脚本・シナリオ以外の仕事

池田一朗全仕事

池田一朗の脚本以外の作品

ここでは、池田一朗の小説・シナリオ論・小文等の脚本以外の作品を紹介しております。

小説

花くれないの自由寮―吉田山の青春―」

友人による将校殴打事件など戦時における三高時代の青春物語

  • 『ああ黎明は近づけり』 高村暢児編 潮出版社 1969年 所収

池田一朗シナリオ論

anico13.gif自戒 ーあるサスペンスドラマのプロットー

池田一朗

 編集部の注文は『サスペンスドラマ作法』だという。途方もない注文である。そんなものが、こんな短かいスペースの中で書けるわけもないし、まして僕に出来るわけもない。だから、僕はここで、今、かかっている作品のことを、少しだけ書くことで、責任をのがれさせて貰おうと思う。
 今、僕のかかっている仕事は、日本テレビの火曜サスペンス・シリーズの一本である。仮題は『大都市の身代金』。実は早川書房から出ている、カウフマン警視シリーズの一冊『マンハッタンは闇に震える』の翻案ドラマである。
 原作では当然追う側のカウフマンが中心人物であり、彼の視点からドラマは進行することになっているが、このカウフマン警視なる人物が、先ず最初の難問だった。カウフマンは祖父のお陰で莫大な財産を持ち、警察の中の事務室を全く改造しシャワーまでつけている。更に妻以外の恋人を持ち、その恋人とはデスクの引出しにかくされた専用電話でしか話をしないという人物なのである。
 こんな警視がいたらさぞ面白いだろうが、残念ながら日本の警察にはいそうもない。又、かりに居たとしても、このような何も彼も恵まれた人間を主人公にしたドラマが、どれだけ視聴者の共感をひくことが出来ようか。
 だから、この作品を受けとった時、僕はすぐ、視点を逆にしようと考えた。つまり、犯罪者側から、又は犯罪者を中心人物にして、この作品を再構成することである。そのために僕は次のようなストーリーを書いた。暇は読者は原作と比較して戴ければ、何かの参考になると思う。
《ストーリー》
 矢村英司が、島村レイカに初めて会ったのは、都内のある高級レストランであった。それより前、英司は阿部高志に会ってレイカのことを聞いたのだ。レイカは、英司のやっている競馬のノミ屋の電話番をやってもいいと言うのだ。ノミ屋の組織の中で、電話番は一番ヤバい部署なのだ。
 レイカはその高級レストランのレジをやっていた。英司はレイカの美しさと少女のようなあどけなさ、しかし、ひどく度胸のいい女であることに驚いた。レイカは、自分は貧乏にはなじめない女だ、と言う。だから少々の危険を犯しても金が欲しい。そして、レストランのレジを利用して、ノミ屋の電話番をやることが盲点になり、いかに安全かを英司に語って聞かせた。英司はこんな女に会ったのは生まれて初めてだった。英司はレイカに完全にいかれていた。
 矢村英司は、大きな自動車修理工場を営む矢村英介の弟である。二人は両親に早く死に別れ、英介は男手一つで、英司を育てて来たのである。工場を大きくするために、当然のように裏の商売もし、危い橋も渡った。だがその代償のように、弟の英司はぐれた。
 阿部高志は下川実と共に英介にやとわれていた元やくざだった。阿部は頭は少し足りないが、人並はずれた大きな身体と腕力の持主、下川は身体は小さいが、刃物と拳銃の名手だった。
 レイカと英司の中は、急速に進んだ。だが、レイカの身持はかたく、英司はあと一歩mの所でかわされ、カッカするという日々だった。
 そんなある日、英司はレストランでレイカの叔父島村克也と会った。克也は永年、東都電力に勤めていたが、四年前に定年退職している。会社の出世街道からはずれて、最後まで平社員のままであった。レイカだけが、東京在住の唯一人の肉親であった。話の途中で克也は何度か腕時計を見た。その後突然、パッと電気が消えた。「やった!私がやったんですよ、細工して停電させたんです。ざまあみろ」愉快そうに克也が叫んだ。停電はこの街一帯だった。
 英司の頭の中で何かが動いた。この男を使って何かできないか。そうだ!東京都を恐喝するのだ。こちらの要求を入れなければ、東京を闇に沈めると脅すのだ。東京が一晩闇に沈むことを考えれば、数億の金といえども、安いものではないか。この話がスマートでクールな犯罪なのは、人間を人質にとっていないことだ。
 英司の話を聞いたレイカは目を輝かせた。それこそ大物だけが成功させることの出来るビッグビジネスである。その晩、レイカは初めて英司にキスを許した。
 その晩から英司とレイカは、この計画を安全かつスマートに成功させるための具体的プランを練りはじめる。レイカは並なずれた頭脳でプランを立てていく。プランには五人の人間が必要だった。英司、島村克也、阿部高志と下川実、そして最後の一人は英介が必要だ。英司は話を持ちかける。英介は承知し、計画はスタートした。
 ある夜、都知事が某高層ビルの三十六階にあるレストランに出かけた。直通のエレベーターが途中で止り、同時に明りが消えて、暗闇になった。エレベーターの中はパニック状態になったが、十五分後、明りがつき、エレベーターは動き出した。その後で知事あての電話が入った。「暗闇の味はどうだった?我々はこの状態を東京都全域で起す用意がある。それがいやなら五億円払って貰おうか」男の声が電話の向うで笑っていた。
 前代未聞の恐喝事件は、ジャーナリズムに発表されることなく、極秘裏に警視庁捜査一課に廻された。担当は藤本警視。藤本は知事の周辺に捜査網をはり、東都電力に調査の要請をした。
 二度目の電話は、迎賓館の停電を告げ、三回目の電話は丸の内のビル街の停電を予告、それぞれ実行され、それぞれパニックが発生した。犯人側は本気だ。藤本はあせった。何の手懸りもない。
 ところが意外な所で情報が入った。覚醒剤売買を追っていた麻薬係保安官のグループが、取引の現場の電話ボックスを録音していたら、その中に都知事への恐喝の声が入っていたのだ。捜査本部は色めきたった。ただちに電話ボックスを捜査員がはりこんだ。
 電話係は阿部高志だった。阿部は自宅近くのこのボックスを利用していた。そして第四回目の電話をかけるため、このボックスに入った。今日が最後通牒だった。そして、都知事に五億円を用意させることを指示、オックスを出た。
 阿部は、ボックスを出てから自分が尾けられていることに気づいた。尾行をまこうとしたができない。阿部は決心した。掴まることはできないのだ。阿部の目にマンションから出てきた母子づれが映った。阿部は突然、母親に襲いかかると、ナイフで脅し、マンションにたてこもった。事件はすぐにマスコミに知れ、報道された。テレビを見て、英司は驚いた。英介は下川に指示を与えた。
 マスコミや警察の見守る中、遠い銃声が響き、マンションの窓際にいた阿部が倒れた。心臓を一発で射ぬかれ、即死であった。かなり離れたビルの一室で下川が、ライフルをケースに収めていた。
 レイカはそのニュースを聞いて、怒った。作戦から降りると。手を焼いた英司は、克也を呼んだ。克也はレイカを説得するという。
 そのころ、英介は、下川を呼び耳うちしていた。計画が成功したら、即座にレイカと克也を殺すように、と。
 英司が都知事に電話し、都庁の駐車場に一台の外車があり、そこにはトランシーバーと、丈夫な袋が入っていると告げた。
 藤本警視は東都電力から、東京全体を停電させる方法を聞き出した。それには技師を装い、下水溝にもぐらせることが最上であるという。藤本は東都電力の工事車をマークするように、全パトカーに告げた。
 克也と下川は技師を装い、都心のマンホール近くに停車していた。
 レイカは所定の場所で車を捨てる。前の右の窓があいている。
 駐車場の外車に乗った藤本に指示が出る。藤本はゆっくろと車を走らせた。通りに出ると、尾行車も一斉にスタートする。
 英司はトランシーバーで次々と指示を出し、尾行車を識別していった。外車が再び都心に戻った時、辺り一帯の明りが消えた。同時に英司の指令が入る。一方通行に入り、そこに止めてある車に現金を投げ入れろ。藤本は言われた通りにして、走り去った。
 尾行車は近くに止まり、じっと待った。だが誰も動かない。しばらくして、刑事達がのぞいて、アッと驚いた。助手席の椅子がなく、下はマンホールの穴が続いている。現金の入った袋は、ストレートに下水溝の中に落ちたのだった。
 レイカは袋を拾うと、次のマンホールまで運び、英介に渡した。英介の乗った車は悠々と現場から離れた。だが、英介の工事車にいち早く気づいた藤本は、尾行をつけていた。英介は知らない。
 下水溝で克也が停電を元に戻そうとしていた。下川が襲いかかる。が、克也はすばやく身をかわすと、下川をつきとばした。下川は変圧器にぶつかり、真黒なヤケコゲと化してしまう。
 英介は工場に帰ると、英司と成功を喜び合った。が、金を見て愕然とした。全部、新聞紙だ。「レイカだ、あの女にはめられた!」気づいた時、警察のスピーカーが響いた。英司は拳銃を乱射した。二人はたちまち弾痕だらけになってその場に転った。
 その頃、都内のホテルの一室にレイカと克也がいた。「うまくいったわね、お父さん」レイカがいった。「阿部を殺したのは計画外だったがな」二人は変装をとりながら笑った。克也は阿部の旧友であった。克也が計画をたてたが、修理工場がどうしても必要であることが分り、阿部の知恵で矢村兄弟をまきこんだのであった。
 「さあて、五億円とお目にかかろうか」レイカが袋の紐をほどいたが、そこに入っていたのはやはり、白紙の札束だった。藤本にやられたのだ。突然、克也が笑い出した。レイカも笑いだしていた。その笑いはしだいに涙声に変っていった。

 倖い、このストーリーは企画会議を通り、電気関係のシナハンもすませ、いよいよ執筆の段階になったのだが…そこでハタととまってしまったのである。
 最初、理由が分らなかった。構成上の欠点も一応正してハコも作ったし、後は書き進めればいいのである。事実、書き出しもした。だが、どうもグクシャクする。書きにくい。何故か。もう一度、ハコを洗った。更にもう一度。まだ分らない。暫く放ってみた。それでやっと分った。
 理由は簡単だった。元来が、カウフマンが主人公の話だったのを、犯罪者を主人公にした。そこまではよかった。だが、そのために、人間の心情的なドラマがなくなったのである。原作の中にちりばめられていたカウフマンの父や妻や愛人に対する心情が殆んどすべて除かれてしまい。それにかわる犯人側の心情のドラマが、設定されていなかったのである。だから、登録人物がすべて、ボール紙に書いた紙芝居の人形のようになり、それを動かすことが、ひどくむずかしくなってしまったのである。

推理小説には色々なジャンルがある。本格推理、サスペンス、ハードボイルド等々。警察もの、事件ものもその中の一つであるが、サスペンスものをのぞくと、人間より事件の意外性、面白さが前面に出て来る傾向がある。そんなことは百も承知の僕が、今回は全くそのオトシ穴に、はまったのである。
 古臭いほど常識的な言葉だが、テレにドラマは人間ドラマである。ブラウン管のサイズからいっても、どうしてもそういうことになってしまう。この常識を僕ほどの古狸が忘れるのである。逆にいえば、それほど原作の事件が面白かった、といえようか。しかし、事件の面白さにのめりこんではいけなかったのである。どこまでも、人間の面白さが優先し、それを活かす形で事件の面白さがつくられねばならないのである。ひどく苦い自戒をさらすことによって、この文章を終らせて戴くことにします。

(『月刊シナリオ教室』1983年3月号所収)

「修羅について」

シナリオ新人賞選考の経緯
放送作家組合「シナリオ教室」機関紙『六本木ニュース』昭和54年春号所収

『修羅について』―第三回テレビドラマ公募選考覚え書き―

池田一朗著

 『懸賞放送ドラマ集1978』が出来たので、目を通した。最後の選後評を読んで後悔の念にとらえられたので、この一文をものする気になった。
 後悔した、というのは、僕は、この中に収められたテレビ部門の選考委員の一人でありながら、選後評を書かなかったということだ。書かなかった理由は、簡単だ。腹を立てたからである。何故、腹を立てたか?『道具箱』という作品が、初期の段階でおちたからである。選後評の中に、一部の人々が押したが、という文があるが、その一部の人々の中に、僕と盛善吉氏が入っていた。盛氏は、やはり腹を立てたのであろう、以後の選考すべてに棄権なさったものである。僕は、棄権をしなかったために、逆に、腹立ちが倍加されたのかもしれない。
 ことわっておくが、僕は「道具箱」の著者をまったく知らない。失礼だが今現在、男性だったか女性だったかさえも思い出せない有様である。又、この作品が、それほどズバ抜けた傑作だった、とも思っていない。構成に難があったし、後半の迫力が欠けていた。だから入選しなかったことについて他の選考委員諸氏の鑑識眼を疑っている。というような意味合いではないのである。
 ただ、僕はこの「道具箱」の中に、他の作品には見事に欠如している、人間の修羅を見た。ただただそれだけのために、僕はこの作品をせめて、佳作にでも、残したかったのである。
 「道具箱」の荒筋はこうだ。のんだくれの大工が娘を女郎に売った。娘には父親の弟子である大工の恋人がいた。その若い大工は、娘をうけ出そうと必死に稼ぐが、とてものことに追いつかない。娘は夜毎枕を替え、梅毒までうつされ、住み替え、住み替えで、転々と宿場町を渡り歩き、最後には辺鄙な片田舎の女郎にまでおちてしまう。梅毒は進行し、稼ぐことも出来なくなる。恋人の大工は、その田舎にまでついて来ている。大工自身もおちぶれてしまったのである。女郎は、せめて死の時にはうけ出されて奇麗な身体で死にたいと願う。大工には金がなかった。あるのは道具箱だけ。そしてその道具箱を売れば、稼げなくなった女郎をうけ出すぐらいの金は出来る。だが、道具箱を売ることは自分を売ることである。若い大工はそう思って道具箱を手放さなかった。恋人の女郎は、死んだ。その時になって、深い悔恨が若い大工を襲う。道具箱は道具箱にすぎない。心底愛している女の最後の願いを叶えてやることにくらべれば、何物でもなかった。それを、自分は今になってやっと知った。彼は道具箱を手放して女郎の墓をたて(本来、女郎に墓はない。無縁寺に無縁仏として葬られる)出家となった…。
 メチャクチャである。NHKで放映されるべきドラマに、女郎が出て来ておまけに梅毒で死ぬとは何事か。ハナから入選する筈がない。だが、ここには人間の修羅がある。この若い大工は、まさしく修羅の中にいる。男が女に惚れるとは、修羅の中に入ることである、ということを、下手くそなりに、いや、下手だからこそ却って妙な実感をもって、この作品は見事に訴えている。僕にはそこがグッと来た。修羅を知らない作家を僕は信じない。いや、修羅を知らない人間を信じない。そして、修羅を知らない、胸くそ悪いほど甘ったれた人間のなんと多いことか。僕には、この作品が、一服の清涼剤のように思えた。構成が下手だろうと、セリフがまずかろうと、そんなものは、時間をかければ、うまくなる。だが、人間を捉える眼だけは、時間をかけても、うまくなるとは限らない。「道具箱」の作者にいいたい。人間をその修羅の中で捉えるという君の眼だけは、これから先も決して失うなかれ、と。
 これが僕の書かなかった選後評である。

『六本木ニュース』昭和54年春号掲載

「映画シナリオとテレビドラマの相違について」

『月刊ドラマ』に収載されたシナリオ論

『映画シナリオとテレビドラマの相違について』

 池田一朗著

一、一般的に論じてみれば…

 嘗てテレビの『座頭市物語』の脚本について、勝新太郎氏と長時間の論戦をしたことがあります。
 僕は勝という役者がひどく好きで、只の男としても高く買っているんですが、こと脚本の話ともなるとそうもいっていられないので、お互い、かなり激して論じ合った。どういう点がそれほど問題になったかというと、それが、この表題通り映画とテレビの相違という点なんです。
 結論的にいって勝は、テレビというのは、芸術的にいって、映画より劣ったものだと思っている。勿論、彼は商売人ですからそんなショッキングなことを口に出してはいわないが、腹の底にあるものは中々隠しにくいもので、話の合間にそいつがちらちらする。
 例えば、俺はテレビだからって妥協はしない」という。また「視聴者視聴者っていうが、一般家庭の人だって、完成度の高いものを見りゃ、いいというにきまっている」という。ことわっておきますが、勝という人は、他人が思っているより遥かにセンサイな神経の持主であり、且つ芸術家なんです。多くの役者さんのように、作品自体より自分の役が気に入らないから文句をいう、なんてことは、彼の場合はない。作品をよくするために文句をいう…。だから脚本家と監督も協力をするんです。
 だから、前述の言葉も、それ自体としては、確かに正論である。テレビだからって妥協することはないし、完成度の高い作品は確実に人の心をうつ。それもその通りである。だが…、その比較対照物が映画であり、映画に比べてテレビは妥協しなければならず、茶の間の視聴者は映画館の観客より質において劣っていると考えているとしたら…、これはとんでもない間違いといわざるを得ない。
 確かにテレビの視聴者と映画館の観客とは違います。映画館の観客は、少なくとも現金を払って入って来た人たちである。あらかじめその映画を観ようという意志をもって、観ている人である。いやいやながら金を払って入るバカはいません。だから、ある意味で、映画館に一歩入った時点で、一種の魔法にかかっているといえます。それに較べて、テレビの視聴者は、さめている。
 この人たちは、必ずしも見たくて見ているんじゃないんです。何となくチャンネルを廻すのが面倒臭いから、とか、他に時代劇がないから、とかいう理由で観ている人が多い。だから、この人たちに魔法をかけるには、それなりの術が必要だということになる。
 その術が、つまりは、テレビドラマ作法ということになるのでしょうが、それについては、他の先生方が述べられるでしょうし、又、僕の与えられた僅かな枚数で、書きつくせる筈もありません。
 だから、僕は、以下に、この術を身につける以前の、もっと基本的なエレメントを、映画との対比において、列挙してみようと思います。

二、強制力

 先に述べたように、映画には、一種の強制力があります。金を払って入るということもそうだし、映画館に入っても、周囲を暗くし、観客の視線をスクリーンに釘づけにする、という配慮がチャンとされている。のみくいしながら観る人はいても、途中でたべ物を買いに立つというお客さんは、まずいないでしょう。又、そんなことをさせるようでは、その映画は落第ということになります。
 ところが、テレビの場合は、それが当たり前である。或は、それが基本条件であるともいえます。観ている間に、お茶をわかしに立つ、何かとりに立つ、電話もかかってくるかもしれない。そういう、日常のごく普通の生活の流れの中に、テレビというものは、組み込まれていなければならない。つまり、テレビでは、強制力というものがゼロに近いのです。
 よくいわれることですが、テレビドラマは、ちょっとヤカンをとりに立って帰って来たら、もう筋が分らなくなっている、というようではいけない。少々、中抜きがあっても、チャンと分る、という筋立てにするべきである。具体的にいえば、あまりに複雑な筋立て、回想シーンの多用は、つつしむべきである、ということになりましょうか。ナレーションというものも、テレビがその必要性によって作り出したものだ、とまでいえそうです。

三、台詞について

 映画作家(脚本家・監督・プロデューサー)が、テレビを観て、異口同音にいう言葉の一つに「台詞が多すぎる」というのがあります。確かに、映画は何よりも先ず、映像の芸術である。台詞は、その補助手段にすぎない。従って台詞は少なければ少ないほど、いい、ということになります。ところが、テレビではそうはいかない。理由は『強制力』の項であげたところで充分でしょう。
 テレビドラマの、絶対条件は、分かりやすいということである。そのためには、台詞も必要条件になります。勿論、何も彼も台詞で説明してゆく、というようなやり口をいいといっているのではありません。又、それでは、却って、分かりにくくなってしまうかもしれない。映像と台詞の必要充分なミックスが必要なのは当然です。
 しかし、それにしても、分らない奴はカンが鈍いんだ、といわんばかりに、バンバン、シーン転換を重ね、台詞のないシーンを続けるのは、テレビの場合は、欠点になる。映像的にいくらすぐれていても一般視聴者という壁の前には、もろくも敗退するということになります。

四、フレームの大きさ

 映画とテレビの決定的な差は、そのフレームの大小にある。ワイドスクリーン上で展開されれば、圧巻ともなるべきマスシーンが、テレビの画面では、人間は豆粒のごとく、少しも迫力を産み出さないことは、テレビで外国映画を観る人が一様に気づくことです。
 ロングにうんとひいたサイズから、ズームでダーッとよってゆく…というような映画ならでは、のシーンも、テレビの画面上では、必ずしも効果を発揮しません。勿論、だからといって、テレビの画面では、ロングは一切ダメとか、クローズアップを多用せよ、などというつもりは、毛頭ありません。
 ただ、それが効果を発するにはどうすればいいか、テレビはテレビなりの工夫が要るということなのです。とにかくテレビサイズという、フレームの大きさを、書く場合も、常に念頭においておくことが、必要条件の一つでしょう。

五、日常性

 テレビだから、こういうドラマはダメだ、とか、こんなドラマなら大丈夫とか…そんなことは一つもない。まァポルノとか、凄まじい暴行シーンとかそういうものは、テレビコードによって規制されますが、映画にだって規制がないわけではない。せいぜい程度の差ということでしょうか。だから、根本的にはテレビ向きのドラマ、映画向きのドラマというのがある筈はない、と考えてよろしい。ただ一つ、テレビに欠かしてはいけないのが、この日常性である。
 どんなドラマを作ってもいい。だがその中に、何処か茶の間と直結するような、日常性がないと、不思議にそのドラマは当らないんです。まったく奇妙なくらいそうなんです。ことわっておきますが、この日常性というのは、例えば、茶の間に家族揃ってメシをくうシーンを必ずいれろとか、夫婦喧嘩や親子の団らんシーンを入れろ、という意味では、絶対にありません。もっと広義の意味にとっていただきたい。
 例えば三船敏郎主演で『荒野の素浪人』という番組が、嘗てNETテレビで放映されていました。これは一見してお分かりのように黒沢明監督の『用心棒』『椿三十郎』の三船のイメージを、テレビに借りたものです。当時、三船のテレビ出演は非常に少なく、いくら映画の世界では国際的大スターであるといっても、テレビの客はちがう、なじみがないということは、こわい、という考え方が、製作者側にあった。そんなバカな、とお思いの方もいるかもしれないが、これは事実なんです。中村錦之助―いや今では萬屋錦之助ですか―が、NHKの日曜八時のドラマにはじめて出た時のことです。当時、中学生だった僕の息子がたまたまこれを観て、「あの俳優さん中々いいなァ。なんて人?」「お前ね、あれは錦之助だよッ。知らないの」「ああ、あれが錦之助かァ。何やってたっけ」僕はしばし茫然として、息子の顔を見ていた…というような一幕があります。だから、映画の大スター、必ずしもテレビの大スターとはならない。
 だから『荒野の素浪人』の場合の製作者の不安も、理由がないとはいえないわけです。すったもんだの末僕は脇役として坂上二郎を強力に押しました。勿論、芝居の質からいって、三船と坂上二郎では、水と油になるだろう。しかし、坂上二郎はテレビで出て来たコメディアンです。茶の間にしっかり定着している役者です。彼を入れることによって、この番組は、茶の間としっかり結びつけられることになる。それが僕の意見でした。
 この企ては一応成功したといっていいでしょう。坂上二郎のそれ以后の活躍をごらんになれば明らかです。僕のいうテレビに必要な日常性とはこういったものをさすわけです。

六、観客

 テレビでいうなら、視聴者のことです。
 映画の観客とテレビの視聴者の間には非常な相違があります。先に『強制力』の項で述べた、お金を払って観るか、只で観るかの相違も勿論あるわけですが、そこからいくつもの問題が派生する。
 まず年齢です。映画の観客の年齢層が、圧倒的に十代の終りから二十代はじめの若い人たちによって占められていることは、統計で明らかです。それに対してテレビの方は、というと、これはローティーンと主婦、老人が圧倒的に多い。今やテレビはまったく女子供のものであると嘆いていた作家がありましたが、現実を無視するわけにはいかない。少なくとも九時台までの番組は、左様、確かに女子供のものなのです。僅かに十時以降の遅い時間帯及び土曜日(近頃は金曜日もそうなりかかっていますが)の九時以降が、男それも中年の男性によって占められているだけです。
 そして、観客を無視して作品を作っても、ダメにきまっている。いい例が、冒頭にあげた『座頭市物語』です。作品の出来は決してわるくなかった。なにしろ芸術家勝新太郎が作ったものです。若干の出来不出来はあっても、おおむね粒の揃った良質のテレビ映画だった、と僕は思います。それが冒頭から九パーセント台、そのうちじりじり上がって、十八近くまでいきましたがそれでも平均十二、三パーセントの視聴率とは、なんとも割切れない、納得のいかない感じがする。
 この惨敗の原因はたった一つ時間帯しか考えられません。ご存知のように、この作品は八時台に流されたのです。所謂女子供が圧倒的にチャンネル権を握っている八時台です。おまけに勝の妥協しないつくり方から、この作品は決して分りいいものではなかった。そこがいけなかったのです。この作品が、もし土曜の九時台に流されていたら、同じ作り方で、もっと高い視聴率を稼いだだろうということは、まず間違いないと思います。
 誤解をさけるために一言つけ加えますが、僕は、女子供という観客が、映画の観客より質が低い、などと、毛頭思ってはいません。映画の観客より遥かにこわい存在だといっているのです。
 この観客には、映画の観客の中に往々ある、製作者側とのナレアイの雰囲気とでもいうべきものが、全くありません。彼等は、極めて現実的な眼をもっています。お客としては、極めて辛いお客です。容易なことでは騙されません。簡単で残酷な現実です。だからこの観客を相手にする製作者側には、ひとりよがりも、ポーズも、楽屋落ちも許されない。渾身これサービスです。面白いものを観せるだけです。
 以上で、映画とテレビの相違の基本点は、一応列挙出来たと思います。この基本点をふまえて、どんな魔法を使って観客を欺すか、それは皆さんのテクニックであり、フィーリングであり、更にいえば思想なのでありましょう。
 続いて、同じテレビドラマといってもスタジオドラマとテレビフィルムでは、若干の差があります。その点を、参考のためメモ程度に、書いておこうと思います。

七、スタジオドラマとテレビフィルムの相違について

 スタジオドラマとテレビフィルムの差は、前者がビデオテープを使い、後者が十六ミリフィルムを使うという点にあります。少なくとも、現在では、そういうことになります。結果として、どういうことが起るかというと、スタジオドラマの画像の方が、十六ミリフィルムより遥かに美しい、ということになる。だから、女優さんの中には、スタジオドラマには出演するが、テレビフィルムには絶対出ないという人が、出てくるわけです。十六ミリの粒子でとらえられた画像は、ビデオにとらえられたものより、どうしても荒く、暗く、しかも顔の皺などを如実に示してしまうからです。
 この使用される材質の相違から、次の相違点が出て来ます。ビデオテープは現在ではかなりの程度編集できるようになって来ましたが、まだまだ十六ミリフィルムのように簡単にはいかない。従って細かい編集をしなくてすむようにドラマを作らなければいけない、ということです。これは、スタジオドラマとテレビフィルムの台本を見較べれば一目瞭然でしょう。
 先ず、シーン数です。テレビフィルムのシーン数が、平均的にいって五十から六十とすると、スタジオドラマのシーン数は、その半分、即ち三十シーンどまりです。だから一シーンの長さも、スタジオドラマの方が倍近い。つまり、スタジオドラマというジャンルは、映画よりもむしろ演劇に近いといえるのです。劇場で演じられる芝居を、三乃至四のカメラで撮る…そんな感じに近い。だから厳密にいうと、映画芸術といえるかどうか、疑わしいとこもある。変った画面構成によるショットのつみ重ね、などということは、不可能ではないが、現実的には、非常に少ないからです。
 例えば、こんなことがありました。テレビフィルムの時代劇で、何かというと月を映したがる監督がいました。所謂情景カットという奴ですが、いかにも古臭くバカげていて、僕は自分の作品で彼が監督すると決まると、いつも頼むからお月さまはやめてくれ、といったものです。そんなイージイなことをしていると今にフィルムはビデオに負けてお前さん失業しちまうぞ、と脅したこともある。
 ところがです。ある晩、珍しく家に居て、テレビを見ていたら、アメリカのテレビフィルムの冒頭で、この監督がとるのと同じお月さまが、ポッカリうつったものです。畜生、アメリカにも、こんなバカがいるのか、と思ったのは一瞬の間でした。カメラはそのお月さまからグングンひかれていって、高層ビルのテッペンがうつり、まだまだひかれて、逆に、月光に輝くサンフランシスコの夜景が現れました。
 僕は、バカげているとお思いでしょうが、感動していました。これはまさしくフィルムだ。こいつは今のビデオでは、逆立ちしたって出来ないショットだ。僕は、電話をつかんで、例の監督の番号を廻していました。もうお月さんはやめてくれとはいわない、だけどせめてこういうお月さんにしてくれ。
 勿論、ビデオの発達は、今にフィルムを追いこすかもしれません。現に、ハンディビデオカメラの発達は、今までフィルムの専売特許だった、ロケーションを、可能にし、フィルムをおびやかしています。『冬物語』に描かれた、漁港の美しさは、確かにフィルムを越えている。これに、編集のしやすさが加われば、十六ミリテレビフィルムは、その場所をビデオに、ゆずることになるかもしれません。しかし現在の段階では、まだ、ビデオとフィルムの間には、先にのべた差が厳然として、存在します。
 だから、スタジオドラマは、演劇を書くように書く、テレビフィルムは、映画シナリオを書くように書く。但し、その場合映画とテレビの相違点を、しっかり頭に叩きこんでおくこと、ということになります。






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[小文・その他]

聞書き

anico13.gif次代のシナリオ作家に望むもの

池田一朗

書きたいものがあって書いているのか

最近のコンクールの応募作、つまらなくなったね。それはコンクールに通ることを目標にしているからだと思う。そのことは当り前と言えば当り前なんだけど、だからつまらない。年々、シナリオとしての格好はつくようになってきた。以前は、これがシナリオかねっていうようなものが多かったんだけどね。でもその時のほうが面白かった。つまり材料が面白かったのね。書きたいんだ、だけど書き方がわからなくてヘタクソ。でも面白かった。つまりは書きたいものがあって書いている。
 このごろは、あきらかに賞をねらって書いているんだな。格好はついているんだけど、面白くないんだよ。自分がどうしても書きたいという素材じゃないんじゃないか。…そうじゃないかもしれないけど、呼んでてそういう感じがするのね。迫力が全くない。すくなくとも感じられない。あるいは、迫力はあるけれども、かたちになってない応募作は一次か二次の審査で落ちちゃうのかもしれない。そこがとても不安なんだけどね。他があんまり格好がつきすぐてるから格好のついてないのは目立つからね。シナリオっていうのはどういうかたちで書くかは、普及したんだね。

〈定食〉ドラマでは駄目

 今年、コンクールに八百八本も作品が集ったことじたい間違ってると思うんだな。それはシナリオライターっていうのは食えて、カッコいいと思ってるからじゃないかって気がするのね。シナリオライターっていうのは、もはや、そんなにうまい商売でもないし、カッコいい商売でもないんだよ。
 今、テレビドラマで食える次代じゃ刻々となくなってると思う。現実にドラマはどんどん減っているし。あんなに金がかかって視聴率あがらないものスポンサーやりませんよ。そういうふうにしたのは、局と制作会社と、先輩のシナリオライターが悪いんだけど、つまり定食しか出さなくなっちゃった。オリジナルなものは刻、一刻となくなってきている。だから視聴率も自然に下がってくるんだね。飽きてきる。アタマ見ると、あとが分かっちゃうようなもの見ないものね。
 つまり、今シナリオライターになろうという人たちは、遅れてきた人たちって感じがするんだな。最初にやった連中は、苦労してやってきて、まァいい時にぶつかる。それが駄目になった時も、あれはいいんだというイメージが固定してるもんだから、なろうと思って人がくる。でも、彼らがなる時には衰退期になってきてるんだよね。今はまさにそうだと思う。すると、今までの定食では駄目なんだよね。
 この十月編成のドラマの視聴率を見りゃわかる。客のほうが、はるかに敏感なんだ。変わったものっていうか、本物が欲しいんだよね。本物しかいらなくなってきているんだ。本数が沢山あれば、そうじゃなくたってすむんだけど、本数が半減してるでしょう。そうすると本物志向になる。その時に、格好だけ整ってて、新しい見方も訴えたい思いのたけも何もないお仕着せみたいなシナリオは欲しくないんだね。客も見たくないんだ。

シナリオを書きたいのか?ライターになりたいのか?

 言いたいことがないんだよ、実はな。だから入選しても二作目がなかなか出てこないでしょう。言いたいことがあったら、そんな筈はない、一本で全部言いきるなんてできない筈ですよ。どうしても次々と言いたいことを追っていくわけでしょう。それが、そうじゃない。
 つまりシナリオライターになりたいんであって、シナリオを書きたいんじゃないんじゃないかって気がするんだね。シナリオライターっていう一つの商売があって、その職業になりたいんであって、なにかを書きたい、自分の言いたいものを表現して皆んなに問いたいというのが、ないんじゃないか。ここ数年の応募作見ると、そういう思いが感じられない。
 はじめに言ったように、以前は、材料も見方もいいのに、いかんせん表現の術があまりに拙い、俺が書けば、もっといいものが出来るのにと、イライラしてくる。もったいなあと。その、もったいないがない。ふんふんナルホドって感じで、ハートにこないで、頭で理解するほうへ行っちゃう。現実に放送されてるものが、そうだから、それをマネるんだろうな。
 金にならなくても書く、そういうものがあるわけでしょう。本来は、それしか生きようがないから書く。
 これからドラマが減ってくると、書きたいものを書くしかない。書きたくないんだけど銭カネのために書くといったって通用しなくなるでしょう。小手先じゃ通らない、それじゃ生き残っていかない。本物というのは、月に五本も六本も量産できるもんじゃないから商売としてもあんまりいい商売じゃないと思う。それを覚悟の上でやる人だけが残っていくんじゃないかな。

なぜ小説を書くのか?

 この二、三年、僕が小説を主に書いてるのは、シナリオ書いてるより面白いからですよ。金の面でいったら全然比較にならない。シナリオのほうがずっとお金になります。馬鹿みたいに安いんだからね、原稿料なんて。シナリオライターから見たら、何やってんだというくらいの安さですよ。でも自分でやってて面白い。局プロとかディレクターとか、そういうのが全くいないわけだから、自分の思ってることを思ってるように書ける。その楽しさだね。
 僕は、テレビや映画では、自分が本王に書きたいもの、企画として出さない。どうなるかわかってるから。ケンカするに決まってる。人の意見なんて冗談じゃない、それに賭けてる思いと年月が全然違うからね。何をぬかすか、一遍読んだくらいで…と、なるに決まってる。それは別で出そうと思う。それが小説というジャンルなんですね。

コンクールには〈本物〉を出せ

 コンクールって場だけは自分の好きなことを書けるんだから、自分の思いを出せってことだな。局の若い連中なんか、そういうもの欲しがってる。お仕着せのものが嫌になってきてるんだ。お客も嫌になってきている。局の上のほうの連中は新しいことやるのが不安なんだな、計算が立たなくなっちゃうから。でも馬鹿じゃないから、たまにやってみる。すると、しくじる。それは全力投球しないで、しみったれて、チョビッと出してみるって具合だからだね。今度、TBSとフジテレビがシナリオ募集する。そうしたくなる気持よくわかる。最初からうまくいくとは思えないけど。試行錯誤しながら、やるんじゃないかな。
 つまり、これからの新人は、ドラマが本物志向になるに決まってるんだから、本物をコンクールに出せってことだな。熱い思いがあってその思いを言いたい、書くということじゃないと、駄目って気がするね。
(文責・編集部)

(1986ドラマ12月号/所収)

インタビュー

「シナリオ教室」講師紹介でのインタビュー
放送作家組合「シナリオ教室」機関紙『六本木ニュース』昭和54年冬号所収

インタビューに見る脚本家池田一朗

『六本木ニュース』に掲載された「講師紹介」のインタビュー記事の再録です。

講師紹介 第一回  池田一朗先生

これから毎回お送りする、「講師紹介」。第一回目は、池田一朗先生をお迎えしました。

前々回の六本木ニュースに先生が檄をとばされた ―修羅場を知らずに、ものなんぞ書いてもらいたくない― にいたく感激し修羅という事に関連して、「強く生きるとは?」といった観点から、池田先生に追ってみました… 

  • ― 現代の若者をどう思いますか。

池田「自分が若いつもりでいるから、別にどうも思いませんけどね」

  • ― では二十代は?

池田「だから、変わっているとは思わないですよ。…ただ少しひ弱いんじゃないかという気はするがね。…だから、息子達を教育したことってのは、一つだけ。強くなる、体が強いということだけでね。それから喧嘩も」

  • ― 体を強くすれば、必然的に精神も強くなるからということですか?

池田「いや、そんなことは思わない。精神なんてものはしょうがないもの。人が教えられるものじゃない。そんなものはガキが自分で掴んでいくものだから。精神てのは、つまり、苦しい経験の中で鍛えられると思うんだが、苦しい経験てのは、普通の状況じゃ、やれないことをやらされるわけだろう。そういうのは、親が子供にやれったって、できないしね。できないよ、そりゃ…。だから、そういう時に頼りになるのは、自信と体だけだから。それと反射神経だな」

  • ― 反射神経ですか。

池田「これは、訓練した人と、しない人じゃ、はっきり違う。と、そりゃーもう、戦争の時に散々見てるからね。判断の一瞬の差で死ぬか生きるか決まるんだからな」

  • ― お子様は先生の思い通り強く育たれましたか?

池田「(首を傾けながら、笑って)……まあ、そうじゃないですか。二人とも強いけど、上の子なんて強いですよ。シーホースクラスのヨットを一人でやっててね。二本のロープを二人でそれぞれ持つところ、やつは、一本を歯でくわえるんだからね。(一同、ギョッ!)歯で噛んで、風受けるんだから、もの凄いあれなんだぜ。まあ、でも、それでやれるからね。そしたら、船を大きいクルーザーに替えて、帆の大きさが違うのに、同じことをやりやがって、歯をもってかれそうになった。(一同、爆笑)…ヨット、出てったら、帰って来るまで、全く知りませんからね。嵐に遇ってることもあったし、そんな、何ともないよ」

  • ― 凄い息子さんですね。…では、これから、短い質問をしますので答えて下さい。先生の信条は?

池田「無し」

  • ― 無し、無しですか?

池田「簡単。無し。好き勝手に生きると」

  • ― 先生、漫画は読まれますか?

池田「読みますよ。必ず、読むのは、『俺は鉄平』と『のたり松太郎』と『ゴルゴ13』と、まあ劇画だな」

  • ― 女の人に、凄く腹をたてたことがありますか?ぶん殴ってやりたいとか。

池田「ぶん殴ってやりたいなんて思ったことはない。思った時にはすぐ殴っているから。(一同、爆笑)…全く同等だと思っているから。殴られて気に入らない者は殴り返せばいい。」

  • ― 力が及ばないです。

池田「そりゃあしょうがないわな、弱い者は負ける」

  • ― 先生、泣いたことなんてありませんか?

池田「ありません。人生で泣いたことは一遍もない。子供の時を除いて。…そりゃ、映画を見て泣いたことはあるよ」

  • ― この辺で、先生が、シナリオ作家になられた動機など、お聞きしたいのですが、学生時代から興味を持たれていたわけですか?

池田「そんなことは全く無かったです。…学生時代は学者になろうと思っていた」

  • ― 学者ですか?

池田「マラルメとランボーに惚れて、大学院まで行ったけどね。…資料のない時代だったから、学問をやっているという実感がなくて」

  • ― 就職なさったわけですか?

池田「出版社に入ったんだけど、また、辞めて、銭が無い時に、知りあいが、東宝のやつなんだが、彼に声をかけられて、ストーリーを書いて渡して金を貰って、ニ本目を又渡したら、シナリオにすると十五万円呉れるというから、書いた。書いたことも読んだこともないのに。(笑)」

  • ― あの、ちょろい商売だと思われましたか?

池田「思った、思った。そりゃ、思ったよ。…だから今でもやっている。(大爆笑)」

  • ― シナリオのテクニックということについて何か。

池田「テクニックなんて、あるのかね。…昔の映画には、あったんだけどな、文法が。ゴダールの、何だっけ、『勝手にしやがれ』、あのあたりから、文法が崩れちゃったの。あれを見た時には、みんな、ぶったまげたわけだよ、文法を完全に無視した作り方で、だけど、それはそれなりに妙な鮮度と面白さがあるわけでしょ。それ以後だから、文法っていうのはどんどんどんどん、壊れちゃったわけ。今やだから、無いんじゃないの。そういう意味からいうと、シナリオのテクニックなんて、本当にあるのかなあなんて、思っちゃうんだよな、俺は。そういうふうなところが、教えるのに、極めて不向きなんじゃないかな。テクニックより、材料であり、物についての見方であり、人間の見方じゃないかな、大事なのは」

  • ― 先生は、これから駆け出しになるような若い人に、書きなおせという圧力があった場合など、意志とか理想を強く持てとおっしゃいますか。それとも協調性を持てと、

池田「具体的なものが無くては、何とも言えないが、両方だね。ただ喧嘩のできないやつ、ここ直せ、ハイハイ、あそこ直せ、ハイハイと言っているやつは、不思議に潰れるね。ただね。頑張っていつでも喧嘩するというのは、構わないけど、これもまあ、生きのびないと思うんだけども、その時は、そんなに立派なもの書いてんのかいっていう気がするの、俺はね。大喧嘩するほどのものかねって思うんだな」

  • ― 去年のNHKの新人賞応募作品の「道具箱」について、正当に読まれていないとおっしゃってましたが?

池田「腹がたって六本木ニュースにも書いたけど、…ただし、ああいうもんなんだよね。ものを読む人というのは、書く人ほどは真剣ではないからね。ちゃんと正当に読んでくれる人なんて、まず十中二もないんじゃないかな。賞めてくれる人もいるけれど非常に誤解されて読まれていたり。そんなことは、よくあるよ。この前、ディレクターと、どうにもならなくなったんだが、アラスカの話なんだけど師匠と弟子がいるんだが、この二人をもっと対立させてくれというんだな。俺はできないと言ったんだ。何故かというと、この師匠は戦争へ行って人間が嫌になって漁師になった男なんだ。俺と似たとこがあるんだが、そういうやつは、若いやつに対して、或る意味で、非常に寛大であり、逆に言うと、どうでもいい。冷たいんだよ。誰か若い人と一緒にいて、こいつは修羅場になったら、すぐ死ぬな、殺されるなと思うとする、だけど、そいつに、お前、そんなことしてたら、修羅場になったら、すぐ死ぬぞなんてことは言わない。今は修羅場じゃないんだから。そういう意味じゃ、冷たい。だけど、一緒に酒飲みたいって言えば、ああ、そうかいって飲む。そういう関係に対立なんてないよ。最後にディレクターにそういったら、相手は黙ってるんだな。若いディレクターだろ、自分はそういう経験をしてないんだもの。…そんなものは、所詮読めないんだよ。」

  • ― 難しいですね、本当に。…最後に、こいつは凄いという人物に今まで会われましたか?

池田「小林秀雄先生ですね。本で惚れて、ついに、先生が重役をしていた本屋に入ったからね」

  • ― どうも、有難うございました。


上記の記事は、日本放送作家組合「シナリオ教室」機関誌『六本木ニュース』に掲載されたものの再録です。 

コメント・小文

「シナリオ教室」池田ゼミ紹介欄によせた講師池田一朗の一言

「シナリオ教室」池田一朗ゼミ
放送作家組合「シナリオ教室」機関紙『六本木ニュース』昭和54年秋号「ゼミ紹介」所収

作家隆慶一郎が生まれる数年前、師が「日本放送作家協会」の理事になり、再び「シナリオ教室」の研修科を受持った時のゼミの紹介文です。

池田一朗ゼミ

隔週の土曜、昼の部は午後三時から午後五時、夜の部は午後六時から八時まで―これが池田ゼミの原則としての時間割である。しかし、実際はこの通りに行われている訳ではない。
NHKのテレビやラジオの脚本募集時や協会新人賞の募集時には毎週研修科が開かれる。このようにコンテストに集中して開かれるので、月によっては全く研修科のない月もでてくる。この間研修生は素材をみつけることや、引き出しの中味を増やす事に励む。また、出来上っているシナリオに推敲を加える場合もあるだろう。
さて、研修科での講議の進め方だが、話しを判り易くするために一つの例をとって話しを進める事にする。
ある日、彼は一つの素材をみつけ、それを元にあるストーリーを組み立てたとしよう。
彼は研修科にやってきて、それを皆の前で読み上げる。それに対して他の人達がそれぞれ感想や批評を加え、彼は共感したり反発したりするうちに自分の表現したかったものがそのストーリーで充分で有ったかどうかと判断する。
そのストーリーで良しとすればそれを元に、主人公や結末に難が有ると判断したらそこを手直しして、彼は箱作りに進む。
その途中で、迷ったり、構成の上で行きづまったりしたら、彼は再びそのプロットを皆の前で読み上げても良いし、助言だけを求めても良い。
そして出来上った箱を彼は提出し、朱を入れてもらうか、三度皆の前で読み上げるかする。
いよいよ脚本に取り掛り、第一稿を仕上げた彼は、ある種の満足感を抱いて研修科にやってくる。その時、誰も発表する者がいなかったり、人数が少なくて時間がたっぷりあるようなら彼はシナリオを全部読み上げる事になる。
聴衆の反応を気に掛けながら読む彼の心境は内心おだやかでない。なぜなら彼は、いい加減に誤魔化して書いた所、余計なものだと思いつつ他に方法がみつからずに書いたシーンなどが有るのを知っているからだ。しかし、反面彼が得意になる所もある。気の利いた科白や、充分計算されたシーン、それに何よりもキャラクターが生き生きしていると彼は思うのだ。
ところがである。読み了ると彼は聴衆の総攻撃に会う。自分で気が付いている欠点はともかく、良いと思っている箇所まで粉砕され彼は意気消沈し、やがて悔しくなり第二稿に取り掛る。
かくして第三稿、四稿と彼の作品は昇華して行く次第である。
以上が池田ゼミの研修の一つの例であると言っておこう。

最後に、時間は昼夜別なく、午後三時から八時までぶっ通しで行ない、研修生は好きな時間に来るというのが現在の状況である。

そしてその後美酒美肴で終る。                                      池田ゼミ生


〈講師から一言〉 池田一朗
賞をとらないと、プロとしてスタート出来ない。スタートしても、ストーリイが巧くないと、プロとして持続出来ない。この二つが僕のゼミの基本です。従って先ず、全員に、賞をとるための、ストーリイを提出して貰う。それを全員の前で朗読し、各人の意見をきく。最後に僕の意見をいい、書き直させる。この段階がかなり長い。何回か書いて、ハコガキにする。それを又、全員の前で読み、皆が意見をいい、修正して貰う。それが終って、初めてシナリオ執筆に入る。これは、時間の関係で、全員の前で読めないこともあるので、主として僕が、批評し、書き直して貰う。賞に提出する。これが僕のゼミのやり方です。


上記の文章は「日本放送作家組合」主催シナリオ教室機関誌『六本木ニュース』昭和54年秋号に掲載されたものです。

「恥じについて」

友人の死によせて書かれたエッセイ
放送作家組合「シナリオ教室」機関紙『六本木ニュース』昭和54年夏号所収

池田一朗エッセイ
『恥じについて』

池田一朗著

 村山三男が死んだ。
 大正九年生れ。新潟県人。昭和十五年日活多摩川撮影所に入り、十七年入隊。復員后大映。大映倒産后、フリーの監督として…。などということは、正直、僕にとっては、どうでもいいことに属する。
 僕が、今、痛切な悲しみと共に感じていることは、生きていることを恥じている男が、また一人、死んだ、ということだけだ。
 村山三男の仇名は『中隊長』だった。理由は、戦争中、彼が本物の中隊長だったからだ。れっきとした、山砲中隊の中隊長である。仇名になって、いい名称ではない。それが、些かコミックなニュアンスを含めて、仇名としてまかり通っているということは、一つには、戦争を、切実さの中で今尚とらえ続けている男が、ほんの一握りしかいない、ということであり、又、一つには、村山三男本人が、そのようにしむけている部分があったからだと思う。
 『中隊長』村山三男は、とにかくおかしな男だった。陽気に酔い、酔えば狂態を演じた。灰皿をかじり、壁に登ろうとした。彼の酔態を見て、「万才みたい」といった女給がいたが、彼女は「道化みたい」というべきだったと思う。
 確かに、道化だった。それも、お定まりの、「涙の道化」だった。僕がそのことを、痛烈に感じたのは、やがて一昔にもなろうという三船敏郎主演のテレビ映画『大忠臣蔵』のうちあげでの時である。何次会かで、僕たちは、新宿のバーにいた。例の如く乱酔した『中隊長』が、突然、真顔になって、「俺は靖国神社にいって、部下たちに『忠臣蔵』をやるよ、って報告したんだぜ」といった。そこまではまだいい。そのあと、彼は、これも全く突如として、天皇現人神論をぶち、大東亜共栄圏論をぶちだしたのである。それは、急激に時代を遡行するに似た、奇妙な光景だった。一同がしらけ返ったのは当然であり、次いで猛烈な反論が展開されたのも、これまた、当然だった。『中隊長』は、よってたかって、メタメタにやられた。全身斬りきざまれた。よろよろと立つと、トイレに入った。一同にとってこれは単なる座興である。話題はすぐさま変り、席は再び陽気になった。ところが、『中隊長』は一向に出て来ないのである。反吐でも吐いているのかとプロデューサーの勝田康三が立っていったが、すぐ困惑したような顔で戻って来た。
 「泣いてるんだよ、中隊長。オイオイ、泣いてるんだ」
 卒然として、僕は理解した。村山三男は、不覚にも生きのびたことを、恥じている男である。多くの部下を死なせ、自分だけが「不思議に命ながらえ」たことを、どうしようもなく、恥じている男なのである。
 戦后廿数年を経て、何故、「天皇現人神論」をぶたねばならないか。メッタ斬りになるのを、百も承知で、何故、今更「大東亜共栄圏論」をぶちあげねばならないのか。理由はたった一つしかない。死んでいった部下たちの中に、それを信じていた者がいるからであり、或は、彼が死ぬための理由として、それを説かねばならなかったからである。
 凍りつくような、北支の冬を、僕は思い出す。僕は予備士官学校を卒業しようとしていた。当時の実情では、それはそのまま、実戦部隊の士官になることにつながっていた。そして士官になることは、最低五十人程度の部下の生命をあづかることであり、彼等と共に、死地に突入することであった。僕は辛かった。この土地と同じように、凍りつくような辛さだった。辛さは、兵隊たちに、何といって、死なせるか、という一点にあった。故郷を離れ、いとしい人々から離れた、見知らぬ土地で、どうして死ななければならないのか。なんのために、死ななければならないのか。国のために、というには、この戦争を起した軍部の愚劣さを知りすぎていた。大東亜共栄圏の理想のために、というには、その理想のお寒い内容を、知りすぎていた。しかし、嘘から出たまことというものがある。軍部の考えているお寒い大東亜共栄圏を真の意味の理想に育てあげることが、いつの日か或は出来るかもしれない。無理にもそう信じこみ、部下にもそれを説いてきかせた士官を、僕は何人も知っている。彼等の気持も痛いほど分っていた。たとえ幻しであっても、夢をもって死ぬ、方が、全く無意味に死ぬよりはましだ、というのである。それは、やさしさだったと思う。ムザムザと部下を死なせねばならぬ指揮官の、やりきれなさであり、やさしさだったと思う。
 僕はあまりにも若く、それが出来なかった。だから辛かった。ただただ、どうしようもなく辛かった。結局は、俺も死ぬんだから、お前たちも死んでくれ…、そういうしかないと僕はぼんやりと思った。それが…どう間違ったか、僕は生きのびた。嘘を、僕はいったことになる。以来、生きていることは、僕にとって、恥に変った。村山三男は、この、心やさしい士官だったに違いないことを、僕は、新宿のバーで、悟ったのである。それと同時に、酔った彼の狂態の一つ一つが、ライトに照し出されるように、理解出来た。それは、もっともらしい顔をして生きているすまなさ、恥かしさの、沸騰であり、狂奔だったのだろう。不覚にも生きのびた者の出来ることは、灰皿をかじり、壁をよじ登ろうとすることぐらいしか、ないではないか。
 何一つ、口に出してはいわなかったが、その晩から、村山三男は僕の同志になった。不器用で妙に頑固な監督であり、僕は随分喧嘩をした。それでも、腹の底にお互い分りあった部分があった。それこそ万才のように、お互いに相手を罵倒し合いながら、随分一緒に酒を呑んだ。
 昭和五十四年、七月廿九日、朝六時。中隊長村山三男は、やっと死んだ。享年五十九才。冥福を祈る 

『六本木ニュース』昭和54年夏号より

企画書

「破れ新九郎」企画書

TV時代劇の新シリーズを制作するにあたって、局側に企画意図・設定などの原案を提示した企画書

時代劇シリーズ『破れ新九郎』企画書

 池田一朗原案・脚本の時代劇シリーズ『破れ新九郎』の企画書のコピーが出てまいりましたので、その全文を公開します。

はじめに

企画書について

TVや映画のシナリオは、まず企画を立てることから始ります。いきなり脚本が書かれることは滅多にありません。しかし、シナリオが先にある場合もあります。例えば、シナリオ公募などに応募された作品などは、公募自体が企画なので一般に書かれる人は企画書などを書かず、任意のストーリーで、凡そのあらすじを決めていきなり脚本を書くと思います。
しかし、脚本家は通常、企画書に沿ってドラマなどのあらすじを作り脚本に仕上げることとなります。

台本完成までのおおまかな流れは、
企画書 → 企画会議 → 制作決定 → ストーリイの組立 → シナリオ作成 → 台本完成
ということになります。
では、企画書は何のために誰が作るか。一口に言えば、制作費を出す側(TV局や映画会社、プロデューサー等)を納得させるために書かれ、それは多くの場合、脚本家が書く事となります。その場合も、脚本家が自らの企画を売り込むためであったり、製作者や関係者から依頼されるなどさまざまなケースがあります。

番組や映画の企画は、さまざまな雑談などで関係者が「それは面白い。番組を作ろうじゃないか」などと盛り上がって、まず企画書を書いてくれよ、という事が多々あります。『隆慶一郎読本』の勝田氏の書かれたエピソードで、「『おんな三匹温泉芸者』の企画書でも書くか」というような話になるわけです。この場合、企画書はプロデューサーである勝田氏自身が書く事となっていますね。このように企画書は、脚本家に限らず誰もが書くことができます。もちろん、制作に関係の無い人であっても企画書を書き、売り込む事もできます。ご存知のように、シナリオは読み難く、いきなりシナリオを制作サイドに送るよりも、企画書としてテレビ局や映画会社、プロデューサーに送ったほうがより目に止めてもらえ易いといえます。
実際、この企画書は、シナリオ教室で「企画書はこんなふうに書くんだ」と、池田先生が企画書の雛形として自らの企画書をコピーして生徒に与えたものです。
この『破れ新九郎』の企画書は、1977年より朝日放送の火曜夜九時枠で始った時代劇『破れ奉行』の後続シリーズで、視聴率低迷などの理由で新番組の企画を局から依頼された池田一朗(隆慶一郎)が、番組の企画会議向けに書かれたものと思われます。

時代劇シリーズ『破れ新九郎』企画書

1、企画意図 

○「ゴッド・ファーザーPART�」をごらんになった方なら、あの中に、白黒でカットバックのような形で入っていた、初代ゴッド・ファーザーの青春時代…つまり、彼が如何にしてゴッド・ファーザーになっていったかを描いた部分を、よくご存知の筈です。その部分は、カラーで入っている、本来のドラマよりも屡々魅力的でさえあったと思います。その魅力の根源は何であったか、を考えることから、この企画は始ります。

○それは、俳優のせいでは全くありませんでした。画面も、故意に古ぼけた感じの白黒で、画面の美しさによる、とは、お義理にもいえない。とすると、それはどんな理由で、ああも魅力的だったか。答えはしごく簡単です。魅力の根源は、その設定とストーリイ、中でも設定の方にあった。PART�の本来のドラマは、もう出来上ってしまったマフィアという巨大な組織のボスである主人公の苦悩を描いたものだったのに対して、この白黒の過去の部分は、PART�の主人公が、まだ組織のボスとして君臨する以前の話です。つまり一介の貧しいイタリア移民の労働者であるにもかかわらず、義侠心にとみ、同じく貧しい仲間たちにもめごとの解決を頼まれると、どうしても、いやといえない。言葉少なく、だが優しい目で、「いいですよ、何とかしましょう」と引きうけて、後はそれこそ身体を張って、その依頼人のためにつくす…必要とあれば人も殺す…そうした、無償の行為のつみ重ねによって、自然に、(決して自分が望んだわけではなく)その町内の、次にはその地区のボスとなり、やがて大都会の一方のボスになり上がってゆく…そういう道程を描いたものです。そこには、まだ組織の利害はなく、自分個人の利害さえない。只、自分のような男を頼る…いや、自分のような男しかもはや頼る者をもたない、哀れな庶民への、あふれるような愛情があります。次いで、その哀れな庶民をしいたげる者への憎悪と、それが何らかの形で倒された時の、痛快感がある。それが既に出来上がった組織のボスとなった男を描くメイン・ストーリイより、このサブストーリイの部分を遥かに魅力的にした根源がある、と考えていいのではないかと思う。

○そもそも、この火曜九時のワクは、「破れ奉行」以来、体制側の人物集団を主人公としたドラマを続けて来ています。この辺で、もう一度、体制外の人物を主人公にしたドラマを提供した方が新鮮ではないか…

○しかし、今日のアクションドラマの流れは一個人を主人公としたものよりも、数人の集団を主人公としたものへと移っていっているように見えます。一人のスーパーマンより、一人一人は決してスーパーマンでないが、何人か集ることによってスーパーマン的パワーを発揮出来る…そうしたタイプのドラマに視聴者はより親近性をもつように思われる…

○ところが…グループものとなりますと、どうしても体制側に立った人間たち(奉行所、火盗改めetc)の方が描きやすい。それを反体制側に求めると、どうしても仕掛人シリーズのようになってしまう。仕掛人シリーズは、それはそれで結構なのですが、毎回、人を殺す…それも秘密裡に暗殺するということによって、どうしてもどこかに暗い影がつきまといます。この火曜九時のワクは、その暗さを、なるべく排除したい…それが企画側の意見でもあり、スポンサーの意向でもあります。

○従って、主人公たちのグループを、反体制側にするにしても、その暗さをさけたい。そのために、次のように考えてみました。

1ー1 先にのべた「ゴッド・ファーザーPART2」に見られるように、既に出来上がった組織を描くのではなく、その誕生の部分を描きたい。最初は一人だけ、次いで、共鳴して協力者が一人また一人と現れ、ついに六人のグループになる、という形です。それによって、その動機のういういしさというか純真さというか、更にはその必然性を強調したい。

1ー2 同じ理由によって、事件とのかかわり方を、必ずしも依頼、人に頼まれる、という形にしたくない。主人公とそのグループが、見聞したことで、むかッ腹を立てる、義憤を感じる、…それを発火点としたい。腹が立つから、自ら進んでその事件にかかわり、人を助け、悪をこらす。従って、彼等は、たとえ、それが人から依頼された事件であっても、絶対に金は貰いません。彼等はひとしく、労働者であり、額に汗して稼ぐ。それ以外の金の稼ぎ方をする奴は、信用しない。そういう頑固なまでの考え方をする連中なのです。但し、その事件のためにかかった金―必要経費とでもいいましょうか―それはとる。只、依頼人からではなく、相手側、つまりワルの方からとる。それも大雑把なものではなく、何両何分何朱何文、というハシタまで、細かく計算してとります。一文といえども、かかった以上の金はとらない。これも亦、貧乏人の頑固さかもしれません。

1ー3 又、事件にかかわるのは必ずしもレギュラーの人物ばかりではない。随時、必要に応じて、様々な職業の人物が、助っ人に入る、という形にしたいと思います。但し、この人物たちはどれもこれもカタギの人間にしたい。盗人、スリ、やくざ者のたぐいは、一切いれない。主人公たちが、そういう人間を信用しないからです。そうしてその助っ人たちは、一生に只一度、彼等が思ってもみなかった大冒険に参加する。それを、かあちゃんや子供にいうわけにはいかないけれど、夫々の人物が、自分の誇りとして、一生抱いてゆける思い出をもつことになる、というようにしたい。

(※赤部に「これで一本つくること。かみさんやガキにバカにされているダメ亭主」という本人の書き込みあり)

このレギュラーたち自身が、特殊な人間ではなく、夫々普遍的な市民であり、どこにでもいる八っあん熊さんなのです。その代表者なのです。だから、彼等のすることは、今風にいうならば、市民ゲリラの如きものであり、従って彼等の側には、無限といってもいい助っ人が存在するのです。たかが六人の人間(実際働くのは四人)が『真夜中の軍団』などと称しても、決して羊頭狗肉ではない所以はそこにあります。つまり、市民全体が軍団なのであり、市民の怒りが彼等レギュラーの怒りなのである。彼等は数は少なくともその背后には、当時百万と称せられた江戸市民が、予備軍として存在するのだ…そういう感じで、このドラマを、作って行きたいと思うのです。

1ー4 このシリーズは、一話読切りの一種の事件ものには違いないのですが、その中に、普通の事件ものよりは大きな割合で、日常生活描写を入れたい。庶民の貧しさと、それにも拘らず、底抜けに明るい面、貧しいがために必要な律儀さと礼儀正しさ、(普通のお行儀の意味ではありません)そこから生ずる一種のコッケイさ。そして「首がとんでも働いてみせらア」という江戸市民のヴアイタリティの前に、狡猾さと金力と権力が結局は敗れさってゆくさまを描きたい。

1ー5 必ずしも、殺しを目的としない。生命より大事な金を叉は地位を奪い、裸にすることもあれば、江戸にいられないようにして、追い出すこともある。つまり『スティング』風の、見事なサギで、胸をすかせることもあれば、『ゴッド・ファーザーPART�』の場合の馬の首のように、大切なものを抹殺することでおどす、という手も使う。勿論殺すしか解決の法がない、という場合は、成可くスカッとした形で殺す。とにかくワルをやっつけて痛快感を与える、というのを主眼として、必ずしも殺しにこだわらない、という形にしたい。

1ー6 登場人物の性格を、いずれも陽性にし、キャスティングも、その方向でしたい。陽性にも色々あります。野放図な明るさもあれば、正直一途、謹厳そのものの男がかもしだす、何ともいえないユーモアの明るさもあります。そういう人物ばかり集めて、主人公にしたい。

1ー7 各回のストーリィも、なるべくじめついた話をさけたい。これは人情話をさけ、スケールの大きいアクションドラマのみを狙う、という意味ではありません。どんなに、ささやかな人情話にも、じめついた書き方とカラッとした書き方がある。それを後者の形にしたいというだけです。

以上の七つのポイントを抑えることによって、明るく痛快な、反体制派の、グループもの時代劇をつくりたいと思うものです。



2、登場人物((登場順)

○破れ新九郎(36)…萬屋錦之介
親代々の獣医である。父親の代にはどこかの藩に、馬医としてつかえていたらしいが、この男、昔のことは一切語らないので、らしい、というにとどまる。ある日新宿二丁目太宗時裏の長屋(叉は新宿追分天竜寺内の長屋)に住みつき、「よろず医者。但し人間おことわり」の看板をかかげる。横に、「金魚、雀より牛、熊、猪までよろず引き受け申し候」とある。その通りどんな生きものでも治療する。腕は抜群。但し治療費はデタラメ。金持のペットが来れば、目の玉のとび出しそうな大金をまき上げるが、長屋の男の子がもちこんだ兎の治療費はロハといった調子。緊急の場合は人間も治療し、腕はいいのだが、やり方がひどく手荒いという。大体いつも陽気で明るいが、一旦へそが曲ると機嫌のとりにくい男である。正義感が強く、何かやりだすとトコトンやる。困った人、いじめられている人間を黙って見ていることが出来ないタチである。そして一度、怒れば、権力も金力も屁とも思わない。又、それだけの腕も才覚もある。どこで何流を学んだかしらないが、剣の達人であり、恐ろしく実戦的な拳法の名人でもある。

○吉兵衛(28)…田中邦衛
同じ長屋で、隣家に住む叩き大工である。凄まじいヴァイタリテイの持主で叩かれても、こたえない。逆に口笛を吹いているという男。(実はあとで人知れず七転八倒するのだが)いってみれば、「首がとんでも動いてみせる」という、江戸庶民の典型のような男である。当然ながら、極めて、喧嘩早く、しかもいまだ嘗て負けたことがない。その彼が初対面で新九郎に喧嘩を売り、まるで小児のように扱われ、負けた。以后ゾッコンである。破れの先生のためなら、何でもする。水虫の皮をむけといえば、喜々としてむくほどの惚れこみようである。無骨なくせに、大工の腕は確かで、細工物をつくらせても一級。おまけに、何故か料理がうまく、手前の作った料理でパイイチというのが、何よりの天国。当然、破れの先生の食事は全部自分でつくるつもり。たまにどこからか差し入れがあったりすると、ブスッとふくれて、中々機嫌がなおらない。悪女の深情け的傾向がある。喧嘩で知り合った仲間が、どこにいってもゴマンといるので、大変な顔ききである。ただその人物を紹介する時、必ず知り合ったきっかけの喧嘩の話を、微に入り細にわたって、しないと気がすまない(相手がいくらヘキエキしても)という悪癖がある。こんな男にカカアが来る筈はなく、今もって独身である。

○治助(26)…千田ミツオ
この長屋の差配である。差配といえば、かなりえらいものなのが通り相場だが、治助の場合は逆である。長屋のいたんだ箇所をなおし、井戸がえをやり、ドブさらえをやり、しかも家賃をとりたてるのが下手くそと来ている。原因はその顔であろうか。とにかく、痛めつけられやすい顔なのである。この男、女大家おきんのイロだという説もあるが、よく分らない。とにかく、彼を一番いためつけるのがおきんであることは確かである。

○おきん(86)…岸田今日子
この長屋の大家。大家といえば親も同然店子といえば子も同然というのが口ぐせで、もっともこの口ぐせが出るとトタンに長屋の住人はパッといなくなってしまう。前に立っているとロクなことにならないからである。そして、どういうわけか、この時、前に立っているのは常に治助ということになり、治助はコテンのパンに痛めつけられることになるのである。だが、一度外部の者が(例えそれが町奉行所だろうが、いや、もっとこわいご老中だろうが)、この長屋の者をいたぶろうとしたり、攻めようとしたら大変。一種もの凄まじいママゴンぶりを発揮して、徹底的にかばいきる。そのためには偽証もヘッチャラという女である。

○宗方十吾(22)…岡本富士太
父の代までは、北町奉行所の廻り方同心であった。その父が非業の死をとげた時、十吾はまだ八歳。本来なら、お奉行のお情けにすがって、宗方家をつぐことも出来たのだが、母が、同心という職業が嫌いで、同心株を売って浪人してしまった。その母も死んで今は気楽なひとり身だが、この若者屈託というものをしらない。金なんかある筈もないし、貧乏暮しにきまっているのだが、一向苦にもせずいよいよくえなくなると、問屋場へいって帖づけの手伝いをして日当を貰う、という毎日。剣は強いが、それを役立てるような、用心棒風の職業は金輪際しない。大酒をのむでもなく、もの静かで几帳面で、そのくせ底抜けに明るい好青年である。この男の胸の底に悪に対する強烈な怒りがひそんでいることを知っているのは、破れの先生だけである。

○三田鈍兵衛(36)…若林豪
同じ長屋の住人で、天気相談を職とする浪人です。腕も立つようですし、人も決してわるくないのですが、(子供と遊んでる時なんか、とろけそうな顔をしています)妙にヘソ曲りなのが玉に傷。とくにアルコールの入ってる時ときたら、絡み酒もいいところで、知っている人間なら、誰でも一目散に逃げ出す。この相手を出来るのは、まア、吉兵衛ぐらいではないでしょうか。治助をいたぶって悦に入る点では、吉兵衛とどっちもどっち。従って、おきんにがなられると小さくなる点も似た者同士ということになります。

(※欄外に「元天文方、下駄をける」という書き込み有り)

この他に、セミ・レギュラーとして、次のような人物を用意してあります。

○八兵衛(60)…嵐寛寿郎
問屋場のかしら。いつも問屋場の帳場に座っているだけで、表には殆んど出ない。おまけに、口もあまりきかない。ただただ目をギョロリとむいて座っているだけなのである。人の噂だと目をあいたまま眠っているという。要所々々で、只一言ズケリと何かいう。それがピタリと壺にはまった感じで、人々を唸らせ恐れさせ流石はかしら、ということになる。宗方十吾を、息子のようにかわいがっているらしいのだが、態度には殆んど現わさない。

○うわばみのおよし(88)[実名]…春川ますみ
実在の人物で、旅館玉屋の抱え女郎で、胸一面にうわばみの刺青をほどこした、名物女。人が底抜けによく、しかも喧嘩早く、何かというと「さあ殺せ」と半裸で、どこでもかしこでもひっくり返ってしまう。という厄介な女。これが破れ新九郎にゾッコンだというので、何かとトラブルが起ることになります。

○竹之助(18)…池上季実子
太宗寺前のそば屋の出前持。いなせでキリリッとしてて、女にファンが多いのですが、実はこの竹之助、女なのです。どういうわけか女がきらいで、子供の時から男として育って来た。しかし年ごろともなれば、匂うような色気は覆うべくもなく、何かと物議をかもすもとになるのです。この女(?)が、ひそかに十吾に思いをよせているらしく、これ又、トラブルのもとになります。ついでにいえば、この人物も実在の人物なのです。

3、企画内容

○時は天保初年。各地に飢饉勃発しくにをすて諸国を流浪する難民が激増し、北辺にはオロシヤの船が現れなどして、日本列島が、ようやく物情騒然となって来た時代です。

○舞台は内藤新宿です。
内藤新宿とは、勿論現在の新宿ですが、正確にいうと、現在の新宿一丁目から三丁目にかけて、発展した宿場町です。西は現在の三越あたりまで。南は、甲州街道と明治通りがまじわるあたりまで、だったといいます。この宿場町の南側には、玉川上水が流れ、その堤には桜が植えられその流れは心中の名所でもあった。
元々、現新宿二丁目太宗寺東側に何軒かの町屋が出来、これを「内藤宿」と呼んだのですが、元禄十一年、浅草安倍川町の名主、高松喜兵衛が中心となって現新宿一丁目から三丁目にわたる甲州街道の道筋に宿場建立の願いを、幕府に申し出、五千六百両(現在の金で約十五億円)の権利金をおさめて、許可されました。これを新しい宿場という意味で、「内藤新宿」と呼んだわけです。
以后、品川、千住、板橋と並んで江戸四宿の一つとなり、栄えたのですが、その繁栄は宿駅だからというだけでなく、いや、むしろ、それ以上に、吉原にくらべてはるかに気安く利用出来る遊女町だったからなのです。名目上、女郎屋とはいえないので旅籠といい、女郎といえないので、飯盛女と呼んだ、というだけで、実質はまさしく遊廓そのものだったのです。内藤新宿は、その女郎たちの客引きが凄まじく、目に余るものあり、という理由で享保三年に廃駅を命ぜられたほどでした。再開されたのは、五十四年後の明和九年のことです。それが文化五年には、もう、旅籠五十軒、引手茶屋八十軒という数になっているのですから、まさに新宿人のヴァイタリテイたるや目をみはるものがあります。
この宿場の特徴は、甲州街道をはるばるやって来る、馬と牛車の長い隊列(普通十五連ぐらいといいます)であり、その馬フン、牛のクソ、そしてそれらがまき上げる土埃である。
道は横断不可能なほど車馬で埋まり、その横で厚化粧の女郎(飯盛女)が客をひくのです。まさに、ワイザツで、メチャメチャで、だがそれだけに、ヴァイタリテイにあふれる町だったわけです。
この内藤新宿をバックとして、物語は進行します。

○この内藤新宿の中町(現新宿二丁目)太宗寺裏に、いつの頃からか古ぼけた長屋があった。名づけて榎長屋。江戸の底辺を形づくる、種々雑多な職業をもつ庶民たちが、そこで貧しいがヴァイタリテイと人情みにあふれた毎日を送っていました。職人がいる、駕篭かきがいる、水売りをなりわいとする者もいれば、願人坊主もいる。
その長屋に、一人の浪人が引越して来たことからこの話は始ります。お侍さんだから。という理由だけで、最初はやや敬遠ぎみだった長屋の住人たちも、そのあまりの野放図さと気さくさに、呆れ返り、次いで感嘆し、すぐさま仲間付き合いをするようになったものです。その野放図さは、例えば名前です。「お名前は?」ときくと、この男、「ああ、俺か。俺ア破れかぶれの新九郎だ。新さんでも新の字でもいいぜ」とこう来るのです。で…いつの間にか、「破れの旦那」というのが、この男の通り名になってしまいました。
やることも、長屋の八っあん熊さんと全く変りありません。尻っぱしょりで、井戸端で米をとぎ、或は洗濯をします。只、掃除する時、姉さんかぶりをするのは、少々気持が悪いとは長屋じゅうの噂です。

○この破れの旦那が、何をなりわいとして、銭を稼いでいるのか…
つましい毎日を送っている長屋の面々にとっては、もっとも関心の深いことだったのdすが…ある朝、新九郎が長屋の門口にかかげた看板で、この疑問は一挙に氷解しました。看板にはこうありました。「よろず医療うけたまわり候。但し人間おことわり」
横に但し書として、こうあります。
「金魚、雀より熊、猪に至まで、よろず治療つかまつる」
つまり、現在でいう獣医です。しかもこの破れの先生、医療の腕は抜群で、遠くからその評判をきいて、患者(?)が集ってくる始末。先生の長屋は、全部板敷に改良されていますが、そこに、犬猫は愚か、小鳥、亀まで、一人前に枕をしてねている情景が、忽ち長屋の人間にとって、見慣れたものになります。彼等にとっての不思議は、例えば猫と小鳥が枕を並べていても、猫は絶対に小鳥を襲わないということでした。破れの先生にきくと、「何ごともしつけだよ、しつけ」と只一言。一同感服ということになります。治療費のとり方が、又、出たらめです。金持のペットからは目の玉のとび出るような金をとり、近所の子供がもちこんで来た雀の治療費はタダ。猿廻しの猿はたった十文で、女郎屋の猫は十両といったていのものです。

○商売が分ると、長屋の人々は、心から安心して、新九郎とつき合うようになりました。そして、そのうちに、何かとこの先生に相談ごとをもちかけるようになったのです。新九郎の気さくさと、頼もしい感じ、その上、何よりもその優しい眼差がそうさせたのでしょう。新九郎は、又、きき上手で、そこまでは放すつもりがなかったことまで、ついつい喋らされてしまうのでした。そして…この長屋に一つの事件が起ります。この事件を通じて、長屋の住人は、新九郎という人物の、優しさ気さくさの裡に秘められた力と、恐ろしさを、知らされることになりました。…それは…。

4、サンプル・ストーリイ(発端)

○タイトル

○或る日、榎長屋に、一組の父娘が引越して来た。父の名は佐野屋正助、娘の名はお染。正助は病人らしく、引越してくるとすぐ寝込んでしまい、たつきは娘のお染が、針仕事でなんとかしている。この佐野屋、実のところ、去年まで、室町あたりで店を張っていた、油問屋であり、公儀ご用達までつとめていた大店だった。当主の正助は、三代目だが、無知のお人好しで、仏の正助とまであだ名された男。人から頼まれると、いやとはいえないたちで、どんなに損になると分っていても、やってしまう。随分多くの人に金も貸したが、どれにも証文をとるようなことはせず、ある時払いの催促なし、というおうようなもの。又、そんなことをしてもビクともしないだけの財産もあった。それが、この長屋におちてくるざまになったのは、たった一度の火事のお陰だったのです。

○一年前の師走。空っ風の強い晩に、突然佐野屋の店から火が出た。油商だからたまりません。またたく間に火は店じゅうに拡がり、更に町内を一なめにして、隣の町までのびてゆく。結局六つの町をやきつくし、おびただしい死人と怪我人を出した上で、やっと鎮火しました。元来、油問屋は扱うものがものだけに、火の用心については町奉行所からも非常にきびしい監視をうけ、その店でも用心の上にも用心をするものなのですが、この火事については不審なことが多すぎました。
先ず、佐野屋の一人息子が火もとと思われる場所で焼死体で発見されたこと。次に、どんな火事にも強い筈の金庫と油倉が、またたく間に焼けてしまったこと。
そして、佐野屋は、失火の罪を問われ、闕所(家屋敷・家財を没収すること)の上、江戸払に処せられた。僅かに残った家財は召し上げられた上、江戸を追われたのである。勿論、公儀ご用達の看板は、とりけされてしまった。息子をなくした(妻はその前に病死)上にこのショックで、正助は身体がガタガタになってしまい、衰弱の一途を辿ることになったのです。

○お染はよく出来た娘で、すんだことに未練はもたず、健気に働いていた。だが、娘の細腕では、父に必要な薬と滋養になる食べ物を買うことは出来ない。お金さえあれば、と思うことが多い。そうなると、頭に浮ぶのは、父が気前よく貸してやった金である。お染は恥を忍んでそのとりたてに歩いた。だが、借金を返したくないのは人情。ましてや証拠になる証文がない。金を返す者は、一人もいなかった。

○正助が、一番多額の金を貸したのは、三千五百石の大旗本山名外記と、昔佐野屋で働いて暖簾別けをして貰った時津屋清兵衛の二人でした。
山名外記に金を貸すように話をもって来たのは清兵衛だったから、正確にいえば時津屋清兵衛が、最大の借り方ということになります。しかも、この借金には、証文こそなけれ、平助という番頭が立ち合っていた。つまり証人がいたわけです。その平助をたよりにお染は、清兵衛に返金かたを頼みました。
だが、清兵衛は、返金するより平助を買収する方を選んだ。唯一の証人に裏切られ、金はかえる見込みはなくなり、その上、たまたま時津屋に来合わせて、お染の美貌を見初めた山名外記に、犯されかかったお染は、長屋に帰ると父の正助をつれ出し、親子心中をはかったのでした。

○二人を救ったのは、宗方十吾と、差配の治助でした。そして二人の話をきいてもっとも怒ったのは女大家のおきんです。「大家といえば親も同然」という彼女の考え方からすれば、これはほ放っておけることではない。直ちに、代官所を通して、江戸町奉行所に訴え出ることになった。普段は、おきんの猛烈大家ぶりに辟易している長屋の面々も、今度ばかりは、拍手喝采をおくったものです。

○だが…江戸町奉行所の呼出しをうけて出かけていったおきんは、怒りで真蒼になって帰って来ました。一通の証文もなく、証人もなしで、公儀ご用達の商人ばかりか天下の旗本まで訴えるとは不届き至極であり、大家としても浅虜至極というのである。要するに、訴えは却下されたなかりか、おきんは「大家はやはり男がよかろう」という言葉で引退を強要されたのです。ハッキリいえば、聟か養子をとり、それに大家をゆずれというのです。おきんが怒り狂うのもむべなるかな、でした。

○お染は、これを全部自分のせい、と受け取った。沈み込んで、放っておけば又ぞろ自殺しかねない状態です。隣家の大工の吉兵衛は気が気でなく、自分で乾分ときめこんでいる新九郎に相談をもちかけました。「先生なら何でも出来る。何とかしてやっておくんなさい」新九郎の答えは簡単だった。「まア、やってみるかね」

(※欄外に「『本日休診』の札を出す」との書き込み有り)

○宗方十吾は、彼なりの義憤に燃えて、北町奉行所へ出かけ、父の親友だった同心から、ことのいきさつを、聞き出して来ました。それによると、北町奉行に大奥からの圧力がかかったという。大奥で権勢を振う年寄滝村それは山名外記の実の姉だったのです。当時出世を望む高級官僚(町奉行もそうです)にとって大奥を敵に廻すというのは、考えられないことでした。ですから、北町奉行はこの件の却下を命じたというのでした。

○新九郎の「やってみるかね」というのは、バカじゃないかと思われるほどストレートなものでした。まず、いきなり時津屋へいって清兵衛びあったのです。「わるいことはいわねエ。黙って金を返してやれよ」普通ならこんなバカを清兵衛が気にもかける筈はないのですが、新九郎という人間のもっている不思議な重みが清兵衛をフッと不安にします。実はこの清兵衛「公儀ご用達」の看板がほしいばかりに、佐野屋に火をつけさせた張本人だったのです。そのスネの傷を見抜かれたような錯覚を清兵衛は感じたのです。追い立てられると大人しく帰ってゆく新九郎ですが、次の日になると、又、シャアシャアとやってくる。いう台詞は同じです。そして、三日目、四日目とこれが続く。

(※欄外に「やくざに頼むと、全員、腕キュウ」という書き込み有り)

山名外記のところへ何とかしてくれと、頼みに行くと、当の外記も蒼い顔をしている。こっちにも新九郎は毎日顔を見せているのでした。しかも、門を閉じて入れないでおくと、門の外から一町四方に聞こえそうな声で「金返せ!」とやるというのです。

(※欄外に「○門に書く。○門を叩き続ける」という書き込み有り)

清兵衛と外記には、新九郎が何かとんでもない化物に見えて来ました。生憎内藤新宿では、北町奉行所を使って捕らえることも出来ません。となれば、手は一つ。

○その夜、刺客の一団が、榎長屋を襲いました。狙いは新九郎ばかりではなく、お染と正助でした。幸い、新九郎、宗方十吾、すね者の傘張り浪人三田鈍兵衛、それに大工の吉兵衛の働きで、刺客たちは追い返すことが出来ましたが…長屋側に犠牲者が出ました。あめ屋の男の子のかわいがっていた小犬が、けたたましく吠えたために、斬り殺されたのです。新九郎の表情が沈み、目が異様に光りました。この男が怒った時の表情です。十吾と吉兵衛、それに鈍兵衛の三人が、それに気付きました。三人はそっと新九郎に囁きます。
「やるんなら手伝わせて下さい」

○次の晩、時津屋清兵衛の家から火が出ました。火元が家の中であり、金蔵、油蔵があっという間に燃え落ちたのは、佐野屋の場合とまったく同じでした。ただ違っていたのは、誰かが早めにスリバンを鳴らしたので、(そしてどういうわけか、火の見に上ったのはいいが、こわくて降りられなくなった治助が、次の朝見付かる、というハプニングがありましたが…)火消しの出動が早く、類焼をまぬがれたことです。しかも、時津屋の使用人で煙にまかれた者が何人かいましたが、いづれも正体不明の男たちに助けられたことです。しかし失火の罪は罪。時津屋は闕所の上、江戸払いになりました。

○更に、山名外記は、それから数日後、目付役就任という晴れの日を迎えたのですが、喜び進んで登城の途中、顔をかくした四人の男共に襲われ、髷を斬られたばかりか丸坊主に剃られ、褌一つで、さらし場にさらされるというとんでもない災難にぶつかりました。勿論天下に生き恥をさらした男が目付になれるわけもなく、話はご破算。しかも弟の不始末は大奥まできこえ年寄滝村の勢力も、ガタおちだ、というから恐ろしいものです。

○そして、時津屋や江戸を去り、山名外記が甲府勤番を命ぜられて同じく江戸を去っていった日、(二人共内藤新宿を通っていったのは奇妙な偶然といえましょう)榎長屋のお染の長屋の戸口に、清兵衛に貸した金がつまれてありました「悪党もやっぱりいつかは後悔するんだなア」と長屋の連中はちょっとしんみりと囁き合ったものでした。それを一番もっともらしい顔でいっているのが大工の吉兵衛で、この男、本気でそう思っているみたいで、十吾と鈍兵衛は、やや唖然としたものです。

(了)




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