近世・武士人名(ハ〜ワ)




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歴史人物・人名事典

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隆慶作品に登場する人名一覧


隆慶作品に現れる武士・武将人名一覧

埴原 三十郎(はいばら さんじゅうろう) 影武者徳川家康

大阪城と運命を共にする。

埴原 八蔵(はいばら はちぞう) 影武者徳川家康

大阪城と運命を共にする。

羽柴 秀勝(はしば ひでかつ) 一夢庵風流記

未資料

羽柴 秀俊(はしば ひでとし) 花と火の帝、一夢庵風流記

羽柴秀長の子。

羽柴 秀長(はしば ひでなが) 影武者徳川家康、花と火の帝、見知らぬ海へ、時代小説の愉しみ

豊臣秀吉の弟。

羽柴 秀保(はしば ひでやす) 一夢庵風流記

未資料

羽柴 秀康(はしば ひでやす) 捨て童子松平忠輝

三河守。 → 結城 秀康(ゆうき ひでやす)

橋本 大炊(はしもと おおい) 捨て童子松平忠輝

伊達家家臣。

長谷川 権左衛門(はせがわ ごんざえもん) 捨て童子松平忠輝

忠輝家臣。配流となった忠輝に従う。

長谷川 権六(はせがわ ごんろく) 花と火の帝

長谷川藤広の甥。第4代長崎奉行。先任者で叔父の長谷川藤広の後を受け慶長十九(1614)年より寛永三(1626)年までの十二年間在職。この間に、長谷川藤直の三男忠兵衛藤継(藤広の弟)も第5代長崎奉行となっている。

長谷川 三郎兵衛長久(はせがわ さぶろべえながひさ) 見知らぬ海へ

向井伊兵衛政勝の父。

長谷川 籐五郎(はせがわ とうごろう) 吉原御免状

秀吉家臣。太田城攻めの先陣。

長谷川 藤直(はせがわ ふじなお) 影武者徳川家康

お夏の方の父。常陸国の大工であったとされる。

長谷川 藤広(はせがわ ふじひろ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、柳生刺客状

左兵衛。お夏の方の実兄。長谷川藤直の次男。第3代長崎奉行。兄羽左衛門(2代長崎奉行)の後を受け、慶長十一(1606)年より十九年まで在職。

長谷川 宗仁(はせがわ むねひと) 捨て童子松平忠輝

長谷川式部少輔守知の父。

長谷川 正成(はせがわ まさしげ) 影武者徳川家康

秀忠側近。

長谷川 守知(はせがわ もりとも) 捨て童子松平忠輝

式部少輔。

支倉 常長(はせくら つねなが) 

→ 支倉 六右衛門(はせくら ろくえもん)

支倉 長経(はせくら ながつね) 

常長の正しい名。
→ 支倉 六右衛門(はせくら ろくえもん)

支倉 飛騨守(はせくら ひだのかみ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

伊達家家臣。支倉六右衛門の父。家録没収の上切腹。

支倉 六右衛門(はせくら ろくえもん) (1571〜1622)

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秦 氏信(はた うじのぶ) 捨て童子松平忠輝

金春七郎禅竹の本名。→ 金春 七郎禅竹(こんぱる しちろうぜんちく)

秦 道加(はた どうか) 

→ 秦 信喜(はた のぶよし)

秦 長安(はた ながやす) 捨て童子松平忠輝

長安の本名。→ 大久保 長安(おおくぼ ながやす)

秦 信安(はた のぶやす) 捨て童子松平忠輝

長安の父の本名。

秦 信喜(はた のぶよし) 影武者徳川家康

金春八郎禅竹の三男。大蔵太夫信安の父。

畠山 重忠(はたけやま しげただ) 影武者徳川家康

未資料

畠山 高政(はたけやま たかまさ) 影武者徳川家康

未資料

波多野 秀治(はたの ひではる) 風の呪殺陣

未資料

蜂須賀 家政(はちすか いえまさ)

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蜂屋 九郎左衛門善成(はちや くろうざえもんよしなり) 花と火の帝

家康の警護役。

蜂屋 頼隆(はちや よりたか) 風の呪殺陣

兵庫頭。

服部 十太夫(はっとり じゅうだゆう) 捨て童子松平忠輝

大野道犬の腹心。

服部 正右衛門(はっとり しょうえもん) 捨て童子松平忠輝

柳生宗矩配下の柳生忍び頭。

服部 道心(はっとり どうしん) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

裏柳生の刺客。加藤清正を錐刀で刺す。

服部 半蔵正成(はっとり はんぞうまさしげ) (1542~1596)

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服部 半蔵正就(はっとり はんぞうまさなり) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝

伊賀忍びの頭領。

服部 平左衛門(はっとり へいざえもん) かくれさと苦界行

荒木又右衛門の実父。伊賀の服部一族。

服部 平兵衛(はっとり へいべえ) かくれさと苦界行

又右衛門の養父。

服部 正重(はっとり まさしげ) 影武者徳川家康

半蔵正就の弟。

花井 右衛門義房(はない うえもんよしふさ) 捨て童子松平忠輝

秀忠家臣。花井三九郎の三男。

花井 右京亮義虎(はない うきょうのすけよしとら) 捨て童子松平忠輝

忠輝小姓。花井主水正の長男。

花房 左京(はなぶさ さきょう) 影武者徳川家康

高虎の小姓。

馬場 三郎左衛門利重(ばば さぶろうざえもんとししげ) 死ぬことと見つけたり

未資料

馬場 信房(ばば のぶふさ) 時代小説の愉しみ

武田信玄の武将。

馬場 八左衛門(ばば はちざえもん) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

穴山梅雪の旧臣。元穴山信君の家老。長安と忠隣との癒着を暴露した訴状を加護訴で正信に渡す。信吉付きの家臣だったが、君武田信吉死後のお家騒動で改易となり大久保忠隣に預けられた。

馬場 頼周(ばば よりちか) 死ぬことと見つけたり

未資料

羽茂 高茂(はもち たかもり) 一夢庵風流記

三河守。佐渡領主。本間高茂。

浜田 金治(はまだ かねはる) 異説猿ケ辻の変

土佐勤王党志士那須真吾の兄。

浜田 宅左衛門(はまだ たくざえもん) 異説猿ケ辻の変

土佐藩家老深尾家家臣。浜田金治、那須真吾の父。

林 新次郎(はやし しんじろう) 風の呪殺陣

未資料

林 新六(はやし しんろく) 柳生非情剣

柳生兵助の別名。

林 忠左衛門良棟(はやし ちゅうざえもんよしむね) 鬼麿斬人剣

慎重派の松本藩年寄。

林 信篤(はやし のぶあつ) 駆込寺蔭始末

大学頭。

林 秀貞(はやし ひでさだ) 一夢庵風流記、風の呪殺陣

佐渡守。那古屋城主。信長の腹心。

林 通勝(はやし みちかつ) 一夢庵風流記、時代小説の愉しみ

美作守。林佐渡守秀貞の弟。織田家家臣。
末森城の織田勘十郎信行と手を結び叛乱を起こし、信長の槍で突き殺される。(尾張稲生の合戦)

速水 守久(はやみ もりひさ)(?〜1615) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝

甲斐守。豊臣家家臣。七組頭衆。大阪城と運命を共にする。

速水 守之(はやみ もりゆき) 

→ 速水 守久(はやみ もりひさ)

速水 伝吉(はやみ でんきち) 影武者徳川家康

速水甲斐守守久の子。大阪城と運命を共にする。

原 図書孫次郎(はら ずしょまごじろう) 捨て童子松平忠輝

木曽代官。

原 主水(はら もんど) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

洗礼名ジョアン。三河譜代。御徒士組頭。
キリシタンであったため追放。

原田 市郎兵衛(はらだ いちろべえ) 影武者徳川家康

島左近の替玉。肥前の切支丹武士。

原田 伊予(はらだ いよ) 死ぬことと見つけたり

唐津藩士。

原田 甲斐宗資(はらだ かいむねすけ) 捨て童子松平忠輝

伊達家の宿老。

原田 直政(はらだ なおまさ) 影武者徳川家康

未資料

塙 団右衛門(ばん だんえもん) (1567〜1615) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝

直之。『武辺咄聞書』によれば、元遠州横須賀衆で須田治郎左衛門といった。また時雨左之助と名乗った時もある。大阪城浪人衆。
『武辺咄聞書』に団右衛門関連記述あり参照ください。

樋口 惣右衛門兼豊(ひぐち そうえもんかねとよ) 一夢庵風流記

直江兼続の父。上田長尾家に仕える。

樋口 与六兼続(ひぐち よろくかねつぐ) 一夢庵風流記

直江兼続の旧姓。 → 直江 兼続(なおえ かねつぐ)

彦坂 平六(ひこさか へいろく) かくれさと苦界行

直参旗本。渡辺数馬の従弟。

彦坂 光正(ひこさか みつまさ) 影武者徳川家康

駿府町奉行。

久貝 正俊(ひさがい まさとし) 影武者徳川家康

直参旗本。長安事件に連座。

久松 勝俊(ひさまつ かつとし) 影武者徳川家康

久松俊勝と於大の方の息。

久松 定勝(ひさまつ さだかつ) 影武者徳川家康

久松俊勝と於大の方の息。

久松 定行(ひさまつ さだゆき) 影武者徳川家康

久松定勝の息。

久松 俊勝(ひさまつ としかつ) 影武者徳川家康

於大の方の後添え。

久松 康元(ひさまつ やすもと) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

久松俊勝と於大の方の息。

土方 雄久(ひじかた かつひさ) 一夢庵風流記

未資料

土方 勘兵衛(ひじかた かんべえ) 花と火の帝

未資料

土方 楠左衛門(ひじかた くすざえもん) 異説猿ケ辻の変

土佐藩士。土佐勤王党志士。

土方 歳三(ひじかた としぞう) 対談日本史逆転再逆転

未資料

平岩 親吉(ひらいわ ちかよし) (1542〜1611)  吉原御免状、影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

主計頭。家康の九男五郎太丸の守役。尾張犬山城十二万三千石。三河生れ。親重の子。
平岩氏は代々三河に住し、松平氏の譜代であった。幼時から徳川家康に仕え、家康が尾張の織田氏、ついで今川氏の人質だった時、ともに家康につき従い、艱難を共にした。それにより家康もとくに親吉を信頼し、長ずるに及んで世子徳川信康の守役とした。三河一向一揆平定、姉川・長篠の戦いなどに出陣。天正十八(1590)年、小田原征伐では武蔵岩槻城攻略に軍功をあげ、同年上野厩橋城3万3千石を与えられた。関ヶ原の戦い後、甲斐府中城六万三千石に移封。慶長八(1603)年、とくに選ばれて家康の九男徳川義直の尾張藩付家老に任ぜられ、同十二(1607)年、義直の尾張入封に伴い、犬山城主に転じて十二万三千石を領した。

平岡 岡右衛門道成(ひらおか おかえもんみちなり) 捨て童子松平忠輝

長安配下の川中島藩代官。

平岡 帯刀良知(ひらおか たてわきよしとも) 捨て童子松平忠輝

長安配下の川中島藩代官。

平岡 頼勝(ひらおか よりかつ) 影武者徳川家康、柳生非情剣

小早川藩の重臣。

平手 汎秀(ひらて ひろひで) 時代小説の愉しみ

織田信長の武将。

平野 長重(ひらの ながしげ) 柳生刺客状

豊臣家でわずか三百石の家臣だったが、家康は関ヶ原の前に手紙を送って懐柔を謀った。

広沢 富次郎(ひろさわ とみじろう) 異説猿ケ辻の変

京都守護職公用局員。

深堀 嘉右衛門(ふかぼり かえもん)(?~1700) 死ぬことと見つけたり

深堀三右衛門の長男。
父とともに深堀蔵屋敷に勤番していた嘉右衛門は、「長崎喧嘩」で侮辱を受けた父とともに高木邸に討入り、高木彦右衛門を討ち取った後、長崎市内大橋の上で切腹。

深堀 三右衛門(ふかぼり さんえもん)(1633~1700) 死ぬことと見つけたり

鍋島藩深堀領深堀氏の家臣。
長崎市内五島町にあった深堀蔵屋敷に勤番していた三右衛門は、元禄十三(1700)年十二月、同僚の柴原武右衛門とともに長崎市内を歩いていて、長崎の町年寄高木家の使用人とすれ違った。この時、高木家の使用人に因縁をつけられたのがきっかけで、鍋島藩対高木家の喧嘩となり、終には深堀武士たちが高木邸に討入るという事態に発展(長崎喧嘩)。三右衛門は子の嘉右衛門とともに高木彦右衛門を討ち取り、自身は高木邸の玄関式台で切腹。享年67歳。

深堀 茂賢(ふかぼり しげかた) 死ぬことと見つけたり

未資料

深堀 純賢(ふかぼり すみかた) 死ぬことと見つけたり

未資料

福島 正勝(ふくしま まさかつ) 捨て童子松平忠輝

福島正則の嫡男。

福島 正則(ふくしま まさのり) (1561〜1624)

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福島 正之(ふくしま まさゆき) 捨て童子松平忠輝、花と火の帝

嫡男忠勝の死で、福島正則の嫡子となる。

福原 広俊(ふくはら ひろとし) 影武者徳川家康

豊臣家の武将。

藤島 生益(ふじしま いくます) 死ぬことと見つけたり

未資料

藤田 森右衛門(ふじた もりえもん) 一夢庵風流記

未資料

藤村 格兵衛(ふじむら かくべえ) 鬼麿斬人剣

伊賀同心。

布施 孫兵衛(ふせ まごべえ) 影武者徳川家康、柳生非情剣

家康の鉄砲頭。

舟岡 源左衛門(ふなおか げんざえもん) 一夢庵風流記

未資料

不破 光治(ふわ みつはる) 時代小説の愉しみ

織田信長に仕えた武将。
前田利家、佐々成政と共に府中三人衆と称される。

別木 庄左衛門(べつき しょうざえもん) かくれさと苦界行

別次とも書く。「慶安の変」の翌年、承応元年(1652)に起った牢人らによる騒乱(承応事件)の首謀者。芝増上寺を襲った。

北条 氏忠(ほうじょう うじただ) 見知らぬ海へ

小田原北条(後北条)氏。北条氏康の六男。若くして下野国佐野城主佐野宗綱の養子となり、佐野氏忠と名乗る。左衛門佐を称し、大閑斎と号す。
はじめ伊豆方面にいて、天正十年(1582)の甲斐侵攻では、御坂峠城を築いて徳川勢と対陣した。のち甲斐が徳川領となると甲相国境の新城(神奈川県山北町)の城主として国境を守る。天正十四年(1586)、下野国支配の重鎮として佐野城に移り、城領支配を行なった。秀吉の調停によって上野国沼田城を真田昌幸から受け取ったのは氏忠で、当主氏直から信頼されていた。
天正十八年の小田原の役では小田原城に籠城、七月の開城で徳川家康に降伏。伊豆の河津に隠居し、文禄二年(1593)、同地で病没した。

北条 氏綱(ほうじょう うじつな) 時代小説の愉しみ

小田原北条氏第二代当主。
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北条 氏規(ほうじょう うじのり) (1545頃〜1600)

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北条 氏政(ほうじょう うじまさ) (1538〜1590)

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北条 氏康(ほうじょう うじやす) (1515~1571) 一夢庵風流記

後北条氏第三代当主。父は二代北条氏綱。妻は今川氏親の女。左京大夫・相模守・従五位下。
天文十年(1541)家督を継ぎ、同十五年父氏綱以来戦い続けていた上杉(扇谷)朝定を川越城に破り、上杉(山内)憲政を急襲して「関八州」の太守となる。以後、領土の拡張・整備に努め、今川義元・上杉謙信・武田信玄との対決や和睦を繰り返す。さらに南総の里見氏と戦い、上野南部まで勢力をのばした。(『伽婢子』2人名索引)

北条 綱成(ほうじょう つななり) 時代小説の愉しみ

福島正成の子。
北条氏に仕え、武州川越城の城将として最前線をまかされていた。

北条 長綱(ほうじょう ながつな) 時代小説の愉しみ

三郎。北条氏綱の弟。
駿河長久保城の城将。

北條 時宗(ほうじょう ときむね) 駆込寺蔭始末

鎌倉北条氏。山内殿。

坊城 俊克(ぼうじょう としかつ) 異説猿ケ辻の変

薩摩伝奏。

保科 正光(ほしな まさみつ) (1560~1631) 花と火の帝

肥後守。信州高遠城主。祖父は武田の家臣で、武田三弾正の一人「鎗の弾正」と称された保科正俊。
父正直の代に家康に仕え、信州高遠三万石を与えられた。そうした武田家の遺臣である正光は、同じく家康の庇護を受けていた穴山梅雪の未亡人で、信玄の娘でも有る見性院への挨拶を欠かさなかった。このことから幸松の養家として見性院に見込まれ、幸松(保科正之)の養父となる。正光は正妻に真田昌幸の女を向えていたが嗣子がいなかったため、妹の子真田左源太を部屋子として貰い受けていたが幸松が来たために左源太を返している。そして公表されていないものの将軍秀忠の子という事から、息子となった幸松を終生「幸松殿」と「殿」付けで呼んでいたという。(中村彰彦著『保科正之』)

保科 正之(ほしな まさゆき) (1611〜1672)

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細川 昭元(ほそかわ あきもと) 風の呪殺陣

未資料

細川 忠興(ほそかわ ただおき) (1563〜1645)

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細川 忠利(ほそかわ ただとし) (1586〜1641)

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細川 元常(ほそかわ もとつね) 花と火の帝

細川幽斎の養父。

細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい) (1534~1610) 花と火の帝、対談日本史逆転再逆転

田辺城守将。幽斎玄旨、藤孝。幼名万吉。三淵大和守晴員の次男といわれているが十二代将軍足利義晴の子という。
義晴に仕え、その死後、義昭を奉じて信長をたよった。この時信長との間に立ったのが明智光秀で、光秀と幽斎は、それ以前より親しかったといわれる。秀吉・家康にも重臣として遇せられ、諸所に転戦。政治的才能に長け、戦国激動の時代を息子忠興とともに巧みに泳ぎぬいた。和歌をよくし、三条西実隆に古今伝授を受けたことは有名。慶長五年(1600)、石田三成に居城田辺城を囲まれた時、古今伝授の消滅をおそれて、古今相伝の箱に証書を附し「古へも今も変らぬ世の中に心の種を残す言の葉」の歌を添え宮中に送ったという。後、京都に閉居。(歴史読本『戦国武将名鑑』参考)

一、幽斎、丹後籠城の時、禁中へ、古今伝授の箱、并に源氏物語抄物廿一冊、其外書物を上られし時の書状の内に、此歌あり、
いにしへも今もかはらぬ世中に 心のたねをのこすことの葉
玄旨の自筆、東条紀伊守殿へと当所有レ之、(『にぎはひ草』)

堀田 勘右衛門(ほった かんえもん) 影武者徳川家康、柳生非情剣

福島正則の鉄砲隊指揮官。

堀田 図書(ほった ずしょ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

豊臣家家臣。七組頭衆。

堀田 庄五郎(ほった しょうごろう) かぶいて候

徳川家光の近習役で、衆道好みの家光の念友(愛人)とされる。(三田村鳶魚)

堀田 甚左衛門(ほった じんざえもん) かぶいて候

堀田庄五郎と同一人か。堀田正重の後裔で「寛政重修諸家譜」にある名前。家光に仕え、書院番を勤める。采地千石。

堀田 正重(ほった まさしげ) かぶいて候

未資料

堀田 正俊(ほった まさとし)

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堀田 正盛(ほった まさもり) 影武者徳川家康

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堀 対馬守(ほり つしまのかみ) 影武者徳川家康

大阪城と運命を共にする。

堀 利重(ほり とししげ) 捨て童子松平忠輝

伊賀守。堀家家臣。

堀 直重(ほり なおしげ) 捨て童子松平忠輝

淡路守。堀家家臣。
監物直政が二男、台徳公に奉仕し、信州須坂に於て一万石を賜ふ、大坂両度御陣、御先を勤む、(『江戸古絵図考附録』)

堀 直次(ほり なおつぐ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

堀直政の子。堀家筆頭家老。監物。直清とも。三条五万石。

堀 直之(ほり なおゆき) 捨て童子松平忠輝

堀家家臣。主計助。

堀 直寄(ほり なおより) 影武者徳川家康

丹後守。

堀 直政(ほり なおまさ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝、一夢庵風流記

堀秀治の家老。

堀 直奇(ほり なおより) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝、一夢庵風流記

堀直次の異母弟。丹後守。坂戸五万石。

堀 秀治(ほり ひではる) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、一夢庵風流記

久太郎。越後福島藩主。父秀政(久太郎)。
上杉景勝が会津転封後、越後に入る。

堀 主水(ほり もんど) 駆込寺蔭始末

加藤家老臣。

堀内 氏久(ほりうち うじひさ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

豊臣家臣。大阪城から千姫を連れ出す。

堀尾 忠氏(ほりお ただうじ) 影武者徳川家康

関ヶ原東軍徳川方武将。

堀尾 帯刀可晴(ほりお たてわきよしはる) かぶいて候

遠州浜松城主。池鯉鮒にて水野惣兵衛とともに石田三成の刺客に殺される。

堀尾 吉晴(ほりお よしはる) (1543〜1611) 吉原御免状、影武者徳川家康、花と火の帝、柳生非情剣

尾張の国、丹羽郡御供所(ごくしょ)村(現大口町)に生まれ、豊臣秀吉に仕え、三中老の一人となる。浜松十二万石の元領主。松江城を築き、初代城主となる。松江にて没。
泰晴の子。幼名は仁王丸。可晴とも書き、吉定、吉直ともいう。帯刀先生。豊臣秀吉の家臣で、天正元年(1573)近江長浜に百石を得、以後播磨、丹波、若狭、近江などに所領を与えられた。同十八年小田原征伐には山中城を攻撃、功により豊臣姓を許され、遠江浜松十二万石に加増移封。秀吉の死後、豊臣家の中老職となり、慶長三年徳川家康と石田三成の対立の際和議に努力。同四年家督を子の忠氏に譲る。同九年忠氏死去のため、出雲にあって孫の堀尾忠晴を補佐した。

本荘 繁長(ほんじょう しげなが) 一夢庵風流記

福島城主。

本多 小五郎(ほんだ こごろう) 影武者徳川家康

平岩親吉家士。

本多 作左衛門重次(ほんだ さくざえもんしげつぐ)

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本多 定政(ほんだ さだまさ) 影武者徳川家康

本多助政の子。定政系本多氏の祖。本多弥八郎正信の祖。一揆側。

本多 定通(ほんだ さだみち) 影武者徳川家康

本多助政の子。定通系本多氏の祖。本多平八郎忠勝の祖。家康側。

本多 助政(ほんだ すけまさ) 影武者徳川家康

本多家七代目当主。

本多 忠刻(ほんだ ただとき) 影武者徳川家康

千姫の後添え。

本多 忠朝(ほんだ ただとも) (1582〜1615)

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本多 忠直(ほんだ ただなお) 死出の雪

大和郡山藩主。本多忠常の長男。

本多 忠政(ほんだ ただまさ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

徳川譜代。本多忠勝の子。岡崎藩主。桑名城主。大坂夏の陣大和口二番隊。

本多 政重(ほんだ まさしげ) (1579~1647) 捨て童子松平忠輝

加賀藩家臣。本多正信の二男。大坂冬の陣で先鋒を務める。

[逸話](『想古録』)
本多佐渡守正信は徳川家の功臣なるに、上野介正純に至りて家亡びければ、三代将軍深く之を憫み玉ひ、功臣の家なれば何とぞして再び取立て遣はさんと思召されけるに、偶ま其弟の加州に仕へて、家老職たることに思し出されければ、或る日加侯に向はれ、斯く斯くに思し召さるれば本多を遣はされよとありけるに、加侯は異議なく御受あり、帰国の後其事を本多に申されしに、本多大いに驚き、其は存じも寄らぬことなりとて直ちに江戸に出で、兄の家を御立て下さらんとの御思し召は冥加に余る有り難き仕合なり、されども拙者は加州にて重恩を負ふ身に候へば、今更ら他に出ることは心ろ苦し、此義御免を蒙らばやと辞りて、再び金沢に戻り来にけり、加侯感喜斜めならず、流石徳川家の功臣なる佐渡守の弟(ママ)たるに恥ずとて遽かに其禄を加増し、是れまで一万石なりしを五倍して五万石の大禄を与へられたり(鶴見宏)

本多 正純(ほんだ まさずみ) (1565〜1637)

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本多 正信(ほんだ まさのぶ) (1538〜1616)

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本多 康紀(ほんだ やすのり) 影武者徳川家康

徳川家家臣。

本多 弥八郎(ほんだ やはちろう) 

→ 本多 正信(ほんだ まさのぶ)

本間 利忠(ほんま としただ) 一夢庵風流記

山城守。佐渡領主。

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前田 茂勝(まえだ しげかつ) 花と火の帝

主膳正。前田玄以の猶子。

前田 綱紀(まえだ つなのり) 鬼麿斬人剣

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前田 利家(まえだ としいえ) (1538〜1599)

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前田 利常(まえだ としつね)

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前田 利長(まえだ としなが)

利家の嫡男。加賀藩主、嫡子利常に加賀藩を継がせた後、越中高岡藩主となる。

前田 利政(まえだ としまさ) 一夢庵風流記

前田利長の弟。

前田 利昌(まえだ としまさ) 一夢庵風流記

縫殿助。利久、安勝、利家の父。尾張荒子城主。
尾張の地侍の集団荒子衆の長として、尾張守護代の織田家に仕える。

前田 利光(まえだ としみつ) 捨て童子松平忠輝

加賀金沢城主。

前田 斉広(まえだ なりなが) 鬼麿斬人剣

加賀藩十二代藩主。

前田 斉泰(まえだ なりやす) 鬼麿斬人剣

加賀藩十三代藩主。

前田 半右衛門(まえだ はんえもん) 鬼麿斬人剣

旗本。かやの里を所領。

前田 安勝(まえだ やすかつ) 一夢庵風流記

五郎兵衛。前田縫殿助利昌の三男。
前田慶次郎の妻の父。

牧 助左衛門(まき すけざえもん) 影武者徳川家康

未資料

牧 清兵衛(まき せいべえ) 影武者徳川家康

大御所家康の砲術指南。

牧野 忠成(まきの ただなり) 捨て童子松平忠輝

駿河守。小田原城没収の役を仰らる。

牧野 遠江守(まきの とおとうみのかみ) 鬼麿斬人剣

未資料

牧野 康成(まきの やすなり) 見知らぬ海へ

右馬允。

柾木 左京亮(まさき さきょうのすけ) 捨て童子松平忠輝

花井義虎の別名。配流となった忠輝に従う。 → 花井 右京亮(はない うきょうのすけ)

増田 長盛(ました ながもり) (?~1615) 捨て童子松平忠輝、花と火の帝、一夢庵風流記

五奉行の一人。
羽柴秀吉に仕え、始め碌三百石。秀吉が織田氏にかわって天下統一を進めると、長盛もこの業を大いに助け、民政、特に検地に手腕をふるった。朝鮮の役の功により大和郡山二十万石の城主となったが、秀吉の死後、徳川氏に通じるところがあり、関ヶ原でも西軍に属しながら戦わなかった。だが、家康は、戦後、長盛を高野山に追い武蔵岩槻に流した。(歴史読本『戦国武将名鑑』参考)

益田 四郎時貞(ますだ しろうときさだ) 

→ 天草 四郎(あまくさ しろう)

益田 甚兵衛(ますだ じんべえ) かくれさと苦界行、死ぬことと見つけたり

小西浪人。天草四郎の父。

松 次右衛門(まつ じえもん) 影武者徳川家康

未資料

松井 友閑(まつい ゆうかん) 影武者徳川家康

堺の代官。

松枝 権之助(まつえだ ごんのすけ) 死ぬことと見つけたり

未資料

松枝 十兵衛(まつえだ じゅうべえ) 死ぬことと見つけたり

未資料

松枝 千兵衛(まつえだ せんべえ) 死ぬことと見つけたり

未資料

松倉 勝家(まつくら かついえ) かくれさと苦界行、死ぬことと見つけたり

長門守。島原四万三千石領主。

松倉 重政(まつくら しげまさ) かくれさと苦界行、影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、死ぬことと見つけたり

天草の乱で戦死。

松坂 三内(まつざか さんない) 異説猿ケ辻の変

京都守護職公用局員。

松下 石見守(まつした いわみのかみ) 柳生非情剣

未資料

松下 三郎左衛門尉(まつした さぶろうざえもんのじょう) 見知らぬ海へ

北條水軍の船頭。伊豆海賊衆。

松下 左門(まつした さもん) 捨て童子松平忠輝

義賢。花井三九郎の二男。

松田 憲秀(まつだ のりひで) 一夢庵風流記

北条家家臣。

松平 昌久(まつだいら あきひさ) 影武者徳川家康

大草城主。三河一向一揆に参加。

松平 家忠(まつだいら いえただ) 見知らぬ海へ

未資料

松平 家康(まつだいら いえやす) 影武者徳川家康 

徳川を名乗る前の家康の姓。
→ 徳川 家康(とくがわ いえやす)

松平 右京亮(まつだいら うきょうのすけ) 鬼麿斬人剣

高崎城主。

松平 容保(まつだいら かたもり) 異説猿ケ辻の変

会津若松藩主。京都守護職。

松平 勝隆(まつだいら かつたか) 影武者徳川家康

駿府大番。松平重勝の五男。

松平 清直(まつだいら きよなお) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

出羽守。牧之島城代。川中島藩家老。

松平 清宗(まつだいら きよむね) 見知らぬ海へ

未資料

松平 清康(まつだいら きよやす) (1506〜1535)

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松平 金助(まつだいら きんすけ) 影武者徳川家康

家康の家臣。蜂屋半之丞貞次に槍で刺し殺される。

松平 定綱(まつだいら さだつな)

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松平 定信(まつだいら さだのぶ) 狼の眼

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松平 貞能(まつだいら さだよし) 捨て童子松平忠輝

美作守。

松平 重勝(まつだいら しげかつ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

三条城代。

松平 庄右衛門清直(まつだいら しょうえもんきよなお) 捨て童子松平忠輝

出羽守。川中島藩城代家老。

松平 甚三郎(まつだいら じんざぶろう) 死ぬことと見つけたり

未資料

松平 竹千代(まつだいら たけちよ) 影武者徳川家康 

家康の幼名。 
→ 徳川 家康(とくがわ いえやす)

松平 忠明(まつだいら ただあき) 

下総守。伊勢亀山城主。大坂夏の陣大和口三番隊。

松平 忠輝(まつだいら ただてる) (1592〜1683)

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松平 忠利(まつだいら ただとし) 影武者徳川家康

未資料

松平 忠吉(まつだいら ただよし) (1580〜1607)

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松平 忠直(まつだいら ただなお) (1595〜1650)

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松平 忠頼(まつだいら ただより) 影武者徳川家康

浜松五万石。

松平 近清(まつだいら ちかきよ) 影武者徳川家康

松平親広の五男。

松平 親宗(まつだいら ちかむね) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

讃岐守。川中島藩江戸家老。

松平 親広(まつだいら ちかひろ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

長沼松平家六代。

松平 忠左衛門勝隆(まつだいら ちゅうざえもんかつたか) 捨て童子松平忠輝

駿府大番。松平重勝の五男。

松平 綱重(まつだいら つなしげ) 死ぬことと見つけたり

未資料

松平 綱吉(まつだいら つなよし) 死ぬことと見つけたり

未資料

松平 直常(まつだいら なおつね) 死出の雪

播州明石六万石藩主。

松平 直信(まつだいら なおのぶ) 捨て童子松平忠輝

松平康直の弟。

松平 信綱(まつだいら のぶつな) (1596〜1662)

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松平 信直(まつだいら のぶなお) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

孫三郎。筑後守。稲荷山城代。川中島藩家老。

松平 信康(まつだいら のぶやす) (1559-1579)

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松平 信義(まつだいら のぶよし) 鬼麿斬人剣

亀山藩主。

松平 秀勝(まつだいら ひでかつ) 影武者徳川家康

松平忠吉の家臣。摂津守。

松平 広忠(まつだいら ひろただ) (1527〜1549)

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松平 平四郎重則(まつだいら へいしろうしげのり) 捨て童子松平忠輝

未資料

松平 正綱(まつだいら まさつな) (1576〜)

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松平 昌久(まつだいら まさひさ) 影武者徳川家康

三河大草城主。

松平 正広(まつだいら まさひろ) 影武者徳川家康

松平忠吉の家臣。石見守。

松平 又十郎(まつだいら またじゅうろう)

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松平 松千代(まつだいら まつちよ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

家康の七男。忠輝の弟。毋お茶阿の方。長沢松平家の養子となる。6歳で夭折。

徳川松千代

母茶阿方 
家康公の男、與2忠輝君1御同胞、慶長四年己亥正月六日早世、于レ時六歳(柳営婦女伝系五)

松平 光長(まつだいら みつなが) 死ぬことと見つけたり

越後守。

松平 美作守(まつだいら みまさかのかみ) 捨て童子松平忠輝

未資料

松平 元康(まつだいら もとやす) 影武者徳川家康

家康の前の名。 
→ 徳川 家康(とくがわ いえやす)

松平 康忠(まつだいら やすただ) 捨て童子松平忠輝

未資料

松平 康直(まつだいら やすなお) 捨て童子松平忠輝

長沢松平家第九代当主。武蔵深谷一万石城主。二十五歳で没。

松平 康長(まつだいら やすなが) 影武者徳川家康

大坂夏の陣河内口三番隊。

松平 康元(まつだいら やすもと) 花と火の帝

家康の異母弟。

松平 吉成(まつだいら よしなり) 捨て童子松平忠輝

遠江守。花井三九郎の正式名。

松永 久秀(まつなが ひさひで) (?〜1577)

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松本 善右衛門(まつもと ぜんえもん) 一夢庵風流記

最上の戦い上杉軍第二軍。

松山 正定(まつやま まささだ) 死ぬことと見つけたり

刑部。西美濃十八将の一人。

松浦 鎮信(まつら しげのぶ) 影武者徳川家康

松浦隆信の子。

松浦 隆信(まつら たかのぶ)(1529〜1599)

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松浦 法印(まつら ほういん) 影武者徳川家康

平戸領主。

間部 詮房(まなべ あきふさ) 死出の雪

七代将軍家継の側近。

真野 蔵人(まの くろうど) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

七手組頭衆。

間宮 武兵衛(まみや ぶへえ) 見知らぬ海へ

元北條水軍。

間宮 彦次郎(まみや ひこじろう) 影武者徳川家康

奉行。

間宮 造酒丞(まみや みきのじょう) 見知らぬ海へ

元北條水軍。間宮武兵衛の弟。

間宮 康俊(まみや やすとし) 見知らぬ海へ

豊前守。北條家二十将衆の一人。間宮兄弟の父。神奈川城を預る。

間宮 康信(まみや やすのぶ) 見知らぬ海へ

間宮武兵衛の兄。北條水軍の船大将。

丸田 左門友輔(まるた さもんともすけ) 一夢庵風流記

米沢藩士。北越耆談を著す。

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三浦 五郎右衛門(みうら ごろうえもん) 吉原御免状

三浦屋四郎左衛門の子孫。五百俵扶持旗本。宝暦八年(1758)、娘の於逸を松平又十郎の養女とし、将軍吉宗の世子家重に仕えさせ、その於逸が家重の次男万次郎重好を産んだため、五百俵扶持旗本に取り立てられた。

『寛政重修諸家譜』には、「實は三浦五郎左衛門義周が女にして、親春に養はれ惇信院殿の御側近く仕へ奉り、清水中納言重好卿の母堂たり。後剃髪して吏祥院と稱す」と有り、本文中(文庫版p96)に五郎右衛門とあるのは誤りで、五郎左衛門が正しいか。

三浦 茂信(みうら しげのぶ) 見知らぬ海へ

未資料

三浦 為春(みうら ためはる) 影武者徳川家康

長門守。長福丸の守役。三浦頼忠、お万の方の兄。

三浦 頼忠(みうら よりただ) 影武者徳川家康

お万の方の父。

三上 太郎右衛門(みかみ たろうえもん) 影武者徳川家康

千石。

汀 三右衛門(みぎわ さんえもん) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

松平忠昌家臣。明石全登の首を取る。

水野 勝茂(みずの かつしげ) 見知らぬ海へ

未資料

水野 勝俊(みずの かつとし) かぶいて候

水野日向守勝成の長男。

水野 勝成(みずの かつなり) (1564~1651)

詳しくはこちら

水野 監物(みずの けんもつ) 風の呪殺陣

未資料

水野 忠重(みずの ただしげ) かぶいて候

和泉守。水野勝成の父。三州刈屋城主。池鯉鮒にて堀尾帯刀可晴とともに石田三成の刺客に殺される。

水野 藤十郎忠重(みずの とうじゅうろうただしげ) 影武者徳川家康

家康の家臣。蜂屋半之丞貞次と三河一向一揆小豆坂合戦で闘う。

水野 藤兵衛(みずの とうべえ) 一夢庵風流記

浪人のいくさ人。上杉の助っ人。

水野 成貞(みずの なりさだ) 死ぬことと見つけたり、かぶいて候

幼名百助。水野勝成の三男。かぶき者、棕櫚柄組の頭領。

《瓢水の「一話一言」》
「水野成貞は棕櫚柄組の頭領だったのか?」
 「かぶいて候」の主人公水野成貞は、水野十郎左衛門の父として、また、旗本棕櫚柄組の頭領として知られているが、その実像はどのようなものだったのだろうか。
 水野勝成の3男として生まれた成貞は、元和5年(1619)、将軍世子家光に小姓として仕え、寛永元年(1624)に出雲守に叙任。三千石を領した。寛永4年(1627)頃に蜂須賀至鎮の女と結婚し、十郎左衛門を含む二男三女をもうける。後に職を辞して寄合となり、慶安3年(1650)死去。女子はすべて蜂須賀家の家臣に嫁いでいる。
 稗史では“棕櫚柄組の頭領”とされるが、『徳川実紀』には、寛永9年(1632)8月に殿上人の給仕を務めたこと、寛永17年4月の日光社参に際して被服の役を務めたことが記されている。旗本棕櫚柄組の頭領が幕府の公式行事で役を勤めるのは、おかしな話ではないだろうか。成貞は本当に棕櫚柄組の頭領だったのか。大いに疑問ではある。(2004年1月11日瓢水記)

水野 成信(みずの なりのぶ) かぶいて候

水野勝成の二男。

水原 太郎左衛門(みずはら たろうざえもん) 鬼麿斬人剣

小浜町奉行。

溝尾 庄兵衛(みぞお しょうべえ) (?~1582) 吉原御免状

茂朝。岐阜県可児市広見の出身といわれ、光秀が信長に仕官する以前からの家臣。

天正十年(1582)五月、光秀に従って家康の接待役を務めた。「本能寺の変」後、勝竜寺城を守備する。「山崎の合戦」では、光秀と共に退却。山科小栗栖で光秀が刺されると介錯し、首を薮の中に隠して、坂本へ退却したとされている。『明智高柳』によればその後、明智秀満と共に、坂本城で殉死した。

溝口 左馬助勝路(みぞぐち さまのすけかつみち) 一夢庵風流記

上杉軍の将。
最上の戦い上杉軍第一軍、長谷堂城攻めの撤退戦で戦死。

溝口 宣勝(みぞぐち のぶかつ) 捨て童子松平忠輝

越後新発田城主。

溝口 秀勝(みぞぐち ひでかつ) 一夢庵風流記

大聖寺領主。
会津征伐に参加。

溝田 市兵衛(みぞた いちべえ) 死ぬことと見つけたり

未資料

溝田 市郎左衛門(みぞた いちろうざえもん) 死ぬことと見つけたり

未資料

溝田 次郎右衛門(みぞた じろうえもん) 死ぬことと見つけたり

未資料

三淵 晴員(みつぶち はるかず) 花と火の帝

大和守。細川幽斎の父といわれる。

皆川 隆庸(みながわ たかやす) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

志摩守。皆川山城守広照の子。

皆川 広照(みながわ ひろてる)

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湊江 清左衛門(みなとえ せいざえもん) かくれさと苦界行

桜井半兵衛の小姓。
河合又五郎一行の一人として鎰屋の辻の決闘に巻き込まれる。

三宅 藤兵衛(みやけ とうべえ) 死ぬことと見つけたり

唐津藩天草在番。天草で討死。

三宅 康貞(みやけ やすさだ) 見知らぬ海へ

未資料

宮本 豊盛(みやもと とよもり) 一夢庵風流記

朝鮮の役停戦の使者。

三好 軍兵衛(みよし ぐんべえ) 見知らぬ海へ

向井水軍のいくさ人。

三好 長慶(みよし ながよし) (1523~1564) 影武者徳川家康

修理大夫。筑前守、御供衆・相伴衆。三好元長の男。
父死去により天文元年(1532)、十歳で家督を継ぐ。同三年、細川晴元の内衆となり幕府に出仕、同八年に幕府御料河内十七か所を要求して許されず、晴元打倒の兵を挙げるも和睦。以後畿内各地の戦に勝ち、天文十八年畠山高国の養子氏綱をかついで晴元政権を倒し入京。将軍義輝と戦い和睦したが、翌年再び不和となり長慶が勝利を収め、摂津芥川城を本拠に一族で畿内を支配、長慶自ら裁許状を出した。永禄元年(1558)、またまた義輝と戦い、今度は講和して京を明渡したものの、河内・大和をはじめ畿内に勢力を保持、同六年嫡子義興が病歿(松永久秀による毒殺説も有る)、翌七年自らも病に没した。(『伽婢子』2人名索引)

三好 義興(みよし よしおき) (?~1563) 影武者徳川家康

三好長慶の嫡子。
永禄六年、病死とされるが、松永久秀に毒殺されたという説もある。

三好 義継(みよし よしつぐ) (?~1573) 風の呪殺陣

三好長慶の養子。
長慶の死後三好家を継ぎ、家宰松永久秀とともに将軍義輝を暗殺し、足利義栄を十四代将軍に立て、畿内の全権を握ったが、松永久秀と対立。天正元年(1573)、河内若江城に寄る所を織田信長に攻められ自害し、三好家宗家は滅んだ。

三善 清行(みよし きよゆき) 花と火の帝

宰相。

水原 保延(みわら やすのぶ) 鬼麿斬人剣 

加賀藩算用場奉行。

向井 忠勝(むかい ただかつ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、見知らぬ海へ

将監。向井兵庫正綱の嫡子。船手奉行。

向井 正綱(むかい まさつな) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、見知らぬ海へ

兵庫頭。向井将監忠勝の父。徳川家船手頭。徳川水軍船手奉行。

村井 貞勝(むらい さだかつ) 影武者徳川家康、時代小説の愉しみ

天正期の京都所司代。

村上 義明(むらかみ よしあき) 捨て童子松平忠輝、一夢庵風流記

越後村上城主。
周防守義明、禄九万石、元和四年三月六日、家人争論に依て配流せらる、(『慶長年間江戸図考』)

始丹波守長秀、太閤秀吉公に仕へ、慶長五年、関ヶ原役、上杉景勝を防ぐ、大坂再乱に、上総介殿に属し、上方に発向す、然るに、遅参せしむる故に没収、(『江戸古絵図考附録』)

村上 頼勝(むらかみ よりかつ) 一夢庵風流記

会津征伐に参加。

村越 長門守(むらこし ながとのかみ) かくれさと苦界行

南町奉行。

村越 茂助(むらこし もすけ) 影武者徳川家康、柳生非情剣

大御所家康の家臣。

村田 吉蔵(むらた きちぞう) 捨て童子松平忠輝、花と火の帝

織田有楽斎の家臣。大坂方使者。

室野 左平次(むろの さへいじ) 捨て童子松平忠輝

忠輝家臣。

毛利 勘解由(もうり かげゆ) 影武者徳川家康

毛利勝永の子。
父勝永らと大坂城に籠り、大阪城と運命を共にする。

毛利 勝永(もうり かつなが) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

豊臣方武将。
徳川家との決戦に備え、大坂城に籠った牢人衆の一人。
大坂夏の陣では、真田幸村らとともに徳川包囲軍を翻弄したが、多勢に無勢、落城近くになり秀頼を守るために城内に引き上げ、真田大助、実子勘解由らとともに大坂城と運命を共にしたと『徳川実紀』に記されている。

毛利 勘右衛門(もうり かんえもん) 影武者徳川家康

幕臣。
駿府城普請で幕府の人足奉行を勤める。

毛利 高政(もうり たかまさ) 影武者徳川家康

豊後佐伯藩主。
駿府城普請で家康に狩り出された大名の一人。

毛利 輝元(もうり てるもと) (1553〜1625)

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毛利 秀元(もうり ひでもと) 影武者徳川家康、柳生非情剣

穂田元清の長男。毛利輝元の養子。
毛利元就の庶子(母は乃美大方)で叔父の穂田元清の長男として生まれ、輝元に子がなかったことから養嗣子として毛利本家に入る。その後、嫡子秀就(母は側室二ノ丸殿)が生まれたことから別家を設ける。関ヶ原では西軍石田三成方に与した。関ヶ原後は、毛利領の長門府中に配置され、長府藩主の祖となった。

毛利 元就(もうり もとなり)(1497~1571)

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最上 家親(もがみ いえちか) 捨て童子松平忠輝

出羽山形城主。

最上 義光(もがみ よしみつ)

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茂庭 綱元(もにわ つなもと) 捨て童子松平忠輝

伊達家家臣。

森 忠政(もり ただまさ) (1571~1634) 捨て童子松平忠輝

右近大夫。信長の武将で近江坂本で討死した森可成の六男。
長男可隆が越前手筒山で戦死、三男蘭丸、四男坊丸、五男力丸の三人は本能寺の変で討死、次男長可は長久手の戦いで銃弾に倒れ、六男の忠政が家督を継いだのだった。川中島城主。美作津山に移封。(『歴史読本』1996年10月号参考)

羽柴右近 森右近大夫忠成なり、(『慶長年間江戸図考』)

忠政は森三左衛門尉可成が二男也、天正十二年三月、兄武蔵守長可、尾州羽黒にて討死の後、家を継、同十三年、侍従従五位下に叙任、羽柴と称す、秀吉公に従て、所々軍忠を励し、同十八年、信州川中島四郡十二万石を賜る、慶長五年、御味方と成て東国に下り、小山に至る、又、中納言様御供にて、山道より登り、真田が押へとして、石川玄蕃允康長、仙石越前守秀久と共に、三人各在所に止る、卯二月六日、美作一国を賜る、十八万六千五百石なり、又、大坂前後の軍に功あり、其後美作守に成、本姓に復し、森と名乗る、寛永三年八月、左少将に成、同十一年、六拾五歳にて卒す、石川玄蕃頭康長、松本五万八千石、仙石越前守秀久、小諸六万石、(『江戸古絵図考附録』)

森 蘭丸(もり らんまる) 風の呪殺陣

森可成の三男。
信長の小姓衆として弟坊丸、力丸と共に本能寺の変で明智の軍勢と戦い討死。森忠政の兄にあたる。

森島 長意(もりしま ちょうい) 影武者徳川家康

大阪城と運命を共にする。

森地 五郎八(もりち ごろうはち) 柳生非情剣

柳生五郎右衛門の従者。

八木 新左衛門(やぎ しんざえもん) 影武者徳川家康

浅野家家臣。

柳生 久斎(やぎゅう きゅうさい) 影武者徳川家康

柳生石舟斎の二男。僧侶。

柳生 久三郎(やぎゅう きゅうざぶろう) 柳生非情剣

新次郎の長男。

柳生 権右衛門(やぎゅう ごんえもん) 影武者徳川家康

新次郎の次男。

柳生 権之助(やぎゅう ごんのすけ) 柳生非情剣

未資料

柳生 主馬(やぎゅう しゅめ) 柳生非情剣

兵庫の妹が惣左衛門と離別後、再婚した相手。

柳生 新左衛門清厳(やぎゅう しんざえもんきよよし) 柳生非情剣

柳生兵庫助利厳の長男。

柳生 徳斎(やぎゅう とくさい) 影武者徳川家康

柳生石舟斎の三男。僧侶。

柳生 兵庫巌延(やぎゅう ひょうごとしのぶ) 影武者徳川家康

新陰流正統第八世。

柳生 宗章(やぎゅう むねあき) (?〜1603)

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柳生 茂左衛門利方(やぎゅう もざえもんとしかた) 柳生非情剣

柳生兵庫助利厳の二男。

矢沢 監物(やざわ けんもつ) 鬼麿斬人剣

真田家江戸家老。

安岡 嘉助(やすおか かすけ) 異説猿ケ辻の変

土佐勤王党志士。那須真吾らと吉田東洋を暗殺し脱藩。

保田 采女(やすだ うねめ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝

伊賀人。伊賀服部家の縁者。藤堂高虎に致仕。伊賀上野城代家老。

保田 甚兵衛則宗(やすだ じんべえのりむね) 影武者徳川家康

大御所家臣。

八十島 助左衛門(やそじま すけざえもん) 影武者徳川家康

石田三成家臣。

柳川 調信(やながわ しげのぶ) 一夢庵風流記

宗氏の家老。

梁田 晴助(やなだ はるすけ) 時代小説の愉しみ

下総関宿城主。古河公方の老臣。

山 善右衛門(やま ぜんえもん) かくれさと苦界行

浪人。天草の乱に加担。

山県 昌景(やまがた まさかげ) (?~1575) 影武者徳川家康

三郎兵衛。武田二十四将の一人。『赤備』の武士団を組織。
天正三年の長篠の戦いで、徳川軍陣地の正面で狙撃され死亡。『甲陽軍鑑』品第五十二には「山県三郎兵衛、鞍の前輪のはづれを鉄砲にて後へ打ぬかれ、則討死あるを、山県被官志村頸をあげて甲州に帰る」とあるという。(『歴史読本』1996年10月号所収藤本正行「合戦図屏風にみる武闘派の最後」参考)

【『徳川実紀』にある記述】
甲州士の内にも山縣三郎兵衛昌景が武略忠節は。わきて御心にかなひけるにや。一年本多百助信俊が男子設けしに。兎缺なればとて心に応ぜぬよし聞しめし。そはいとめでたきことなり。信玄が内の山縣は大なる兎缺なり。かの魂精の抜出て當家譜第の本多が子に生まれ来りしなるべし。大切に養育すべしと仰つけられ。其子の幼名をも本多山縣とめされ。台徳院殿の御伽にめし加へらる。後年石川数正が京都へ立去し後。當家の御軍法を皆甲州流に改かへられし時。山縣が侍どもを御前にめし。こたび汝等をもて井伊直政に附属せしむ。前々の如く一隊赤備にして御先手を命ぜらるれば。若年の直政を山縣におとらざらん様にもり立べしと仰付られぬ。此らをもても山縣をば厚く御感賞まし/\ける事はかりしるべきにぞ。(落穂集)(東照宮御実紀附録巻三)

山上 一平太(やまがみ いっぺいた) 死ぬことと見つけたり

鍋島藩江戸本邸詰め下横目。

山上 道久(やまがみ どうきゅう)

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山川 賢信(やまかわ かねのぶ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

豊臣方武将。

山川 健次郎(やまかわ けんじろう) 死ぬことと見つけたり

未資料

山口 休庵(やまぐち きゅうあん) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝

豊臣家家臣。

山口 重信(やまぐち しげのぶ) 影武者徳川家康

山口但馬守重政の長男。

山口 重政(やまぐち しげまさ) 影武者徳川家康

但馬守。常陸牛久領主、慶長十八年領地没収。大番頭。伏見城番。

山口 武兵衛(やまぐち ぶべえ) 死出の雪

遠城治左衛門重広の騙り名。

山口 平太(やまぐち へいた) 死出の雪

大和郡山藩勘定家老の三男。

山崎 三九郎(やまざき さんくろう) 銚子湊慕情

江戸南町奉行所隠密廻り同心。御生堂之介のかっての同僚。

山崎 捜左衛門(やまざき そうざえもん) 柳生非情剣

柳生兵庫の妹の嫁ぎ先。

山崎 長門(やまざき ながと) 捨て童子松平忠輝

加賀藩家臣。大坂冬の陣で先鋒を務める。

山下 庄三郎(やました しょうざぶろう) 影武者徳川家康

三河譜代。キリシタンであったため追放。

山下 茂兵衛正兼(やました もへえまさかね) 影武者徳川家康

三百石。

山城 官内(やましろ かんない) 捨て童子松平忠輝

高田城工事監督。

山田 浅右衛門(やまだ あさえもん) 捨て童子松平忠輝、鬼麿斬人剣

首斬り浅右衛門。元禄・宝永の頃、将軍佩刀の試し斬りや御仕置者の斬首などの専業者として幕府御様御用(おためしごよう)を勤める。以後、代々その職を得て山田浅右衛門を名乗る。
この山田浅右衛門が現れる前までは、幕府剣術師範中川左平太が首斬り役を行っていた。

山田 出雲守(やまだ いずものかみ) 捨て童子松平忠輝

長沢松平家重臣。

山田 大蔵(やまだ たいぞう) 捨て童子松平忠輝

忠輝家臣。配流となった忠輝に従う。

山田 次左衛門(やまだ じざえもん) 影武者徳川家康

三河譜代。キリシタンであったため追放。

山田 十郎(やまだ じゅうろう) 異説猿ケ辻の変

肥後藩士。

山田 将監(やまだ しょうげん) 捨て童子松平忠輝

長沢松平家重臣。

山田 四郎八之氏(やまだ しろうはちゆきうじ) 捨て童子松平忠輝

お茶阿の父という説もある。

山田 藤右衛門(やまだ とうえもん) 影武者徳川家康

長安の家臣。長安事件に連座し斬首。

山田 隼人正勝重(やまだ はやとのしょうかつしげ) 捨て童子松平忠輝

長沢松平家重臣。お茶阿の方の甥。

山寺 某(やまでら) 影武者徳川家康

忠吉の旧臣。

山寺 常山(やまでら じょうざん) 鬼麿斬人剣

松代藩寺社奉行。平山行蔵の高弟。

山名 氏清(やまな うじきよ) 影武者徳川家康

未資料

山中 修理亮(やまなか しゅりのすけ) 見知らぬ海へ

未資料

山中 彦之介(やまなか ひこのすけ) 見知らぬ海へ

未資料

山内 容堂(やまのうち ようどう) 異説猿ケ辻の変

幕末の土佐藩主

山村 道勇(やまむら どうゆう) 影武者徳川家康

岐阜町及び木曽谷中代官。

山村 良勝(やまむら よしかつ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

甚兵衛良勝。木曽義利の遺臣。関ヶ原の戦では、木曽を警護していた石川貞清を破り、後木曽代官に任ぜられる。

山村 良利(やまむら よしとし) 時代小説の愉しみ

木曾義昌の将。

山村 良安(やまむら よしやす) 捨て童子松平忠輝

山村甚兵衛良勝の子。

山本 信濃守(やまもと しなののかみ) 見知らぬ海へ

北條水軍の船頭。伊豆海賊衆。

山本 常任(やまもと じょうにん) 見知らぬ海へ

信濃守。

山本 新五右衛門正成(やまもと しんごえもんまさしげ) 影武者徳川家康

未資料

山本 豊久(やまもと とよひさ) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝

片桐且元の家臣。

山本 義経(やまもと よしつね) 見知らぬ海へ

未資料

由比 正雪(ゆい しょうせつ) (?~1651)

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結城 晴朝(ゆうき はるとも) 一夢庵風流記、柳生刺客状

秀康の養父。

弓気多 昌吉(ゆげた まさよし)

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湯座 伝三郎(ゆざ でんざぶろう) 影武者徳川家康 

三河譜代。キリシタンであったため追放。

横井 神助(よこい じんすけ) 見知らぬ海へ

越前守。北條家の三崎城代。

横田 主馬助(よこた しゅめのすけ) 柳生非情剣

横田村詮の子。(弟という説もある)
父内膳が主君に謀殺されたため、館の飯山城に立て籠り討死覚悟で忠一と戦い、隣国堀尾吉晴の勢が加わった大軍相手に奮戦するも、最期は切腹して果てた。

横田 旨俊(よこた むねとし) 一夢庵風流記

最上の戦い上杉軍第二軍。

横田 村詮(よこた むらのり) 柳生非情剣

内膳。米子藩筆頭家老。
粗暴な振舞が多い若き主君中村忠一に諌言し、その恨みから宴席で忠一に斬殺される。

『徳川実紀』に関連記述有り、参照ください。

横地 太郎兵衛(よこち たろべえ) 柳生非情剣

未資料

横地 長五郎(よこち ちょうごろう) 影武者徳川家康

三河譜代。キリシタンであったため追放。

横山 隆章(よこやま たかあきら) 鬼麿斬人剣

加賀藩年寄。

横山 長知(よこやま ながちか) 一夢庵風流記

前田家家臣。

吉田 重治(よしだ しげはる) 影武者徳川家康

未資料

吉田 東洋(よしだ とうよう) 異説猿ケ辻の変

土佐藩参政。
文久二(1862)年四月八日、那須真吾等に暗殺される。

吉田 黒(正しくは口遍)(よしだ ■■) 異説猿ケ辻の変

浪人。

吉田 武兵衛(よしだ ぶへえ) 影武者徳川家康

三河譜代。キリシタンであったため追放。

吉村 左京(よしむら さきょう) 異説猿ケ辻の変

姉小路公知卿の護衛。

吉村 虎太郎(よしむら とらたろう)

土佐藩士。土佐勤王党志士。

四井 主馬(よつい しゅめ) 一夢庵風流記

加賀忍び頭領。

米津 勘兵衛田政(よねきづ かんべえたまさ) 影武者徳川家康

江戸町奉行。

米津 小大夫政信(よねきづ こだいふまさのぶ) 影武者徳川家康

米津勘兵衛田政の父。

米津 左馬助勝政(よねきづ さまのすけかつまさ) 影武者徳川家康

米津勘兵衛田政の祖父。

米倉 小伝次(よねくら こでんじ) 影武者徳川家康

平岩親吉家士。

米村 権右衛門(よねむら ごんえもん) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝

大野家家臣。

[大野修理の家来米村権右衛門]
○米村権右衛門と云ふ者あり。大野修理亮治長が草履とりなりしが、大坂一乱の前にとり立て士となしたる者なり。才器勇力ありければ、治長恩顧つねならず。大坂没落後治長が遺言を受てひそかに其少女を養育してかくれいたりしを、囚て江戸にをけり。殿中におひて、大坂の金銀財宝を問るゝに不知とこたふ。汝修理亮寵士なり。なんぞしらずといわん。不知と云はゞ責めて問へと云ふを聞て、米村ひたいを地につけてありしが、頭をあげて是は御奉行衆のことばとも不レ覚候。拙者ひやしき者なりしを修理亮とりたて、今のさむらひの敵に入候。修理亮大坂にありて、軍陣の成敗をつかさどり、運命の存亡をこそ朝暮に計り候へ、かつて金銀財宝を心とせず。是を以て修理が部下も敵を伐、首を取んとのみ思ひて、他のをもんばかりをなすにいとまあらず候。理を以て申し候に城中たゝかひにまくる時は首領をもたず、千萬の金銀ありとも、何の用にか立ん。もしかちいくさならば両将軍の御腰物まで皆わが輩のものなり。金銀をもとめずして金銀にあきみち候はん。そのうへ可レ申義あらば、即坐に申さん。可レ申義なくば、口をさかれ、したをぬかれても、可レ申や。せめてとはんとは何事ぞと、はゞかる気色もなく申ければ、幕府聞召、かれは無類の剛の者なり。かれが如き者を、兵衛常陸にも付けをきたき事なりとて、御赦免あり、後に浅野因幡守長治に仕へぬ。衣服飲食をいやしくして、武具をきらびやかにす。治長が小女をおきて養育すること懇情をつくせり。浅野家へ仕へたるも、小女をゆたかに養育せんが為なり。(『見聞談叢』)

龍造寺 安順(りゅうぞうじ あんじゅん) 死ぬことと見つけたり

高房の叔父。

龍造寺 家晴(りゅうぞうじ いえはる) 死ぬことと見つけたり

未資料

龍造寺 主膳(りゅうぞうじ しゅぜん) 死ぬことと見つけたり

龍造寺高房の弟。

竜造寺 隆信(りゅうぞうじ たかのぶ) (1529~1584) 死ぬことと見つけたり

肥前国領主。
異相のため、曾祖父家兼によって七歳で出家させられ中納言円月と称した。天文十四年(1545)、父周家が有馬晴純と争い戦死。還俗して家を継ぎ、民部大輔隆胤と号す。同十九年(1550)、周防の大内義隆と結んで、山城守隆信と改名、本家を相続した。佐嘉城を本拠に少弐時尚を滅ぼし、鍋島氏を従えしばしば大友宗麟と戦ったが、勝敗決せず、元亀元年(1570)、これと和睦した。これを機に軍を転じ、有馬、松浦、後藤の諸氏と戦って屈服せしめ、肥前一国を領有する。さらに筑前、筑後のほとんどを平定した。天正八年(1580)、子政家に佐嘉城を譲り、同十年(1582)、秀吉に款を送った。この翌々年、島津家久と肥前島原に戦い自刃。享年52歳。(歴史読本『戦国武将名鑑』参考)

龍造寺 高房(りゅうぞうじ たかふさ) 死ぬことと見つけたり

未資料

龍造寺 剛忠(りゅうぞうじ つなただ) 死ぬことと見つけたり

未資料

龍造寺 信昭(りゅうぞうじ のぶあき) 死ぬことと見つけたり

未資料

龍造寺 伯庵(りゅうぞうじ はくあん) 死ぬことと見つけたり

未資料

龍造寺 政家(りゅうぞうじ まさいえ) 死ぬことと見つけたり

龍造寺高房の父。

脇坂 安治(わきさか やすはる) 影武者徳川家康、一夢庵風流記、見知らぬ海へ

関ヶ原西軍からの寝返り大名。石田三成の居城佐和山城攻めの先鋒を務める。
信濃守。始名甚内、秀吉に仕ふ、慶長五年、関ヶ原役、御味方と成て軍忠を励まし、元和元年致仕して、寛永三年卒す、(『江戸古絵図考附録』)

分部 光信(わけべ みつのぶ) 影武者徳川家康

未資料

渡辺 数馬(わたなべ かずま) (1608~1642) かくれさと苦界行

岡山藩士。鍵屋の辻仇討の主人公。
弟源太夫が同輩の河合又五郎に斬殺された事から脱藩し、事件後逃亡した又五郎を追う。
姉の夫であった荒木又右衛門の助太刀を得て、仇敵河合又五郎を伊賀上野の鎰屋の辻で討ち取った。

渡辺 糺(わたなべ ただす) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝

内蔵助。豊臣家家臣。強硬派。

渡辺 源太夫(わたなべ げんだゆう) かくれさと苦界行

渡辺数馬の弟。池田忠雄の寵臣。
河合又五郎に斬られる。

渡辺 半四郎宗綱(わたなべ はんしろうむねつな) 影武者徳川家康

秀忠の家臣。

渡辺 勝(わたなべ まさる) 影武者徳川家康

筑後守。豊臣方家老。

渡辺 守茂(わたなべ もりしげ) 影武者徳川家康

秀忠側近。

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