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公家・官家に仕える侍。主に主家などの警護にあたった。
備中笠岡の国学者小寺清之が著した『老牛餘瑞(ろうぎゅうよぜん)』にある文を下に紹介。
○青侍
福山の藩士小川直貞(通称嚢平)いへらく、官家につかはるゝ侍を、アヲサムラヒといひて、青侍とかけども、アヲは色の青にはあらず、襖(あう)なるべし。そは官家にて下ざまの着る衣を素襖(すあう)といへば、素を省きて襖侍といふなるべし。アウをアヲに転じて、青の訓をかりたるなり。文字かきやすければなり。和泉式部の稲荷社に詣でられし時、雨降れば、アヲといふ物借たりしといへるアヲもこれにて、素襖を雨衣のかはりに着たるなりといへり。此説いはれたり。韻鏡に襖は二十五開の効につける奥に同じくて、アウの仮名なり。そのウをクォに転じ用ひたるなり。古今集にセウをセヲに転じ、拾遺集に紅(こう)をコヲに転じ用ひたると同じ例なり。
古今集物名 さゝ まつ ひは ばせをば
いさゝめに時まつまにぞひはへぬる こゝろばせをば人に見へつゝ
拾遺集 物名 紅梅
鶯のすつくる枝を折つれば こをばいかでかうまんとすらむ
(小寺清之『老牛餘瑞』)
清涼殿の西庇の北の一室。湯などをわかし、食膳を調える部屋。また、近世では大名の屋敷などで、お茶の湯などをわかす部屋をもいった。
【御湯殿上】(おゆどののうえ) 清涼殿の御湯殿につづいた一室。御湯殿に奉仕する女官の詰所で、食膳の具などを置いた。
【御湯殿上日記】(おゆどののうえのにっき) 清涼殿内御湯殿の上に侍した女官の日記。禁中の日常や女房詞などを知る上での好史料と云われる。
(最終更新日/2007.1.11)