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更新日 2008-10-05 | 作成日 2007-09-18

隆慶一郎わーるど

池田会

隆慶一郎墓参会

毎年行う池田会の恒例行事です。

 

2008年は、10月19日(日)に行います。

今年は、墓参当日の日曜日に宿泊し、翌月曜日に自由解散とするプランとしました。もちろん、墓参当日だけの参加もできます。 
また、当日の熱海駅の集合時間は午後2時に変更。例年の12時30分より遅い時間となり、家をゆっくり出てこられるようにしました。
参加ご希望の方はサイト管理人までメールください。
 

 
 

 

2007年度墓参会

10月28日(日)

 
11月4日の先生の命日のちょうど一週間前にあたる10月28日(日)、恒例の池田会墓参ツアーが行われました。今年も昨年にならって前日に熱海入りし、ゆっくり温泉を楽しむ企画で、数名が27日に熱海に入る予定だったが、台風が接近していたため当日宿泊者は4名となった。
 
[当日メモ]
天気が良ければ午前中に家を出て、小田原城公園まで足を伸ばし、その途中にある古書店を覗いて郷土史関係の本でも探そうかなどと思っていたが、一日雨模様の天候だったので、16:00頃宿泊先に着くよう午後1時過ぎに自宅を出た。少し早めに着くかなと思ったが、小田急線、JR線が台風の影響で少しずつ遅れたことと、小田原駅で喫煙場所を探すのにうろうろしたせいもあって、熱海駅に着いたのは16:00ちょっと過ぎとなる。藤森君には16:00頃に行く予定と伝えていた事もあり、駅に着き改札を出たちょうどその時に、彼から電話が入る。すでに彼の連れで墓参会初参加のO女史と宮下女史が着いて待っているとの連絡。台風が一番接近している時刻だったが、雨風はそれほどひどく無く、宿は昨年と同じホテルなので、歩いて宿に向った。宿に着くと先着の三人は、部屋ですでに酒盛りをしている。聞くと藤森君とその連れが最初に到着し、遅れて宮下さんが熱海に着き、雨の中酒屋を求めて歩き、ようやく見つけた酒屋で缶酎ハイ数本を購入、重たい荷物を持ったまま歩いて宿に入ったという。
あまり飲めない私は、持参したドリップコーヒーを入れ、私と同様あまり飲めないというOさんと二人、コーヒーを飲みながら飲んべえに付き合ってしばらく閑談。台風も房総沖に抜けつつ有り、雨が小降りとなった6時ころ、夕食を食べに街に出る。ネットで旨い店をリサーチしてきたという藤森くんの言に従うが、台風の影響か閉まっている店が多く、うろうろ町中を20分近く歩き回ってようやく一軒の食事処に落ち着いた。私と0さんはそれぞれ定食を注文したが、飲んべえ二人は当然のごとく酒と肴を注文。もちろん海の幸を中心とした食事処で、藤森くんがネットで調べて下調べをした店に入ったのだが、それほどのメニューが無く、私は「あじのたたき定食」に落ち着いた。定食を食べた私たちは、さっさと食べ終わるが、飲んべえ二人はダラダラ飲み続ける。それにおとなしく付き合い、その店を出たのは9時頃となり、歩いても帰れる距離であったが、宮下ばあちゃんがしんどそうなのでタクシーを拾って宿に帰る。宿の手前のコンビニ前で下車し、夜食用にカップ麺を購入。宮下ばあちゃんは焼酎を仕入れていた。
宿に帰ると女性陣は温泉へ。私と藤森くんは留守番で部屋に残り、さらに飲み続ける男と、コーヒーを入れて飲む男二人でまたまたとりとめも無い話を続けていた。3、40分したら温泉から二人が戻り、お湯に行ったらという助言も聞かず、たるくなった藤森くんと私はまだ良いよと、酒盛りに加わった湯上がりばあちゃんと、再び、三たび、どうでも良い話で盛り上がっていた。Oさんと私はひたすらお茶やコーヒーを飲むだけ。十二時近くになってようやく藤森と私は温泉に行く。その間に、女性陣二人が布団を敷いてくれていた。ありがたい。
2時近くに、夜食用に買ったカップ麺を一人食べる。毎晩、この時間になるとお腹の減る私のパターン行動だ。酒を飲んでいる二人は良いが、酒を飲まないOさんに申し訳ない思いだったが、ズルズルとカップ麺をすすって食べた。やがて、Oさんが床に付き、宮下ばあちゃんが床に付きし、3時頃には4人とも床に付いて就寝。
 
DSCN0251.JPG朝、6時過ぎ、藤森くんが起き出した。彼にしては珍しいと思ったら、どうやらお腹が空いて目覚めたらしい。私も目覚めていたが、6時半過ぎまで布団の中にいた。7時近くになって起き出し、カーテンを明けると、台風一過の快晴。遮るもののない朝陽が、眼前にまぶしく輝いていた。ほどなくOさんも起き出しが、宮下ばあちゃんは蛙が仰向けでひっくり返っている格好で熟睡している。7時から朝食だったが、7時半まで寝かせてあげて起す。起したら、チェックアウトは11時なんだからまだ早いじゃないのとダダをこねる。原の減っている藤森くんが、「食べて帰ってまた横になるのが気持良いんだよ」となだめた。
 

 
 
朝食はバイキングだが、宮下ばあちゃんは気に入らないようだ。私は自分の食べたいものを食べられるだけ盛って来られるバイキング方式は好きだが、ばあちゃんに言わせると、「何で囚人みたいに並んで食べ物を取らなきゃいけないの」という理屈。宮下ばあちゃん一人じゃ絶対泊まらないチープなホテルの朝食だが、こうして皆でわいわい言いながら食べることが楽しいのだ。
食事から帰ると、三人はふたたび布団の上に横になった。私は外に散歩に出る。風も無く、朝のさわやかな空気の中、ホテルの前の海岸に出てタバコをゆっくりくゆらせた。ベンチに横になって、雲一つない空を見上げていた。静かな浪の音が心地良い。こんな贅沢な時間は無い。一人で空を見つめ、海を眺めていると、さまざまは思念が浮ぶ。こんな平和な時間がいつまで続くのだろう。地球は確実に、人間によって傷つけられているのだから、いつまでも人間にこんな平和な時間を与え続けてくれまい。などと考えているうちに、9時近くになった。ホテルに戻ると、さずがに三人とも起きていた。のんべえ二人は残った酒をお茶代りに飲んでいる。11時チェックアウトというのはのんびり出来て良い。
11時近くに部屋を出てチェックアウト。ロビーで宿代などを清算。12時30分の熱海駅での待ち合わせにまだ十分時間がある。藤森くんとOさんは海岸を散歩すると言って早めに宿を出る。宮下さんと私は、ロビーでのんびりし、12時過ぎに宿の目の前に有るバス停からバスで熱海駅に向った。熱海には何人来るか分らないが、早めに着いた誰かが居るかと改札の周囲を見渡すが誰も来ていなかった。集合時間に二郎さんが現れた。一人だという。それからしばらく誰か来るかと思ったが、昨日の台風で中止と判断した人もいて、其の後は誰も来ない。12時50分に見切って、五人でタクシーに乗り日金山霊園に向った。あいかわらず快晴のままだ。晴れていても風が冷たいこの時期だが、この日は風も無く、今までで一番の天候に恵まれる。
DSCN0640.jpg墓前に花と線香、ショートピースなどを供え、新たに購入したビールやワインで例のごとく酒盛りした。墓前でかれこれ二時間近くおしゃべりをしただろうか。そろそろ帰ろうかという時刻。二郎さん、宮下さんはタクシーで帰るというが、こんな好天に恵まれるという事は滅多に無いから十国峠まで歩き、バスで帰ろうと提案。「え〜歩くの」と渋るばあちゃんに、上まで登れば富士山がきっと綺麗に見えるよとなだめなだめ丘の上に出た。上は風が吹いて少しは寒かろうと思ったが、この日はまったく風が無く、陽をさえぎる雲一つなく、ぽかぽかと暖かい。しかも、昨日の嵐で降った雪で化粧したばかりの富士山が、眼前に悠然と聳えている。渋っていたばあちゃんも、「こんな景色見た事ないわ」と感激。宮下さんは、墓までは何度か来た事があるが、丘の上に登るのは初めてだったのだ。私にとってもこんなに富士が綺麗に見えたのは初めてだった。私たちは、あまりの景色の美しさにみとれ、その場の草の上に座り込んだ。右に富士山を望み、左には伊豆の山々、目の前は駿河湾が西に傾き始めた陽光を受けてキラキラと光っている。このまま夕陽が落ちるのをずっと眺めていたい気持だった。DSCN0644.jpg 
丘の上でのんびりしすぎた私たちは、タクシーで熱海に戻ることにした。二郎さんが電話でタクシーを呼び、ふたたび一台に五人乗込んで山を降りる。街に出たら今度は食事処選び。ここは嫌だ、あそこはまだ閉まっている、などでウロウロ。ようやく地物の魚が売りの店『あたみ屋』に入ることを決断する。カウンターと奥にテーブルが一つの小さな店だ。
我々はその奥のテーブルに席を占めた。店の主人が、酒を飲むのか食事が目的か尋ねる。すかさず藤森が酒と答えた。すると主人は「肴を五品、一人千円で任せるか」と言う。我々全員任せることにした。まず手作り豆腐が出た。醤油をかけすぎた一人に、すかさずダメ出しが出る。次に「生しらす」、その次に出たものは何だったか忘れたが、「生ガキ」が来て、最後に「焼きサザエ」だったか。それらをアッという間に食べ尽くす。まだ何か作るかというので、お願いする。いくら分か言えばそれだけ作ると言うので、今度も一人千円分というと、「塩辛」「タコわさび」「シメサバ、鯵たたき、おちカツオ」のお造りが来た。どれも旨かったので、「旨い、旨い」と言って食べていると、おまけで岩のりに載せた釜揚げシラスを出してくれ、自家用のカボチャの煮付けまで出してくれたのだった。ちょっと偏屈なオヤジだったが、楽しい店だった。その店を7時近くに出て、熱海駅までバスで戻り、新幹線組の二郎さん宮下さん、普通車組の私と藤森、Oさんに別れ、途中小田原で二人と別れた私は小田急ロマンスカーで帰った。

2006年度墓参会

10月21日(土)


昨年(06年度)は、初めて前日から熱海に一泊する墓参会となりました。宿泊者は5人、翌日参加1人で例年並の6人ほどの人数と思っていましたが、翌日になって3人増え、総勢9名の参加となりました。記録のためになるべく詳細に記したため、当日メモも例年よりも長くなってしまいました。

[当日メモ]

10月20日(金曜) 今年の墓参会は、前日に熱海に来て泊まるという初めての試みを行ってみました。今回は、たまたま藤森(い)さんが前日まで熱海に居るという話から始まったもので、池田会の全員にそのように連絡して実施したものではありませんでしたが、私が連絡を担当している人たちには、藤森(い)さんが泊まるので、もし前日に来れるなら、夜飲みながら語りましょうと連絡したら、普段日帰りだとわざわざ墓参だけでは来にくく、ずっと来れなかった滋賀の浦谷さんが十数年振りに泊まりならと参加。静岡の仲山くん、藤森(重)くんと私を含めた五人で、海辺の宿に泊まりました。(一泊朝食付き6,500〜5,500円で、露天風呂付き)宿は目の前が海で部屋からの眺めも良く、部屋も和室でゆったりとしていて快適でしたが、実際に私が宿に着いたのは午後11時近く。それというのも、当日家を出たのが夕方の五時頃で、熱海に着いたのが7時頃となり、先着していた浦谷さん、藤森(い)さん、仲山くん等が待ちわびていたため、宿に寄らず居酒屋直行となったからでした。

熱海銀座で皆と合流し、適当な居酒屋を探し求めて彷徨。オリジナル料理云々と地魚云々の文字につられてとある料理屋に入った四人。この時点ではまだ幹事の藤森(重)くんは到着していません。私が電車に乗っている時に彼の家から電話が有って、「家は出ました。9時から10時ころには着く予定です」との伝言を受ける。5時前に家を出て9時〜10時とは遅いなあと思うが、携帯を持たない彼と直接連絡がとれず、彼を待ちながらの飲み食い。当然、到着が遅れている彼を話のネタ、つまみにしての宴会となりました(笑)そろそろ10時となり、一軒目も飽きたので河岸を変えることにした。とその時、藤森(重)くんから電話が入る。公衆電話からだ。熱海の駅に着いたところだという。熱海銀座の辺りで次の店を探しているからと伝える。こちらは何か汁ものを食べたくなりラーメン屋を探した。あっちだ、こっちだとウロウロしているところへようやく幹事が到着、合流した。あまり飲めない私は腹の足しになる「わんたん」などを注文。他のメンバーはまたまたビールや日本酒を注文し、おつまみに餃子やメンマ、ザーザイなどを次々と頼んでいる。もちろん遅れてきた藤森(重)くんが一番酒を頼んだ事は言うまでもない。食べるものを食べた私は、まだ温泉に入っていないので先に宿に帰ると店を出た。仲山くんも私に付き合って出ると他の二人も店を出る。藤森(重)くんだけが「ゆっくり飲ませてよ」と一人店に残った。宿へ帰る途中、部屋で飲むべく酒を購入するためコンビニに寄り、焼酎・おつまみ・ウーロン茶・氷を購入。

大浴場は24時までとなっていたので、宿に入るとまっさきに私は温泉に行く。仲山くんもまだ温泉に入ってないと一緒に入る。我々が湯に浸っているところへ、藤森(重)くんが現れた。露天も有り、他に人も居ず、のんびり湯に浸った。湯から上がって、冷蔵庫に入れておいたウーロン茶と氷を取り出し、隣室の女性陣に声を掛ける。が、藤森(い)さんはダウンし寝ている。彼女は昨夜、韓国の映画人たちとホテルで盛大に飲み明かしたという。そのせいも有り、疲れているのだろうとそのまま寝かせておき、浦谷さんが我々の部屋へ来て、飲みながらいつもの取り留めもない話に参加。午前1時過ぎ、まず仲山くんがダウン、午前2時、浦谷さんが自分の部屋に戻る。私と藤森(重)くんで、その後、午前3時過ぎまでだべっていました。ようやく床に就き、ちょっと寝た後、仲山くんが早くも起きだした様子。午前6時ころ朝風呂に行った。なかなか戻ってこないので散歩にでも出かけたかと思っていたら、お腹が空いたので一人で先に朝食を食べてきたとの事。
7時半、朝食を食べに食堂へ行く。朝食バイキング形式で、和洋食が選べる。チェック・アウトは11時までなので、それまでゆっくり湯に入ったり、部屋でくつろぐ。
午前11時、チェック・アウト。12時半に熱海駅で待ち合わせている仲間たちを待つ予定だったが、連絡があったのは田中くんだけだったので、藤森(重)くんを残し、私と仲山くん、浦谷さんは藤森(い)さんの車で霊園に先に行く。来の宮辺りに差し掛かった頃、田中くんより電話。今、熱海に着いたとのこと。なんて間の悪いことか。あと10分早ければ、田中くんをピック・アップできたのだが、連絡の取れない藤森(重)くんを熱海に残してきたため、駅で藤森(重)くんを待つように伝える。落ち合ったら、バスで塔ノ沢公園入口までくるように指示。
DSCN0253.JPG途中、昼食用の食料を購入しようとコンビニを探しながら日金山霊園に向かった。一軒小さなコンビニが有ったが、まだ先にあるだろうという甘い考えで車を進ませていたら、山道に入り、買い物の機会を逃してしまった。まあ十国峠まで行けば売店があるので、そこで飲み物・焼そばなどを仕入れて霊園に。

富士山が雄大な姿を見せてくれるはずだったが、あいにく富士のある辺りに雲があり姿が隠れて見えなかった。
DSCN0256.JPGしばらく草原でピクニック気分でくつろいでいたが、風が冷たく、20分ほどで下りる。時間も12時半ころとなり、そろそろ藤森(重)くんと落ち合った田中くんから連絡があるはずと、携帯で連絡を取ろうとしたが、電波状態が悪くつながらない。途切れ途切れで藤森(重)くんと田中くんが無事出会ったことが確認できた。すると、着信伝言メールが入る。夕方に合流すると言っていた長尾くんからで、私の携帯(docomo)では繋がらず、かろうじて仲山くんのauの機種がつながった。それも、風の向きが変わると切れる状態の不安定なものだったが、長尾くんが今熱海に着いたとの連絡。仕事を徹夜で済ませ、墓参に間に合うように出て来たのだという。まだ田中くんらがバス停にいるかもしれないと、バスに乗るように指示。長尾くんがバス停の田中・藤森両君に会えれば三人でタクシーに乗って来れると考えたのだが、その辺りの事情をぶつ切り状態の携帯ではうまく伝えられなかった。彼らからの連絡を待とうと電波状態の良い場所を探し、アンテナ2本が立つ場所を見つけてそこで待機。長尾くんから電話が入り、一人でタクシーに乗ったという。バスでこっちに向かっているであろう田中くんたちよりも早く到着するかなと思っていたら、午後1時過ぎ、田中くんたちが到着したと仲山くんが知らせにきた。タクシーを使ったらしい。二人だけでタクシーとは、酒以外にお金を使う事を嫌う藤森(重)くんには珍しいなと思ったら、何と、参加予定と思っていなかった宮下さん、大川さんの二人が加わり、四人で来たとの知らせ。例年なら参加予定者の一人、二人が来れなくなり、ここ数年は多くても5、6人、最低3人で実施することもあった墓参会が、一人でタクシーで向かっている長尾くんを含めると9人の参加となった。DSCN0264.JPG

午後3時過ぎ、藤森(い)さんの車とタクシーに分乗して再び熱海市街に戻る。途中、所用のある大川さんが先に帰り、8人で、墓参の帰りに寄る場所の定番となった「ホームラン寿司」に入った。滋賀から駆けつけた浦谷さんと、この後人と会う予定の藤森(い)さんが、4時過ぎに先に帰途につき、残った6人はその後、6時近くまで寿司をつまみながらおしゃべりをして帰りました。

2005年度墓参会 


05年度は、命日の翌日11月5日(土)に催されました。秋晴れの快晴に恵まれ、十一月とは思えぬ暖かな小春日和の陽光が、とても気持良く感じられました。今年は、初参加の新会員N君が来てくれたので、先生も喜んで迎えてくれたものと思います。

[当日メモ]

静岡(遠江)から参加のN氏が車で現地に先着した旨連絡あり。少々早めに熱海駅で皆を待つが、待合せの時間になっても誰も現れず。やがてT氏夫妻が到着。幹事の一人が欠席。参加予定のOさんも来ず。初対面のN君からも連絡が無く、その上、幹事のF氏も現れず。現地で待つN氏からは、いつ来るのか再三の問合せあり。今年は命日に遅れたから、仕方がないかと、T氏夫妻と三人で霊園に向かおうと覚悟を決めた時、F氏が到着。現地で待つN氏に合流するべくタクシーに乗る。料金2,620円也。

一同、新メンバーの参加を愉しみにしていたが、連絡がとれずに同行できなかった事にがっかりして墓前に向う。と、一人の若者が墓前にいた。声を掛けると参加予定のN君だった。駅で探したが、それらしいメンバーが見当らず、墓前に行けば会えるだろうと一人でタクシーで来たという。N君は見つけてもらおうと『柳生非情剣』の文庫本をわざわざ手に持ち、しばらく駅前にいたらしい。連絡先をメールで知らせておいたつもりの私は、分らなければ携帯に連絡が有るはずと思い込んでいた事や、参加メンバーが揃わず気が急いていた事もありN君の存在に気付かなかった。それと、遠景用の眼鏡を忘れ、読書用の眼鏡で出て来てしまったために、目の前の人の顔も良く分らない状態(笑)

何はともあれ、新規参加のメンバーとも会え、ぽかぽか陽気に誘われ早速、墓前で酒盛。私と幹事のF氏は毎年のように参加しているが、静岡のN氏とT氏は四五年振りの参加。T氏がN君に熱く語るのを聞き、N氏は「久々にT氏節を聞いたよ」とはやし立て、私とF氏はニヤリとする。三時半過ぎ、管理事務所のノートに記帳し、帰路につくべく十国峠まで歩く。生憎、午後から湧いた雲のせいで富士山の姿は見られなかった。ここで車で来たN氏と別れ、ケーブルカー(片道110円)で下まで降りたのは四時少しすぎた頃。バスは16時30分(冬期の最終)、最終は17時20分となっていた(12月〜3月運休)。10分ほどバスが遅れ、ちょっと心配する。バスで熱海銀座についたのは夕方五時を少し過ぎた頃だった。十国峠から熱海銀座までバス代550円。熱海に来ると良く寄る寿司屋「ホームラン軒」にて、本日の打上。ここでもやはりT氏節が炸裂。

寿司屋を出たのは八時半頃で、駅まで歩きカラオケルームによって帰ろうかという意見もあったが、少しばかりの時間じゃつまらないと駅で解散。N君とはこの熱海の駅で別れる。新幹線に乗るT氏夫妻とは構内で別れ、F氏と東海道線のホームで電車を待つ。小田原でF氏と別れ、小田急線で帰る。その後、一人で熱海に残ったN君の消息は分りません。

2004年度墓参会 


 04年度の墓参ツアーは6月5日(日)に行いました。好天に恵まれ、十国峠からの眺めが素晴しかったです。この年は、墓参の後、小田原で地魚の美味しいと思われるお店を探して30〜40分ほど市内をうろうろし、ようやくこれと思うお店に入り、11時ころまで飲んでおりました(笑) 

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池田会について


池田会は、故池田一朗(隆慶一郎)氏のシナリオ教室メンバーが中心となって作られた集団です。現在の池田会メンバーは、先生がシナリオ教室を持っていた時代の最後の門下生が主となっております。先生が隆慶一郎として小説を書き始めた時期に門下生だった人たちで、小説家隆慶一郎の最初で最後の弟子となりました。

元々は、創作勉強集団だったのですが、先生が亡くなられてからは、親睦的集団となっております。そのため、生前から親睦的集まりには来る人を拒まずという先生の包容力を踏襲し、現池田会は、門下生以外の人々も巻き込んだ親睦団体となっております。