奥平氏(おくだいらし)
奥平 家昌(おくだいら いえまさ) (1577〜1614)影武者徳川家康、捨て童子松平忠輝
大膳大夫、宇都宮藩主。天正五年(1577)信昌の長男として生れる。慶長十九年(1614)十月十日没。享年38歳。
幼名を九八郎(小八郎とも)という。天正九年(1581)十二月徳川家康から諱字、刀鷹を賜う。慶長元年(1596)三月二十日豊臣の姓をうけて従五位下大膳大夫に叙せられる。慶長六年(1601)下野宇都宮城主となって十万石を領した。奥平定昌、父の信昌に比して、それほどの戦功はみられないが、宇都宮城主となったときに大町市を開いた。(歴史読本昭和43年五月特別号「戦国武将名鑑」参考)
奥平 信昌(おくだいら のぶまさ) (1555〜1615)影武者徳川家康
美作守。定昌。妻は家康の長女亀姫。
十八歳の時に娶った最初の妻はおふうといい、武田方に人質として預けられていたが、徳川に寝返ったために殺されている。
三河生れ。貞能の長男。初め父と共に甲斐武田氏に仕えたが、天正元年(1573)徳川家康に属す。同3年長篠の戦いでは、武田の大軍を相手に長篠城を死守。同十八年(1590)、上野小幡藩三万石に封じられ、慶長六年(1601)、美濃加納藩十万石に転じた。信昌と妻亀姫の墓所は岐阜市加納の盛徳寺にある。
『武江年表』慶長五年(1600)の項に、「均庭云ふ。濃州関ヶ原御勝利の後、始めて関東より京都所司代を差置かる。奥平美作守(信昌)これを勤む。」とあり、初代京都所司代に任命されている。
奥平 貞久(おくだいら さだひさ) 捨て童子松平忠輝
求出羽守。奥山休賀斎の父。
奥平 籐兵衛(おくだいら とうべえ) 影武者徳川家康
家康の旗本。
関ヶ原で戦死。
奥平 孫次郎(おくだいら まごじろう) 捨て童子松平忠輝
無資料。

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