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隆慶一郎が好きな言葉と文章
「陽気で、坦々として、而(しか)も己を売らないことをと、わが魂の願ふことであつた!」
これは中原中也の詩集『山羊の歌』の中の詩「寒い夜の自我像」の一節で、長女羽生真名さんの著書『歌う舟人』の中でもこのことが記されている。また、師の墓石にもこの中の「坦々」という文字が刻まれており、このサイトの他のページにも紹介している言葉だが、改めてここに取り上げた。
また、『死ぬことと見つけたり』の冒頭には、
「心置なく泣かれよと、年増婦の低い声もする」
と、同じく『山羊の歌』の中の詩「帰郷」の一節が挙げられ、「落日の支那大陸を走る貨物列車の中で、僕はこの詩を読みながら、本当にちょっぴり泣いたと思う。中原は相変わらず優しく、ランボオは相変わらず凄絶だった」と書いている。青年時代、『地獄の季節』をバイブルとした隆慶一郎は、A.ランボオの詩と格闘し、中原中也の詩に癒されたのだった。
上記「山羊の歌」や「在りし日の歌」を含む『中原中也詩集』は、「青空文庫」で全文が公開されているので参照ください。
「辛苦(たしな)みつつ降(くだ)りき」
これは『日本書紀』「神代上」にある言葉で、素戔鳴尊がその粗暴な振舞で天上の神々から疎んぜられ、地上(底根国)へ追いやられた時の様子を述べた段落の中にある詞。
『一夢庵風流記』の冒頭で、「滅びの美学」の中に生きた傾奇者の心情を、隆慶一郎はこの『日本書紀』の一節を引用している。そして、「私はこの『辛苦みつつ降りき』という言葉が好きだ。学者はここに人間のために苦悩する神、堕ちた神の姿を見るが、私は単に一箇の真の男の姿を見る。それで満足である。『辛苦みつつ降』ることも出来ない奴が、何が男かと思う。そして数多くの『傾奇者』たちは、素戔鳴尊を知ると知らざるとに拘らず、揃って一言半句の苦情も云うことなく、霖の中を『辛苦みつつ降』っていった男たちだったように思う」と書いている。
「抑(そもそも)此無苦庵は、孝を勤むべき親もなければ、憐むべき子もなし。こころは墨に染ねども、髪結び¥ぶがむづかしさに、つむりを剃り、手のつかひ不奉公もせず、足の駕篭かき小揚げやとはず、七年の病なければ三年の蓬も用ひず。雲無心にしてくきを出るもまたをかし。詩歌に心なければ、月花も苦にならず。寐たき時は昼も寝、起きたき時は夜も起る。九品蓮台に至らんと思ふ欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし。生きるまでいきたらば、死ぬるでもあろうかとおもふ」
『一夢庵風流記』の結びに使われている文章。前田慶次郎は諸処の大名の誘いを断り、米沢の直江兼続のもとへ行き、そこを終焉の地と定め米沢郊外の堂森に庵を結び閑居した。「無苦庵」とは、その小さな庵の名で、そこで悠々自適の生活を送った時に、自身も「無苦庵」と称した。この文章があるという「無苦庵記」は未だ実見していないが、その名からこれは慶次郎が米沢にいた時の文章と思われる。師が作品の中で「これは慶次郎が信濃善光寺に住んだ時の作として伝えられる『無苦庵記』にある」とある信濃善光寺は堂森善光寺の間違いであろう。この堂森善光寺の西には、慶次郎が日常生活に使ったとされる「慶次清水」が有り、現在も僅かだが清水が沸き出している。慶次郎はこの地で、慶長十七年(1612)六月に没し、米沢北寺町の一花院に葬られたとされるが、その寺は廃寺となり、墓の所在は不明となっている。その後、堂森善光寺の境内に供養塔が設けられた。
「真の良師とは弟子に何物かを教える者ではない、弟子をして弟子自身にめぐり会わせる者である、とは、周知のようにソクラテスの言葉であるが………今日のために色々考えて来たのですが、急に胸が一杯になって話すことが出来なくなりました。これで勘弁して下さい」
これは昭和二十三年、東大仏文科の教授だった辰野隆先生の退官に際し、最終授業の終了後、弟子代表として挨拶に立った小林秀雄先生のスピーチ。『時代小説の愉しみ』「失われた名演説」の中で、師(隆慶一郎)が紹介している。小林先生はこの冒頭の言葉を述べた後、感極まって言葉を失い、暫くじっと天井を見つめた後、前掲の言葉を残して壇上から降りたといわれ、この「失われたスピーチ」は、当時の仏文学会で有名なスピーチとして語り継がれた。この現場に居合わせた隆先生は、「僕はちょっぴり泣いたと思う」と書き、さらに次の小文で「<今この場に居合わせない奴は可哀想だな>不遜にも私はそう思った。それほどの感動だった」と書いている。この話を読み、正直私はうらやましかった。そして、隆先生が、シナリオを教えてもらいに来た私たちに、具体的なアドバイスもなく、決してテクニックなどというものを教えてくれず、ただひたすら書かせ、それを皆の前で読み上げるスタイルをとっていた意味を知った。
「彼等は犬の顔をしている。人生はまだその顔に皺をきざんでいない」
グレアム・グリーン『事件の核心』の中にある言葉。『時代小説の愉しみ』「喧嘩」と題した小文の中で引用している。小さなクラブで些細なことから、50代の中年男性と30代の壮年の男が言い争い、50代が「じゃあ、外へ出ようじゃないか」と喧嘩を売った。売られた方の30代は、席に座ったまま青筋を立てて怒鳴っている。久々に殴り合いの喧嘩が見れると思って成り行きを見ていた隆先生だったが、店の中で喧嘩が始まりそうになったので止めに入った。やがて落ち着いた頃、先生が「50代を半ばすぎて、まだ喧嘩をするかね」というように50代の男の顔を覗くと、照れくさそうに顔をつるりと撫でたという。その含羞の表情がなんとも良かったと書き、一方の30代の男たちには「これに比べると三十代の方はまるで面白みがない。いつまでも、ぶつぶつねちねち、店の女の子に怒っている。女の子をおどかしたって、男の面子が立つわけではないだろう」と書いて、このグリーンの言葉を紹介している。
余談だが、先生が飲み屋の客同士の喧嘩を止める現場に居合わせたことがあった。その時は、二人ずれの客の一人の悪酔いした男が、隣の客に絡む。連れの男はそれを止めもせず知らん顔で飲んでいて、絡まれた男が立ち上がり一触即発となった瞬間、先生はどこからともなくナイフを取り出し、それをカウンターにストンと突き立てたのだった。絡んでいる男は泥酔していてナイフに気がつかなかったが、連れのもう一人の男がハッとなり、慌てて連れの男を外に連れ出して事なきを得た。この一連の行動の中に、怒声や罵声が一切発せられていなかったので、離れた席の人間には何が起きたのか全く知らずにいた人もいた。
「耻アル者」
侍身分の定義の一つ。『時代小説の愉しみ』「織田信長」にある言葉で、師はその中で「侍身分の定義は様々あるが、その中に『耻アル者』というのがある。私はこれが好きだ。『耻アル者』とは恥じを知っている者の意である。常住坐臥の己れの行動、言説に厳密な規範を持ち、いかなる場合でもそれにたがうことを恥る者こそ侍だというのだ。この規範を美意識といいかえてもいい。辰野先生はその美意識に照らして、断乎として、『恋愛は美男美女のものだ』といわれた。そこには戦後チューインガムやチョコレートと共にアメリカ軍によってもたらされた、悪平等、悪自由へのいらだちがあったように思われる。信長はこの手の尖鋭な美意識の持主だったと思われる」と書いている。
「海 永遠に よせてはまたかえし
ああ 一すじの思惟ののちにかえりくるもの
神々の静謐の面に じっと注がれた眼差しよ……」
『見知らぬ海へ』のあとがきに変わる文として単行本化された時に、長女の羽生真名さんが寄せた「隆慶一郎とフランス文学」の中で紹介されているヴァレリー「海辺の墓地」からの一節。この詩の前の文章で、真名さんは「最後に父の好きだったヴァレリーの詩の一節でこの稿を終えたいと思う」と書かれている。
師は我々弟子どもと談笑している時、たまにフランス語で詩を口ずさむ事があった。その詩がこれだったかどうかは、フランス語を理解しなかった私には分からない。しかし、この詩の作者ヴァレリーが、自身の著『文学論』の中で、「翻訳。外国の大詩人の作品の翻訳は、建築の図面のようなもので実に素晴らしいかもしれないが、建物それ自身、即ち寺院も宮殿も消し去っている……。つまり翻訳は、理解し得べきものを、感じ得べきものにするあの第三次元を欠いているのだ」と書いていることから、師はこの詩を原文で覚えていたであろうことは想像に難くない。
「主ヲモタジモタジトスル」
「江北十ヶ寺」と呼ばれた近江一向宗寺院の一つ本福寺の門徒記録『本福寺跡書』にある言葉。隆慶一郎は『風の呪殺陣』の中でこの言葉のある文章を引用し、「信長の近江平定は、この『主ヲモタジモタジトスル』百姓に、主を押しつけるものだったのである」と近江一向一揆に触れ、「中世以来、『無縁』と『上ナシ』を標榜して、漂泊の人生を送っていた『道々の輩』、即ち技術家・職人・海人などの土地なき自由民と、同じく自由を憧れる下層の武士階級まで含んでいたのである。だからこの一揆は、今風にいえば専制君主に対する自由の民の戦いだったのである」と書き、第二次世界大戦の直前、ファッショなフランコ政権と闘った「スペイン戦争」になぞられ、「戦士たちの戦いは、上ナシの門徒共和国を成立させるためであり、個人個人の利害など考慮の外にあった」と『吉原御免状』からはじまる隆慶一郎の作品の一つのテーマとなっている『道々の輩』、「上ナシ」を標榜する自由の民の精神の在りどころを述べている。この「主ヲモタジモタジトスル」という言葉は、隆先生のお気に入りの言葉であったことは確かで、『捨て童子松平忠輝』の中でも「三九郎は忠輝の血に希いをかけたのである。忠輝の血とはお茶阿の方の血だった。つまり『道々の者』或は『公界往来人』と呼ばれ、『主を持たじ持たじ』の独立心を強固に維持し、戦国の騒乱の只中で、『敵味方の沙汰に及ばぬ』といわれた中立公平な自由往来人の血である」と書いている。
「俺は、今日まで、何をして来たのか」
『吉原御免状』の序盤と最後で、松永誠一郎に独白させている言葉。肥後の山中から江戸に初めて出た誠一郎が、吉原を望見する衣紋坂の途中で出会った光景は、眩いばかりの光の洪水と突然沸き起こる「みせすががき」の音色、想像だにしなかっためくるめく世界だった。「ゆうに百挺をこえる三味線が、一斉に、同じ音色を奏ではじめたのである。(略)どこまでも軽く、心を浮きたたせる音色の底に、そこはかとない悲しみの色がある。それが、誠一郎を泣かせるのである。(俺は、今日まで、何をして来たのか)」。しょうもない人間の業欲が渦巻き、見かけの華やかさと裏腹に、色里の持つ「そこはかとない悲しみ」をその「みせすががき」から誠一郎は感じ取った。やがて誠一郎は、吉原が『道々の輩』の砦であることを知り、その公界を潰そうとする権力と戦う中で、勝山や高尾と出会い、自分の出生の秘密を知る。そして、自分とかかわったばかりに凄惨な死を遂げた勝山の骸を背負い続けてゆくであろう誠一郎の悲しみで、『吉原御免状』は終っている。「勝山の声が甦ってくる。『みせすががき』の音が、荒寥たる辛さと悲しさを帯びてきこえた。(俺は、今日まで、何をして来たのか)誠一郎の頬が濡れている。丁度四月前、初めてこの坂に立ち、初めてこの音を聞いて、自分が今と同じように泣いたことを、誠一郎ははっきりと思い出していた」
この「俺は、今日まで、何をして来たのか」という言葉は、松永誠一郎に云わせている言葉だが、私は隆先生自身の言葉であるように思う。ご存知のように先生は、六十歳を過ぎるまでシナリオライターを生業とし、この『吉原御免状』が小説家としての最初の作品である。戦争を体験し、編集者を経験した後、仏文学者としてスタートしたが、そこは自分の居場所とはならず、酒場でもんもんと過ごす日々があった。そんな時、友人に勧められて映画の脚本を書き、それが金になったことがきっかけで、映画の世界に入り以後脚本家として生きてこられた。しかし、シナリオを書く事は、金になるから書いていただけで、心底自分の書きたい物を書いていた訳ではなかった。それが、六十という年齢の区切りと、師でありその鋭い批評で知られていた小林秀雄先生の死去によって、小林秀雄の呪縛から解かれ、書こうと決意した時に「俺は、今日まで、何をして来たのか」という問いとともに『吉原御免状』が書かれた。
世界のことわざ
国別のことわざ一覧で、解説が必要なものには解説を附した。
諺(ことわざ) 古くから人々に言い慣わされてきた言葉で、教訓や諷刺などの意を寓した短句や成句。
【日本】
「田舎に京あり」
田舎にもにぎやかな所、みやびたところがあるという意味の諺。
「田舎の学問より京の昼寝」
田舎で勉強してもたかがしれているが、都はただそこにいて昼寝をしているだけでも見聞が広まるという意味の諺。
「鰯の頭も信心から」
鰯の頭のようにつまらないものでも、それを信ずる人には尊いという意味の諺。
「浮世渡らば、豆腐で渡れ」
豆腐の形は四角四面だが、実際には柔らかい。これと同じように、世間でうまく生きるには、四角四面に社会の習わしに従うが、内面はいつも柔軟に保つほうがよいという意味の諺。
「思うに添わで、思わぬに添う」
思う人とはいっしょになれないで、なんとも思っていなかった人と結ばれる。男女の仲はままならないものという諺。
「火事と喧嘩は江戸の華」
火事は江戸では避けられぬ災害で、一種の宿命であった。その火事につきものなのが、野次馬は昂奮して喧嘩を惹きおこすこともあった。概して江戸っ子はきっぷがいい故に、些細なことで喧嘩するようなところがあった。
「かわいい子には旅をさせよ」
「兄弟は他人の始まり」
「元禄の着倒れ 化政の食倒れ」
元禄は1688年から1704年の十六年間、化政は、文化・文政(1804〜1830)を略称したもので、併せて二十六年間。元禄踊り、元禄髷などの言葉に代表されるように、服飾の華やかさが伴った数々の町人文化が花開いたのが元禄期。一方、化政時代は、あたかも昭和四十年代を思わせる経済成長期であった。田舎道の石標、道祖神には文化・文政の年号を刻したものが圧倒的に多い。飛騨の高山祭りの山車も、この時代に由来する。また操り人形を三十幾本かの細紐で操作する精巧極まる人形山車も文政年間の出現。江戸自慢の握り鮨は、文政七年(1824)に出現した。この時代にはすでに箱鮨が全盛を極めていたが、これに対抗するものとして、両国の花屋与兵衛が握り鮨を考案し、またたくまに評判をとるようになった。そして、町内の飲食店総計は、文化年間で六千六百六十軒の多きに達したと記録に残っている。
「孝行をしたい時分に親はなし」
「師は針のごとく、弟子は糸のごとし」
糸は縫い針の進む方向に引かれて進んで行く。弟子もまた、師に導かれるままに進むという諺。
「信用は無形の財産」
「袖振り合うも、他生の縁」
道を行き見知らぬ人と袖が触れ合うほどのことでも、前世からの因縁によるという諺。
「つまずく石も縁の端」
石につまずくのも、前世でその石となんらかの関係があったからだという意味の諺。
「亭主八杯、客三杯」
客をもてなすときは、まず主人のほうから進んで飲み、食べるようにせよ、そうすれば客も、気兼ねなくもてなしが受けられるという意味の諺。
「遠くの親類より近くの他人」
「人の噂も七十五日」
「人の口に戸は立てられぬ」
「人は故郷を離れて貴し」
すぐれた人物でも、生まれ故郷では素性を良く知られているためあまり貴ばれないという意味の諺。
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」
「古里へ回る六部の気の弱り」
六部とは「六十六部」の略で、全国六十六カ所の霊場に法華経を納めて回った行脚僧をいう。こうした精神的に強いとされる修行者であっても、病気や加齢により気が弱くなる時があり、ふと故郷に帰ろうと思う気持ちが生じるものだという意味の諺。
「仏の顔も三度まで」
「渡る世間に鬼はなし」
【中国】
「あなたが春風となってわたしに会うなら、わたしは夏の雨となってあなたのところに参りましょう」
「一年の希望は春が決める。一日のそれは暁が、家族のそれは和合が、人生のそれは勤勉が」
「悲しみの鳥が頭上を飛ぶのを止めることはできないが、髪の毛に巣をつくるのをとめることはできる」
「三年間酒を飲め!そうすれば金がなくなる。三年間酒を飲まないでいよう!そうしても金はなくなる」
「白魚は王子で食わぬうちのこと」
隅田川で獲れた白魚が王子にあがる頃には、味がぐんと落ちてしまうことをいっていて、当時の江戸町民の舌が、鋭敏であったことを証する俚諺。
「人事を尽して、天命を待つ」
するだけのことをして、あとは天に任せるという意味の諺。
「誠実はどこにも通用する唯一の貨幣である」
「喪家の狗となる勿れ」
喪中の家は忙しく犬にえさを与える暇もなく、肉食も禁じられているから、その間飼い犬はやせ細ってしまう。だからそのような主につくべきでないという意味の諺。
「たくさん金があっても子どもがいなければ金持ちとはいえず、金がなくても子どもがたくさんいれば貧乏ではない」
「冷たい茶と冷たい飯は、まだ我慢できるが、冷たい言葉と冷たい話には耐えられない」
「どんなりっぱな裁判官でも、家庭の問題では判決を下すことはできない」
家庭の問題はその家庭でしか解決できないという意味の諺。
「夫婦間の協調は琴と笛の合奏に似ている」
「山に近ければ山を食い、海に近ければ海を食う」
山里に暮していれば山にできるものを、海浜に住んでいれば、海でとれるものを食べるようになるという意味の諺。
「良い客は三年たっても、店を変えない。良い店は三年たっても、客を変えない」
「世の中には、魚を捕らえる人と、ただ水を濁らせるだけの人がいる」
【インド】
「兄弟ほどの友もなく、兄弟ほどの敵もいない」
「五年間は王子のように、十年間は奴隷のように、そのあとは友のように、息子を扱え」
「人は身体の水でもって、井戸の水をくみだす」
身体の水とは汗の事。
【モンゴル】
「飲めば死ぬ、飲まなくとも死ぬ」
酒は死を招く原因ともなるが、酒を飲まなくてもいつかは死ぬ。どうせ死ぬなら飲んで死ぬのがいいという意味の諺。
【ユダヤ】
「貧乏は恥ではない。しかし名誉だとは思うな」
【ヨーロッパ】
ギリシャ・ローマ時代からの古いことわざ。
「怒っていて笑える人に注意せよ」
「女は十歳で天使、十五歳で聖者、四十歳で悪魔、八十歳で魔女」
「金がなくて恋愛結婚すれば、楽しい夜と悲しい昼をもつ」
「子どもと馬鹿は生活を陽気にする」
「この上なくおとなしい夫は、この上なく狂暴な妻をつくる」
「酒の神は軍の神より大瀬の人を殺す」
「四月の天気と女心は一瞬ごとに変わる」
「戦争は泥棒をつくり、平和が彼らを絞首刑にする」
「先輩からは知識、経験を、後輩からは感覚を学べ」
「時はすべてを忘却させる神の霊薬である」
「年寄りは二度目の子供である」
「どんな悪い者にでも褒むべきことは褒めてやれ」
「怠け者の舌は決して怠けていない」
「なれなれしさは軽蔑を生む」
「汝の隣人を愛せよ。されど垣根を取り除くなかれ」
「何人も側近者にとっては英雄ではない」
「人間は境遇の子なり」
「バッカスはネプチューンより大勢の人を溺死させた」
バッカスはローマ神話の酒の神、ネプチューンは海の神で、酒で死んだ人のほうが海で死んだ人よりも多いという意味の諺。
「人々にはそれぞれ異なった心がある」
「暇を利用しない人は、つねに暇なしである」
「不幸に耐ええないほど大きな不幸はない」
「息子は妻をめとるまでわが子だが、娘は一生わが子である」
「ゆっくり急げ」
「理想を追う者は足元に気を付けよ」
【アイスランド】
「父親らしい者は少なく、母親らしい者はいない」
父親よりも母親に対して点が辛いという例。
【アイルランド】
「女は前かけ(エプロン)より早く、言い訳を手にとる」
【イギリス】
「いえば賢者のごとく、行えば愚者のごとし」
誰でも口先だけなら立派なことを言えるが、それを実行にうつすのは至難の業という意味の諺。
「怒ることを知らないのは愚かである。しかし、怒ることを知って忍ぶ者は賢い」
「おのれの桝をもって、人の穀物をはかるな」
自己流の物差しで人を測ってはいけないという諺。
「女が男から受け取りたい唯一の恋文は、男が書くはずもないような手紙だ」
「金がものをいうときには、真理が黙る」
「感謝とは、過去にむけられた徳行というよりは、未来に生かされる徳行である」
「感謝の念を持つ人間に与えるものは、高利で貸したようなものだ」
「郷里においてはわが名によって、他郷においてはわが衣服によって尊敬される」
生まれ故郷では、自分のことを人柄・能力にという実体によって尊敬されるが、そうした人のいない他郷では、衣服・肩書きといった見てくれだけで尊敬されるという意味の諺。
「謙遜も過ぎれば、高慢となる」
「小枝は若いうちに曲げるべきだ」
「最善の友、最悪の敵となること多し」
「順境は友をつくり、逆境は友を試みる」
仕事も生活も順調にいっている時は、周りに人が沢山集まってくる。しかし、それらの友人がはたして真の友人かどうかは分からない。分かるのは時分が逆境に陥ったときであるという意味の諺。
「どの鳥も己の巣をいちばん好む」
「忍耐という花は、どこの庭にも咲く花ではない」
「フェアプレイは宝石に等しい」
「満足は賢者の石である。それに触れるすべてのものを金に変える」
「目的は手段を正当化する」
「もっとも簡単な返事は実行である」
「礼儀正しさは人を飾り、しかも金はかからない」
【イタリア】
「希望では袋はいっぱいにならない」
「古い友人にまさる鏡はない」
【ギリシア】
「刑務所で生まれた者は、刑務所を愛する」
「最初の一杯は健康のため、二杯目は喜びのため、三杯目は恥辱のため、四杯目は狂喜のため」
【スペイン】
「君といっしょに陰口をきく者は、君の陰口もきくだろう」
「絞首刑にされた人の家では、縄の話をしてはいけない」
「戸が開いていれば、聖人が誘惑される」
「二人の友だちが一つの財布から金を取り出す場合は、一人は歌を歌い、もう一人は泣く」
行動を共にするときは、利害が分かれやすいという意味の諺。
「窓からでは、全世界は決して見渡せない」
「もっともよい匂いはパンの匂いであり、もっともよい味は塩の味であり、もっともよい愛は子どもへの愛である」
「山は山を必要としない。しかし、人は人を必要とする」
【チェコスロバキア】
「修道院が天国に通じていないように、娑婆は地獄に通じてはいない」
「良き思い出は心に長くとどまり、悪しき思い出はさらに長くとどまる」
【ドイツ】
「あいだに立てた垣根は、友情を常に新鮮にしておいてくれる」
「己れの運を信ずる者くらい運のいい者はいない」
「子のない者には生きる理由がわからない」
「小麦も感謝も、良質の土壌にしか芽生えない」
「酒のつくった友は、酔いのさめるとともに失う」
「知っていることのすべてを語るな。聞いたことのすべてを信ずるな。できることのすべてをなすな」
「人は自己の運命の建築士である」
「人は善行を果たすことなく善行を口にし、悪事を口にすることなく悪事を働く」
「もしも酒のように知識が入り込むならば、だれでも博士になれるだろう」
「友人を責めるのはひそかにし、これを褒めるのは公にせよ」
【フランス】
「男は望むときに恋をし、女はできるときに恋をする」
恋についても女性は現実的だという諺。
「炭焼きもわが家では主人」
「秩序の美はすべての美観のうち、もっとも美しい」
「機会(チャンス)が人を見捨てるよりも、人が機会を見捨てるほうが多い」
「天性より育ちが上」
「時には暇がない」
「汝の身に来たらざるすべての不幸を考えよ」
「忍耐は運命を左右する」
「雛は、おんどりが教えるように歌う」
「待ちこがれた復活祭も一日で去る」
「友人がいらないほど偉い金持ちはいない」
「良酒にしるしなし」
「隣人をおおいに愛するが、隣人のことを気にかけはしない」
【ポーランド】
「他人の二つの目より、時分の一つの目のほうがよい」
「百聞は一見にしかず」という諺と同じ意味の諺。
【ポルトガル】
「富める友の家には招かれたときに行き、貧しき友の家には招かれなくても行け」
【ロシア】
「犬は骨の夢ばかり見る」
「昨日のことで賢明になるのはやさしい」
「ゴシップに運搬車はいらぬ」
「父さん、なぜ死を恐れるのですか。まだ死を経験した人はいないではありませんか」
「花嫁の衣装を縫う女は若返る」
【カメルーン】
「雨は一軒の上にだけ降るのではない」
【マダガスカル】
「家を暖めてくれるのは、熱い暖炉よりむしろ夫婦間の深い理解である」
【モロッコ】
「学校教育のない者は、訓練を受けない猟犬と同じ」
参考文献
『名言名句活用事典』 講談社編 講談社 1990年第5刷 607p
「歴史読本」昭和44年十一月号 特集江戸八百八町 1969年発行

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