隆慶わーるど日本仏教とその宗派
日本仏教の概説
仏教は紀元前五世紀の始めに仏陀釈迦牟尼が、人間の苦悩の解決法などを説いた教えで、多くの弟子や信者が集り、それぞれ修行や教えをより深く解釈するなど教理・哲学としての体系化が計られた。やがてこの仏陀の教えをインドの阿育王が帰依し保護したことからインド全土に拡がり、それが周辺諸国へも伝わり、世界宗教となる。
我国に仏教がもたらされた正確な時期は不明だが、五世紀後半、おそらく大陸との交流に伴って仏教も伝播されたと思われる。六世紀初めに百済の五経博士が渡来し、聖明王が大和の大王の元に仏像や経論をもたらしたことが直接の契機となり、近畿の首長たちに積極的な仏教の受入れがなされたといわれる。六世紀後半には大和政権は中央政権として歩み始め、首長の中の首長である大王(天皇)と有力首長の蘇我氏、物部氏らの連合政権が確立。
しかし、仏教を積極的に受け入れようとする厩戸皇子(聖徳太子)や蘇我氏と消極派の物部氏が争い、積極派が勝利した事で仏教は我国の護国宗教となり、大和政権の影響力の及ぶ地に官大寺(国分寺・国分尼寺)が建立された。
こうして八世紀に入ると大和には国家鎮護、諸国安寧、氏族繁栄のための仏典・教義等の研究機関として多くの寺院が建立される。これらの寺院が後、南都七大寺とよばれる寺院となり、この時にもたらされた仏典に応じた研究・学問がそれぞれの寺院でなされ、やがてそれらは南都六宗と呼ばれる教学の寺院となり多くの学僧を輩出し、中央・地方政府へ政治・外交の人材を供給した。
【小乗】(しょうじょう)
仏教の教えは、人が悟りに出会い、救われるかという命題への問いかけであり、それへの縁起を説いている。
人間は煩悩に汚れてているので、それからの解脱がなされなければ真の解放と救いは得られないと、時間をかけ、数多くの功徳を積み、何度も生まれ変わらなければ救われないという考え方の仏教思想。
【大乗】(だいじょう)
長い努力をした人のみが救われるという考えを、小さな乗り物の仏教(小乗)と批判し、仏の救いは一切を包んでいるという仏の真理を拠り所に、それを信じようと主張し、誰でも、それを信じ、仏にまかせ、なりきることで、一切の人々、罪を犯した人でさえ救われると説く考え方を大きな乗り物(大乗)と呼んだ仏教思想。
【顕教】(けんきょう)
言語・文字の上に明らかに説き示された教義。真言宗では一切の教法を顕教と密教の二種に分類し、聞き手の衆生の能力に応じて理解しやすいように説いた教えを顕教とし、さらにこれを二種に分けている。一つは仏が修行を積み重ねた菩薩を相手に説いた一乗の教法と声聞・縁覚と初歩の菩薩に説いた三乗の教法があるとする。そして密教はこれら顕教の上にある教法とする。また、天台宗においても『法華経』『華厳経』などの顕教よりも『大日経』など密教を上位に置いている。
【密教】(みつきょう)
人間の理性によっては把握しえない秘密の教え。顕教に対する語で、一般には神秘的、儀礼的、象徴的、実践的な宗教の意に用いている。インド大乗仏教の中におこり、七世紀には思想、修法両面において整備され、バラモン教・ヒンドゥ教文化が積極的に摂取されているといわれる。
参考文献
『修験道』 宮家準著 講談社学術文庫 2001年発行 364p
『事典日本の名僧』 今泉淑夫編 吉川弘文館 2005年発行 449,27p

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