吉原御免状/かくれさと苦界行
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主人公
松永 誠一郎(まつなが せいいちろう) (1632〜?)
隆慶一郎の創作人物。後水尾院の御落胤。
誕生時、父水尾院から『鬼切り太刀』を譲り受ける。この鬼切り太刀は、代々徳川家に伝わるものだったが、娘和子が入内し、めでたく懐妊した事を受け、秀忠がその子のためにと献上していた。しかし和子の生んだ子は生まれてすぐに夭折。持ち主の無いまま天皇家が所持していたのだった。
寛永9年、京で生まれた誠一郎は生後僅か13日目に母を失う。母子もろとも刺客の手に掛かる所だった誠一郎は、通りかかった宮本武蔵に救われた。その後、肥後山中で武蔵に育てられた。
武蔵没後、肥後藩士寺尾孫之丞に預けられ、25才まで熊本で過ごす。明暦3年、吉原に庄司甚右衛門を訪ねるべく江戸へ。この時、齢26才。
幼少時から武蔵により剣の手ほどきを受け、天賦の才もあり、剣術の達人となる。後、柳生新陰流の奥義を柳生宗冬から伝授され、一層の達人となる。
明暦四年、庄司家の養子となり、西田屋三代目庄司又左衛門を名乗り、吉原五丁町の惣名主となった。
吉原の人々
幻斎(げんさい)
吉原近くの孔雀長屋に住む老人。実は吉原の影の棟梁。
死んだ事になっている吉原創始者庄司甚右衛門の隆慶一郎が創作した変名。唐人剣の使い手。
松永誠一郎の良き理解者であり、庇護者。
庄司甚右衛門について
庄司 甚之丞(しょうじ じんのじょう)
吉原西田屋主人。庄司甚右衛門の娘婿。
誠一郎に住家を提供している。
なべ (?~1652) 吉原御免状
庄司甚右衛門の娘。おしゃぶの母。承応元(1652)年没。
おしゃぶ
甚之丞の娘。
予知能力のある異能の娘。成人して誠一郎の妻となる。
母は庄司甚右衛門の娘なべ。おしゃぶが持って生まれた才能は人の心を読み、遠く離れた所の異変を察知し、未来を予知する能力だった。まだ子供の歳に誠一郎に会ったおしゃぶは、誠一郎と結ばれることを知る。それから彼女は、誠一郎の一挙手一投足を見守り続ける。(『吉原御免状』)
おふう かくれさと苦界行
誠一郎の長女。
並木屋 源左衛門(なみきや げんざえもん) 吉原御免状、かくれさと苦界行
角町の並木屋主人。
武蔵の高弟で、吉原名主として吉原を守る守護団の一人。吉原の重要な決定に参画し惣名主三浦屋四郎左衛門を助ける。義仙との戦いで、自ら作った花火の暴発で命を断つ。
「一、寛永正保のころ、名に立ちたる遊女屋は、江戸町の西村庄助、二丁目の山田三之丞、角町の並木源左衛門、京町の高島屋清左衛門、新町の山本芳潤らなり。その頃は あぶれ者らもはいりこみ、あるいは人心もいたって強く、意気地を争うゆえに、喧嘩口論も多かりしゆえにや、みなみな用心のために、柔術など習いたしなみて、宮本武蔵の弟子にて、なかんずく並木源左衛門、山田三之丞などよく心得たると申し候」『青楼年暦考』(庄司家家譜)
野村 玄意(のむら げんい) (?~1686)
吉原新町真字(まんじ)屋主人。
一橋如見斎に六字流刀術を学び、その技は達人の域に達する。吉原首代の頭領として警備の責任者であり、誠一郎の警護の責任者でもある。
かくれ里一掃のため大坂新町の傾城屋に向かう途中、鈴鹿越えの道でお館さまこと荒木又右衛門に切り殺される。
「一、新町野村玄意はそのころ隠れなき柔気一流の名人。市橋恕齊の弟子にて、宮本氏とも昵懇なり」と『青楼年暦考』(庄司家家譜)にある。
父は野村喜右衛門。妻は庄司甚之丞の女かね、子に小左衛門がいる。父喜右衛門は江州出身で、庄司甚右衛門の妻の甥に当たるという。
三浦屋 四郎左衛門(みうらや しろうざえもん)
吉原三浦屋主人。吉原町惣名主。
元吉原のころから京町1丁目に三浦屋という大見世があり、楼主は代々、三浦屋四郎左衛門を名乗っている。新吉原の初代総名主になったのもこの三浦屋四郎左衛門で、そのときの雇い人に四郎兵衛という者がいた。四郎兵衛会所の名の由来は、この四郎兵衛が最初の見張りになったのが始まりといわれ、名前だけが代々、受け継がれることになったという。
甚右衛門亡き後、吉原の惣名主となる。肥満体型でいつも大汗をかいているが、経営能力に優れた才能を持つ。
山田屋 三之丞(やまだや さんのじょう)
江戸町二丁目の山田屋主人。
武蔵の高弟で、吉原名主として吉原を守る守護団の一人。吉原の重要な決定に参画し惣名主三浦屋四郎左衛門を助ける。
「一、寛永正保のころ、名に立ちたる遊女屋は、江戸町の西村庄助、二丁目の山田三之丞、角町の並木源左衛門、京町の高島屋清左衛門、新町の山本芳潤らなり。その頃は あぶれ者らもはいりこみ、あるいは人心もいたって強く、意気地を争うゆえに、喧嘩口論も多かりしゆえにや、みなみな用心のために、柔術など習いたしなみて、宮本武蔵の弟子にて、なかんずく並木源左衛門、山田三之丞などよく心得たると申し候」『青楼年暦考』(庄司家家譜)
尾張屋 清六(おわりや せいろく) 吉原御免状、かくれさと苦界行
吉原揚屋主人。
お国(おくに) かくれさと苦界行
尾張屋清六の妻女。
山本 芳潤(やまもと ほうじゅん) 吉原御免状
芳順とも書く。助右衛門あるいは助左衛門。吉原新町傾城屋当主。芳潤は吉原の出来る以前、京橋柳町の色里で傾城屋を営んでいた。庄司甚右衛門が江戸の色里を統合して御免色里を作ろうとした時の協力者の一人。また、丹前勝山の抱え主でもある。
庄司 又左衛門(しょうじ またざえもん) かくれさと苦界行
新吉原惣名主となった松永誠一郎は三代目又左衛門の名を継ぐ。
しかし、史実では新吉原に移ると惣名主の名分は無くなり、各町に町名主が置かれたようだ。
実在の西田屋当主庄司又左衛門は甚之丞となべとの間の子。後に新吉原西田屋当主は代々庄司又左衛門を名乗る。
庄司 又左衛門勝富(しょうじ またざえもんかつとみ) 張りの吉原
宝暦期の新吉原西田屋当主。
道絮(どうじょ) 張りの吉原
庄司又左衛門勝富の俳号。
元文三(1738)年、庄司又左衛門勝富が『洞房語園』を著す。勝富は野村小左衛門(野村玄意と庄司甚之丞女かねとの間の子)の長子として寛文八(1668)年に生まれ、大伯父庄司又左衛門に子がないためその養子となり、延宝八(1680)年、養父が没したのち、十三歳で西田屋当主となった。享保四(1719)年、江戸町一丁目の町名主となる。家業を廃して名主役に専念。享保九(1724)年から一子源兵衛に名主見習を勤めさせ、たびたび退役の願いを出したが聞き入れられず、齢六十五に達した享保十七(1732)年、漸く息源兵衛に又左衛門の名と名主役を継がせ退役。剃髪して道恕と号した。(向井信夫「江戸町の名主たち」)
[西田屋又左衛門]西田屋と云遊女屋にて、江戸町一丁目名主なり、庄司甚右衛門子孫、代々庄司又左衛門といふ、本文時代の又左衛門、名は勝富、道如斎と号す、享保五年、洞房語園を著す、(写本を以て伝ふ)元文三年、板本洞房語園を著す、少しく文雅ありし者なり、享保十年、吉原由緒を上え書上せしも、此の又左衛門なり、(『大尽舞考証』)
吉原の遊女たち
勝山(かつやま)
江戸新吉原の太夫。新町山本芳潤方抱え。
吉原に客人として住み着いた誠一郎に接近。懇意の仲となるが、そこには勝山の思惑があった。勝山は裏柳生の一員で、義仙の命を受けて誠一郎を亡き者としようとしていたのだった。
ところが勝山は人間誠一郎の清心な態度に惹かれ、恋慕の情を抱く。そして最期の場面で誠一郎を助け、吉原を出奔。その後、誠一郎と密かに会い義仙等の動きを知らせていたが、義仙の知る所となり、義仙の手によって無惨な最期を遂げた。
勝山について
高尾(二代)(たかお) (~1659)
江戸吉原の太夫。三浦屋四郎左衛門抱え。仙台高尾。
吉原で一番有名な店大三浦屋抱えの花魁。太夫。この高尾の名は代々襲名されている。ここに登場する高尾は後に仙台藩主伊達綱宗に身請けされた仙台高尾とよばれる太夫。女を知らぬ誠一郎の初めての相手となる。
高尾について
おれん
創作人物。局見世の遊女。お館さまの敵娼となり、誰も相手にできないと思われたお館さまを受け入れる。(『かくれさと苦界行』)
【局見世(つぼねみせ)】
切見世ともいい、小見世などで年季の明けた遊女が里を出ず、さまざまな理由でお歯黒溝の両河岸で店を張っていた。この切見世を百文河岸、鉄砲見世ともいい、いわば色里の最下級の遊女たちだった。とくに左岸は羅生門河岸といわれ、道行く客の袖を掴むと離さなかったといわれていた。この羅生門河岸で見世を張っていたのがおれん。
お小夜(おさよ) かくれさと苦界行
大坂新町八右衛門の娘。
作品では隆慶一郎の創作人物で柳生義仙の女として登場している。小太夫と名乗るのは吉原衆に対してだけで、鉄砲州築地茶屋善右衛門の陰の主人。
→ 小太夫
雲井(くもい) 吉原御免状
河合権左衛門方の遊女。
武蔵の馴染みとして知られる遊女。
『一、新町河合権左衛門内雲井という女郎は、宮本武蔵があいかたなり。島原陣のとき、この家より出立ちして、黒田さま内陣へ、宮本武蔵ご見参にまいりけるよし。』『一、宮本武蔵は 新町河合権左衛門内雲井という女郎の相方にて遊ばれけるが、寛永十五(1638)年、島原のキリシタン一揆のとき、「黒田さまのご陣にお見舞いにまいる」というて、いとま乞いながら、かの雲井がもとに来られて、彼女に差し物を縫わせて、勇々しく出立つ。直に騎馬にて、肥前(島原キリシタン一揆弾圧)に参られけるよし。』と庄司家譜『青楼年暦考』にある。
色里用語事典「雲井」の項参照。
小わた(こわた) かくれさと苦界行
大三浦屋四郎左衛門抱えの格子。裏柳生の女忍。
柳生の人々
荒木 又右衛門(あらき またえもん)(1599〜1638〜1663)
保和(やすかず)。伊賀服部一族の服部平左衛門の次男。
鳥取で死亡した事になっていたが、柳生の里に戻り、山中で世捨て人として過ごす。里の人々は又右衛門を「お館さま」と呼び、畏敬の念を持ち接していた。
詳しく見る
狭川 浅右衛門(さがわ あさえもん) 吉原御免状
狭川新左衛門の子。改姓して小夫姓に。→ 小夫 浅右衛門(おぶ あさえもん)
狭川 新左衛門(さがわ しんざえもん)
裏柳生総帥義仙の直弟子。裏柳生のリーダー格として、「御免状」を奪おうと執拗に吉原と誠一郎を狙う。
後に柳生家を放逐され、新陰流を名乗ることも許されなかったが、子の浅右衛門にその剣術を教える。浅右衛門は小夫姓を名乗り小夫流と称して父から受継いだ剣術を教えた。
柳生 義仙(やぎゅう ぎせん)(1635〜1702)
柳生 十兵衛(やぎゅう じゅうべえ)(1607〜1650)
柳生 宗冬(やぎゅう むねふゆ)(1613〜1675)
幕府関係の人々
加賀爪 甲斐守(かがつめ かいのかみ)
直澄。高一万石の旗本。
神祇組一番の乱暴者。吉原で誠一郎に恫喝の意味で剣を振り、何なく躱される。
『御当代記』に「延宝九辛酉之年二月九日、加賀爪甲斐守(直澄)を松平土佐守に御預ケ、子息加賀爪土佐守(直清)を石川若狭守(総良)に御預ケ、是ハ厳有院(徳川家綱)様御加増被下候知ニ高之外余地候つるを不存振にて年貢を受納仕候ニ付て也、此儀に付而御代官伊奈左門(忠利)を上杉弾正(綱憲)に御預ケ也」との記述がある。これは家綱から加増された知行地の石高が、公表よりも多かったにも拘わらず、直清が知らぬ振りをしてそこから上がる年貢を受領していた事が幕府に知れ、処分を受けた記述で、不祥事を起したのは養子である土佐守直清だったが、隠居していた養父直澄も連座して罰を受けている。この時、直清は遠江掛塚領一万三千石を没収された。
埼玉県東松山市の高済寺に「加賀爪氏塁代の墓」が有る。
影山 三十郎(かげやま さんじゅうろう)
直参旗本。神祇組。裏柳生の間者。
裏柳生の内通者。水野十郎左衛門を斬ることを命じられるが失敗し裏柳生の手で残殺される。
酒井 忠清(さかい ただきよ)(1624〜1681)
雅楽頭。幕府老中首座。父は酒井忠行。母は徳川家康の義弟久松定勝の女。
何らかの事情で『神君御免状』なるものの存在を知り、それを手に入れ自らの地位を磐石のものにしようと裏柳生義仙の弱味につけこみ吉原を狙わせる。
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水野 十郎左衛門(みずの じゅうろうざえもん)(?~1664)
江戸前期の旗本奴神祇組の頭目。名は成之。誠一郎と馬が合い、共に裏柳生と闘う。
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その他の人名
お清(おせい) 吉原御免状
傀儡子女。庄司甚内(甚右衛門)の妻。
向坂甚内の女だったが、天の声で庄司甚内の元に転がり込み、夫婦となる。
おせん かくれさと苦界行
大坂新町の遊女。誠一郎の敵娼。
おばばさま
→ 八百尼丘尼
菊山 又右衛門(きくやま またえもん) かくれさと苦界行
荒木又右衛門が服部から改姓した最初の姓。
→ 荒木 又右衛門(あらき またえもん)
吉次(きちじ) 吉原御免状
勝山子飼いの船頭。
吉原を出奔した勝山は、柳生の手から逃れるために風呂屋の主五兵衛に姿を変え柳橋に隠れ住んでいた。その勝山の元へ誠一郎を導く役を吉次が勤める。
吉兵衛(きちべえ) かくれさと苦界行
西田屋の書役。
九右衛門(きゅうえもん) かくれさと苦界行
吉原首代。
国松(くにまつ) 吉原御免状、影武者徳川家康
世良田二郎三郎の幼名。 → 世良田 二郎三郎(せらた じろうさぶろう)
道哲(どうてつ) 吉原御免状、かくれさと苦界行
日本堤の外れ浅草御門へ続く一本道の手前にある西方寺境内の念仏堂を住居とし、近くの刑場で処刑された人々の菩提を弔って、日夜念仏を唱える隠遁人。
道哲は因州鳥取の浪人島田重三郎といい、ある晩友人に誘われ吉原に初めて足を踏み入れる。そこで出会った高尾に惚れ通い詰めるようになる。やがて高尾も重三郎にほだされ、二人は末は夫婦にと誓い合った。しかし、高尾は伊達公に横取りされた上、殺されてしまう。その回向をするために出家して名を道哲と改め、吉原遊女の投げ込み寺西方寺に住みつき高尾の菩提を弔った。それが巷で噂になり、吉原通いの遊客からは土手の道哲と呼ばれるようになったといわれている。
西方寺は今、俗にだうてつと呼ぶ寺なり。此の道心者、罪人の為に昼夜念仏して居りしが、死後西方寺に葬れり。(『武江年表』慶長十八年)
名張の耳(なばりのみみ) 吉原御免状
遠聴を得意とする忍び。十間先の針の落ちる音を聴くことができたという。
服部 京乃介(はっとり きょうのすけ) かくれさと苦界行
伊賀忍法の名人。伊賀服部一族。変化の術を得意とする。後水尾院暗殺に御所に押し入った柳生宗矩を迎え撃退、その後消息を断っていたが天草の乱で姿を現し、再び消える。時の権力(秀忠・宗矩)に逆らう憎き男としてマークされ、鳥取で「生き仏」として現れたところを宗矩の高弟荒木又右衛門に正体を見破られ斬られる。

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