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吉原御免状
第95回直木賞候補作
新潮社 四六判 345p 昭和62(1987)年
内容:表題作1編
初出:「週刊新潮」1984年9月〜1985年5月
新潮文庫『吉原御免状』 内容:表題作1編 解説・磯貝勝太郎 429 p 1989
プロローグ
赤子の時に宮本武蔵に拾われ育てられた主人公松永誠一郎は、武蔵の死後、成人したら江戸吉原の庄司甚右衛門を訪ねるようにとの遺言で、肥後山中から江戸吉原に現れた。しかし、訪ねた西田屋の主甚右衛門は既に亡く、その娘婿甚之丞が主となっていた。
『私は本が好き』後藤裕子 著
「吉原御免状」
隆慶一郎氏の処女作である、この「吉原ご免状」は男の人のためのの御伽噺だと思いました。
彼の作品に出てくるヒーローは強く、優しく、自由を愛する「男」です。何人にも心身を縛られず、自由の地を築く・・・。でもこれは男のひとの書いた作品だなと思いました。女性が生き生きと生きていない。
「主さんに・・・・惚れんした」と、ヒーローのために死んでしまう。
とは言うものの、隆氏の発想力、想像力は本当に素晴らしく、何時の間にか吉原とは“道々の輩”の人々が築いた「自由街」「公界」であったのだと信じてしまいました。
HP「母と娘の部屋」母の部屋 より
吉原御免状 隆慶一郎 時代小説 新潮文庫
ISBN4-10-117411-3 c0193
伊藤学著
概要(背表紙引用)
宮本武蔵に育てられた青年剣士・松永誠一郎は、師の遺言に従い江戸・吉原に赴く。だが、その地に着くや否や、八方からの夥しい殺気が彼を取り囲んだ。吉原には裏柳生の忍びの群れが跳梁していたのだ。彼らの狙う「神君御免状」とは何か。武蔵はなぜ彼を、この色里へ送ったのか。——吉原成立の秘話、徳川家康影武者説をも織り込んで縦横無尽に展開する、大型剣豪作家初の長編小説。
感想
いゃ〜。面白かったです。時代小説を読んだ気が全然しなしですよ。っていううか、SFテイストをかなり感じました。時代小説っていうと「史実でがんじがらめ」「荒唐無稽の禁止」っていう固定観念をオイラは持っているので。やはり、隆慶一郎の小説は根っからのエンターテイメント作品ですね。
何せ、天皇の隠し子・宮本武蔵に育てられ・無敵の剣豪っですからね。主人公は。この設定だけでもゾクっときますね。っで、隆作品には欠かせない「傀儡子(日本版ジプシー)」も重要なポイントになってます。八百比丘尼も登場します。っで、主人公とまぐわい、過去の世界を追体験させるっという、SFばりの事もやってのけます。
それでいて、「吉原創設の秘密とは?」「徳川家の秘密とは?」とかなり欲張りな謎解きも用意されてます。もちろん、色里・吉原が舞台ですから、濃厚な濡れ場もしっかりと描写。っで、主人公誠一郎の男っぷりもたまらなく格好いいしね。年寄り臭くないんですよねぇ〜。隆の小説ってね。それでいて、時代小説の雰囲気が壊れていないのがさすがです。時代考証もしっかりとしてるようだし。
他の作品でもそうですが、自由奔放な人生観で、作品は埋め尽くされてますね。自己嫌悪に陥ってって悶々としてる人には、いい起爆剤になる作品ではないかと。これはオススメです。
HP「えむNo 趣味的Na」BookReview より
1995年に戯曲化され、同年11月新歌舞伎座で初演されている。
主な配役
松永誠一郎 松平健/高尾太夫 松原智恵子/おしゃぶ 三原じゅん子/西田幻斎 遠藤太津朗/酒井忠清 川合伸旺/柳生義仙 伊吹聰太郎/三浦屋四郎左衛門 園田裕久/柳生宗冬 大山克己/東福門院和子 鳳八千代
2005年、劇団新感線により上演。中島かずき氏により戯曲化され、演出いのうえひでのり氏で8月〜10月東京・大阪で公演された。
主な配役
松永誠一郎 堤真一/勝山太夫 松雪泰子/幻斎 藤村俊二/柳生義仙 古田新太/
鬼麿斬人剣
新潮社 四六判 295p 昭和62(1987)年
内容:表題作1編
初出:「小説新潮」1986年3、6、9、11月号、
1987年1〜4月号
新潮文庫『鬼麿斬人剣』 内容:表題作1編 解説・縄田一男 358 p 1990
ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ隆慶一郎:『鬼麿斬人剣』
舞村そうじ 著
隆慶一郎の作品で僕が好きなのは『死ぬことと見つけたり』と『鬼麿斬人剣』だ。もちろんデビュー作『吉原御免状』だって面白いし、一作目から読むのが筋かも知れないが、一部にとても陰惨な描写があって、たとえば家族には薦めがたい。作者の死によって未完に終わった『死ぬことと見つけたり』はファンのおとっときにしておきたい気がする。したがって、隆慶一郎ってどんなの?という若い人(いや、別に若くなくたっていいのだが)には、彼の小説群の中ではむしろ傍流の異色作にあたると承知のうえで、まずは『鬼麿』を読んでみたら、と言うことにしよう。
山浦環源清麿(やまうらたまきみなもとのきよまろ)。
この風雅な名前どおり美形の滅法いい男が、主人公・鬼麿の師匠だ。四谷正宗と呼ばれた希代の刀工である。この清麿が若いころ、伊賀の刺客に追われた全国縦断の逃避行の途上で路銀を稼ぐために心ならずも「甲伏せ」と呼ばれる粗悪な刀を打った。あれが残っていると思ったら死んでも死に切れねえ、たのむ打ち折ってくれと、いまわのきわに清麿が言い残し、その遺志を果たすべく弟子の鬼麿が旅立つところから物語は始まる。わずかな手がかりを頼りに師匠がかつてたどった足跡をたどる鬼麿の背後には、清麿への恨みを忘れていない伊賀者たちが迫りつつある…。
まずは仕掛けが面白い。これは文庫の解説でも指摘されていたが、刀鍛冶が刀を折ってまわるという逆説めいた趣向。そして弟子の探索行が進むにつれ師匠の過去もだんだん明らかになる様子、優男の清麿・荒々しい巨漢の鬼麿という二人の対照的なキャラクターそれぞれの道行きがフーガのように奏でられる構成の妙がたまらない。もちろん主人公は鬼麿の方で、子供を拾い女を抱いて卑劣な侍や追いすがる刺客をばったばったと斬り倒すのだが、途中途中にかいま見える清麿のキャラクターも相当に破天荒なものだ。超人的な女たらしのテクニックで、行く先々の佳い女に惚れられまくる。そんな女性の一人の回想で、清麿と差し向かいで酒をついでいると獣の声のような変な音が聞こえる。なんだろうなと思って気がつくと清麿の手が裾を割って入りこんでいて、獣のような変な音は、自分が上げている声だったというエピソードには大笑いしてしまった。そして弟子ほどではないが剣の腕も立ち、弟子同様に伊賀者たちを壊滅状態に追いこんでいるのだから、いやはや。
けれど『鬼麿』でいちばん痛快なのは、敵を倒しまくるところでも女にもてまくるところでもない。長剣をまっすぐに天頂から振り降ろし、剣を持った腕の半径内に入るものはことごとく斬り捨てる独自の剣法を編み出した鬼麿が、それでも剣術の達人などではなく、刀鍛治として自分をアイデンティファイしていくところだ。そしてそれは、逃避行の涯てに見つけた安住の地を捨ててまで、刀鍛治の仕事に戻った師・清麿にしても同様である。だから物語のクライマックスは伊賀の頭領との対決ではなく、それに先立ち、火事で焼けただれた清麿の刀を鬼麿が打ち直す場面にある。打ち直しの過程を通じて、ついに鬼麿は師の技の真髄に触れる。物語の最初の方で拾った生意気な少年も、探索行を通じて清麿のことを知るにつれ「おいらにも、なんとかマロって名前くれよ」と言いはじめ、向こう鎚をとって一緒に清麿の剣を打ち上げたときには、泣きながら鬼麿のことを師匠と呼ぶようになるのだ。
剣豪といっても、ようは人斬りに過ぎない。その苦悩は『吉原御免状』シリーズの方でたっぷりと描かれている。異色の剣豪小説のように展開しながら、実は刀鍛治=物を作り生み出す人間としての成長を描くビルドゥングス・ロマンになっている、『鬼麿斬人剣』の痛快さはそこにある。そういう意味でも、自分の可能性などについて希望を持ちたいと思っている若い人に、まっさきに薦めたい作品のひとつだ。
(98.01/98.04.upload)
HP「Radio Rimland online」Words{http://www.angel.ne.jp/~rimland/}より転載
鬼麿斬人剣 隆慶一郎 時代長編 新潮文庫
ISBN4-10-117412-1 C0193
伊藤学著
概要(背表紙引用)
山中に捨てられ、長じて名刀工・源清麿に師事した巨躯の野人・鬼麿は、亡き師が心ならずも遺した数打ちの駄刀を諸国に捜し、折り捨てる旅に出た。試し剣術独特の構えから繰り出されるその長刀は、人も刀も石を鉄も瞬時に切り裂く。中山道、野麦峠、丹波路、山陰道と、師の足跡を追い、女を惹きつけ、伊賀者に追われつつ、異色のヒーローが繰り広げる斬人剣八番勝負。
感想
八番勝負… 8回に分かれて連載されていて、8章それぞれが、完結したストーリーを持ってます。時代的には、黒船なんかが、チラホラと出現しだした頃。19世紀の初頭。天下泰平から乱世の時代への移り変わりの時期です。泰平の時代には、武士にとっては「刀」とは、一種の装身具であり、ステータスシンボル的な存在。それが、武器としての実用品としての意味を再認識しなければならない時代に突入… ドンピシャの時代背景だと思います。
隆慶一郎作品の面白さはなんといっても、豪快快活な主人公。この作品の主人公・鬼麿も個人的にかなり好みのキャラクターです。ストーリー自体は、単純です。師匠の遺言に従って、「数打ちした駄刀の破棄」するために、13年前の師匠の逃避行跡を辿ると。しかし、その後を伊賀忍者が追ってくる…
各章で描かれる、各地での師匠の色恋沙汰を中心にしたエピソードと、鬼麿の鮮やかな、抜刀シーンが面白すぎです。「三尺二寸五分」の長刀を軽々と舞い振り回す殺陣場面は、かなり格好良いです。とにかく、鬼麿の漢ぶりがたまりません。っで、他の登場人物もいい味が出てます。山人の孤児・タケ。鬼麿の男っぶり惚れ込んで、寝返ってしまう、伊賀者の頭領の娘・おりん。この三人の組み合わせが絶妙です。
ただ…ラストが「ストン」って感じで終わってしまうのが残念です。っま、確かに鬼麿の目的は「数打ちした刀の破棄」なので、目的は達成されてはいるのですが…もうちょっと、余韻を残すような演出があっても良かったかと。鬼麿は、最後に出会った師匠の「刀(駄作じゃない奴)」に、心奪われ刀鍛治としての誇りを奮い起こされます。なのに、ラストを殺陣シーンで締めくくっちゃうのは、どうかなぁ〜と。これは、無いものねだりって言うのかな?
HP「えむNo 趣味的Na」BookReview より
1995年12月、テレビ朝日『時代劇スペシャル』でドラマ化。
脚本 伊藤俊也 演出(監督) 松島稔
主な出演者 赤井英和、田村英里子、石田えり、藤岡弘、神山繁、若林豪
2005年〜 『週刊大衆』誌上にて連載劇画化された。
かくれさと苦界行
新潮社 四六判 352p 昭和62(1987)年
内容:表題作1編、(『吉原御免状』の続編)
初出:「週刊新潮」1986年7月10日号
〜1987年4月23日号連載
新潮文庫『かくれさと苦界行』 解説・縄田一男 450 p 1990
『私は本が好き』後藤裕子 著
「かくれさと苦界行」
吉原を「人を人として認めることによって成り立つ自由と平等の砦」として描くなんて思いもつかない設定です。
その物語の中で
「又右衛門に職業に対する偏見はない。さまざまななりわいの道があり、それに従うさまざまな人々がいる。それが世のありのままの姿であり、その道に格付けしようとするのは、醜く偏狭な心の働きであろう。他方、どの道にもすぐれた者と劣れるものがいることは、これまた動かしようのない現実である。いかなるなりわいに従事していようと、秀でたものはそれなりの人間としての見事さをもち、尊敬に価する達者である。そして達者の中の僅かな者が、この世の覚者となる。どの道を辿ろうと、多くの人間と森羅万象を絶えず凝視し続けることによって、この世がさながら一幅の山水画のように眺められる境に達した時、人は覚者となる。」
と職業よりも何よりも大切なものを暗示させ
「今の義仙にとっては大方のことがどうということもなくなっている。五年の修行がようやくこの境地まで義仙を運んできてくれたのである。『只心を直ぐにやはらかに持ち・・・・有るをば有るとし、無きをば無きとし、ありのままなる心持ち、仏意冥慮にもかなふと見えたり』これは『早雲寺殿廿一箇条』と呼ばれる北条早雲の家訓の一節であるが、今の義仙はまさにこの言葉通りの境地にいた。世にあることを、また起こらんとしつつあることを、そのまま認め受け入れる柔軟な心の在り様だった。だからこそ、何事が起きようと、 <どうということはない>と思えるのだった。」
と、悪者義仙をも悟りの境地に落ち着かせることで、人が生きていく上で大切なことを提示してくれているように思います。
ただ、
「正直な告白という言葉ほど、いかがわしいものはない。正直というのは告白する人間の自己欺瞞であり虚飾である。本音を言えば、それは正しく自分が、楽になることなのである。自分だけが楽になって、辛いことはすべて相手にあずけてしまうことなのである。そのために相手がどれだけ苦しみ、どれだけ辛い思いをしようと、そんなことはしったことではない。自分は正直に告白しただけである・・・。この場合の正直という言葉は、絶対に美徳ではない。相手の心を傷つけて平然としていられる浅薄さであり、破廉恥さであり、残酷さである。」
決して愛してはいけないお小夜に惹かれ、妻おふうを思う心の板挟みをこう説明し、お小夜を殺してしまう・・・・。
(実際に殺したのは死に至る恋をする誠一郎を生かさねばと思う玄斎なのですが)
男の人にとってはこういう設定は理想的なのかもしれませんし、物語としては美しいのですが、ちょっと抵抗を感じました。
HP「母と娘の部屋」母の部屋 より
かくれさと苦界行 新潮文庫
伊藤浩章 著
前作、「吉原御免状」の続編。
主人公・松永誠一郎は、徳川幕府によって政権を剥奪された後水尾天皇の隠し子だった、という設定だ。生後、剣豪宮本武蔵に育てられ、その後巡り巡って色里吉原の惣名主になった。御免状奪取を試みる幕府の権力者と、御免状を守る吉原者との争いが物語の中心である。
ではここで言う御免状とは一体何か。
幕府を築いた徳川家康は実は影武者で、その影武者は、天皇意外の権力は一切認めないという自由人だった。そんな影武者が同朋に色里経営を許可した。それを文書で証明したのが色里御免状というわけだ。
前作、「吉原御免状」を読んだのがおよそ10年前だった。どこまで内容を覚えているかが不安だったが、前作を知らなくても十分に愉しめる作品だ。また、主人公の記憶という形で時としてフラッシュバックのように前作の一部が出てくるので、読んでいてありがたかった。個人的な好みにより剣豪小説はあまり読まないが、それでもなおこれほどまでに読みふけってしまうのは、それはただ単に私が隆慶一郎の一ファンだから、ということだけではないはずだ。
学生時代に夢中で読んだ隆慶一郎の本も、いよいよこれが私にとって最後の一冊となってしまった。隆慶一郎の小説を読む時、史実が云々という話はどうでも良くなってしまう。小説家が書いた小説が小説として面白ければ、読者にとってそれ以上のものはない。
以下、もっとも印象に残ったところを本文より一部抜粋。
「世の中の柵を背負って、七転八倒の思いの中で、剣を抜く。それが本物の剣だというんだ。剣理を極めるだけの剣なんて、金輪際、本物じゃあねえ」中略。「嘘は云わないよ。いままでの誠さんは強すぎた。もう少し弱くならなけりゃ、本物じゃない。これはもう確かなことだ。」
HP「読みま書架」より
『柳生非情剣』(短編集)
第101回直木賞候補作品
講談社 四六判 235p 昭和63(1988)年 - 内容:慶安御前試合、柳枝の剣、ぼうふらの剣、柳生の鬼、跋行の剣、逆風の太刀
- 初出:慶安御前試合「オール読物」昭和61年8月号、柳枝の剣「歴史読本」昭和62年6月特別増刊号、ぼうふらの剣「歴史読本」昭和62年12月特別増刊号、柳生の鬼「週刊小説」昭和63年2月19日号、跋行の剣「週刊小説」昭和63年7月22日号、逆風の太刀「週刊小説」昭和63年11月11日号
講談社文庫『柳生非情剣』
- 内容:慶安御前試合、柳枝の剣、ぼうふらの剣、柳生の鬼、跋行の剣、逆風の太刀 解説・山口昌男 202 p 1991
『私は本が好き』後藤裕子 著
「柳生非情剣」
10月8日自分がこういうジャンルの本を読むとは思ってませんでした。何となく男性的で理解できない世界のような気がしてましたので。でも隆慶一郎氏の作品だからと手に取ってみて、矢張りただのチャンバラのお話ではないので惹かれてしまい、読んでいます。
この本は6つの短編からなっています。「慶安御前試合(柳生連也斎)」は読み終えました。
江戸柳生を取り潰すために家光によって仕組まれた罠。その罠にはまった江戸柳生総帥柳生宗冬と尾張柳生開祖如雲斎の三男、剣の天才兵助との御前試合・・・。こう書くとなぜ私がこんな話しを、と思ってしまうのですが・・・・。家光は兵助を怒らせ宗冬を試合の場で殺害させようと仕組み、兵助も宗冬を殺す覚悟で試合に臨むのですが・・・『泣いている』宗冬と家光に気付き・・・・。それからの兵助の心の動きにある種の悟りの様なものを感じました。
10月13日12日がお休みでしたので雨は降っているし・・・一気に読んでしまいました。
「柳枝の剣」柳生十兵衛って子どもの時から聞いたことのある名前・・・確か片目の・・・。でもそれくらいしか知らなかった十兵衛です。柳生家の存続のため彼は、腹違いの弟、将軍家光の愛人であった美しい左門を斬る。27歳で死を覚悟した左門が言います。「柳枝の剣。柳の枝の剣です。柳枝は力ずくでは折れず、はね返って兄上の右眼を刺すでしょう」と。十兵衛はその時右目を失ったのです。私には、何とも理解しがたいあの時代の武士の世界です。
「ぼうふらの剣」柳生宗矩の3人の息子、十兵衛、左門、宗冬・・・・二人の兄の死で柳生家の当主となった宗冬は泣き虫で醜男だったそうです。彼は<侍なんてつまらないもんだな>と刀を捨て、猿楽一筋に生きてみたいと弟子入りします。その金春流の能の足の運びと柳生家は並大抵でない深い結縁があったのです。口の中で謡をうたっているような気楽さで、つつと進む・・・・。なんとも日本的な美しささえ感じます。
「柳生の鬼」ずば抜けた剣の素質の持ち主十兵衛と稚拙な家光。二人の稽古は打つほうも打たれるほうも屈辱にまみれた稽古だった様です。そんな5年にわたる心理的葛藤にいやけがさした家光に罷免された十兵衛は大和柳生の庄に戻りますが、そこで一流を建てた兵法者相手に互角に勝負できないことを知り、深山に篭もって自分の剣を見出す決心をします。
HP「母と娘の部屋」母の部屋 より
柳生非情剣 講談社文庫
伊藤浩章 著
チャンバラ小説。もともとチャンバラ小説はあまり読まないが、隆慶一郎が書いた本ならそれなりに面白いだろうと思い読んでみた。いくつかの章にストーリーが分かれており、その中からとくに印象に残ったものをいくつかを紹介したい。
子供にいじめられる不敏な呆け老人、「あほの太平」が登場する章、「柳生の鬼」では,その「あほの太平」の実体に驚かされ、また、足の自由を無くした柳生新次郎のやりきれない心情を描いた章、「跛行の剣」を読んだ時には、心が掻き毟られた。
同じく著者のチャンバラ小説である、「鬼麿斬人剣」と比べても、やはり「柳生非情剣」のほうが面白いと思う。独断と偏見で。「鬼麿」には私が隆慶一郎の作品に求めているものがなかった。「鬼麿」と「非情剣」の中間くらいに面白いのが、「吉原御免状」だろうか。やはり独断と偏見で。「吉原御免状」の中には、明智光秀=南光坊天海説や、徳川家康影武者説などが盛り込まれており、その内容は興味深い。
HP「読みま書架」より
影武者徳川家康(上)
新潮社 四六判 607p 平成元(1989)年
内容:表題作(関ヶ原〜大御所までの10章)
影武者徳川家康(下)
- 新潮社 四六判 645p 平成元(1989)年
- 内容:表題作(駿府〜終焉までの8章、あとがき)
- 初出:「静岡新聞」1986年1月4日〜1988年11月30日連載
新潮文庫『影武者徳川家康』
- 上巻 表題作(関ヶ原〜源氏の長者までの7章)544 p 1993
- 中巻 表題作(千姫〜偃武までの五章)564 p 1993
- 下巻 表題作(大坂和平〜終焉までの6章)解説・縄田一男 535 p 1993
影武者徳川家康(上・中・下) 新潮文庫
伊藤浩章 著
1600年、濃霧のたちこむ関ヶ原で家康が暗殺された。影武者が臨時に指揮を取り東軍を勝利に導いた。しかし合戦に勝利し天下掌握後もなお数十年間にわたり家康を演じ続けざるを得なくなってしまった影武者。権力とは無縁の生き方をしてきた影武者に、家康が築いた権力が重くのしかかる。後に風魔一族を味方につけ、秀忠率いる柳生一族との政治権力闘争が繰り広げられる。
文庫本上巻p.504ページめあたりから始まる花見のシーンの描写に感動し、何度も読み返した。
HP「読みま書架」より
おすすめ本
Byコロッピー
『影武者徳川家康』(上・中・下) 隆慶一郎 新潮文庫 (600円・640円・600円)
時は慶長5年。 関が原に法螺貝が吹き鳴らされ、開戦の狼煙が上がります。
その時、一人の男が家康に近付いてきました。 彼は甲斐の六郎。 敵である武田の忍びが、徳川家の使番になりすましているのです。 使番が偽者だとはだれも気付かず、彼はまんまと徳川家康を刺殺することに成功してしまいました。
あくまで家康の非凡な采配あっての東軍です。 家康の死が明らかになれば、東軍に勝ち目はありません。 とっさに家康の影武者・二郎三郎が家康に成り代わり、采配を振るうことになるのですが...。
影武者とは、戦国時代の武将が用いた腹心のことです。 容姿は主君に酷似し、癖も思考方法も真似ていかなければなりません。
しかし、傍で真似ているのと、実際に本人に成りすますのとでは難しさが全く違います。 自分を押し殺して他人を演じ続ける苦悩がつきまとうのです。 また、時に応じて必要とされたり不要とされたり、身分が安定しないのが影武者というもの。 お役御免になって殺されないよう、自分を守らなければなりません。
歴史の描写もさることながら、二郎三郎の生き方、人生が描かれた作品です。
HP「KORORRY`S WORLD」おすすめ本[http://homepage3.nifty.com/koroppy/index.htmlより転載
『私は本が好き』後藤裕子 著
「影武者徳川家康」
11月16日自分と似た人生観をもった作者に出会えることはとても幸せです。常に「そうなのよ」と確認しながら読み進み、自分の考えをまとめることが出来ます。隆氏はそんな作家の一人です。徳川家康や、彼を取り巻く戦国時代にはあまり興味を持っておりませんでした。そんな私でしたが隆氏の作品ということで読み進み、今は取り付かれています。
平成11年1月6日徳川家康は実は関ヶ原の戦いで死に、以後は彼の影武者であった二郎三郎が家康として生きた。その影武者二郎三郎は真に自由を志した民衆の一人であった。と言うこの設定に隆氏の自由を愛し平等を当たり前とする考え方が生きています。読み進む内にこちらが本当の歴史であったのではと思えてきます。沢山の、わたしにとって、宝石のようなと思える言葉の中からいくつかを紹介します。
《無茶一つしない青春があろうか。もしあるとしたら、それは恐ろしく抑制のきいた人物であり、冷たい眼で周囲を見、計算をし、演技している者なのではないか。》・・・無茶することもある我が子も、かえってそれだからまともなんですね。
《左近の心の中には、武士も浮浪者もない。同じ人間と人間がいるだけである。市郎兵衛はこれまで、こんな武士を見たことがなかった。自分も含めて、武士という武士は自意識が強烈で、武士以外の者を人間とは認めていない。まして浮浪者など、道ばたの雑草と同じである。その雑草に、きちんと頭を下げ、すまないが役に立ってくれ、といった左近に、市郎兵衛は素直に感動した》・・・・あの身分制度の江戸時代の事を書いた小説にこういう場面が出現するのです!
《こういう人物は、他人のすることを見ていてイライラして仕方がない。なぜそんな馬鹿なことをするのか。こうすべきなのは明瞭ではないか。そう思って教える。教えても、判らない人間には判らない。これも当然のことだ。教えられて判ることなど、人生では少ないのである。所詮自分で苦労して掴むしかない知恵の方が圧倒的に多い。そして、苦労する能力もなく、一生知恵を手に入れることなく死んでいく人間が、大方なのだ。そんなことは、百も承知の上で、尚も焦(いら)だちを覚えずにはいられないのが、この手の人物で、その焦だちが高ずると次第に愚者を許すことが出来なくなる。中でも、愚者のくせに努力もせず、いわば居直って、これでいいのだ、などといっている人間を許せない。極端に言えば、そんな奴は活きている値打ちがない、と思ってしまう。それが心の狭さになって現れるのだ。》・・・・・ 子供を育ててみると『教えられて判ることなど、人生では少ないのである。所詮自分で苦労して掴むしかない知恵の方が圧倒的に多い』というのが実感として分ります。
《いずれも歴戦の武士である。つまり徹底した現実家である。現実家だから、危険に対しては敏感だ。だが危険は恐ろしいものだ、という風には、この男達は考えない。危険は考慮し、対策を考え、対策のない時は極力それを有利に使おうと考える。ただそれだけのことだ。この男達に恐怖心が欠如しているというのは間違いである。恐れるべき時には人並みに、いや、人並み以上に、恐れる。ただ恐怖の先どりはしない。やがて起こるかもしれぬ恐怖の場面を脳裏に描いて、早々と恐れるということをしない。そんな恐怖心ぐらい根もなく意味もないものはない、と心底思っているのだった。その時はその時のことだ。今は今である。だから、将来の危険は今の歓楽を少しも遮(さまた)げることはない》・・・・こういう生き方をしてみたいものです。
《 「わしは夢見るバテレンと違いま。自分の国でさえ、神の国とは思うとらん。自国にさえないものを、異国でうち建てようとはよう思いまへん。」「では、何を作ろうとしているのだ?」「神の国を説く自由のある国を作りとうま。一方で仏の道を説く者があってもよろし。罰されたり捕らわれたりすることなく、神の国を説ける国やったら、それでええ」二郎三郎は無言だった。六郎は、ソテーロのいう国が、二郎三郎の作ろうとしている国に近いことを漠然と感じとった。二郎三郎もそれっを感じているに違いなかった。だから無言でいるのだ。》・・・・それぞれの自由を尊重しあえるというのが理想ですね。
《役人とは、それが年寄りであれ下級の同心であれ、所詮人に嫌われる人種だ、という認識が弥八郎にはある。職に忠である限り、どうしてもそうなる。又、そうならなければ職務を全う出来ない。人に不利なことを強行すれば、怨嗟の的になるのは当然のなりゆきである。だがそれは本来主君に向けられる筈の怨嗟を肩代わりしているだけだ。だからそれはそれでいい。その代わり役人は利を得てはならない。財を蓄えてもならない。常に適当な知行を受けるのみで、過度の恩賞に預かることなく、清貧に甘んずるべきである。人に厳しい分、自分にも厳しくあるべきだ。そう思っている。》・・・・・お役人様方参考になさって下さい!と言いたいですね。
《心が妙にどすんと座ってしまった。何があろうと世の中はなるようにしかならない。それは人間の小ざかしい思いを遥かに越えた、世の中自体の律動で動いているかに思われた。世の中のために人間のすることなどないのだ。あると思うのは只の思い上がりにすぎない。どうじたばたしたところで、人間は所詮この世の動きの表面に、僅かな掠り傷くらいの爪痕をつけるのが関の山なのだ。だから人間のすることで意味のあることといえば、自分が他ならぬ人間であることを自分自身に証明することぐらいではないのか。他人がどう思おうと、自分は確かに生きたと自覚出来ることだけが、人の生きている意味ではないか。そう感じた瞬間に、六郎の心はすとんと座りこんでしまった。世の中の動きが自分にとって都合がよかろうと悪かろうと、そんなことに関わりなく、ただ動いていると見えるようになった。さまざまなものがさまざまな色で虚空を彩りながら移ろってゆく。それだけのことだ。そんな移ろいゆく風景の中に、自分自身も見える。自分もまたある彩りをもって、他の移りと共に移ろい流れてゆく存在にすぎない。『見るべきものは見つ』という言葉がある。正にそんな感じだった。世の中をどうしようなどという気はもうない。もう沢山だった。いつ死んでも構わなかった。たかが彩りの一つが消えるだけのことだ。他人は気がつきもしないだろうし、それで充分ではないか》・・・・私の一番好きなシーンです。
HP「母と娘の部屋」母の部屋 より
1998年、10回シリーズでテレビドラマ化。放映はテレビ朝日。
主演 高橋英樹(家康、二郎三郎の二役)/主な出演者 片岡鶴太郎、片平なぎさ、細川ふみえ、市川右近、寺田農
一夢庵風流記
第2回柴田錬三郎賞受賞
読売新聞社 四六判 453p 平成元(1989)年
内容:表題作1編、
初出:「週刊読売」1988年1月3・10日合併号
〜1989年1月29日号連載
新潮文庫『一夢庵風流記』 内容:表題作1編、解説・秋山駿 564 p 1991
集英社文庫『一夢庵風流記』 542 p 1992
一夢庵風流記 新潮文庫
伊藤浩章 著
戦国末期。奇をてらった行動を好む武辺者・前田慶次郎の人生を描いた小説。主人を持たず奔放な生活を送る風流人。謁見の間での天下人・関白秀吉との対面でも,慶次郎はあくまで自分の生き方を貫き通した。このシーンは緊張感があって面白かった。
少年漫画「花の慶次」の原作。隆慶一郎を読むようになったのはこの漫画がきっかけだった。以後、「死ぬことと見つけたり」、「見知らぬ海へ」、「吉原御免状」などを読んでいくうちにファンになった。
HP「読みま書架」より
一夢庵風流記 隆慶一郎 時代長編 新潮文庫
ISBN4-10-117414-8 C0193 \667E
伊藤学 著
概要(背表紙引用)
戦国末期、天下の傾奇者(かぶきもの)として知られる男がいた。派手な格好と入ような振る舞い人を驚かすのを愉しむ男、名は前田慶次郎という。巨躯巨漢で、一度合戦になるや、朱色の名が槍を振り回し、敵陣に一人切り込んで行く剛毅ないくさ人であり、当代一流の風流人でもあった。そして何より、自由を愛するさすらい人でもあった。故あって、妻子を置き旅に出た男の奔放苛烈な生き様ょ描く時代長編。
感想
この作品は週刊少年ジャンプで連載していた「花の慶次」の原作小説です。ジャンプの雰囲気って、この原作品を忠実に再現してたんですね。SF・ホラーばっかり読んでいるのですが、難なく読むことができました。食わず嫌いはいけませんね。
歴史に疎い人でも、楽しめる作品だと思います。傍らに日本史教科書があれば、なお良いのでしょうが、そんなに気にせず読み進めます。主人公「慶次」がたまらなく素敵です。強烈な個性に引っ張られ魅了されてしまいます。慶次に敵対する人物が多数登場しますが、その多くは、始めは慶次に対し、殺意・怨恨を抱いてるのですが、しだいに慶次の男っぷりに引かれ、いつしか惚れこんでしまう… 「男の友情」ってのが随所に盛り込まれて、これぞ日本男児といった感じです。「男一匹ガキ大将(本宮ひろし)」にも共通するものがあります。
終盤の「最上の戦い」で、慶次率いる8人が、最上義光の軍勢に突撃するシーンは圧巻です。今から、400年前にこんな男が実在していたのかと思うと、嬉しくなってしまいます。この読後感が時代小説の醍醐味なのでしょう。
ただ、作者の視点で語られる注釈が突然割り込んでくる点が、ちょっと気になります。没頭していたストーリを急に遮断され、現実に戻されてしまうように感じました。ただ、このような「史実に基づく注釈(作者の歴史解釈)」は、時代小説の面白さの要素なのでしょう。もう少し、日本史についても勉強しなくては…と
HP「えむNo 趣味的Na」BookReview より
『私は本が好き』後藤裕子 著
「一夢庵風流記」
冒頭の馬と前田慶一郎との出会いの場面を読んだ時からやはりこれは大人ための御伽噺だなと楽しくなりました。馬とお喋り・・・何だか童話を読んでるみたい。そう、これはやっぱり大人の為の童話です。自由を愛する大人の為の童話・・・。
《次の日、慶次郎が大声で名を呼ぶと、どこからともなく松風が走って来た。慶次郎は岩塩をやり、自分もなめた。「鞍は置かなきゃならないんだよ」 すまなそうに慶次郎が云った。鐙がないと戦闘が出来ない。両手で槍を扱う時、鐙にかけた足を踏ん張る必要があった。「そのかわり馬銜はつけない。手綱なんか要らないからな。約束するよ。」これが慶次郎と松風の契約だった。》
愛馬とも自分を殺しにやって来る刺客達ともお友達になってしまう素適な主人公前田慶次郎。
《 この男の希を完全に理解し、それを真実の告白ととったのである。」松風には人を惹きつける魔力がある。なんとかして、一度でも乗って走らせてみたい、と思わせる魔力である。慶次郎は誰よりもその魔力を知っている。だから小男の今の一言で、何も彼も許す気になった。<こいつは俺の命を狙い続けるだろう>そんなことは百も承知だった。常時生命を狙っている男と暮らすのも、また乙なものではないか。こんな男に殺されるようなら、自分はそれだけの男なのである。それに、何時、何処で、どんな形で死んでも、なんら悔いるところはない。それが『傾奇者』の生きざまではないか。》
何時どんな人とでも縦の関係でなく横の関係を築く前田慶次郎。
《慶次郎が無言で大盃を金に廻す。金も無言でゆっくり酒を呑み干した。<変わった旦那だ>つくづくそう思う。金も何人か主に仕えたことはあるが、こんなのは初めてだった。いつ生命を狙ってもいいと云うのも変わっているが、つき合っている内に、とてもそんなものではないことが判ってきた。この男の頭には主人も従者もない。全くの対等なのだった。ただの人と人、或いは男と男なのだ。盃も、下さると云うのではない。廻すのである。呑み仲間のような気易さである。遠慮などしようものなら、心から不思議そうな顔をする。「躰でも悪いのか」そう訊きたそうな表情だった。だから遠慮する方が馬鹿を見る。》
何だかすぐそばに生きて存在しているように生き生きと描かれた主人公や他の登場人物の姿に一喜一憂しながら読みました。
《伽姫は『骨』と金悟洞に守られながら、土堤に座ってこの風流の渦を見つめていた。何故か涙が出て仕方がなかった。「慶郎と居ると、毎日が風流みたい」『骨』と悟洞もはっきりと頷いた。同じ思いだった。「変なお人ですね」『骨』が呟いた。「そうなの。変な人なの。でも大好き」「私だってそうですよ」『骨』がまた呟いた。「わし、踊ってくるけん」悟洞が遠町筒を『骨』に渡して、風流の列に走っていった。》
HP「母と娘の部屋」母の部屋 より
時代小説の愉しみ

講談社 四六判 248p 平成元(1989)年
内容:エッセー集、初出一覧付
新装版
講談社 四六判 248 p 平成11(1999)年
講談社文庫『時代小説の愉しみ』 209 p 1994
時代小説の愉しみ 講談社文庫
伊藤浩章 著
隆慶一郎唯一のエッセイ集。彼自身のことや社会,歴史についてなど話題は多岐に渡る。また、短編が4作収録されているが、彼の他の作品と比べると印象がうすい。エッセイのところだけ読んでも、ファンであればきっと楽しめるでしょう。
HP「読みま書架」より
捨て童子松平忠輝(1)
- 講談社 四六判 316p 平成元(1989)年
- 内容:表題作(序章、鬼子、川中島、麒麟、紛争)
捨て童子松平忠輝(2)
- 講談社 四六判 324p 平成2(1990)年
- 内容:表題作(高田城、和解工作、越後、禁制、決起、遣欧使節<一>)
捨て童子松平忠輝(3)
- 講談社 四六判 301p 平成2(1990)年
内容:表題作(遣欧使節<二>、忠隣始末、その前後、決断、旅立ち)、執筆を終えて、隆慶一郎の人と作品(縄田一男)- 初出:新潟日報1987年5月11日〜1988年11月16日連載
講談社文庫『捨て童子松平忠輝』
- 上 内容:表題作(序章、鬼子、川中島、麒麟、紛争) 345 p 1992
- 中 内容:表題作(高田城、和解工作、越後、禁制、決起、遣欧使節<一>) 357 p 1992
- 下 内容:表題作(遣欧使節<二>、忠隣始末、その前後、決断、旅立ち)、執筆を終えて、隆慶一郎の人と作品、付記(縄田一男) 331 p 1993
『私は本が好き』後藤裕子 著
「捨て童子・松平忠輝」
10月7日隆作品に魅せられています。私の求めていたヒーローの登場とでも言ったこの作品、所々に宝石のような言葉が散りばめられています。徳川家康の第六子、『徳川殿ご覧じけるに色きはめて黒く、眦(まなじり)さかさまに裂けて恐ろしげなれば憎ませ給ひて捨てよと仰あり』と新井白石の『藩翰譜(はんかんぷ)』に描かれた『鬼っ子』忠輝をモデルにしたこの小説から、私は私の求める「大切なもの」を見出せそうです。
10月8日昨日市内中心部の本屋と市民図書館(コンパルホール)県立図書館などを探し回ったのですが中巻が見つかりませんでした。馬鹿な私は上下2巻と思って近くの本屋で買い込み(上下巻しか置いてなかったのです)上巻を読み終え、下巻を読みはじめて、中巻があることに気付きました。でも待ちきれずついつい、下巻も読んでしまいました。中巻は注文しましたが2、3週間かかるとのこと・・・。全部読んでしまってから感想をまとめます。
10月27日ついに全巻を読んでしまいました。作者の忠輝に託したものが伝わって来ます。それは私が大切だと思っているものとよく似ています。「人は環境によって不幸になる生物ではない。人を不幸にするのは確実にその人の心である。心さえ健やかに爽やかであれば、どんな境遇にいても倖せを見つけることは可能なのだ。忠輝はそれを実感として知った。」
「あのお方には殿様という気持ちが全くないのだ。ご自分を只の人間としか考えていられないんだね。それにどんな相手でも同じ人間だと思っている。だから紅毛人だろうと、物乞いだろうと何の差別もなさらないのだよ。」
「忠輝は道端に座って、通り過ぎてゆく人々を眺めて何刻も刻(とき)を消すことがある。それで一向に倦きることがない。人とはそれほど面白い生き物なのだった。」
「<人の世は美しい>忠輝は心の奥深くで感動していた。ブルギーリョスの感慨は、一木一草にも仏を観るといわれた仏法の悟りと全く変わりなかった。神といい仏という、信ずるものは異なっても、高所に達した者の眼は同じものを観るのではないか。忠輝にはそう思えて仕方がない。そして、その高みに登った人を見るたびに、人の世はなんと素晴らしいことか、と思うのだった」
随所に宝石のような言葉が散りばめられています。隆氏の素晴らしい世界観、人生観を忠輝に託したこの作品は私の心を捉えて離しません。繰り返し読みたくなる本でした。そしてもっともっと隆氏を知りたくなりました。そしてまた、かって読んだ吉村昭が彼の作品「侍」で描いた支倉六右衛門(常長)・・・これはこれで好きなのですが・・・と隆氏の描く支倉六右衛門の違い等、とても興味深く、面白く、楽しむことができました。
HP「母と娘の部屋」母の部屋 より
捨て童子・松平忠輝(上・中・下) 講談社文庫
伊藤浩章 著
生れ落ちた直後に,実父の家康から捨てられた忠輝。しかしこの忠輝、並外れた身体能力と、ラテン語を自在に操る語学力を持ち合わせた稀有な武将へと成長した。領民からの信頼も厚く人気者の忠輝だが、それを不快に思う二代将軍秀忠は様々な方法を用いて忠輝に圧力をかけた。
隆慶一郎が描く秀忠は,なぜかいつも悪役である。彼は秀忠が嫌いなのだろうか。
忠輝の側近・大久保長安は鉱業者として名高かった。南蛮渡来の技術を使いこなすが、技術のみを取り入れることは不可能だった。必然的にキリスト教がついてまわった。幕府によるキリスト教禁制が進むなか、長安は忠輝を将軍後継者に担ぎ出した。キリスト教に深い理解を示す忠輝は切支丹大名から支持を受けるが。
HP「読みま書架」より
2003年6月、慶長グランドロマン「野風の笛」の名で宝塚歌劇として初演される。
脚本・演出 谷正純 音楽/作・編曲 吉崎憲治
配役/花組 松平忠輝 轟悠 花井主水正 春野寿美礼 豊臣秀頼 彩吹真央 柳生宗矩 瀬奈じゅん
風の呪殺陣
徳間書房 四六判 236p 平成2(1990)年
内容:表題作1編、解説・縄田一男
初出:「問題小説」1986年10月〜87年1月号
徳間文庫『風の呪殺陣』 内容:表題作1編、解説・縄田一男 254 p 1992
光文社時代小説文庫『風の呪殺陣』 内容:表題作1編 254 p 2000
風の呪殺陣 隆慶一郎 時代長編 徳間文庫
ISBN4-19-599452-7 c0193
概要(背表紙引用)
天下布武をとなえる織田信長は元亀二(1571)年、ついに比叡山に攻め込んだ。僧俗三千とも、四千ともいわれる酸鼻を極めた大殺戮であった。大河闍梨・詮舜を師とあおぐ修行僧・昇運は、河闍梨への道をたたれ、立山にこもって大魔王信長を呪い殺さんと呪殺行に入る。一方、この戦乱で両親と妹を失った山門公人衆・谷ノ坊知一郎は、伊勢一向一揆に身を投じ、信長殺害に青春のすべてを賭けた! 傑作時代長編。
感想
戦国史の最大のロマン「本能寺の変」に至る物語です。比叡山への信長のジェノサイド(皆殺し)は、苛烈を極め、徹底した攻撃を行った。比叡山の修行僧・昇運は、信長への復習を誓い、仏法で禁じられている「呪殺」の修行に入る…。昇運の友人である山門公人衆・知一郎は、傀儡子(日本のジプシー)と共に、一向宗側に付き、信長の軍勢と対決。
知一郎は信長の軍勢の戦いで死亡。昇運は「鬼嘯」を会得し、信長に惨殺された人々の魂を、現世に呼び出し、信長に精神的な攻撃を試みる。しかし、豪気の塊である信長に、悪鬼の類による攻撃は、さして効果なく、明智光秀に矛先を変えます。信長の惨殺行為に荷担し、これ以上亡者の呪いさらされてはたまらないと光秀は「本能寺の変」を決行。ラストは史実のとおりです。
この作品には、「ジェノサイド(皆殺し)」の単語が頻出します。「信長の行ったジェノサイドはどのような見地に立ったとしても、許されるものではない」という、作者の意見があちこちに、窺えます。作中の信長は、あくまで羅刹(鬼)として描かれ、肯定的にはあまり描かれていません。
前半部分は非常に良かったです。昇運の怒り、そして復讐を誓う彼の内面が上手に表現されてます。しかし、昇運は信長と直接対決をするわけではありません。作中で「信長は許せても、光秀は許せない」という発言すら出てきます。前半の主人公の決意が真に達成でぬままに作品が終了した感があります。
また、昇運の後輩である好運は、鈍感で頓馬な修行僧なのですが、比叡山焼き討ちの後に、師匠とともに京都に逃れ、そこで、一人の切支丹少女と仲良くなります。しかし、その少女もまた信長の軍勢の陵辱され殺されます。そして、好運は、兄弟子昇運も成し遂げられなかった修行を極め、「河闍梨」となります。この枝葉のストーリー部分が一番「感動」しました。
後書きによると、この作品は100枚程の加筆をしてから、文庫版が発行される予定だったそうです。しかし、作者がそれを成し遂げる前に死亡…。どのように加筆され、完成するはずだったのでしょうか。それを、思うと残念でなりません。(伊藤学)
HP「えむNo 趣味的Na」BookReview より
風の呪殺陣 徳間文庫
伊藤浩章 著
信長による比叡山焼き討ちが一人の修行僧の運命を変えた。叡山の寺を焼かれたことにより修行の道を断たれた昇運。仏敵信長を呪い殺さんと呪殺行に入った。弱冠十八歳。過酷な青春を送る昇運に悲壮感が漂う。これを初めて読んだ時,私もまた10代後半で、おこがましくも主人公に感情移入してしまった。
「<わしの行場はここだ。悪鬼羅刹といわばいえ。わしはこの地獄谷で、地獄の修験道を、必ず必ず満行してみせるぞ>朝焼けに、昇運の顔はまさに血を浴びたように赤かった。」本文より。
HP「読みま書架」より
死ぬことと見つけたり(上)
新潮社 四六判 318p 平成2(1990)年
内容:第1話〜第7話
死ぬことと見つけたり(下)

新潮社 四六判 314p 平成2(1990)年
内容:第8話〜第15話、結末の行方(編集部)
初出:「小説新潮」1987年8月号〜1989年8月号連載(未完)
新潮文庫『死ぬことと見つけたり』
- 上 内容:第1話〜第7話 341 p 1994
- 下 内容:第8話〜第15話、結末の行方(編集部) 解説・縄田一男 343 p 1994
死ぬことと見つけたり(上・下) 新潮社
伊藤浩章 著
武士道とは死ぬことと見つけたり。
鍋島藩浪士、斎藤杢之助は「葉隠」を武士の哲学とし、死人としての生を送る。また彼は鉄砲の名手であり、そのいくさ人としての心意気が作品の至るところで見受けられた。同じく鉄砲の名人、下針金作や、「心の一方」の使い手である松山主水との決闘はなかなかにきまっていた。
以下、2001年2月再読後の追記分。
本書のあらすじをとらえるがなぜか困難だったわけだが、その理由は全て初めの十数ページにあったようだ。いわば冒頭といって良い部分で、著者がなぜ「葉隠」に魅せられたのかを述べているが、その理由は断片的にとらえているが故の面白さであったことを正直に語っている。つまり「葉隠」で言わんとしている思想や、誰が何をした、というのも次第にどうでも良くなり、登場する人間像だけに知的興奮を覚えていたようだ。そんなことを冒頭で述べられたものだから、わたしも著者が「葉隠」を読んだように本書を読みすすめていたのだった。
島原の乱鎮圧軍に加勢した際、杢之助と求馬は一番乗りを果たすが、その後に二人が求めた論功行賞にあまりにも差がありすぎた。求馬はより高い地位を手に入れたが、杢之助は地位による不自由さを嫌い浪人のままでいることを望んだ。このあたりがいかにも隆慶一郎の作品っぽくてファンにはたまらない。浪人として比較的自由な人生を歩む主人公・杢之助と、出世を目指し藩組織の中で骨っぽく生きる中野求馬。そしてまた杢之助のいくさ人としての生き様に惚れこんだ萬右衛門。この三人やその他の登場人物はみな魅力的だ。
HP「読みま書架」より
『花と火の帝』(上)
- 日本経済新聞社 四六判 395p 平成2(1990)年
- 内容:表題作(騒乱、官女密通、御譲位、和子入内)
『花と火の帝』(下)
- 日本経済新聞社 四六判 389p 平成2(1990)年
- 内容:表題作(和子入内<つづき>、御譲位まで、仙洞御所)、解説・浦田憲治
- 初出:「日本経済新聞」1988年2月16日〜1989年9月21日連載(未完)
講談社文庫『花と火の帝』
- 上 内容:表題作(騒乱、官女密通、御譲位、和子入内) 428 p 1993
- 下 内容:表題作(和子入内<つづき>、御譲位まで、仙洞御所)、解説・浦田憲治、文庫版解説・縄田一男 426 p 1993
『私は本が好き』後藤裕子 著
「花と火の帝」
9月14日 冒頭の岩兵衛の描写から思わず引き込まれました。八瀬童子と呼ばれる独特の一族。
その八瀬童子の棟梁格岩兵衛は、天皇の輿をかつぐ駕輿丁、そして『天皇の隠密』でもあります。
少しだけ御伽噺のようでもあり、それでいて史実をしっかりと押さえて話しを進めていく隆氏の世界に、引き込まれてしまいます。早く先に読み進みたいと思いながら雑用で思うように進まず・・・まだ、上巻の半分までしか読んでおりませんが、早くも岩兵衛の息子、5歳の時に天狗と共に冥府に行き鬼道を学んで帰ってきた岩介の魅力に取り付かれてしまいました。
9月17日一気に読んでしまいました。そしてこれが隆慶一郎氏の絶筆であったことを知り、本当に、本当に残念でなりません。
徳川の時代となり、その強力な力に自由を奪われつつある京の帝、後水尾天皇。徳川幕府の巨大な権力と闘うその帝に賭けた岩介。彼は『不殺』を命じる帝に自分が絶対に間違った側についていないと身に沁みて感じます。強敵を何時の間にか味方にしてしまう岩介の魅力。しかしそんな岩介も、敵を殺してしまいます。帝の同志と言ってもいい信尚の死(それは徳川の放った柳生の陰謀だったのですが)、その死を前にして「弓気多を殺したらいかんぞ。ええな。あんな何の値打ちもない男と、信尚の死を引き換えにするな。信尚は不慮の死や。それでええのや。神に愛された人間ほど、早よう死ぬんや。」と諭す帝。
隆氏の描く世界は、殺伐としたであろう戦国の世であっても、何か暖かいものが流れてます。
猿飛佐助や霧隠才蔵等という名前は何だか子供の頃に聞いたことのあるヒーローの名前です。わたしにとっては御伽噺の登場人物のような存在でした。超能力的なものなんてあまり信じていない私でしたが隆氏の的を得た説明を読むうちに、過去にはきっとそんな力があったのかも知れない、と思えるようになりました。あの家康が天下を統一した裏側ではきっとこういうことがあったのだろうと・・・。
岩介、猿飛佐助、霧隠才蔵、兵左衛門・・・・『天皇の隠密』達はどんな活躍をしたのでしょう・・・
隆氏が亡くなった今はただただ残念としか言いようがありません。
HP「母と娘の部屋」母の部屋 より
花と火の帝(上・下) 講談社文庫
伊藤浩章 著
鬼の子孫「八瀬童子」の血を引く岩介が天狗と出会い、彼から鬼道を学んだ。その後はテレパシーやテレポーテーションといった現代でいう超能力のオンパレードだった。猿飛佐助なんかも出てきて何でもありの感じがするが、エンターテインメントとしては最高だった。
岩介は、幕府の権力に抗い自由を求めようとする後水尾天皇を支えようと鬼道を惜しみなく使った。この小説でも二代将軍・秀忠は悪役だった。
HP「読みま書架」より
『かぶいて候』

- 実業之日本社 四六判 220p 平成2(1990)年
- 内容:かぶいて候(表題作)、異説 猿ケ辻の変、わが幻の吉原(談話)、対談・日本史逆転再逆転(対談者・縄田一男)、解説(縄田一男)、
- 初出:かぶいて候「週刊小説」1989年5月26日号〜89年9月1日号連載、異説 猿ケ辻の変「別冊歴史読本・時代小説特集号」1988年特別増刊号、わが幻の吉原「波」1986年2月号、対談・日本史逆転再逆転「小説新潮・時代小説人物日本史」1989年10月臨時増刊・時代小説全集
集英社文庫『かぶいて候』
- 内容:「かぶいて候」、「異説 猿ケ辻の変」、「わが幻の吉原」、「対談・日本史逆転再逆転」 221 p 1993
『駆込寺蔭始末』(連作短編)
- 光文社 四六判 184p 平成2(1990)年
- 内容:表題作1編、
- 初出:畜生仲・うめ女「別冊小説宝石」1986年初冬号、幼な妻・おくに「小説宝石」1987年3月号、子連れ女・おるい「小説宝石」1987年7月号、欠け落ち者・おかね「小説宝石」1987年5月号
- 光文社時代小説文庫『駆込寺蔭始末』 解説・縄田一男、隆慶一郎著作目録 211p 1991
徳間文庫『駆込寺蔭始末』 184 p 2000
駆込寺蔭始末 隆慶一郎 時代小説 徳間文庫
ISBN4-19-891299-8 C0193
概要(背表紙引用)
鎌倉・松ヶ岡東慶寺。駆込み寺として高名なこの寺の門前にせんべい屋がある。旅籠も兼ねているその店の主は木曽田谷の忍び、八兵衛とおかつの夫婦。そしてもう一人、麿と呼ばれる公家の若君が居候している。実はこの麿、東慶寺の住持である高辻前中納言息女・玉渕尼の許嫁であった。不運にも住持にされた玉渕尼を守るため、用心棒として住み着いたのだ。わけありの女達が今日もまた駆け込んできた……
感想
うん。全四話の短編集です。しかし、隆慶一郎の描く、漢(オトコ)は格好良いですよね。当時(17世紀)は女性側から離縁を申し立てるのは事実上不可能…。っで、わけありな女性がこの寺を訪れると。寺の石段を一段でも上ればば、どんな権力者でも、オトコは入る事ができない…。
っで、いろんな事件が巻き起こるわけです。時代背景や、当時の政治状況が上手い具合に練り込まれており、単なる英雄忌憚じゃないんですよね。またアクションシーンも良い感じだし。登場人物のキャラがしっかり立ってるから、たまりません。格好良いんだよな…
麿って登場人物のニヒルっぷりがたまらんです。敵方の行列とすれ違うとき、どいつを殺すべきかを吟味します。「荒淫と酷薄の顔だ。殺。」「主人の強欲を恥じてるのでは無いのか。生。」もうたまりません。いつかどっかで、パクってやろうと決意したほどです。
隆慶一郎作品の読みどころは、主人公の男っぷりですよね。あと下手にフェミニズムを意識させないところ。生物としての、男と女って奴が描かれています。特にこの作品に限って、かなりエロチックなマグワイ描写があるし。まぁ〜、舞台が駆込寺だから仕方がないけど。にしても変態プレイだよな。アレは。(伊藤学)
HP「えむNo 趣味的Na」BookReview より
『柳生刺客状』
講談社 四六判 243p 平成2(1990)年 - 内容:表題作、張りの吉原、狼の眼、銚子港慕情、死出の雪
講談社文庫『柳生刺客状』
- 内容:「柳生刺客状」 「張りの吉原」 「狼の眼」 「銚子湊慕情」 「死出の雪」 解説・磯貝勝太郎 196 p 1993
『見知らぬ海へ』
- 講談社 四六判 271p 平成2(1990)年
- 内容:表題作、隆慶一郎とフランス文学(羽生真名)、解説(縄田一男)
- 初出:「小説現代」1987年7月〜連載(未完)
講談社文庫『見知らぬ海へ』
- 内容:表題作、隆慶一郎とフランス文学(羽生真名)、解説(縄田一男)、付記・縄田一男 300 p 1994

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