじよになるべき身にてもなし、らいせこそつひのすみかなれ、そのうへ、ほとけもなふじゆし、じひをたれたまふ、されば、花になく鶯、水にすむかはづだにも、うたをばよむぞかし、いはんや、人としていかでか是をはぢざるべき、とて此うたをよみける、かずならぬ心の山のたかければおくのふかきをたづねこそいれ、すつる身になほおもひでとなるものはとふにとはれぬなさけなりけり云々、(中略)、しかるべきぜんちしきをたづねて、しやうねん十六さいと申に、しゆつけして、しよこくをしゆぎやうして、のちには大いそのとらがすみかをたづね、ともにおこなひすまして、八十よにして、大わうじやうをとげにける、ありがたかりし心ざし、とぞきこえし云々、
(中央公論社刊『燕石十種』第一巻を底本としました。)