《遊廓関連》

【花車】(かしゃ)

揚屋や茶屋の女房。(『艶道通鑑』注)

 

【ギウ】(ぎゅう)

牛あるいは妓有太郎(ぎゅうたろう)の事。女郎の世話をする下男。時に用心棒的な存在ともなった。及とも書く。また、西鶴の『好色一代男』などに久次郎とあり、ギウのことをいったとある。

遊廓には妓有太郎は無くてならぬものとなって居るけれども、この妓有太郎の由来を尋ねると、銭湯の傭人で久助といふ脊むし男の名から起ったといふことが分る。洞房語園に『ギウは散茶より起りし名なり。承應の頃ふきや町に泉風呂の彌兵衛といふ者ありしが、彼家に久助とて年久しく召仕ひし男有て、風呂屋の遊女を引まはし客を扱ひけり。此久助たばこを好みしが、他人に紛れぬようにとて、紫竹の太きを、長さ七八寸に切り、吸に火皿を付、この長き煙管を常に放さず腰にさして居たり。その上久助は生れつき脊むしにて、丈け少き男のきせるをさして居る形をその頃の若き者とも、彼久の字のかたちを見立て久助が異名を及といひしより、彼風呂屋が方へ遊びに行かうと云ふとき、キウが所へ行かうなどと云はれしより、自ら風呂屋の男の惣名となれり。板本には、ギウを花に廻ると釋せし。甚だなる杜撰なり。當時、ギウを妓有などと書くは、好事の者のわるさなり。予が若かりし頃までも、及と書けり』と云って居る。(『江戸時代の猥談』)

『燕石十種』「異本洞房語園」参照。  

妓夫(ぎゅう) 遊女屋の下男。遊女屋の客引。(『廣辭林 新訂版』)

 承応のころ、葺屋町に和泉風呂の弥兵衛といふ者あり、彼が家に、久助とて、年久しく召遣ひし男、風呂屋遊女をまわし、客をあつかひしに、生得せいちいさく、煙草をこのみてのめども、他人のきせるにまぎれぬように、紫竹のふときを長さ一尺七八寸に切て用ひ、これをくわへて、みせの庭の前にこしをかけ居る姿、せむしの如く、長ききせるをくはへければ、及の字の形によく似たりとて、これを及とあだ名せり、此事ひろまりて、遊女のまわしかたを、皆及といふ也、晋其角も、禅家の十年にならひて、かの及を牛に通はせて、十牛の句あり、遂に人あやまりて、牛の字を書は、事を解せざるなり、(後略)(『墨水消夏録』)

 

【首代】(くびだい)

吉原の若い衆。用心棒的な存在。

いずれも職人か商人態だが一様に大脇差を帯び、半弓に矢をつがえていた。その半弓が水野たちに向って引きしぼられた。これは首代と呼ばれる。吉原のいくさ人である。普段は何もすることがなく、廓の中をぶらぶらしているが、一朝ことある時は忽ち剽悍無比の戦士に変る。(『死ぬことと見つけたり』上153)

 

【地女】(じおんな) 遊女以外の女性をいう廓詞。素人の女性をいい、遊女の対語として用いられる。

『色道大鏡』十四の雜女部では、傾城(遊女)以外のすべての女性を「雜女」と云うとある。人妻、妾女、出合者、寡婦、腰元以下乳母を含む女奉行人、風呂屋女、茶屋女、旅籠屋女、比丘尼、贅女、舞子、女工、惣嫁等。(『色道小鏡』注)

 

【女衒】(ぜげん)

女衒中継。遊女候補者を探し、遊女屋に売る商売の者をいう。

女衒或は女衒中継と呼ばれ、世間から蛇蝎のように疎まれている人々がいた。いずれも二度や三度の牢暮しは普通といわれる悪である。これが日本全国を歩き廻り、器量のいい女の子がいると金で買い、買えぬ時は勾引かした。手に入れるとすぐどこかの色里に売りとばす。それを別の女衒が、又、別の色里に売る。これを何回も繰り返すうちに、女の子がどこから買われ、或は勾引かされたか全く分らなくなってしまう。これを鞍替えと云い、玉ころがしと云った。(『吉原御免状』290) 

慶安、女衒、肝煎、今世間では、傭人の口入するをけいあんと云ひ、遊女の口入するのをぜげんと云ふ。是等一切を引つくるめて一般に媒ちするのを肝煎と云った。(『江戸時代の猥談』)

遊女奉公の手引を業とする人。(『廣辭林 新訂版』)

 

【年季】(ねんき)

傾城(女郎)の年季奉公は、十年と定められていた。但し、契約によっては何歳までとすることもあったという。吉原では、二十七歳までとする例が多い。(『色道小鏡』注)

 

【亡八】(ぼうはち)

遊廓・女郎屋のおやじの事。この呼び名については幾つかの説があるが、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの徳目を無くさなければできないという例えは、後からこじつけられたのは事実のようだ。

亡八とは傾城屋の主をいう。孝・悌・忠・信・礼・義・廉・耻の八つの徳目を忘れなければ出来ない商売だというので、亡八といったといわれるが、これはこじつけで、真実は『ワンパ』という中国語の当て字だという説もある。ワンパとは鼈の別名で、罵言に使ったものだ。(『吉原御免状』)

亡八は亡八以外の何者でもない。まっとうな世間に背を向け、孝悌忠信礼義廉耻の八つの徳目を忘れた生きざまをするからこそ亡八(忘八)と呼ばれるのではないか。(『かくれさと苦界行』)

新しい城下町に一旗上げるために押しかける男たちは、ほとんどが単身であり、必然的に女性に飢えている。だから町が出来るとほとんど同時に、亡八たちが女を引きつれて現れ、傾城屋を作る。亡八とは傾城屋のあるじのことだ。傾城屋の主人になるには、孝・悌・忠・信・礼・義・廉・恥の八つの徳目を亡失しなければ出来ないから『亡八』といったというが、実際は『亡八』とは『ワンパ』と呼ぶ中国語で本来すっぽんを指す罵言であり、『おやじ』というくらいの意味だったようだ。(『影武者徳川家康』中346) 

忘八とは、仁・義・礼・智・恵・信・孝・悌の八つの徳目を忘れた人間でなくては勤まらないという意味で、遊女屋の主人を呼んだ言葉である。(『花と火の帝』下75) 

昔は遊女屋を轡(くつわ)と云ふ。(中略)物の本にくつわ、亡八の仮字して仁義礼智等の八つ失す故と名と云へるは附会ならん。(『守貞謾稿』) 

亡八・忘八 仁義礼智孝悌忠信の八徳をすべて亡ひたるものの義。(一)くつわ。いろざと。遊里。(二)遊女屋。遊女屋の主人。くつわや。(『廣辭林 新訂版』) 

広辞苑(第二版)によれば、八徳とは仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八種の徳、と有る。『南総里見八犬伝』で伏姫の首に掛けた数珠に現れた文字も、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌で、伏姫が自害し、その数珠が弾けて空高く舞い上がり全国に飛び散った。そして、その文字が現れる玉を持つ剣士八人を八犬士と云い、物語はその八剣士を捜し出し、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字が現れる玉を集めるという話しだったように記憶している。だから、師の八徳を説明する文に、孝・悌・忠・信・礼・義・廉・耻(恥)と書かれているのを不思議に思った。また『花と火の帝』では、忠の代わりに恵の字が有る。そして『鬼麿斬人剣』では広辞苑に有る八徳が記述されている。どれが正しいのか、後考を要す。

○傾城、傾国(古事あり)唐にては美人の事を云、日本にては売女の事を云は誤れり、○売女を唐にては妓女と云、○上郎とは、諸侯の召仕女なり、売女は女郎と書べし、

○売女は、渡世のために美目よき女を買取て、白粉、紅粉をぬり、其色を増し、綾羅をきせて人をあざむき、香具を帯て臭気を去り、諸人を落し穴へ入れ、一生をあやまらせ、或は命をも損する不仁なる家職ゆへ、世の人別として交らず、是を亡八と云、孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥の八ツを忘れたるゆへと、唐人は戒めたり、(『燕石十種』第一巻「我衣」曳尾庵著)

【遊女が長】(きみがてて) 遊女屋の主人を呼ぶ雅名だが、「きみがてて」という音から想像する字は「君が父」で、「遊女の長」は父親同然あるいは父親代りという意味かと思われる。

遊女屋の主を『遊女が長』と呼ぶのは、江口・神崎以来の色里の習慣であり、同時にこれは傀儡子族の首長であることを明かす言葉でもあった。(『吉原御免状』292)

 

【真夫】(まぶ) 

此名目、金山詞より出たりといへど、さにはあらず、表向の買手にあらずして、密通する男をいふ、真実におもふ夫といふ事なり、表向の知音は、商売の為のみにして、心にあふもあり、あはぬもあり、真夫は、利欲にかゝはらず、女郎のたのしみにあふ事なれば、真実に好まずしてはあふ事なし、伊勢物語に、まめおとこといへるも、当道の真夫と同意也、文選に、密夫とかきて、まめおとこと読ませたるにてしるべし、又実の字をまめとよむ、愚見抄、惟清抄のの説も、まめおとこ、実人、と注す、伊勢物語に、ひとりのみもあらざりけらし、それを、かのまめおとこうちものがたらひて、と有、主ある女に心をかけて通ずるを、まめおとこ、と書たるからは、当道の真夫も、おもてむきの知音ありながら、忍びてあふおとこなれば、是まめおとこなり、或説に、表向の男あるに、其間にて密通すれば、間夫と書べきにや、といへり、是信用しがたし、既に我あふ女郎に真夫ありときゝては、其知音忽に離るゝ事、是常の例也、かくとはしりながら、真夫とかけり、(『色道大鏡』巻第一)

 

 

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