近世/天皇・公家




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隆慶作品に登場する人名一覧



朝廷・禁裏の人々

有栖川宮 幸仁親王(ありすがわのみや ゆきひとしんのう)

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梅宮(うめのみや) (1619~1697) 花と火の帝

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興子内親王(おきこないしんのう) 吉原御免状

女一宮 
→ 明正天皇(めいしょうてんのう)

賀茂宮(かものみや)

後水尾天皇とおよつ御寮人の間の皇子。五歳で夭折。最も権威ある皇室系譜『本朝皇胤紹運録』には宮の名は無い。

尭怒法親王(ぎょうどほうしんのう) 花と火の帝 

後水尾院の第十皇子。

孝明天皇(こうめいてんのう) 異説猿ケ辻の変

未資料

政仁親王(ことひとしんのう) 

→ 後水尾天皇(ごみずのおてんのう)

近衛 前子(このえ さきこ) 花と火の帝

後水尾天皇の御母。近衛前久の娘。近衛信尹の妹。中和門院。

近衛 前久(このえ さきひさ) 花と火の帝、風の呪殺陣

後水尾天皇の祖父。

後水尾天皇(ごみずのおてんのう) (1596〜1680)

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三宮 政仁親王(さんのみや こと〈ただ〉ひとしんのう) 

→ 後水尾天皇(ごみずのおてんおう)

承快法親王(しょうかいほうしんのう) 花と火の帝

後陽成天皇の二宮。梶井宮門跡。

素鵞宮(すがのみや) 

京極局の皇子。後水尾天皇の第四皇子。後の後光明天皇。
→ 後光明天皇(ごこうみょうてんのう)

高仁親王(たかひとしんのう) (1626〜1628) 吉原御免状、花と火の帝

後水尾天皇と皇后和子の皇子。齢2歳で逝去。徳川秀忠より鬼切り太刀を贈られる。

中宮 禧子(ちゅうぐう きし) 花と火の帝

後醍醐天皇の正室。

女一宮(にょいちのみや) 花と火の帝

後水尾天皇と和子の間の子。興子内親王(後の明正天皇)。→ 明正天皇(めいしょうてんのう)

文智女王(ぶんちじょうおう) 

→ 梅宮(うめのみや)

水尾天皇(みずのおてんのう) 

→ 清和天皇(せいわてんのう)

明正天皇(めいしょうてんのう) (1623〜1696) 吉原御免状、花と火の帝

幼名一宮、興子内親王、和子の娘。後水尾天皇の第二皇女で、将軍徳川秀忠の娘和子との間に生まれた。
寛永六年(1629)、父帝の譲位を受け践祚、翌年即位した。奈良時代の称徳天皇以来の女帝で、在位中は父後水尾上皇が院政を敷いていた。寛永二十年(1643)、弟の紹仁親王(後光明天皇)に譲位。奈良時代の女帝、元明天皇と元正天皇から一字を取り明正院と追号された。

正親町天皇(おおぎまちてんのう) (1517〜1593)

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京極局(きょうごくのつぼね) (1602~1656) 吉原御免状 

後水尾天皇の側室。

名は藤原(園) 光子。左大臣園基任の娘。初名を国子のち継子といった。後に後光明天皇となる素鵞宮(紹仁)、輪王寺門跡となる守澄入道親王(幸教親王)、大聖寺門跡となる元昌皇女、霊鑑寺門跡となる宗澄皇女、恵宮皇女の二男三女をもうける。

後西天皇(ごさいてんのう) (1637~1685) 吉原御免状

長仁(ながひと)。後水尾天皇の第八(七)皇子。

承応三年(1654)兄後光明天皇の急死により、弟で後光明天皇の養子識仁親王(霊元天皇)が生後間もないため、その中継ぎとして践祚、明暦二年(1656)即位した。在位中は天変地異が多く、幕府に退位を迫られ寛文三年(1663)霊元天皇に譲位した。また在位中は父後水尾上皇が院政を敷いており、政務に就くことはなかった。御母櫛笥隆子、正側室は女御・明子女王、清閑寺共子、源氏、藤原氏、藤原定子、藤原条子、菅原氏等がいる。

皇弟識仁親王に皇位を譲った後、太上天皇として院の御所に二十三年間過ごし、貞享二年崩御。茶湯を金森宗和に学び、宗和流に傾倒していた。

後陽成天皇(ごようぜいてんのう) (1571〜1617) 影武者徳川家康、花と火の帝、一夢庵風流記

第107代天皇。和仁(かずひと)。正親町天皇の皇子誠仁親王の第一皇子。
天正十四(1586)年、父親王が皇位を継承する前に没したため、正親町天皇の譲位を受けて豊臣秀吉政権下で即位。秀吉没後たびたび譲位の意を示したが、徳川家康の朝廷干渉により叶わず、逆に改元や官位叙任権までもが幕府に牛耳られていった。

新上東門院(しんじょうとうもんいん) 影武者徳川家康、花と火の帝

後陽成天皇の母。

為尊親王(ためたかしんのう) 花と火の帝

冷泉天皇の皇子。弾正宮。

智忠親王(としただしんのう) 花と火の帝

八条宮の嫡子。桂離宮を完成さす。

智仁親王(としひとしんのう) 一夢庵風流記

皇弟。秀吉の猶子。

中川の宮(なかがわのみや) 異説猿ケ辻の変

禁中における攘夷激派の抑え役。

八条宮 智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう) 影武者徳川家康、花と火の帝

後陽成天皇の実弟。桂離宮を造営。

政仁親王(まさひとしんのう) 捨て童子松平忠輝

後の後水尾天皇。後陽成天皇の第三皇子。 → 後水尾天皇(ごみずのおてんのう)

幸勝親王(ゆきまさしんのう) 影武者徳川家康、花と火の帝

後陽成天皇の二宮。承快法親王

良仁親王(よしひとしんのう) (1588〜1648) 影武者徳川家康、花と火の帝、一夢庵風流記

後陽成天皇の一宮。覚深法親王。仁和寺御室となる。母は典侍:藤原(中山) 親子(ちかこ)。

好仁親王(よしひとしんのう) 花と火の帝

後水尾天皇の皇弟。興意法親王の御付弟。

良恕法親王(りょうじょほうしんのう) 影武者徳川家康

蔓殊院門跡。

霊元天皇(れいげんてんのう) 花と火の帝

未資料

冷泉天皇(れいぜいてんのう) 花と火の帝

未資料

女御・女官

菅内侍(かんのないし) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝

官女。

勾当内侍(こうとうのないし) 花と火の帝

官女。

勾当内侍は個人の名ではなく官名。内侍司(ないしのつかさ)の三つの役職の内、第三位の役、掌侍(ないしのじょう)の中の第一の者を云った。

権典侍(ごんのてんじ) 影武者徳川家康

女官。内侍司における官女の官名。

讃岐(さぬき) 影武者徳川家康、花と火の帝

官女。兼安備後の妹。

掌侍(しょうじ) 影武者徳川家康

女官。内侍司における官女の官名。

新大佐(しんおおすけ) 影武者徳川家康、花と火の帝

官女。広橋大納言の娘。

公家

飛鳥井 雅賢(あすかい まさかた) (1582~1626)

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飛鳥井 雅庸(あすかい まさつね) (1569~1615) 花と火の帝

雅継。権中納言。後に大納言となる。父は雅敦。
歌人、蹴鞠の達人として知られる。 

飛鳥井 雅宣(あすかい まさのぶ) (1585~1651) 花と火の帝 

難波宗勝。中将。飛鳥井雅庸の二男として生まれ、難波家を相続する。

烏丸光広等と共に伊豆に流され慶長十七年(1612)、赦しをうけて帰る。慶長十八年(1613)、名を雅胤と改めて飛鳥井家を相続する。後に雅宣、雅胤と改め正三位権大納言に進む。慶安四年(1651)、従一位を以って没。享年66歳。

姉小路 公知(あねがこうじ きんとも) 異説猿ケ辻の変

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一条 兼遐(いちじょう かねよし) 花と火の帝

未資料

今出川 宜季(いまでがわ のぶすえ) 花と火の帝

未資料

猪熊 教利(いのくま のりよし) 影武者徳川家康、花と火の帝

公家。慶長期の傾奇者として名を馳せる。
宮中の官女等と遊興に耽り、風紀紊乱の科で後陽成天皇の怒りにふれ、共謀者の兼安備後と共に逐電。潜伏先で捕えられ、京に送り返され斬首の計に処せられた。
三田村鳶魚氏の『男女の道』に関連記述あり参照ください。

大炊御門 頼国(おおいみかど よりくに) 影武者徳川家康、花と火の帝 

公家。硫黄島へ遠流。

正親町 公董(おおぎまち きんただ) 異説猿ケ辻の変

攘夷激派の公卿。

正親町 季俊(おおぎまち すえとし) 花と火の帝

未資料

小槻孝亮(おづきたかすけ) 影武者徳川家康

左大史。
『左大史孝亮記』を著す。江戸前期の公家。
『影武者徳川家康』(上巻542p)には家康の将軍宣下の場面で「勅使勧修寺光豊以下束帯に威儀を正し、伏見城に着いたのは午前十時すぎだった。儀式はまず告使が庭に出て正面に向って一礼し、「御昇進」と二度唱えることから始る。次いで勅使以下が上段の間に左右にわかれて坐ると、右大史小槻孝亮が進み出て、家康を征夷大将軍となすという宣旨の入った箱を捧げる」と書かれている。
ここには「右大史小槻孝亮」とあるが、小槻家は代々左大史に任ぜられていることから、「左大史」とするのが正しいように思う。

花山院 定煕(かざんいん さだおき) 花と火の帝 

右大臣。

花山院 忠長(かざんいん ただなが) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝

公家。傾奇者。少将。松前へ遠流。

勧修寺 伊豊(かじゅうじ ただとよ) 影武者徳川家康 

右大弁。
藤原北家高藤流の系譜を引く公家。冬嗣の孫の高藤の子定方が、母方の建てた勧修寺を氏寺としたのに始まり、その後吉田家より坊城家が分かれ、定資の次男経顯が勧修寺を名乗ったのに始まる。

勧修寺 晴豊(かじゅうじ はるとよ) 一夢庵風流記、花と火の帝、風の呪殺陣、時代小説の愉しみ 

権大納言。
天正十年(1582)夏、正親町天皇の勅使として安土の織田信長と会見。これは朝廷から天下人となった信長に、関白あるいは征夷大将軍の地位を授ける旨の意向があるとの申し入れで、信長から丁重なもてなしを受けるが、何の返答ももらえず京に引き上げた。

勧修寺 光豊(かじゅうじ みつとよ) (1575〜1612) 影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝、花と火の帝 

参議。武家伝奏。准大臣勧修寺晴豊の子。
天正十一(1583)年、元服して従五位上左衛門佐に叙任。以後官位累進を重ね、慶長五(1600)年の関ヶ原の戦いの際には、右大弁・参議として権大納言広橋兼勝とともに大坂城に遣わされ、豊臣秀頼に徳川家康との講和を要請する。慶長八(1603)年より武家伝奏となり、後陽成天皇譲位の際は朝幕間の周旋に奔走。慶長九(1604)年に権中納言、慶長十一(1606)年に正三位、慶長十七(1612)年には従二位権大納言に進む。同年十月二十七日、38歳で没。

烏丸 光広(からすま みつひろ) (1579〜1638)

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喜連川 茂氏(きつれがわ しげうじ) 駆込寺蔭始末

未資料

九条 兼孝(くじょう かねたか) 花と火の帝

前関白。

九条 尚忠(くじょう なおただ) 異説猿ケ辻の変

前関白。

九条 忠栄(くじょう ただざね) 捨て童子松平忠輝、花と火の帝

左大臣、前関白。

久我 敦通(こが あつみち) 花と火の帝

武家伝奏。大納言。

近衛 忠熙(このえ ただひろ) 異説猿ケ辻の変

前関白。

近衛 信尹(このえ のぶただ) 影武者徳川家康、花と火の帝

関白。

慶長十二年(1607)、近衛関白信尹公御下向あり。此の時、梅若寺(うめわかでら)を木母寺(もくもでら)と改め給ひ、額を給ふ。

  • こたへせば我いでゝこし都鳥とりあつめても事とはましを
  • 来て見るにむかしの国の江戸からは北とひがしの角田川なり

(『武江年表』)

近衛 信尋(このえ のぶひろ) (1599〜1649) 影武者徳川家康、花と火の帝

後陽成天皇の御子(第四皇子)。近衛信尹の養子。従二位内大臣。号応山。 
慶長十年八月、勅命により関白前左大臣近衛信尹の養嗣となり、信尋と名乗る。元和九年に関白、氏長者となる。正保二年剃髪して応山と号した。茶湯を織部、遠州に学び、書を養父信尹の三藐院流を伝えた。
慶安二年十月十一日没。

西園寺 公朝(さいおんじ きんとも) 一夢庵風流記

右大臣。

西園寺 実益(さいおんじ さねます) 花と火の帝

右大臣。

三条 公光(さんじょう きんみつ) 一夢庵風流記

大納言。

三条 小鍛冶宗近(さんじょう こかじむねちか) 風の呪殺陣

未資料

三条 実隆(さんじょう さねたか) 花と火の帝

逍遥院内大臣。宗祇より古今伝授を受ける。

三条 実美(さんじょう さねとみ) 異説猿ケ辻の変

攘夷激派の公卿。

三条西 公国(さんじょうにし きみくに) 花と火の帝

三条西実澄の子。

三条西 公保(さんじょうにし きみやす) 花と火の帝

三条実隆の子。父実隆より古今伝授を受け、子の三条西実澄に伝授を授ける。

三条西 実条(さんじょうにし さねえだ) 影武者徳川家康、花と火の帝

権大納言。大納言。武家伝奏。

三条西 実澄(さんじょうにし さねずみ) 花と火の帝

細川幽斎に古今伝授を授ける。

高倉 嗣良(たかくら つぐよし) 花と火の帝

公家。およつ御寮人の実兄。秀忠によって豊後に流刑。

鷹司 信尚(たかつかさ のぶひさ) 捨て童子松平忠輝、花と火の帝

関白鷹司信房の嫡男。母は佐々成政女。妻、清子内親王(父:後陽成天皇)。後水尾天皇の義兄でもある信尚は、後水尾帝の良き理解者であり、関白として徳川政権と闘う。家康に徹底的に嫌われ、関白の職を辞するが閑職の内覧になると、岩介たち「天皇の隠密」のリーダー的存在になり幕府と闘った。

高辻 前中納言(たかつじ さきのちゅうなごん) 駆込寺蔭始末

未資料

土御門 有世(つちみかど ありよ) 影武者徳川家康

十四代陰陽頭。

土御門 久脩(つちみかど ひさなが) 影武者徳川家康、花と火の帝

陰陽頭。土御門泰重の父。

土御門 泰重(つちみかど やすしげ) かくれさと苦界行、花と火の帝

無資料。

豊岡 随資(とよおか ずいし) 異説猿ケ辻の変

攘夷激派の公卿。

中院 通勝(なかのいん みちかつ) 花と火の帝

中納言。細川幽斎の女聟。幽斎から古今伝授を受ける。

中院 通村(なかのいん みちむら) かくれさと苦界行、花と火の帝

源姓。

元和八年(1622)壬戌 ○十一月、源通村卿関東御下向あり(十二月十六日江戸を立ち給ふ)。江戸にて人にあひ侍りしに、富士にて歌はよみつやといひしかば、

  • 富士のねは みしやいかゞと問ふひとに 我こたふべきことの葉ぞなき

寛永四年(1627)丁卯 三月、源通村卿下向あり(浅草瑞竜山興雲寺竜岳和尚へ遣はす)。

  • 紫の色にしさきて武蔵のゝ 草のゆかりの床なつのはな

寛永十二年(1635)乙亥 又源通村卿も御下向あり。

  • 春ならぬ木の葉もうるふむさし野の 末までかゝる露の恵に

(『武江年表』)

中御門 宣衡(なかみかど のぶひら) 花と火の帝

大納言。

中御門 宗信(なかみかど むねのぶ) 影武者徳川家康、花と火の帝

硫黄島へ遠流。

中山 親綱(なかやま ちかつな) 影武者徳川家康、花と火の帝

権中納言。

中山 親綱女(なかやま ちかつなのむすめ) 影武者徳川家康、花と火の帝

権中納言中山親綱の娘。有馬直純の前妻。洗礼名ジュスタ。→ 有馬ジュスタ

難波 宗勝(なんば むねかつ) 影武者徳川家康、花と火の帝

伊豆へ遠流。

西洞院 時慶(にしのとういん ときよし) 花と火の帝

公卿。

二条 昭実(にじょう あきさね) 花と火の帝、捨て童子松平忠輝

関白。

二条 晴良(にじょう はるよし) 影武者徳川家康、時代小説の愉しみ

公卿。義演准后の父。

二条 康道(にじょう やすみち) 花と火の帝

内大臣。妻は後水尾天皇の皇妹。

庭田 重定(にわた しげさだ) 花と火の帝

中納言。

萩原 秀賢(はぎわら ひでより) 花と火の帝

博士家。

東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ) 異説猿ケ辻の変

攘夷激派の公卿。

日野 資勝(ひの すけかつ) 花と火の帝

権大納言。

日野 大納言(ひの だいなごん) 影武者徳川家康

→日野輝資(ひの てるすけ)

日野 輝資(ひの てるすけ) 花と火の帝

前権大納言。唯心院と号す。

広橋 兼勝(ひろはし かねかつ) (1558〜1622) 影武者徳川家康、花と火の帝

公家。広橋国光の子。蔵人頭から累進し、権大納言を経て従一位内大臣にいたる。
家康の将軍就任と同時に武家伝奏となり、1619年その職を辞した。「出頭無双」とその権勢を恐れられたが、一方では「奸佞の残賊」と罵られる存在でもあったという。

広橋 兼勝(ひろはし かねかつ) (1558〜1622) 影武者徳川家康、花と火の帝

公家。広橋国光の子。蔵人頭から累進し、権大納言を経て従一位内大臣にいたる。
家康の将軍就任と同時に武家伝奏となり、1619年その職を辞した。「出頭無双」とその権勢を恐れられたが、一方では「奸佞の残賊」と罵られる存在でもあったという。

広橋 兼秀(ひろはし かねひで)

内大臣。従一位。
大内義隆側室高徳院御新造の父で、五男寿玉は義隆の養子となっている。

藤原 時平(ふじわら ときひら) 死ぬことと見つけたり

未資料

星合 具泰(ほしあい ともやす) 花と火の帝

未資料

堀川 康胤(ほりかわ やすたね) 花と火の帝

公家。

万里小路 充房(までのこうじ みつふさ) 花と火の帝、見知らぬ海へ

公家。秀忠によって丹波篠山に流刑。

壬生 孝亮(みぶ たかすけ) 影武者徳川家康、花と火の帝

無資料。

山科 言継(やましな ときつぐ) 時代小説の愉しみ

権大納言。

山科 言経(やましな ときつね) 影武者徳川家康、花と火の帝

前権中納言。

四辻 公遠(よつじ きみとう) 花と火の帝

公家。

四辻 季継(よつじ すえつぐ) 花と火の帝

公家。およつ御寮人の実兄。秀忠によって豊後に流刑。

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