衆道(しゅどう)

若衆道の略。男色の道。かげま。(『広辞苑』第二版)

我国で同性愛が罪悪視されるようになったのは、明治以降の西洋的道徳観が移植されてからのことだろう。それまでは、異性愛よりも少なく異なる道ではあっても、罪悪では無かった。そのため、男女の愛憎からくるさまざまな人間臭い事件同様、男色のもつれで引き起こされた事件も又、少なからずあった。隆慶作品においてもそこから来る事件がちらちらと現れている。その代表的な事例が荒木又右衛門の仇討で、この仇討のきっかけは衆道のもつれだった。

主道 衆道。但し『男色二倫書』(承応二年序、寛文五年刊『よだれかけ』巻五・六に所収)に「むかしは若道(にゃくどう)といひ、中ごろは主童と書といへり。男色はみちを主とするによりて、主道と書といふなり」。(『心友記』注)とあることから、『広辞苑』でいう若衆道の略で衆道となったのか、主道が衆道となったのか後考を要する。

西鶴の『好色一代男』では、「若道」と書かれ「じゃくどう」「にゃくどう」と読まれている。

にゃくどう(若道) ジャクドウとも。男色の道。男色。「自然若道などの縁を以て譲らるる様なる儀、仏法破滅の基に候」(高野山文書三、文禄二・一・一六)(『岩波古語辞典』)

『衆道物語』(心友記改題本)下に「衆道といふは、少人十二歳より二十歳まで九年の間也」とあり、『よだれかけ』五には「十六歳を若衆の春といふなり。(略)十一より二十までを蒼める花になずらへ、十五より八を盛りの花と極め、十九より二十までを散る花となん定まりし。此の理りは羅山のとはの言種とて、或る人は語りき。(略)また白玉の草子には、七歳より二十五までを若衆の一期とせり。此の道を好む者は、三十までをも用ひきにけりとあり」と記す。(『好色一代男全注釈』)

○男色をてらふものをかげこといひ、又かげまと称呼せり。ある人の物語に、鎌倉権五郎景政美小童なりし故に、八幡太郎義家寵愛し給ひ、景政をかげまと呼給ふに起れりといへり。かげのまと称すは訛なり。(『橘窓自語』)

【念友】(ねんゆう) 念人・念者ともいい、男色において、少人の兄貴分として交際する男子をいった。少人とは、稚児・若衆の事。(『心友記』注)『かぶいて候』には「男の愛人を云う」とある。

【牛耳の交はり】(ぎゅうじのまじわり) 血を啜りあって誓った仲。(『心友記』注)

 

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