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艶道通鑑
艶道通鑑(一部)
恋之下 十七
太田源太道潅は、扇子が谷の上杉に仕へて、威風を関の東に振ふ。若かりし時、身の力器に高ぶりて、血気盛んに朝暮山野を家として、川狩・鹿猟に飢寒を忘れ、荒馬を乗斃獣を拉、會て情も知らぬ勇者なりしが、或時金沢山に追鳥狩しけるに、村雨の烈しく、袖の雫も絞りあへぬ程なりしかば、六浦辺りの卑しき家に立寄りて、「蓑一つ借らん」と大なる声にて喚けど、人音なし。暫し軒端に立休らいしに、内より十七八ばかりの女の、髪の風情より手足の美しく、此辺に有べき気粧ならぬが、山吹の花一枝差し出して打笑けるに、源太腹立て、「雨具をこそ借サざらめ、何の詠に花を出しけん」と罵、帰てその物語有しに、家来に京家の老武者有けるが申せしは、「それは蓑なしと申事にこそ」と申せしかば、源太、「それは如何に」と問われけるに、
- 七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき
と申哥の心緒なり。艶かりける女哉」と誉めたるに、不図思ひ寄、年比荒々しき振舞のみにて情の道も知らざるを悔みて、件の女に語らい寄り、哥の道は武士の知べき業ぞとて一向に是に心を寄せられければ、果は雲の上まで聞へて、題を賜りし哥其外人の口に残る名哥ども、数多読置かれける。一日に三つの城の縄張し、武の道の尖を其世に許あれし大将なりき。不幸にして志を遂げず、最期に鎗に貫て、
- かゝる時さこそ命の惜からん かねてなき身と思しらずば
評ずらく、愛欲の心に引かれて哥の道に本づけるは、染歌とて色に溺るゝ種となる。されども思ひを述情を遣は、それさへ迷ひを解媒と成る。道潅の哥より恋に移り、恋より哥に入て心を磨、道を練の質とし給ふ。弱よく強を制するの理に叶いたる物ぞ。何にもせよ、和哥を心掛けざらんは日の本の人の数にはあらず。神明も、哥にこそ愛させ給へり。
注
太田源太道潅 室町中期の武将。『永享記』に源六資長。上杉定正の家臣で、江戸城の築城主として著名。文明十八年没。
金沢山 横浜市金沢区、金沢山称名寺辺りの山野。
追鳥狩 冬期に勢子に野鳥を追い出させて、馬上から射る狩。
六浦 横浜市金沢区内の地名。
京家 京都の公卿の家。
七重八重 兼明親王の古歌。『後拾遺集』雑五。
名哥ども 道潅歌集に『慕景集』があり、板本は文政五年刊。また『塩尻』巻十三には、「道潅上京の時勅答のうた」として三首あげる。
三つの城 川越・岩槻・鉢形の三城。
縄張 築城の際、建物の位置を定めるために縄を張ること。
かゝる時… この歌が『慕景集』には辞世ではなく戦士を悼む歌として出ることの指摘は、『広益俗詭弁』巻十三にあり、これを辞世と誤記したのは松田一楽の『武者物語』(承応三年刊)以来という指摘は、『塩尻』や『常山紀談』にある。
染歌 仏語。妄執にとらわれた歌。
辧惑増鏡(艶道通鑑批評)
太田道潅段
○かゝるときさこそ命はおしからめ、かねてなき身ともおもひしらずば、此哥を太田道潅が辞世と云々。是は道潅の家臣某、戦場にて美麗なる若武者の首とって実検に入し時、日比の好、この者の手向となし給へといひければ、此哥をよまれしとかや。しかれば辞世にはあらず、是もまた長秀子委弁ぜり。其伝記もたゞさず書に載るは、麁相は麁忽か不吟味か。物知だてははまりあり、はづかしき事ならずや。
雑之恋 十二
月の夜比を厭ひ闇を喜ぶ及が鵜縄に捌て、この川波に徘徊する女、二条橋辺のきやつきやの姉妹、堀川の関なんどぞ、逸物の餌鳥とかや。往来袖を控へ、園の小蝶と戯れ、六の巷に地蔵の誓をなし、北野の塔を半分減してと値切られ、急時雨れの悪口を粉らかす。だらりの鐘の数重なる客には、見送る目本に勤めの外の泪を含む思惑。いづれ「葎の宿に寢もしなん」と読しからは、石の枕も投げ遣りにすべからず。又朝朗より黄昏まで所定めず惑ひ歩行、日向臭哥比丘尼の有様。昔は脇挟し文匣に巻物入て、地獄の絵説し血の池の穢を忌ませ、不産女の哀を泣する業をし、年籠の戻りに烏牛王配りて、熊野権現の事触めきたりしが、何時の程よりか隠し白粉に薄紅つけて、付髪・帽子に帯幅の広くなり、知らぬ皃にて思はせ風俗の空目遣い、歩姿も腰据へての六文字。「米噛みて菅笠が歩行」と笑れしは昨日になりて、林故が笑顔が大掖の芙蓉と見へ、長春が後付が未央の柳と眺めらる。筏に乗りて川狩を嬉しがり、饅頭に飽て西瓜好する僻者共は、「さつぱりとしたるが面白し」と、斎明にも精進堅にも及くものなしと、是を翫ぞかし。
其外巾着の〆込、荷葉のびやしやらも、馴ては同じ思ひ川、西は唐の人をも招留むる丸山の穂薄、東は夷の夫覇青森の糸柳。津々の濡衆・浦々の榾者情を売色を価。迷ひを主として彼に隋ふは身を損ずるの斧、容易からず思はれんは此世ならぬ楽しみ。兎角捨べき事の捨てられぬものならんかし。
注
及 惣嫁の客引き兼用心棒。多くはその夫がつとめた。
惣嫁 最下級の私娼。夜発、夜鷹。
逸物 すぐれて強い鷹。
餌鳥 鷹の餌にする鳥。
六の巷に地蔵の誓をなし 地蔵菩薩が六道にあって衆生を強化する如くに、一切衆生の煩悩を救う。当時惣嫁の代金は十文で、それを地蔵の十福とかけて言う。
北野の塔 北野天満宮南の石の鳥居脇にある忌明の塔をいうか。五輪石塔婆、高さ八尺ばかりで、浄蔵貴所を祀るという。この人親子の縁深きによりて、忌明の日まずこの塔に詣りて後参拝すと。「半分滅して」とは、五文を半分にか、五厘を半分にか、この洒落不明。
だらりの鐘 「陀羅尼鐘」の訛。京都東山建仁寺の東鐘楼の鐘。
葎の宿に… 『伊勢物語』三段。
哥比丘尼 熊野神社の護符を売り、地獄極楽の絵解きをし、念仏に節をつけて歌い歩き乞食をした尼。何時しか色を売るようになった。
文匣 歌比丘尼が常用する文箱。
年籠 大晦日の晩から社寺に参籠して新年を迎えること。
烏牛王 熊野神社から出す護符。
事触 神託を諸国に触れ歩く神官。
米噛みて… 『好色一代男』巻三の六に「契りをこめし清林がつれし米噛み、其時は菅笠が歩くやうに見しが」。「米噛み」は小比丘尼の異称。
林故・長春 比丘尼の元締め。「日暮」を名乗る者多く、林故・清林など、林の字をつける者が多い。
大掖の芙蓉・未央の柳 美人の形容句。「長恨歌」の句による。
斎明・精進堅 何れも喪の期間を終えた時のこと。
巾着 私娼の一。詳しくは『傾城仕送大臣』(元禄十六年)巻三「小才覚なる町々の恐妻」や、『傾城禁短気』(宝永八年)巻三の一にある。
荷葉 蓮葉。私娼の一。元は大坂の問屋で諸国からの商人の接待のため抱えおく女。『色道大鏡』十四、問屋破須波篇や、『好色一代女』巻五の四に詳しい。
丸山 長崎丸山遊廓。『色道大鏡』十三、遊廓図下に詳しい。「穂薄」は「山」の縁語で、客を招く姿にかけたもの。
身を損ずるの斧 『好色一代女』巻一の一に「美女は命を断斧と古人もいへり」。「靡曼皓歯伐レ生之斧」(『呂氏春秋』本性篇)。
(『日本思想大系 近世色道論』岩波書店刊を底本としました。)
庭訓往来
庭訓往来(全文)
春の始の御悦、貴方に向て先づ祝ひ申し候ひ訖ぬ、富貴万福猶以て幸甚々々、抑歳の初の朝拝は、朔日元三の次を以て急ぎ申す可きの処、人々子の日の遊びに駈り催さるゝの間思ひ乍ら延引す、谷の鶯の檐の花を忘れ、苑の小蝶の日影に遊ぶに似たり、頗る本意を背き候ひ訖ぬ、将又、楊弓雀小弓の勝負、笠懸、流鏑、小串の会、草鹿円物の遊、三々九の手夾八的等の曲節、近日打続き之を経営す、尋常の射手、馳挽の達者、少々御誘引有て、思し食し立ち給はば、本望也、心事多しと雖も、参会の次を期せんが為に、委く腐毫に能はず、恐々謹言
正月五日
左衛門尉藤原
謹上 石見守殿
改年の吉慶、御意に任せられ候の条、先づ以て目出度覚え候、自他の嘉幸千万々々、御芳札披見の処、青陽の遊宴、殊に珍重に候、堅凍早く脱け、薄霞忽に披く、即ち拝仕を促す可きの処に、自他の故障、不慮の至り也、百手の達者、究竟の上手、一両輩同道す可き也、但し的矢、蟇目等は、無沙汰憚り入り候、一種一瓶は、衆中の課役、賭、引出物は亭主の奔走歟、内々御意を得らる可し、万事物総の際一二に能はず、併ら面謁の時を期し候、恐々謹言
正月六日
石見守中原
謹上 源左衛門尉殿
面拝の後、中絶良久しく、遺恨山の如し、何れの時か意霧を散ぜん哉、併ら胡越を隔つるに似たり、猶以て千悔/\、抑醍醐雲林院の花、濃香芬々として匂已に盛ん也、嵯峨芳野の山桜、開落条を交ふ、黙止難きは此節也、争でか徒然おして、光陰を送らん哉、花の下の好士、諸家の狂仁雲の如く霞に似たり、遠所の花は、乗物僮僕、合期し難し、先づ近隣の名花、歩行の儀を以て思ひ立つ事に候、左道の様為りと雖も、異体の形を以て、明後日御同心候はば、本望也、連歌の宗匠、和歌の達者、一両輩御誘引有る可し、其次を以て、詩聯句の詠同じく所望に候、破籠竹筒等は、是自随身す可し、硯懐紙等は、懐中せらる可き歟、如何、心底の趣紙上に尽し難し、併ら参会の次を期す、不具恐々謹言
二月廿三日
弾正忠三善
謹上 大監物殿
是自申さしめんと欲し候の処に、遮つて恩問に預り候、御同心の至り、多生の嘉会也、抑花の底の会の事、花鳥風月は好士の学ぶ所、詩歌管弦は嘉齢延年の方也、御勧進の体、本懐に相叶ひ候者を哉、後苑庭前の花、深山聚樹の桜、誠に以て、開敷の最中也、若し今明の際に、暴風霖雨有らば、無念の事也、同じくは、片時も急ぎ度存ぜしめ候所也、倭歌は、人丸赤人の古風を仰ぐと雖も、未だ長歌、短歌、旋頭、混本、折句、沓冠の風情を究ず、(連歌は、無情寂忍の旧徹を学ぶと雖も、未だ)輪廻、傍題、打越、落題の体を(弁ず)、詩聯句は、菅家江家の旧流を汲乍ら、更に序、表、賦、題、傍絶、韻声の質を忘る、頗る猿猴の人に似たるが如く、蛍火の燈を痛むに同じ、然ども、人数の一分に召加へられば、殆後日の恥辱を招く可し、執筆、発句、賦物以下、才学未練の間、当座に定めて赤面に及ぶ可き歟、聊用意有る可きの由の事、承り候ひ訖ぬ、形の如くの稽古を致す可し、公私総忙として、毛挙に遑あらず、恐々謹言
二月廿三日
監物丞源
謹上 弾正忠殿(御返事)
祝言、今に於ては、事旧候と雖も、猶以て、珍重々々、慶賀日を逐て重畳、家門年を迎へて繁昌、自他際限有る可からず、早く参賀せしむ可く候、抑、御領人部相違無く候の条、先づ以て神妙の由、御感候也、其に就て、四至傍爾の境 阡陌聊も他所に混乱せらる可からず、精廉の沙汰を到さるゝの条、奉公の忠勤也、厨完飯相違無くんば、早く沙汰人等に課せて、地下の目録取帳以下の文書、済例納法注文、悉く召し進ぜらる可き也、容隠の輩、隠田の族を、罪科の為に、名字交名を注進す可し、且く東作の業の事、兼て水旱の年を相し、須く迪迫の地を計つて、所務を致さるべし、開作の地有らば、農人を招き居へ、之を開発せしめ、猶用水の便りに任す可くは土民の役と為て、堤、井、溝を修固す可き者也、佃御正作の勧農は、迫地を除きて熟田を撰び、急ぎ種子農料を下行せしめ、鋤、鍬、犂等の農具を促し耕作せしめ、粳、糯、早稲、晩稲等、西収の期に苅頴舂法の既得なることを願ふ可し、次に畠の事、蕎麦、大豆、小豆、大角豆、黍、粟、麦、稗等、畑、山畠の乾熟に随て、桑代加地子を課す可し、毎年実検の節を遂げて、敢て以て、自由の依怙を存ず可からず、次に御館造作の事、各別の作事有る可からず、奉行は早く四方に大堀を構へ、其内に築地を用意す可し、棟門、唐門は、斟酌の儀有り、平門、上土門、薬医門の際に於ては、之を相計ふ可し、寝殿は厚萱葺、板庇、廊の中門、渡殿は裏板葺、侍、御厩、会所、囲炉裏の間、学文所、公文所、政所、膳所、台所、贄殿、局、部屋、四阿、桟敷、健児所は、葦萱葺に支度す可き也、南向には笠懸の馬場を通し、埒を結はしめ、同じく的山を築く可し、東向には、蹴鞠の坪を構へ、四本懸を植ゑられ、泉水、立石、築山、遣水、眺望に任せ、方角に随て、禁忌無き様に、之を相計ふ可し、客殿に相続で、檜皮葺の持仏堂を立つ可し、礼堂、菴室、休所は、先づ仮葺也、傍に又土蔵 文庫を構ふ可し、其中間は塀也、後苑の樹木、四壁の脩竹、前栽の茶園、同じく調へ植へ可き也、仰せ下さるる条々、怠慢無く勤仕せられば忠賞せらる可きの旨、仰せられ候所也、恐々謹言
三月七日
玄蕃允平
謹上 御政所殿
仰せ下さるる条々、具に以て承り候ひ訖ぬ、聊も等閑を存ず可からず候也、抑御下文、御教書、厳重の間、入部の使節異議無く、彼所に莅で遵行せしめ候ひ畢ぬ、吉書は、吉日良辰を撰ぶ行はしめ、耕作の業の最中也、地下の文書の事、或は紛失、或は失墜錯乱の由、沙汰人等構へ申すに依て、延引の条、恐れ入り候、事の実否、又土貢の員数等、尋ね捜て追て注進申す可き也、作事は桁、梁、柱、長押、棟木、板敷、材木は、虹梁為るの間、杣取らんが為に誂へしめ候ひ畢ぬ、門の冠木、扉の装束、唐居敷の板、(貫木、)鼠走、方立、雲臂木、懸魚、蟇股の木、并に鴨居、敷居、垂木、木舞、破風、関板、飛檐、角木、縁の短柱、簀子、唐垣、透墻、柴垣、築墻、檜垣、椙障子、厨子、連子、遣戸、妻戸、織戸、決入、高欄、宇立、叉首、足堅、天井の縁、障子の骨、棟樋、組押の榑、襲の木、檜曾、水門、葺地の具足は、津湊に於て、之を買はせしむ可し、山造りの斧、鉞、釿、鐇、并に造作の釘、金物は、炭鉄を用意し、鍛冶を召し居へ、造作せしめ候也、木工の寮、修理職の大工に仰せて、巧匠を召し下され、釿立、礎居、柱立、精鉋、棟上の吉日は、陰陽の頭に課せて之を定め下さる可し、次に樹木の事、梅、桃、李、楊梅、枇杷、杏、栗、柿、梨子、椎、榛、柘榴、棗、樹淡、(木練、)柚柑、柑子、橘、雲州橘、橘柑、棆檎、柚以下、心の及ぶ所尋ね殖ゑしめ候ひ訖ぬ、猶御日記を以て仰せ下さる可く、諸事御左右に随ふ可し、又申し入る可き子細候と雖も、御領田堵、土民、名主、庄官等、野心を存ずるの間、条々末落居に候、責伏せて後、参上を遂げ、申し入る可く候の旨、披露せしめ給ふ可き者也、恐々謹言
三月十三日
左衛門志橘
進上 玄蕃允殿 御返報
久しく案内を啓せざるの間、不審千万、何等の御事候哉、抑御領興行の段、黎民の竈には朝夕の煙厚く、百姓の門には東西の業繁し、仁政の甚しきが致す所也、賞罰厳重に人の堪否を知る、理非分明に物の奸直を糺すは、万民の帰する所也、心に寛宥の扶を存じ、強ちに其侘際を好ざるは、所領静謐の基也、毛を吹て過怠の疵を求む可からず、凡そ先日仰せ下さるゝ、市町興行、廻船着岸の津、并に狩山、漁捕、河狩、野牧の事定めて遵行せらるる歟、市町は辻子小路を通し、見世棚を構へしめ、絹布の類ひ、贄菓子、売買の便り有るの様に相計らはる可き也、招き居ゑ可き輩は、鍛冶、鋳物師、巧匠、番匠、木道并に金銀銅の細工、紺掻、染殿、綾織、蚕養、伯楽、牧士、炭焼、樵夫、檜物師、轆轤師、塗師、蒔画師、紙漉、唐紙師、笠張、蓑売、廻船人、水主、梶取、漁客、海人、朱砂、白粉焼、櫛引、烏帽子(織)、商人、沽酒、酢作り、弓矢細工、深草の土器作り、葺主、壁塗、猟師、狩人、猿楽、田楽、師子舞、傀儡子、琵琶法師、県御子、傾城、白拍子、遊女、夜発の輩、并に医師、陰陽師、絵師、仏師、摺(師、経師)、縫物師、武芸、相撲の族、或は禅律の両僧、聖道浄土の碩学、顕教密宗の学生、修験の行者、効験の貴僧、智者、上人、紀典仙経の儒者、明法明経道の学士、詩歌の宗匠、管弦の上手、引声短声の声名師、一念多念の名僧、検断所務の沙汰人、清書草案の手書、真字仮字の能書、梵字漢字の達者、宏才利口の者、弁舌博覧の類い、王給、仲人等尤も大切也、屑有るの族を招き居へ、公私の役に召し仕わる可し、毎事後日を期し候、恐々謹言
卯月五日
前采女正
中務丞殿
仰せ下さるゝの旨、畏て拝見仕り候ひ畢竟ぬ、抑先度の御事書に就て、芸才七座の店、諸国の商人、旅客の宿所、運送売買の津、悉く遵行せしめ候、交易、合期、公程の潤色何事か之に如ん哉、定役の公事、臨時の課役、月迫の上分、節季の年預、更に遁避す可からざる歟、凡そ京の町人、浜の商人、鎌倉の誂物、宰府の交易、室兵庫の船頭、淀河尻の刀禰、大津坂本の馬借、鳥羽白河の車借、泊々の借上、湊々の替銭、浦々の問丸、割府を以て、之を進上し、俶載に任せて之を運送す、次に、大舎人の綾、大津の練貫、六条の染物、猪熊の紺、宇治の布、大宮の絹、烏丸の烏帽子、室町の伯楽、手島筵、嵯峨の土器、奈良刀、高野剃刀、大原の薪、小野の炭、小柴の黛、城殿の扇、仁和寺の眉作り、姉小路の針、鞍馬の木牙漬、醍醐の烏頭布、西山の心太、此外、加賀絹、丹後精好、美濃の上品、尾張の八丈、信濃の布、常陸の紬、上野の綿、上総の鞦、武蔵鐙、佐渡沓、伊勢の切付、伊予簾、讃岐円座、同じき檀紙、播磨椙原、備前刀、出雲の鍬、甲斐の駒、長門の牛、奥州の金、備中の鉄、越後の塩引、隠岐の鮑、周防の鯖、近江鮒、淀鯉、土佐の材木、安芸の榑、能登の釜、河内の鍋、備後の酒、和泉酢、若狭椎、宰府の栗、宇賀の昆布、松浦の鰯、夷の鮭、奥漆、筑紫穀、或は異国の唐物、高麗の珍物雲の如く、霞の如し、交易売買の利潤は、四条五条の辻に超過す、往来出入の貴賤は、京都鎌倉の町に異ならず、凡そ御領豊饒にして、甲乙人福祐せしめ、屋作家風尋常にして、上下已に神妙也、急ぎ居御下着有て、高覧有る可き歟、須く御迎の夫力者を催し進ずべき也、恐々謹言
卯月十一日
中務丞日奉
進上 采女正殿 御返事
良久しく面謁を隔つ、積鬱山の如し、何れの日か朦霧を披ん哉、面談に非んば、更に之を謝す可からず、併ら参会を期す、抑、関東下向の大名、高家の人々、路次の便りを以て、打寄す可きの由、内々其聞え候、折節草亭見苦敷、資具、又散々の式也、御扶持に預らずんば、今度の恥辱を隠し難し、助成せられば、生涯の大幸也、臨時居の客人、纏頭の外、他無し、率爾の経営、周章の至り、忙然也、無心の所望為りと雖も、縵幕、同じく幕串、高麗端の畳、深縁の差筵、屏風、几帳、翆簾、恩借せられば、人夫を以て之を送り賜ふ可し、此外打銚子、金色の提、青漆の鉢、茶碗の具、高坏、懸盤、引入れ合子、皿、盞、油、蝋燭、鉄輪以下、注文を進じ候、悉く以て借し預らば夫丸を進ず可き也、家人若党并に家来の仁等、皆以て無骨の田舎人に候、配膳、勧盃、料理、包丁、或は盛物以下、故実の職は、一両輩雇しめ給ふ可き也、万事父母の思ひを成し奉り畢ぬ、敢て以て棄損せらる可からず、併ら参拝を期す、不具、恐々謹言
五月九日
左京進平
進上 蔵人将監殿 御館
不審の処に、玉章忽に到来す、更に余鬱を貽すこと無し、便宜を以て徘徊せられば、尤も本望に候也、抑客人光臨結構、奔走察し奉り候、借用せらるる所の具足等、所持の分に於ては、之を進じ候、燈台、火鉢、蝋燭の台、注文に載せられず候と雖も、進ずる所也、能米、馬の大豆、秣、糠、藁、味噌、醤、酢、酒、塩梅、并に初献の料、海月、熨斗鮑、梅干、削物は、干鰹、円鮑、干蛸、魚の躬、煎海鼠、生物は、鯛、鱸、鯉、鮒、鯔、王余魚、雉、兎、鳫、鴨、鵠、鶇、鶉、雲雀、水鳥、山鳥一番、塩肴は、鮎の白干、鮪の黒作り、鱒の禁割、鮭の塩引、鯵の鮨、鯖の塩漬、干鳥、干兎、干鹿、干江豚、豕の焼皮、熊掌、狸の沢渡り、猿の木取、鳥醤、蟹味噌、海鼠腸、琢(正しくは魚篇)鰭(うるか)、鱗、烏賊、辛螺、蛤、蛯交の雑喉、或は、之を買ひ貮(元字は人篇)り或は之を乞ひ索め、進ぜしめ候、猶以て不足の事候はば使者を給ふ可き也、恐々謹言
五月日
大夫将監大江
左京進殿 御返事
此間は、連々の物総(元字は糸篇無し)に依て、互に密々の雑談を忘る、誠に不慮の至り也、抑既に静謐に属するの間、鵜鷹逍遥の為に、参入せしめんと欲し候の処、謀叛、反逆の凶徒、籌策を廻し、盗賊狼狽の悪党を引卒して、国々に蜂起せしめ、山賊、海賊、強竊二盗の徒党、所々に横行せしめて、人の財産を奪取り、土民の住宅を追捕し、旅人の衣裳を剥ぎ取るの間、誅罰追討の為に、大将軍、方々に発向せらるゝに依て、当家の一族同じく彼の戦場に馳せ向ひて、城郭を破却し、楯籠る所の賊徒を追罰して、要害を警固す可しと云々、之に依て近日進発せしめんと欲し候処、此間戦場の武具乗馬以下、員を尽して失ひ候ひ訖ぬ、着棄の鎧、宿直の腹巻、并に御乗替等、御助成候はば然可き也、今度の出立は、当家の眉目、一門の先途也、門葉の人々、粉骨の合戦を致す可きの旨、約諾せしめ候、若し、存命仕り候はば、再会の時申し入る可く候也、就中、将軍家の御教書、厳重の上、幌、御旗等を下し給るの間、内戚外戚の一族、一揆せしむる者也、且は戦功の忠否に依り、且は軍忠の浅深に随て、朝恩に欲す、譜代相伝の分領、一所懸命の地に於ては、相違有る可からざる者を哉、余命を顧みざるに依て、心底を残さず候、併ら御許容を仰ぐ、恐々謹言
六月七日
勘解由次官小野
謹上 後藤兵部丞殿
只今、使者を以て申さしめんと欲し候の処、遮て音信に預り候の条、本懐に相ひ叶ふ者也、殊に以て喜悦々々、抑戦場御進発の事、夜前始めて奉り候所也、綸旨、院宣は、大底の規式、令旨官府宣は、今の指南に非ず、大将軍、副将軍の御教書、傍輩軍勢、催促、信用の限りに非ず、将軍家の御教書、執事の施行、侍所の奉書は、規模也、且は佳例、且は先規也、申沙汰せらる可し、反逆の輩に於ては、後昆の為に、与同張本の族を貽さず、之を誅せられ、強竊の党類に至ては同意贔屓の徒党を尋ね捜て、搦捕らる可し、凡そ生虜分取は、軍忠の専一、軍旅の高名也、能々用意せらる可き也、次に武具の事、見苦敷候と雖も、紫糸、青黄糸綴、卯の花威、黒糸の鎧、赤革黄革の腹巻、唐綾、小桜、黒革威、大荒目の筒丸、フシ(木篇に君)縄目、紺糸綴りの腹当、星白、竜頭、四方白の胄、各一刎、同じき色の袖、并に手蓋、臑当、半首、垂懸、鍍袴、逆頬、箙、胡録(元字は竹冠)(やなぐい)、石打の征矢、筋切府、妻黒の箆矢、鵠、トウ(年に鳥)、鶴の本白等、尻籠、鷹の羽の鳫俣、鷲の羽のトガリ(峰の山に替り金篇)矢、各腰当を相具す、弓は、本重藤の塗籠、糸裹等也、絃巻を加へ畢ぬ、太刀は、兵庫錙の鳥頸、皆彫物也、粢鍔、并に金作りの左右巻、白柄の長刀、同じき手鉾、馬は、連銭葦毛、柑子栗毛、烏黒、ヒバリ(倉に鳥)毛、ツキ(年に鳥)毛、糟毛、鹿毛、青鵲、河原毛、髪白、月額、葦毛、鮫、雪踏等、皆舎人、飼口を相ひ副へ、黄副輪の螺鞍、白橋、黒漆りの張鞍料の鞍橋、金地の鐙、白磨の轡、大形の鞦、細筋の手綱、腹帯、豹の皮、クジカ(鹿に章)の鞍覆、虎の皮、鹿子の切付、水豹、熊の皮の泥障、鞭、差縄等、御餞の為に之を進じ奉り、兵糧の八木、鞍替の糒袋、行器、野宿の料の雨皮、敷皮、油単等の雑具、心の及ぶ所、之を奔走す、兼ては又、定めて存知せらるゝ歟然而れども、先懸分捕は、武士の名誉、夜詰、後詰は、陣旅の軍致也、一命を棄て、粉骨を竭さるれば、証判の状に載て、後胤の亀鏡に備へらる可き也、心の及ぶ所、猶以て尋常の具足を尋ね進ず可きの処、境節所々の総(糸篇無し)劇に、大略此式也、諸事御帰宅の時を期し候、恐々謹言
六月十一日
兵部丞丹治
謹上 勘解由次官殿 御報
恐れ乍ら申し入れ候、不慮の外に、傍輩の所営に駈加へられ候間、微力の覃ぶ所、東西に奔走せしむるに依て、寸暇を得ず、直に愚状を捧じ候、自由の至り御意を得て、内々洩し申さる可き也、抑、来廿日比、勝負の経営の事候、風流の為に入る可きの物、一に非ず、紅葉重、楊裏の薄紅梅、色々の筋、小隔子の織物、単衣、濃紅の袴、唐綾、注文の唐衣、朽葉、地紫の羅、袙、浮文の綾、摺絵書、目結、巻染、村紺、掻浅黄の小袖、同じき懸帯、蒔画の手箱、硯篋、冠、表の衣、直衣、水旱、狩衣、烏帽子、直垂、大口、大帷、太刀、長刀、腰刀、箙、胡録(竹冠)、大星の行騰、房鞦、牛の胸懸等、上品に非ずと雖も、注文に任せて、相違無きの様に申し下さる可き也、恐々謹言
七月五日
左衛門尉大中臣
進上 宮内少輔殿
薄紙払底の際、反古を用ゐ候所也、更に軽賤の儀に非ず、抑、申し入れらるる用物の事、目録に任せて下さるる所也、用竭て後は、急ぎ持参せらる可き也、但し単衣の文、要用の分は、指合候の間、練色の魚竜、白張の裏衣二重、注文の外に、使者に属す、申し入れらるる分は、長絹素絹の袈裟、精好薄墨の衣、法服、錦の七条、裳、横尾、鈍色の下の袴、鐃鉢、錫杖、鈴、仏具、如意、香炉、水精の半装束の珠数、帽子、直綴、鼻高、草鞋、竜虎梅竹の唐絵一対、并に横笛、笙、篳篥、和琴、琴、琵琶、方磬、尺八、大鼓、鞨鼓征鼓、三の鼓、調拍子、振鼓等、同じく之を尋ね下さる、用竭き、事終らば、生涯の不覚也、存知せらる可き者尾歟、恐々謹言
七月日
宮内少輔清原
謹上 左衛門尉殿
下着已後久しく案内を啓ざるの条、殆んど往日の芳恩を忘るゝが如し、頗る胸中の等閑に非ず、只自然の懈怠也、恐れ入り候、抑洛陽静謐、田舎無為は、貴辺の御本望也、愚身の快楽察せらる可き也、其に就て、御引付の沙汰行はれ候歟、所領の安堵、遺跡の相論、境を越し違乱の間、参訴を致さんと欲するの処に、此間疲労、所領の侘祭(人篇)合期し難く候、貴方の扶持を憑で、代官を進ず可く候也、短慮未練の仁、稽古せしめんの程、御詞を加へられずはあ越度出来せん歟、草案土代を書き与へられ、奉行所に引導せられば、恐悦に候、引付問注所の上裁勘判の体、異見議定の趣、評定衆以下、之を注し給ふ可し、御沙汰の法、所務の規式、雑務の流例、下知成敗、傍例律令、武家の相違、存知仕り度候、晩学に候と雖も、蛍雪讚仰の功損かる可からず、古き日記、法例の引付を借し給り、一見を加へ、不審の事に於ては、尋ね明む可く候也、右筆等叶ひ難しと雖も、雑訴の風情計は、管見の窺を成し度候、心事腐毫に及ばず、併ら、面拝の次を期す、恐々謹言
七月晦日
加賀大掾和気
謹上 民部大輔殿
指したる事無きに依て、常に申し通ぜず、疎略の至り、驚き入り候の処に、芳問に預るの条、珍重々々、日来の本望、忽以て満足に候ひ訖ぬ、庶幾、何事か之に如ん、四海泰平、一天静謐の事、人々の攘災所々の幸祐也、御沙汰の事既に厳密に執り行はるる所也、更に停滞豫儀の政道に非ず、訴詔は、悠々緩怠の儀之有る可からず、御在洛は費也、活持の計略を用意せらる可し、先づ挙状代を進ぜられば、公所の出仕、諸亭の経廻、図師を申す可き也、奉行人の賄賂、衆中の属託、上衆の秘計、口入、頭人の内奏、贔屓、機嫌を窺ひ、之を申す可し、譲状の謀実、境を越る相論、未分甲乙の次第、譜代相伝の重書等は、引付方に於て御沙汰に逢せらる可き也、頭人、上衆、闔閤、右筆、奉行人等、終日の御評定と為て、窮屈有りと雖も、更に休息無く、之を勘判せらるる也、問注所の賦り、闔閤の重賦に就て、執筆、問状の奉書を訴人に書き与ふるの時、両度に及で、無音たらば、使節に仰せて、召府を下され、違背の散状に就ては、直に訴人に下知せられ、召し進ぜしむるの時は、訴状を封じ下させられ、三問三答の訴陳状を調へ、御前に於て、問答対決を遂げ、雌雄の是非に任せて、奉行人、事書を取捨せしめ、引付方に於て御評定の異見を窺ひ、成敗せしむる所也、問注所は、永代の沽券、安堵の年記、放券の奴婢、雑人の券契、和与状、負累証文等の謀実、之を糾明す、管領寄人、右筆奉行人等の評判也、奉行人、差府方の与奪を得て、当参の仁には、書き下しを成し、下国の時は、奉書を下す、而るに無音の時は、使者の召文を下し、訴陳状を調へ、当所の執事、管領、奉行人等に相ひ対して、問答を致し、沙汰を披露し、探題の異見に就て、下知を加ふる所也、侍所は、謀叛、殺害、山塊両賊、強竊二盗、放火、刃傷、打擲、蹂躙、勾引、路次の狼藉、闘諍、喧嘩等也、管領、執事、奉行人、之を検断す、所司代、訴状を右筆に賦るの時、小舎人或は下部等を以て、犯人を召出し、侍所に於て申詞を記録し、言色体の嫌疑に依て、犯否を糾明するの時、所犯既に遁るる所無くんば則ち之を召し籠め、或は推問、拷問、拷扨等に及で、之を尋ね究め、与同の党類等を尋ね捜て斬罪す可くんば、之を誅せられ、徒罪す可くんば、之を禁獄し、流刑す可くんば、流帳に記せらる、此外火印追放以下、辜の軽重、其人の是非に随て、之を行はる、次に寺社訴詔は、本所の挙達に就て、之を是非せらる、越訴覆堪は、探題管領の与奪に依て、之を執行る、事を庭中に奏し、家務恩賞方法の規式、勝計す可からざる也、其旨趣、具に紙上に尽し難し、御上洛の時、心の及ぶ所、粗申さしむ可く候也、恐々謹言
八月七日
散位長谷部
謹上 大掾殿 御返報
去んぬる比、御札に預り候の処に、他行の間、即御返事を申さず候条、本意を失ひ候、将軍家若宮御参詣の事、供奉の日記或方に借用せられ候、後日に、態と進ず可き也、其体、殆んど関東鶴が岡の八幡宮参詣に超過せしめ候ひ訖ぬ、路次は八葉の御車、後車の公卿一人、騎馬の殿上人、前駈扣馬、北面等、美々敷綺羅天に耀き、陳頭奇麗、花を散す、狩衣、水旱、供奉の人の浄衣、白き直垂、布衣の景勢、衣文当りを撥ふ、好粧目を驚かす、家の文、当色、色々の狂文、色節を尽し金銀を鏤め、凡そ、中間、雑色、舎人、牛飼等に迄るまでに、花を折り、色を交ふ、就中、後陣の武士、警固の勇士、色々の甲冑、思々の鎧、直垂、馬鞍、弓、胡録(竹冠)、重代の重宝を着し、新調の美麗を用ふ、門外自りは前後の随兵、上下に番ひ、左右の太刀帯、二行に列り、御帯刀の役人、御調度懸の人、弓手妻手に相並んで、之を扈従す、御迎の伶人は、楽妓を調て羅綾の袂を陣頭に翻し、御前の舞人は、徑婁(両字とも篇は鼓)を打ち、舞行の踵を庭上に峙つ、禰宜、神主は幣帛を大床に捧げ、別当、社僧は、経の紐を玉の甍に解き、巫、八乙女は、裙帯を曳て透廊に舞ひ遊ぶ、職掌の神楽男は、調拍子を合はせて、拝殿に祗候す、加之臨時の陪従、当座の神楽、朝倉返しの詠ひ物、拍子の本末を調へ、礼奠に賽して如在の儀を致す、神感の興、厳重の態、誠に以て掲焉也、耳目の及ぶ所、禿筆に遑あらず、只高察を仰ぐ而巳、恐々謹言
八月十三日
左衛門尉
謹上 大内記殿
御法談の後、常に参拝仕る可きの旨、相存じ候処に、公私の総(糸篇無し)劇に依て、懈怠せしむるの条越度の至り、仏意冥慮を背いて、改悔の外、他無く候、抑近日、仏事大法会を執り行ふ事候、貴寺の長老を拝請し、当日の唱導に定め申し度相存じ候、侍者、聴斗(元字は口篇)、請客、頭首計りを召し具せられ、光臨候はば、力者駕輿丁を進ず可く候、御供養有る可き条々、精舎一宇、三重の塔婆、金堂、多宝塔、経蔵、鐘楼、食堂、休所、惣門、二階、湯屋、風呂、僧坊、金色の等身の如来、白檀座像の菩薩、各脇侍二天之を刻彫す、細金彩色の絵像各一鋪、薄濃の墨画一対、書写摺写の妙典、転読の般若、読誦の経王、懃行の秘法、唱満陀羅尼、念誦真言、称名念仏、九旬の供花、一夏の持斎、禅律抖数(元字は手篇)の行人等、接待、千僧供養、非人施行等也、但し仏布施并に被物、禄物等、用意軽賎也、只御助成に擬て、之を執行致す可し、御讃嘆の儀に非ずと雖も、啓白計りを以て、一磬を鳴さる可く候也、一向御哀憐を仰ぐ、恐惶敬白
九月十三日
沙弥
進上 侍者御中
芳札の旨、披見せしめ候ひ畢ぬ、誠に御給仕有る可きの旨誓願せられ候歟、今に懈怠の条凡情常の業障也、尤も謝せらる可き者也、唱導の事申し入れ候処に、其期に臨で、千輿御迎に給ふ可き也、善根の事、兼日に諷誦願文を進ぜらる可し、仏像経巻讃嘆は、子細有る可からず候、堂塔供養并に法花八講は、大法会の儀式に相当る歟、法服登高座大行道塔有る可し、聖道の名僧を以て、其節を成さる可し、講師、読師、注記、竪者、証義、探題并に唄散花、梵音、錫杖、対揚、呪願師等、尤も加請せらる可き者也、伶人舞童の儀式、殊に大切也、法会の指南之を以て先と為す、用意せらる可き物は、縁道の絹、講坊の薦、縵幕、大宝の高座、繪蓋、瓔珞、如意、香炉、香箱、白蓋、白払、法螺、焼香、造花、卓机、臨時の纏頭は、左道の儀也、周章無きの様に、兼日に調へ置かる可き也、心事多しと雖も、紙面限有り、只御意を得て認めらる可き歟、委細、見参の時を期し候、恐々謹言
九月十三日
侍者
平入道殿 御返事
入院の新命、退院の西堂久しく相看申さざるの間近日招請申す可く候、次に且は看経の為、且は諷経の為、大斎を行はしむ可く候、同じくは、結夏以前然る可き時分に候、禅律の僧衆、諸寺諸社の聖道衆徒、屈請申す事に候也、但し時、点心の作法、僧物布施の次第、無故実に候、調菜の仁、古老の行者等の中に、器用の仁、定めて存知せしめ候歟、委細示し給ふ可く候、禅家には、堂頭和尚、長老、東堂、西堂、并に知事方には、都寺、監寺、維那、副寺、典座、直歳、都管、都聞、修造司、堂司、浄頭、頭首方には、前堂後堂の両首座、書記、蔵主、知客、浴主、焼香、書状、請客、湯薬、衣鉢等の侍者、此外耆旧の諸僧、塔頭の坊主、旦過の僧、山主、菴主、沙弥、喝食、行者方には、参頭、副参、望参、供頭、堂主、庫司、炭頭、調菜の人工には、兄部、出納、山守、木守、門守、園頭、火鈴振等也、律僧には、長老、知事、典座、沙弥、八斎戒、人工法師塔也、聖道には、一寺の検校、執行、別当、長吏、学頭、座主、院主、執当、先達、阿闍梨、法橋、法眼、律師、僧都、法印、僧正、山の目代、大勧進、小勧進、小別当、得業、内供奉、已講、堂達、預、専当、勾当、都維那、寺主、上座以下、承仕、宮司等、其外、有職僧綱僧徒等、猶以て禅家方には、相伴羅(元字は口篇)斎の僧、陪堂外僧堂の輩、尚以て聖道には、従僧駈使の同朋、推参の道俗、臨時の客人也、人数に任せて点心と云ひ、布施物と云ひ、臈次を糺して上下の品を注し給はる可き也、諸事御才学の外憑む所無し、心底貽さず、之を示さるれば、尤も以て本望に候也、兼ねて又、先日申し入れ候所の掛塔僧の事相違無く、御許容に預らば、畏り入り候、此旨を以て、御披露有る可く候、毎事参拝の次を期し候、恐惶謹言
十月三日
沙弥
進上 衣鉢侍者禅師
御札の旨承り候ひ畢ぬ、大斎の事、心事申し尽し難く候、抑調菜人等の事、然る可き仁無く候の間、粗愚才に任せ、注進せしめ候、御布施物の事、被物、禄物等、之を略せらる可き歟、長老西堂には、綾紫の小袖、一重充、素羅、青番羅、花番羅、三法紗、顕紋紗、并に黄草布、一二端、上品の紬塔、知事方には、素紗の梅花并に襖単衫の絹、花彦(糸篇)、木綿等各一つ配、頭首方には、素紗の衣、袈裟、各一帖、此外帽子、履、襪子(したうづ)、主(手篇)杖、脚榻(きゃたつ)、手巾、布衫、鉢盂巾、脚布、助(竹冠)匙(はしかひ)、木綿の肚脱、蒲団、花瓶、香炉、香合、香匙、火助(竹冠)(こじ)、蝋燭、竹篦、曲禄、法被、打敷、水引等、頭首以下に加布施せらる可き也、点心は、水繊、紅槽、糟鶏、鼈羹、羊羹、猪羹、笋羊羹、驢腸羹、砂糖羊羹、饂飩、饅頭、索麺、碁子麺、水団、巻餅、菓子は、柚柑、柑子、橘、熟瓜、沢茄子等、時の景物に随ふ可き也、伏兎、鈎煎餅、焼餅、粢、乞興米、索餅、糒、粽等、客料の為に、用意せらる可し、御時以前に調へ置かる可し、茶椀(元字は木篇に完)の具は、建盞、天目、胡盞、饒州椀、并に木椀、茶器、八入の盆一対、茶瓢、茶箋、茶桶、茶巾、茶杓、兎足、湯瓶、鑵子、雷(木篇)茶、茶磨等并に折敷、追膳、楪子、豆子、皿等、同副整へらる可き也、御時の汁には、豆腐羹、辛辣羹、雪林菜、三和羹并に薯蕷、笋蘿蔔、山葵、冷汁等也、菜は、繊蘿蔔、蒟蒻、煮染の牛房、昆布、烏頭布、荒布、黒煮の蕗莇、蕪の酢漬、茗荷、薦の子、蒸物、茹物、茄子、酢菜、胡瓜、甘漬、納豆、煎豆、茶、苣(ちしや)、園豆、芹、薺、差酢の若布、青苔、神馬藻、海雲、曳干、甘苔、塩苔、酒煎の松茸、滑茸、平茸の鴈煎等、体に随うて、之を引く可し。時以後の菓子は、生栗、搗栗、串柿、熟柿、干棗、花梨子、枝椎、菱、田烏子、覆盆子、百合草、野老、零余子等、御自愛に随うて、之を用う可し、請暇、病暇、寮暇、暫暇の僧衆、定めて浦山敷思はる可き歟、点心の料、送り進ぜられば、膳無遮の御計い為る可き也、所望に依て粗之を示し、巨細は相伴に参ぜしめんの時計い申す可き也、恐々謹言
十月三日
某
雅楽佐入道殿
此間持病再発、又心気、腹病、虚労等更発、旁以て療治灸治の為に、医骨の仁を相尋ね候と雖も、藪薬師等は、間見へ来り候歟、和気、丹波の典薬、曾以て逢ひ難く候、施薬院の寮に然る可き仁有らば、挙達せらる可き也、針治、湯治、術治、養生の達者、殊に大切の事に候也、此辺に候輩は、脚気、中風、上気、頭風、荒痢、赤痢、内痔、内焦(病だれ)、腫物、癰疔、瘧病、咳病、疾歯、膜(元字は目篇)等は形の如く見知り候、癲狂、癩病、傷風、傷寒、虚労等は、才覚鳴く候、同じくは擣徒(竹冠)合薬瀉薬補薬等本方に任せて、名医の加減を以て、一剤を合せ服せんと欲す、此条尤も本望也、禁好物の注文、合食禁の日記、薬殿の壁書に任せて、写し給ふ可き候、万端筆を馳難き歟、併ら面拝を期す、恐々謹言
十一月十二日
秦の某
謹上 主計頭殿
玉章を披て、厳旨を窺ひ、御用望既に分明也、仰の如く、当道の名医は、奔走有る可き也、権に侍医の道、一流の書籍を読み明め、療養共に、名誉の達者、抜群の仁に候、但し渡唐の船久しく中絶に依て、薬種高直に候の間、大薬秘薬は、斟酌の事候、和薬を用ゐられば、参す可き也、五木八草の湯治、風呂、温泉等は、指せる費無し、凡そ房内の過度、濁酒の酩酊、睡眠の昏沈、形儀の散動、食物の飽満、所作の辛労、恋慕の労苦、長途の窮屈、旅所尾の疲労、閑居の朦気、愁歎の労傷、闕乏の失食、深更の夜食、五更の空腹、塩増の飲水、浅味の熱湯、寒気の薄衣、炎天の重服、皆以て禁忌の事に候也、御意を得て、養生せらる可き也、恐々謹言
十一月日
磯部の某
進上 宮内少輔殿
御任国の後、烏兎押移て、遥に面拝を遂ざるの間、頗る往日の昵近を忘るゝが如し、随て、御上洛の処、御音信に預らず候の条、密契其甲斐無し、隔心の至り、憚りを存ずと雖も、試に、推望に及ぶ、御気色如何、然れども、国の土産、旅籠振等、袷と云ひ、恰と云ひ、日を点じて何れの比ぞ哉、兼日に示さるれば、他行を止む可し、且は任国の間在庁の官人等の所行、府辺の被官の輩の景勢、着任着府の儀式、官使大奏の饗膳、厨の規式、両様の納法、郡司、判官代等の沙汰、才覚の為に、示し給ふ可き也、稽古の為巨細奉り度候、何様面謁を遂げ、心事啓達す可き也、恐々謹言
十二月三日
隼人佑
謹上 越前守殿
御消息忽に披閲、珍重々々、甚だ玉珠を得るが如し、参拝に非んば、之を謝し難し、抑遼遠の間、輙く音信を通じ難きに依て、思ひ乍ら光陰を馳す、遺恨深長也、何れの時か之を謝せん、則ち案内を啓す可きの処に、路次の疲労、長途の窮屈、只茫然の外、他無し、恩問に依て、驚かさるゝ所也、入境着任の儀式、着府吏務の法儀殊なる子細無し、在庁人等、日並の出仕、恒例の奉行人等、等閑無し、椀飯盛物積物以下、時節の景物を尽し、雑事厨種々の美物を調へ、庁庭の経営、留守所の結構、市を成すが如し、国の遵行の事、大介、税所文書を留記す、公文、田所の結解、勘定、書生、判官代の勘文覆勘、郡司、権の守の日記、目録、国宰、小目代の催促、廻文、下司、郷司、公事の引付、徴使、定使の給分、交分、宛文、名主百姓の請取返抄、臨時の点役の証跡、御服の貢絹、調進、准布、済例、別納、直進の請文、租穀、租米の送状、納所の率法、収納、徴納、済期、現物、色代の償、来納過上の准拠、旱水両損の検田、不熟、損亡の勘注、算用、散失の都合、勘合、敢て其煩ひ無し、加之諸社の神拝、宮々の奉幣、寺社の入堂、節々の法会、連々の仏事、先例を守て、怠慢無き也、惣て、異儀の藜民無くして、納法の利潤莫太也、難済の郷保無くして、土貢の現利巨多也、万事、雅意に任せ、一として違乱無し、心事多しと雖も紙面に尽し難し、併ら後日を期す、恐々謹言
十二月三日
越前守磯部
謹上 隼人佑殿
此一冊、河内守中原師象書 仮名以2証本1模2写之1加点畢
今ハ主之内ケ嶋小野氏
ときに天文第六稔仲呂上浣、遂2写功1
主之伊藤正蔵
今ハ九郎
(岩波書店刊『庭訓往来・双句集』新日本古典文学大系52を底本としました。)
庭訓往来抄
庭訓往来抄(抜粋)
寛永以前の注記。()内は新たな注記。
庭訓往来(ていきんのおうらい)
右、庭訓と名くるは、伯鯉魚庭を廻りて詩礼之訓を問ふに本づく也。鯉魚の庭を過ること已に二度也。故に私に之を二庭訓と謂ふ。鯉魚、童蒙にして聖父之庭の訓を受く。蓋し此書童蒙之人に示さんが為め也。然るに以て十二月を分て之を制る。故に文章は時節之風物を記す也。官位に依て筆位の文章を宣む也。后代に之を畏るべし。君子は此書を以て官の高卑之上に書様有ること、次第之を弁ずべき也。往来とは辞の往来歟。或は一書彼に往き、一書此に来るの義也。又文の返事有るに依る也。或は古往今来を云ふ義これ有る也。(庭訓を、「父が子に与える教訓」ひいて「家庭教育」と、現代では解している。)
朔日元三の次を以て急ぎ申す可きの処(さくじつがんざんのついでをもっていそぎもうすべきのところ)
朔は蘇也、生也、革也。推して知る可し。晦は无也、灰也。灰は死也。一月終死之義也。日月は地神第三、天津彦火々瓊々杵の尊の御宇より始る也。元とは始也。且を云ふ也。三は歳月日の始め也。三日を用ることは上古には正月の祝を廿日に及ぶ也。中比より、余りに長き故に、十五日又は三ヶ日に縮むる也。急とは君礼を早るを云ふ也。△志賀寺の聖人、二条の院の后を御覧あつて、恋の病となり玉ふ時、二条の院の后を寺へ登せ御申ある時、聖人の后の手を取て歌に曰く、初春の初子の今日の玉箒手を取るからにゆらく玉のを。亦后の返歌に曰く、いざさらばまことの道にかないなば我共ないてゆらく玉のを。△正月初子の日玉箒を百官に下さる、融く玉の緒とは延命千秋万歳と云ふ。便疏論語に曰く、朔は蘇也、革也、あらたまると読む也。(「元三」は、年の始、月の始、日の始の事で、つまり正月朔の事。)
人々子の日の遊びに駈り催さるゝの間(ひとびとねのびのあそびにかりもよおさるるのあいだ)
人々とは公家殿上人也。子の日は正月初子也。摂家には初子に南都に出づ、風雨雪霜に犯されざる為なり。又、泰山府君を此日祭る也。泰山府君は南極寿星の老人の事也。或は初子に祭ることは、天子は庶民の上、子は十二支の上也。故に天子に比して祭る也。祭過れば公卿各禁中より東に出て詩歌管弦を用て遊ぶ也。老松に仍て腰を摩り、又三尺の稚松を根引にして五色の糸を以て箒に結び、身を摩で座敷を掃ふ也。是万歳の齢を保つ可き義也。子の日の詩に曰く、松根に椅て腰を摩れば千年の翠手に満てり。同く歌に曰く、子の日する野辺に小松の无かりせば千代の様に何を引かまし。又正月一日より、七日まで日定る也。鶏狗猪羊牛馬人、八日を穀日と曰ふ。荊楚記に見えたり。或る書に曰く、七日を人日と云ふ、五節の初也。節は若菜の節と為す、此日七種の菜を作り之を食する則んば人病患无き也。七草は、芹、薺、勤、荊、箱平、仏の座、田苹、須々白、此が七草なり。又、芹、薺、五行、田平子、仏座、須々子、恵(草冠)、是七草也。子の日と人日と一に用ること、中古より以来也。又、正月七日、三月三日、五月五日、八月一日、九月九日、皆悪日と為す。此日蚩无を調伏する也と云ふ。△菅丞相の詩に曰く、松根に倚て以て腰を摩れば、風霜の犯し難きことを習ふ、菜羹を和して以て口に啜れば、気味の克く調ほることを期す。△家持子日に作る、初春の子の日の今日の玉箒手に取るからにゆらく玉の緒。△玉箒の一説には山鳥の羽を五色の糸を以て結て、天子の后の正月初子に簪をなで玉ふ、是を玉箒と云ふ也。△七草歌に曰く、芹薺五行ハコベラ仏の座シラナタナズル此や七草。亦、芹薺五行田平子仏の座須々白箱平等此や七草。△子芹、丑薺、寅五行、卯箱平、辰仏座、巳土筆(シラナ)、午恵(草冠)(タナヅル)、未土筆、申仏座、酉箱平、戌五行、亥薺。買嶋詩に曰く、鶏既に鳴て忠臣旦を待つ、鶯未だ出ずして遺賢谷に有り。(子日遊は、春の野に出て若菜を摘み、小松を根引きする、など、歌や詩の題ともなり正月の行事の最たるものとなっていた。)
谷の鶯の檐の花を忘れ(たにのうぐいすののきのはなをわすれ)
言は、鶯は我宿の寒に依て、人家は暖にして花の咲くを忘るに似たり。谷は寒しと謂ふ可きが為なり。花は、唐には李也、日本には桜を曰ふ、爰には梅を曰ふ也。
草鹿円物の遊(くさじしまるもののあそび)
草鹿は仁王八十三代土御門御宇正平年中に、頼朝富士野御狩也。此時、牧狩稽古の為、鹿を藁茅等を以て作り、足无く胴より上計也。頭を堋に向けて尾を射手の方に向て射る也。足を无くすること草深くして、鹿の足見る可からざる故也。背を見することは、北(にげ)る形也。円物は皮を以て円く張る也。御所の的也。何れも布皮を堋とす、布皮は色々青く七野にすると云へり。又的之表裏に円相を回し、裏に鬼の字を書く也。的は蚩尤が目を象る也。南山にして蚩尤を攻め伏する也。故に南山と書て南山(あづち)と読む可き也。
恐々謹言(きょうきょうきんげん)
敬白は、謹言より上也。又、頓首は至て敬恭也。墨黒に真に書くは、賞翫也。恐々と書く事、俗家より出家へは恐々敬白と書く可し。其の余は、真草行の上中下有り。被官には恐々と書く可からず。恐々謹言の字、草に書く可き也。
正月五日(しょうがついつか)
恐々と書くより、三行(くだり)奥に書く也。
左衛門尉藤原(知貞)(さえもんのじょうふじわら)
官位唐名等、職原に在り、官を姓の上に書くことは、官を賞翫之義也。藤原、仁王三十九代天智天王の時、鎌足の大臣始て藤原の姓を賜ふ也。△判は貴には右、卑には左、同輩には下に書く可き也。○或は曰く、藤原は仁王卅九代天智天王の時、鎌足の大臣の母、玉門より藤生じ、日本国に蔓こる、花咲くを(異本「花咲くと夢に」)見て懐妊して生む、七日と云ふに、白狐鎌の如き物を、来て枕上に置く、仍鎌足(異本「鎌子」)と号す。天智の時の人、其先、天児根の命の末也。入ル鹿の大臣を誅する也。
謹上(きんじょう)
謹上とは賞翫には日付より一字上て書く可し。同輩には日付に双て書く。卑は一字下て書く可き也。○名字を書くも少し料紙の端に書く可し。位の事は上に同くす可き也。
石見守殿(いわみのかみどの)
殿の字、被官等には草に書く可し。上中下有り。内を封ずる事、隠密の状は、礼紙を略して封ずる也。其上に名字官許(ばかり)書く可き也。○状の上は之を包む事、上下の封じ様、上短く下長き也。上書は至て賞翫には、肩に書く。縦へば進上小野大和守殿、御宿所、藤原秀勝、裏には新里紀六と書く可き也。官途すれば姓をば書く可からず。官と名乗りと面に書く可し、裏には名字計書く可し。常の賞翫には、進上、小野大和守殿、御宿所、秀勝と書く可き也。真草行有り。又、状の上を包む事、進上、謹上、書くこと有る可からず。名字許り書く可し。但し同名に紛れば官に仮名を書く可し。御宿所をも書く可からず。我が名は名字計を書く可し。其れも同名粉れば、仮名に官を書く可し。名乗書く可からず、裏書は有る可からざる也。若し文ならば面に小野大和守殿御宿所、裏に新里紀六と書かる可き者也。○我官名乗判書く事は、縦へば正月一日刑部大輔高秀判と書く可し。无官ならば、氏を書く可し、縦へば文屋の高秀判と書く可し。亦、折紙は捻文より略義也。裏書无し。進上、謹上、書くこと无し。日付の下に名乗判を書く也。官名字書く可からず、名乗判の肩に折紙に限り、名字官途仮名を書くと云ふ説有れども、当世は書かざる也。畳目の上に名字仮名を書く也。名乗は書く可からざる也と云ふ。△新里紀六とは、上野国さゑきと云ふ処にて、此書を作る也。彼の左貫に、新里と云ふ名有るに依て、此に書す計也。定るの名に非ざる也。
改年の吉慶、御意に任せられ候の条、先づ以て目出度覚え候(かいねんのきつけい、ぎょいにまかせられそうろうのじょう、まづもってめでたくおぼえそうろう)
歌道には改年と読む也。目出とは、言は、昔し天照大神素戔烏命と天下を争ふ時、天照大神は岩戸に引籠り給ふの間、天下七日七夜暗時(異本「時」なし)と成る也、此の時諸神相談して、岩戸の前に於て万神楽を為し給ふ時、天照大神面白く思食し、戸を少し開て御覧有る、其時大神御目を出すを見て、諸神喜び目出しとし給ふ。是より始る也。太刀雄尊岩戸を取り空に抛つ、是より天下明也。其戸信州戸隠に落る也。故に戸隠と云ふ。太刀雄、今は常州志津の明神是也。△改年のとし立かへる朝より、またるゝものは鶯の声。△世間一百七年九万二千四百八十六年暗穴道と成る也。△七日七夜、其間の久しき事、七万三千三百五十余ヶ日也。
青陽の遊宴、殊に珍重に候(せいようのゆうえん、ことにちんちょうにそうろう)
青は東色也。言は、陽気東より発るの間、青陽と云ふ也。珍重は翫(よろこ)ぶ也。爰には二字ともに翫ぶ也、念比之義也。△珍重とは教経に曰く、尊重珍敬と云ふ、文在り、其を珍重と云ふ也。涅槃経に曰く、もてはやすと読む也。
一種一瓶は、衆中の課役(いっしゅいっぺいは、しゅじゅうのかやく)
種は肴也。東山殿より始る也。瓶は甕(もたい)也。瓶子等也。課は役也。言は、用意を為すの義也。△一種一瓶と云ふ辞は、二条殿より東山殿へ鴨を一対進ぜらる、其時に東山殿より御返事に一種一瓶畏入り候と遊ばさるる間、是より面白き辞也、と云ひ、天下に用る也。△課はをうせ也、役はほねをると読む也。言はほねをりなれども衆中にをうせつけると云ふ義也。
一二に能はず(つまびらかにあたわず)
柳文に曰く、一二は落着せざる辞也。爰も次第に是より申す可しと云ふ義也。△一二は孟子には二三と書てツマビラカと読む也。△一をい二をつて。▲一二をチツカタともよむ。孟子に在る也。
醍醐雲林院の花(だいごうりんいんのはな)
醍醐は山階に在り、真言宗也。梅の道士(地の意)也。雲林院は京に在り、是も梅の道士也。雲林(うりん)と読む可き也。▲醍醐寺は聖宝の開山、延喜の御門行幸あつて、花看る処也。▲醍醐山科に有り、真言宗也。▲[雲林院]京に有る也。唐にはウンリンインとよむ也。和にはウリンインとよむ也。(京の花の名所)
花の下の好士(はなのもとのこうじ)
風流の士也。又詩人歌人也。▲[好士]好は公家也。士は武家也。△好の字の心如何にてもあれ其道をよくし、又このむ也。詩歌をこのむと云ふ也。又よくよむと云ふ心也。
宗匠(そうしょう)
賦物の五字に心有り。宗匠は先達の義也。日本の俗、歌道の達者を指す。▲[宗匠]このむねをあかしたくみにものをするを宗匠と云ふ也。
和歌の達者(わかのたっしゃ)
和は本朝也。本朝は歌を以て其の懐を述ぶ。古今和歌集の序に曰く、素戔烏の命、出雲国に向う時、三十一字の歌有り。歌に曰く、八雲立つ出雲八重垣妻籠て、八重垣作る其の八重垣を。仁王と成て之歌に曰く、灘波津に咲くや此花冬籠り、今を春辺と咲くや此花。是の歌は歌道之父也、と云ふ。▲[和歌]やわらぐる程に歌を和と云ふ也。和同の語の故也。歌道の起は出雲国ひの河上と云ふ処也。▲[雲]紅紫緑五色也。▲[出雲]是は神代の歌の父也。△稲田姫の返歌に云く、日も暮れぬさぐさめのとじはや出でよ、心のやみに我まよはすな、是は仏の卅二相也。一つを除くは我也。△三十一字は、仏三十二相を表し、一を除くぞ我也。▲[とじ]そさのをのこと也。都児。△素戔鳴の出雲国を御通の時、てなづち、あしなづちと云ふ祖父、祖母在り、其の子を稲田姫と云ふ也。政事に彼の姫を犠に備ふる也。其時祖父、祖母、憂深し。是を素戔鳴御覧じて御助あり。其時彼池に舟を浮べ、船中毒水を入れ、舟をかざり、其の上に彼姫を備へ玉ふ時、毒蛇水を食て則死す。又説に、とつかと云ふ剣を以てきるとも云ふ也。
詩聯句(しれんく)
詩は日本には天智天王より始る也。唐には文選に曰く、李陵、字は小卿、初て五言の詩を作る。或は毛詩を以て始と為。詩の字は、摩竺両聖人、三乗十二分教を白馬に負せて、漢の明帝の内裏寺に置く。之に依り白馬院と云ふ。其の後寺を以て白馬寺と号す。寺に忍び恋の心を隠して、示し合せて詩之字を語り取れば、寺の言と書て、二字を一字と作る也。聯句は、韓文を以て始と為る也。▲[置]永平年中也。△[摩竺]摩竺、摩謄、竺法蘭也。三乗、菩薩、声聞、縁覚仏也。
紙上(しじょう)
紙といふ字を糸篇に書くは、漢の代に葵倫、将作大監と為て、布衣を擣て、以て紙を造る。繪帛に代て、今に至るまで之を伝ふ、昔は繪帛を使て文を書く。日本伊豆衆禅寺が初也、と云ふ。
弾正忠三善〈尹陳〉(だんじょうのちゅうみよし)
▲[弾正忠]大小に正六位上下也。旧は諸侯司代也。弾正忠とは京極、赤松の二家より持也。▲[三善]氏也。洛中をあつかう官也。▲大弾正忠、相当正六位上、唐名侍御史、小弾正忠、正六位下。
大監物(だいけんもつ)
▲大小六位、之に禄す。▲大、王城四門を守る也。少、城門郎唐名也。六位、之に任ず。
菅家江家の旧流(かんけごうけのきゅうりゅう)
菅は光仁天王の御宇也。先祖分明に在らず。但し古老伝て曰く、文章博士是善が兄は菅原の院と申す也。黄昏の程に前裁を見るに、五六歳の小童有り。容顔美麗にして只人に非ず。是を呼び、向て聞て曰く、君は誰人の子ぞ、何処より来る、と問ひ給へば、児答て曰く、我は是親も无し、願は菅相を憑み奉る、と云て、則ち子と為り、天王に詣して軈菅姓を賜ふ。然るに才智日に新にして生年七歳と申に始て詩を作り給ふ。菅丞相は上野高田庄、白雲山の下に菅原と云ふ処に、八月四日に化生す。故に今に足跡彼の処に在る也。江家の祖は吉備大臣也。大江の千里是也。故に日本の儒道は菅丞相、吉備の大臣也。▲[古老]朱印悪也。只老人也。▲[菅相]是善い。▲[菅丞相]六十醍醐天王の時人也。▲[吉備大臣]仁王四十五代聖武の時人也。△菅家江家の根本は、昔、仁徳天王の御時、伏見の長風三位と云ふ人子を持つ、此時迄は氏と云ふ事もなし。然るに長風大唐も姓と云ふこと在り。姓を二人の子に賜へと申しければ、其時、兄は津国菅原と云ふ処に居住す。故に菅原姓を賜ふ。弟は大江と云ふ処に住す、故に江姓を賜ふ、此兄弟の流也。
未練(みれん)
未練は鍛練に非ざる義也。或は未練と臆病と相似れども別也。臆は人を畏れ、未練は稽古无き者を云ふ也。△百度練を鍛と云ふ、一度練を練と云ふ。
赤面(せきめん)
△赤面は、人は身人の二つが肝要也。腹立つ時、心が乱るゝ処で赤面也。
監物丞源(けんもつのじょうみなもと)
官は職原に見。源氏は仁王五十六代清和天王より、六番目、貞純の親王より始也。仁王五十六代文徳の御子惟仁、源氏の先祖也。文徳の子、本の后きの子惟高の親王。中宮の后染殿の御子は惟仁親王也。兄弟位争あり。相撲競馬之有り。惟仁の者(者に羽)将(よしまさ)、良雄長け三尺に足らず。惟高の名虎の右丞尉七十五人が力也。彼の両人位争に相撲を取る也。祈祷の為、惟仁、比叡山恵亮和尚を憑で護摩を焚く。平生大威徳明王の加護有る也。惟高は高野山柿本の貴僧正を憑で祈祷する也。是も護摩也。惟仁、思食す様は、我は微力也、叶はずと思て謀を以て、母の染殿泪を流す。僧正の前に至て、申し給ふ様は、和尚は祈叶はずして帰り給ふと申し給へば、其時僧正、早勝と思い油断也。其時、恵亮脳を砕く、二帝位に即く、と云々。和尚壇に当て脳を砕て祈る也。故に惟仁勝也、是の故に僧正思にして死る也。本尊は不動也、不動負くる也。僧正は美人の染殿を見て恋の心を起す歟。惣じて恵亮は勝つ可きが定也。其の故に叡山に四王の灰と云ふ物あり。大江山酒点童子灰と為り封じて山に置く也。負ば此の灰を蒔て鬼神国に成可きが為也、と云々。
四至傍爾の境(しじほうじのさかい)
法意には四至に依らず、町段に依り田地を領す可し。武家は宗として四至を紀さる。但し町段は、尤も四至に依る可し。境の事は式目の時は、公家武家の成敗差別无し。又至は方也。即所帯を云ふ也。傍爾は勝也。言は、境に勝を指して炭を埋む也。故に傍爾と曰ふ。境を分事は仁王卅七代孝徳天王の御宇に始て定め給ふ也。京の地奉行は、白殿也。境を記したる書を安秩(正しくは示篇)定と号して持ち給ふ也。△抄に云、四至は所帯也。四方を分る心也。傍爾は四方の境限也。言は四方の境にふんだを炭を埋む心也。
阡陌(せんぱく)
東西を阡と曰ひ、南北を陌と曰ふ。又、市中の街を陌と曰ふ。▲[阡陌]ちまた/\。[阡陌]たて、せばし。[阡陌]なはてみち。[阡陌]立なわて、横なわて。阡陌は内裏より南北千里を阡と云ひ、東西三百里を陌と云ふ。△広韻に曰く、南北を阡と為、東西を陌と為。(阡陌とは、都市の縦横の街路をいう。)
清廉の沙汰(せいれんのさた)
△清廉と正直と似て別也。廉直は人が狂言にも其方はまぎれめされたなどゝ云へば无興する也。▲[清廉]直れん也、文選云、清廉は、言は、検断批判して是を取ては非を去る、喩へば砂を陶て金を得、沙を陶て米を取るが如き也。地下人が入部の人をもてなすを云ふ也。
地下の目録取帳以下(ぢげのもくろくとっちょういげ)
目録は民の戸口を記す書也と云ふ。▲[地下]朝庭よりは、七位八位の侍をば地下と云ふ也。
黍、粟、麦、稗等(きび、あわ、むぎ、ひえとう)
五穀は楊泉物理論に曰く、黍、稷、麦、稲、胡麻也。穀は実也。続也、命を続(つぐ)と云ふ也。
桑代加地子(くわしろかじし)
桑は百姓、畑山畠の畔に必ず桑を種ゑて、其代をも取らる可き也。加地子は年貢の外に地子を取る也。
自由の依怙を存ず可からず(じゆうのえこをぞんずべからず)
依怙とは、我身を娯むを云ふ也。言は、真実の検法を自由に遂げて我は依怙を為す可からざえう也。△依怙とは身を能々たのむを云ふ也。言は、真実の検法を遂げて自由に我依怙をなさしむまじき也。
斟酌の儀有り(しんしゃくのぎあり)
斟酌は取り行ふと読む也。日本の俗、思慮と為るは誤也。
平門、上土門、薬医門(ひらもん、あげつちもん、やくいもん)
平門は扉の上に横木一つ渡すを曰ふ也。上土とは、両方より土を挙ぐる也。薬医は左右に二つ柱を立て、上を重く、地伏の木には銅を地に埋む也。扉无し也。言は、医者の所には人の往来限无し。其儀を以て、扉无き也。故に薬医門と云ふ也。▲[平門]上に木を一本横に置く也。[薬医門]戸びら无し、夜中にも用る処在るに依て也。
学文所(がくもんじょ)
士たる者、学文所を作り、子弟臣に文を学ばしむ可き事肝要也。爰に小倉将監といふもの在り。歌に曰く、読み書きの殊更入るは弓矢取り急度廻文急度注進と有る也と云ふ。
公文所(くもんじょ)
田所の結解(算用・勘定)を成す所を云ふ也。
政所(まんどころ)
▲沙汰を拵ふ処也。(多義で、荘園の管理事務の役所、国司の政庁、遡ると平安貴族の家政・所領の管理職)
贄殿(にえどの)
犠牲を置く所を云ふ也。▲肴を置く処也。
局(つぼね)
▲女房の居る処也。
部屋(へや)
▲若党の居処也。
四阿(あづまや)
阿屋は材木を置く所、四方に垣无き也。▲材木を置く処也。
桟敷(さじき)
▲物見の座也。
建(手篇)児所(こんでいどころ)
建児は中間の坐敷也。▲髪を結ふ処也。
土蔵(どぞう)
▲俵物を置く所を云ふ也。
文庫(ぶんこ)
蔵庫は屋に盛るゝを庫と曰ふ、地に貯ゆるを蔵と曰ふ。即ち蔵は深く庫は近き也。▲[文庫]武具を置く処を云ふ也。
玄蕃允平(げんばんのじょうたいら)
平氏は仁王五十代桓武天王の太子葛原の親王始る也。
御下文、御教書、厳重の間(おんくだしぶみ、みきょうしょ、げんじゅうのあいだ)
御下文は将軍より所帯を給ふ時、先づ肩に下すと曰ふ字を書く。其の尾次に如何様の忠節に依て、何れの地、如何程と出、分限を書く、判を袖に陶て給ふ也。又教書は、将軍、官領奉行衆と談合して遣る状也。或は本馬殿より出す状也。惣じて将軍より出す状、三也。御教書、奉書、内書也。此の内に御教書は賞翫也。奉書は、将軍の御意を得、奉行人我名判を居へ、我則与ゆる方に、少く奉の一字を書出す也。内書は、奉行と談合せず、将軍の意計に遣る也。又御下文は、御下文と云ふ三字を書く。其下に御判在り。国司より出すを奉書と云ふ。守護より出すを遵行と曰ふ。代官より出すを、打渡と云ふ也。
津湊(つみなと)
日本に三の津、八の浜在り。筑前国に冷泉の津、薩摩の防(坊)の津、伊勢の穴の津也。浜湊は何方とも不定也。
鍛冶(かじ)
日本の俗、鍛冶に為る、大誤也。然りと雖も、今に改め可からず也。仁王廿七代雄略天王、伊勢国山田原に大神宮を作り震旦より始て渡る也。
木工の寮、修理職の大工に仰せて、巧匠を召し下され(むくのかみ、しゅりしょくのだいくにおおせて、ぎょうしょうをめしくだされ)
官の唐名位已下、何も職原に有り。作事奉行の官也。大工は大概異、下知を為る者也。巧匠と云ふは上手の事也。△木工寮とは神社仏寺又は禁中の材木奉行也。修理職は仏神又は禁中の造栄(営)奉行也。鈎は大日如来、且(金篇)は薬師如来、色(金篇)は文殊菩薩、鋸は釈迦如来、鑿は薬王菩薩、鉄鎚は金剛菩薩観音、壺は阿弥陀、墨は弥勒、糸は地蔵、丈尺は虚空蔵、釘抜は五大力菩薩三思一言九思一万行歟の類也。
陰陽の頭に課せて(おんようのかみにおおせて)
賀茂安倍両氏の重代也。作(何れもの意)朝家にも器として反閇す。御身固と申す事、拝し趨る。暦博士算博士天文道陰陽頭等の司在り。是医陰両局也。暦は天竺に草有り。一日より一葉を生じ、三十日に至り、三十葉を生じ、即ち晦日枯畢ぬ。其后此草の根より丁林と云ふ者出生して暦の道を説く。今の暦の字は、丁林が曰く、と書く也。支那には天元より甲子始也。天元は、天地開闢の年、或は伏犠降誕の年、或は伏犠即位の年、未だ是非を知らず。日本には是を后に子代看と云ふ。丁林が事を引く、故に和国の暦は、子代看と謂ふ。然るに賀茂在真(ありまさ)同く在盛(ありもり)、先祖より暦道を面として、毎年御暦調進す。安倍安氏、有季(ありすえ)は晴明が苗裔也。安倍の泰親が后胤也。当代には天文道を本とし、天変地震此の如し。恠異をとひ侍て、勘文を奉る。但し是は御定め時に随て何も仰付も上意に依る也、と云ふ。
名主、庄官(みょうしゅ、しょうかん)
名主は戸主也。庄官は処の長也。処の入人(いりうど)歟、一庄の庄司也。△名主とは一名の主也。名(みょう)と云ふは、古へ名字ある人の持ちたる処也。今も名字ありて百姓になる者也。
藜民の竈(れいみんのかまど)
庶民、藜は黒くして冠を着けず。故に黒色也。烟に付、歌に曰く、高き屋に登て見れば烟立つ民の竈は賑ひに鳧。延喜の門の詠歌也。
百姓の門(ひゃくしょうのもん)
公家廿氏、武家八十氏の末裔、下て庶民と成る間、百姓と曰ふ。神武天王の太子、四人有り。刹利、波羅門、毘沙、殊陀と号す。刹は今公家也。波は武家、毘は商人、殊は百姓也。
東西の業繁し(とうざいのぎょうしげし)
東(はる)作り西(あき)収むの義也。(東西は方角のことを云うが、ここでは東作西収の意で、春秋の農作業を云う。)
毛を吹きて過怠の疵を求む可からず(けをふきてかたいのきずをもとむべからず)
漢書に曰く、毛を吹く、鷹の道より出る辞也。其身に煩有る時は、毛荒れて居す。其時、鷹の毛を吹て、其の煩所を見れば必ず赤し、毛を吹かざる則しば疵を知らず也。言は、鷹疵无きを、若し疵や有ると吹て求むる如く、百姓等を若し過怠有るとも、大に改めず、必ず謂ふ可からず。刀にも毛を吹て疵を見す義有りと云ふ也。
市町(いちまち)
市は仏作る也。▲[市]一月に六度也。[町]毎日也。△市とは斉の桓公の管仲と云ふ者、市を立始む也。是は大乱をこる時、土民かつゆる、其時市を立て、敵御方打交りとがめずあきないをなす也。△町とは祇園会などの日、立を云ふ也。又、云く、車二両通る程の路をあくるを云ふ也。
辻子小路(つじこうじ)
▲[辻]十文字八方え路をあくる也。
鋳物師(いもじ)
鋳物師は科注に曰く、斯波匿王、優填王の仏を彫像するを聞て、即ち、金を用て像を鋳る。此れ鋳物之始也。日本には神武より始る也。
伯楽(はくらく)
戦国の時、馬を相る人也。是に因て、日本にも馬を相する人を呼で伯楽と曰ふ。乃ち星の名也。此星天馬を主る。故に馬を相する人を云ふ也。実名は孫陽也。△伯楽と云ふは、馬は五姓ありと知る也。木火土金水、是也。木性と云わ、年(鳥旁)毛、倉(鳥旁)毛、栗毛、糟毛。金は蘆毛。火は黒、青。木姓は薬師。火姓は馬頭観音。土、十一面。金は阿弥陀。水は釈迦也。(馬医、もしくは馬の鑑定をする人。)
朱砂(しゅしゃ)
△朱焼は、日々膳六膳にして、七五三縄をはつて清浄にして早旦にたむくる也。其心は知らず。然りと雖も、朱は専ら伊勢国より始る。伊勢国には死人を埋まず、郊外に棄る也。其舎利頭を取て焼きければ猶不審也。六膳は吊(とぶらい)の為か如何ん。一代に弟子は一人也。
弓矢細工(ゆみやさいく)
兵具は何も皇(黄)帝の時始る也。充が戈、和氏が弓、埀が竹の矢、何も黄帝之時の人也。△矢つかの長さ、我手三十二束が本也。又、人に依て十四そく十五そくもあり。但、十三そくとは平生いわざる也。矢を五節にする事は、地水火風空、木火土金水を像る也。筈の名所かこいつるもち、又、こしまき内をばえりと云ふ也。又、矢のまき目の寸法ねたまき五分、くつまき六分、本まき六分、上まき三分。筈三分けらくび三分、巻き目々黒ぬりの筈はこいの節かけたるべし、赤漆の時はしろのなるべし。△小笠原流也。又、矢は三才二義を表する也。三才は、天、地、人。二義は陰陽也。是に依て三尺二寸を用る也。矢の羽の事と*はやり羽前はゆすり、今一はとかけと云ふ也。長さ四寸的矢の羽の長さ六寸也。きほうの羽四寸五分也。
猟師、狩人(りょうし、かりうど)
猟師は狩を為ず、狩の道を知て下知する者也。下知に付者狩人也。
猿楽(さるがく)
四坐の内に金春は、本公家也。其故は仁王卅二代用明天王の御宇、大和国長谷川に壺一つ流来る也。取上て見給ふに、二三歳の童子有り。同く其内に系図有り。披て見るに秦の始皇第二の子也。子細有て流され給ふ也。日本灘波津に有る可しと書留む。用明天王、養育為られ、氏を秦と定め、名乗を河勝といふ。河勝と号するは、水に溺れず人と成る故に河勝と号す。用明天王の左大臣に立つ。位は正二位也。王子、聖徳太子同く卅四代推古天王の接政と成り給ふ。守屋退治の砌、所々にて忠を致し給ふに、守屋を稲倉の城に於て、頸を打つ事も、彼の河勝が故也。河勝が子に氏安と云ふ者有り、其子三人、金衣、金春、満太郎と云て、三人有り。金衣は絶て无き也。第二の子金春は春日の宮仕す、則ち先祖の為に泰楽寺を立つ。此の門前に金春の屋敷有り。其内に天照大神の御霊、八咫の鏡に陰を移し給ふと云い伝ふ也。故に金春の家を円満井と云ふ也。大和山城両国の竹田と云ふ処を知行する也。故に彼家は竹田の在名にして、紋には丸の内に二鷹の羽也。今の宮王は氏安が第三の満太郎が流也。有時、金春と不和の義在り。其故に大和を出て江州へ下り山王の申楽と成り、日吉大夫と名乗る也。金春の形義を引替て、近江懸とて謡の節、拍子等まで替る也。金春が許すを以て大和へ帰る時、弟を近江に留置く。金春の流を日吉大夫定置きて、我は大和へ帰り、本の満太郎の役を務む也。氏も名字も惣領と同じ也。
○観世、保昌と云ふは、児の名也。彼の人々は伊賀国服部殿の子也。彼等兄弟、春日の御霊夢に、春日の神楽衆に参ぜしめ告ること有り。其時奉る故に名字をば服部と名乗る、観世の衆に結崎(夕鷺)と云ふは、伊賀国に在名有る也。保昌をば土肥衆と云ふは、大和国の在名也。是を知行する也。観世保昌の紋は矢筈也。
○金剛、是も児の時、金剛房と申す也。上野国小畑の一党之坂戸衆と申す也。大和の坂戸を知行する也。鷹の羽を割き違へて紋と為也。何も四坐従四位に至る也。四坐、藤の丸を紋と為事は、多武峰の談山大明神の能の始め、大職冠の御子、淡海公不比等、藤原の将棟たるに依て、藤の丸を毎年の能の恩賞に依て下さるる也。位は正四位に上る。今も正四位也。
夫れ申楽と云は、本は春日の神楽衆とて、是六十の楽の調子を司る伶人有り。今は天王寺に祠候して百廿の楽を司る也。何も宿神の一体也。神楽有る時、勅勘の身と成り、流され申す時、神の字の篇を剥り、作り計り書かる、楽の字を楽の音に成さる、故に今に至るまで申楽と書く也。又、猿楽と書く事は日吉流也。猿の字を書くは近江猿楽と心得可し。又猿楽と書付為るは、色々野説有り。内裏又は八乙女達に、山王の使者の猿が通て、子を持たんが為也。能く彼子、物の字を成也。其に依り彼者を山王の手猿楽と定めらるる也。是は用う可からず也。
◎夫れ翁とは、天神六代目の尊に面足の尊、伊弉諾伊弉並に代を譲り御申有る時、地神五代有て六代目には仁王と成んと云ふ証文を進ぜらる、案の如く五代茲(鳥旁)羽葺不合尊神代は伝終る、神武天王の代と成る、是仁王の始也。天神の内、面足尊目出度御代也。故に今に至るまで翁と崇び奉り申す也。翁の面二する事は、面足は身体は竜也。故に阿義の下と二にする事は天地を表す也。故に君神と守る。三波の面は黒き事、陰陽を表す、又、昼夜の二也。是賀志火根命也。是は陰神、面足は陽神也。翁の舞の静なる故に、三波の舞は佐々免共也。此の六代には男女有りと雖も夫婦和合と云ふ事无き也。故に陰陽の所を知らず也。七代目には伊弉諾伊弉並の尊、鶺鴒の挑るを見て心付き給て、男女の語有る也。其次第に依て、神の位も劣れり。結句、仁王也。今は王と云ふ事を知るも有り、知らざろ事、お有る也。
◎夫、千歳歴(ちはやふる)とは御代を立始る命也。地神第三の命天津彦浦々耳々義の命より日月は顕れ給ふ也。彼の命より、夜も昼も年も定め給ふ也。御代の間、卅一万八千五百四十二月(年の意)也。故に君の代を守る可しと云誓ふ也。彼の神と表し奉る也。故に次第に千秋万歳と謂始め給ふ也。此の楽を千秋楽と申也。六十楽の中に最初の楽也。是を本と為る事は、神武より有と雖も中比絶る也。有時、悪霊多して万民悩む事限无し。春日の託宣に曰く、式三番を奏せば軈て止む可し、と有り。故に勅定有り、則ち彼の楽を奏す、則ち成就す。夫より用る也。夫延命冠とは、地神代(第)四彦火々出見の命也。代を修め給ふ事、六十三万七千八百九十二年也。弥目出度其名を引く替て命を延ぶる童と書て、延命冠とは云ふ也。夫、父の詔(韶)とは第五彦諾佐々竹茲(鳥旁)羽葺不合の尊也。御代を治め給ふ事、八十三万六千四十二年也。是、仁王の父也。故に父の韶と号す。此代より御代を修め給ふ事、久し。葺不合尊第四の御子、御即位在る事、辛酉の年也。御年百廿七にして死に給ふ也。御代を修め給ふ事、七十六年、是仁王の初め神武天王の御事也。此の如く仁王と成りければ位も下り命も短く此時釈迦仏入滅より以来、三百九十年に当る、天竺の波斯匿王の御代也。天竺には祇園精舎、月廻長者建立の砌、彼の楽を奏すと云ふこと有り。夫は、釈迦仏の十第弟子各々狂言奇語を延て供養有り、と云々。日本には春日の祭に彼の楽を奏す。十一月二十七日春日の祭礼也。廿六日の夜、旅所に御幸也。渡物在り、百物に百の随兵也。其内に四坐渡る成り。次第の事は、金春、k金剛、観世、宝生、何も志気の時に於て、差抜襴衫(かりきぬ)也。旅所にして礼神の内、式三番在り。伶人は黒冠に撞通し差抜を着る也。夫千歳歴るは一人充也。能の次第は鬮を取る也。又、金春の坐には、伝者有り。聖徳太子の幡竿、又、太子の天竺より之伝授の舎利九十粒計有り。家繁昌の時は多に成る也。又、尼面一面あり。是は天より降ると云ふ説有り。故に天の面と名付く也、と云ふ。
△旧抄の説に曰く、猿楽は日吉大夫より始る也。八百年定命也。百になれば自由自在に有る也。或時、日吉の山王の御前にて猿色々の物まねを致す也。日吉大夫見て、猿のまねをして、后、猿楽と云ふこと在り。又の説には、内裏女房に猿嫁ぎて子を生む、其子お色々の物まねをする也。是より猿楽始る也。△大職冠の御子二人在り。兄は多武峯開山定恵也、弟は淡海公不比等。淡海公の子に、一男左大臣武智麿、是南家也。此末流日野勧修寺江家也。次男は、右大臣従二位の房前は是北家也。摂関家皆此流也。三男は式部卿宇合、式家也。四男は左京大夫麿、京家と謂ふ。▲[淡海公]諡也。▲[不比等]名乗也。△申楽と書く事は、日吉流也。猿の字を書くをば近江楽と心得可き也。△[鶺鴒]世の中にいなをうせ鳥のなかりせば、みとのまぐわへ誰かしらまし。
田楽(でんがく)
入道の楽也。神前に至て高足を蹈む。是の楽は田畠豊饒の祈祷也。
傀儡子(かいらいし)
△詩格梁皐(金篇)傀儡の詩云く、刻レ木索レ糸作2老翁1、鶏皮鶴髪与レ真同、須臾弄罷寂无事、迅似2人生一夢中1。△无方居士傀儡歌に、手に取れば自由自在の傀儡も糸切れはてゝ動かざりけり。
琵琶法師(びわほうし)
日本に三比巴(琵琶)有る也。玄象、青山、師子丸也。法師とは地神経に之を引く事也、と云ふ。
県御子(あがたみこ)
(御子は神子とも書く。口寄せや祈祷・祓いなどをして諸国を廻り生計を立てる女性。あるき巫女。)
傾城(けいせい)
列子に曰く、西施心を病て眉を賓(目篇)む。其里の醜人之を見て、之を美とす、帰て亦心を捧へて眉を賓めて、彼が美を知、賓めて、之を賓むるの美なる所以を知らず。西施は越女也。世に絶たる美有り。勾践以て夫差に与ゆ。夫差之を嬖す。国を傾る故に傾城と云ふ也、と云ふ。
白拍子(しらびょうし)
鳥羽院の時島千歳の和歌の舞を始舞也。昔は白き水旱に立烏帽子、白き鞘巻を差す、人皆、男舞と云ふ、中比より烏帽子、刀を除て、白き水旱計着けたり。故に白拍子と云ふ也。▲直に簾中え往来也。△白河院の時より白拍子は始る也。
遊女、夜発の輩(ゆうじょ、やほつのともがら)
纏て夜行、人に逢者也。
医師(くすし)
耆婆の末流也。上に念比に見たり。扁鶺は、周の末、戦国の時名医也。日本には和気丹波両氏相伝也。朝恩に浴す、家業嗜伝す也。
陰陽師、絵師(おんようじ、えし)
陰陽の事は上に在り。絵は日本には金岡画工也。一条の院の時の人也。大納言に至る也。△陰陽は天地開闢以来今日に至るまで陰陽の両歟、是気、日月の出入、星辰の大数、奇星客星雲茅(雨冠)起様、之を記す。似(以)て天下の是非を知る之官也。去は安部の晴明天文博士たりし時、花山院御在位、寛和三年六月廿二日の夜、深更に望み、御心静にして大集経を看読して御座、其経文に之(云)、妻子珍宝、及び王位は、命終に臨む時、随はざる者。唯戒及び施は放逸せず。今世后世伴侶と為て此文を叡して読侍て俄に御遁世を思召し立つ、是も弘徽殿の女御薨ぜられ、其哀情除難きに依ると云へり。晴明其夜天気を伺ひ侍り、天子の位を下され給ふ。相星の気是見たりとて急速に参戴内申す也。既にはや不明の間、御出侍る処、参内たり、是晴明一代の面目、后代の家名也。陰陽師と云ふは天下人の師也。日月星辰を主る也。
禅律の両僧(ぜんりつのりょうそう)
方等部より禅は出る也。達磨、恵可、僧潔(元字は玉篇)、道信、弘忍、恵能也。律宗は、四阿含より出る也。道宣は律師也。日本には仁王四十六代孝謙天王の時、大唐より鑑真和尚渡る也。八宗は、法相、三論、倶舎、成実、律宗、花厳、天台、真言也。倶舎、成実、律宗の三は小乗也。法相、三論、花厳、天台、真言の五は大乗也。倶舎、成実、律宗、法相、三論、真言の六宗は天竺に立る所也。天台、花厳の二宗は震旦に立る所也。倶舎は天竺天親菩薩立る所也、倶舎論是也。成実は天竺可利跋摩三蔵立る所、成実論是也。律宗は天竺菊多三蔵五人の弟子立る所、四分五分等是也。法相宗如来滅后、提婆菩薩出世して阿育大王の為、諸法実相の状を説く、又、阿僧伽師出世して、都卒天の弥勒菩薩を請じ奉る時、夜分に降、天竺の説法所謂瑜伽論等是也、又、護摩菩薩出世して、此宗を説く、唯識論等是也。三論は如来入滅后、竜猛菩提出世して、諸皆空の旨を宣べ、所謂百論等是也。又、青弁菩薩出世して、同く此義を宣へ、文殊馬鳴竜樹提婆羅什等、皆祖師為り。天台は震旦の隋の代智豈(頁旁)大師南岳の恵思大師より、又、恵文禅師と名く。爰に三種の止観籠るは大蘇道場に居、霊山之聴を開発す。法華深義玄義文句等を弘宣する、花厳は、震旦禅門寺花厳和尚立つる所、又、唐代法蔵大師詔を奉て、花厳経を講ず、世界品に至て大地震動す、爰に則天皇后之を貴ぶ、勅を下し、疏釈を製せしむ、此経を施宣所謂花厳是也。蓋し法相、花厳、天台、真言は経に依り、之を立つ。倶舎、成実、三論は論に依て之を立つ。律宗は、一宗律に依て之を立る也。
浄土の碩学(じょうどのせきがく)
方等部より出る也。血脈は大概は廬山恵遠法師、慈愍三蔵、道綽、善導等也。又、両説有り、一には菩提流支、恵龍道場法師、曇鑾大海法上等、安楽集に出づ。二には菩提流支、曇鑾、道綽禅師、懐感、小康法師等と云々、二宗は仏心宗、浄土宗之を加へ、十宗と為す。仏心宗は、如来の親伝、正法眼蔵、涅槃妙心、迦葉より以来、以心伝心の者也。浄土宗は、専ら三経一論を以て、所依を為して立つ。聖道浄土の二門は十念を成就して、三尊来顕を宗と為こと是也。(他本には「三尊来顕、宗為是也云々」とあり、)△浄土の三経は親観経、観无量寿経、阿弥陀経、是也。▲[碩]大也。(「浄土」は浄土教。日本では空也・源信・良忍・法然・親鸞・一遍の流れ。伊京集に「碩学。碩は大也。智者を云ふぞ」)
顕教密宗の学生(けんぎょうみっしゅうのがくしょう)
▲[顕]天台也。[密]真言也。
顕は天台、密は真言。天台宗は南天竺より法を伝来る。音声短し。故に嚢謨三満(なまさま)多と読む。真言宗は中天竺より法を伝来る。音声長し。故に嚢謨三満(なうまうさうまう)多と読む也。(「学生」は、本により「学匠」とする。寺院に住み仏道を修める者をさすが、他に学文ことに外典を修める者、たとえば大学寮の学文の徒をもさす。ここでは前者。「学匠」は、すぐれた学者、の意。)
修験の行者(しゅげんのぎょうじゃ)
▲[験]山川也。
才能无しと雖も行体に堅固なると云々。又は、山伏也。山伏は役の行者の末流也。役の行者は賀茂役公氏也。文武帝の時の人也。年卅余りに舎を棄てて、葛城山に入て居す。孔雀明王の呪を持して、五色の雲に乗り、仙府に優遊す、鬼神を駆逐して、以て使令と為す。今、山臥と云ふは此末流也。修は修正(おこないただし)、始覚の修行。験は、本有本覚の験徳也。始本備て闕滅无し、故に山伏と曰ふ也。△役の行者は仁王四十三代文武天王の時の人也。▲[験]明也。
智者、上人(ちしゃ、しょうにん)
上人は菩薩地也。釈氏要覧に曰く、内に徳智有り、外に修(勝の意)行有り、人の言く、菩薩の若くんば一心に阿耨菩薩を行ひ、心に散乱せずんば、是を上人と名く可し也。
引声短声の声明師(いんぜいたんせいのしょうみょうし)
▲[引声]長すり心也。[短声]切り声也。△声明は、昔五つ眼のある人在也。五の道になれり。刧初梵王、亦は商羯羅天と云ふ也。五面に(を)現ず。五明の論を説き、后面に於て声明を説くと云ふ也。△五明は、一には内明、二には因明、三には声明、四には医方明、五には工巧明也。
藝才七座の店(げいさいしちざのまちや)
藝才は自ら好学するを藝と云ふ。七座は、魚、米、器、塩、刀、衣、薬之七也。▲[藝才]分つ心也、言は我楽む所の物を分ち売る心也。[刀]金物のこと也。(「七座」は「ななざ」とも読む。)
京の町人(きょうのまちうど)
都は仁王廿九代宣化天王の御宇、大和国に立る也。仁王卅九代天智天王の御宇、近江国に立る。仁王五十代桓武天王の御宇、延暦十三年甲戌、平安城に遷る也。彼の平安城は、九重、東西十八町也、南北三十八町也。横小路、一条、正親町、土御門、鷹司、近衛、勘解由小路、中の御門、春日、大炊の御門、冷泉、二条、押小路、三条坊門、姉小路、三条、六角、四条坊門、錦小路、四条、綾の小路、五条坊門、高辻、五条、樋口、六条坊門、楊梅、六条、佐目牛、七条坊門、北小路、七条、塩小路、八条坊門、梅が小路、八条、針小路、信乃小路、唐橋、九条、已上卅八町也。竪小路、朱雀、坊門(城の意)、壬生、櫛笥、大宮、猪熊、堀川、油小路、西の洞院、町、室町、烏丸、東の洞院、高倉、万里小路、富小路、京極、朱雀、已上十八町也。内裏を以て中央と為す。町人之置様、一水、二火、三木、四金、五土、六水、七火、八木、九金也。
淀河尻の刀禰(よどかわじりのとね)
山城に在り。旅人宿所を刀根と云ふ也。▲[刀根]力賃取者也。大夫、唐名也。
大津坂本の馬借(おおつさかもとのまがせ)
江州に在り。駄賃逐(遂の意)者也。(近江の大津・坂本で荷馬を貸して駄賃を取る者。)
鳥羽白河の車借(とばしらかわのくるまがせ)
山城に在り。車賃逐也。河原の者也。車は夏后氏奚仲作る也。(牛車を操って、荷を運び駄賃をとるのを「車借」という。)
浦々の問丸(うらうらのとひまる)
船商人宿所也。▲[問丸]船頭の宿所。(日葡にウラウラの項があり、港々、また海岸の地々(ところどころ)の意に解している。前田本抄によると、「浦々問丸とは定宿也」。港々にある。船の荷を管理し、運送人を宿泊させる業者は、ひろく、金貸し、取立て、委託、請負なども兼業した。それらの人々が問、問丸。)
奈良刀(ならがたな)
△刀は鬼神大夫刀工也。始め云く、紀の氏、名乗は、行平薪大夫、刀を作る時、鬼神出で来て助鎚打故、鬼神大夫と云ふ也。▲[刀工]不審也。(刀、刃物は大和の奈良の名産だった。)
強竊二盗の徒党(ごうせつにとうのととう)
是、式目に有り。▲[強]顕て人の物を取る也。白昼、強と云ふ。[竊]ひそかに取る也。夜中竊と云ふ也。
城郭(じょうかく)
三里を城と云ひ、七里を郭と云ふ也。帝釈より始る也。▲[城]家五百在るを城と曰ふ也。[郭]戸ぐるわを郭と云ふ。又は家七百在るを郭と云ふ也。
一揆せしむる(いっきせしむる)
揆は門也、同也。▲おもむきはかる也。一揆家也。成就也。(現在では、主君に反抗する農民の蜂起、あるいは反乱の意で用いられるが、ここでは、動詞として一致団結するの意。)
水旱(すいかん)
常住の衣裳に非ず、天下旱水を祈らんが為に此の服を着る也。△東坡が句に云、遠人水旱に罹る、王命浮囚を解く。(新注には、旧注には「常住の衣物に非ず」と語源俗解が見えるが、大抵白色で、私服として大人の普通常用したもの、と有る。)
管領、執事、奉行人、之を検断す、所司代、訴状を右筆に賦る(かんれい、しつじ、ぶぎょうにん、これをけんだんす、しょしだい、そじょうをゆうひつにくばる)
畠山の官領の始也。所司代の始は京極殿の内に多香豊后(ぶんご)守は所司代也。細川の道永の家には无き也。△三管領は武衛、畠山、細川、是也。△四職は、山名、一色、京極、赤松也。
巫、八乙女は、裙帯を曳て透廊に舞ひ遊ぶ(かんなぎ、やおとめは、くんていをひいてすきろうにまいあそぶ)
巫、神を降する者也。男を巫と為、女は覡(みこ)と為る者也。(前田本抄に「八乙女は是もみこ也」とあり、神楽の舞を奉仕するミコを、「八乙女」と呼んだと書かれている。「巫」は、神おろしをする神人。易林本節用集に「八乙女 ヤヲトメ」。神楽を舞う時に、その巫女を指すとある。「裙帯を曳て」、裳の帯の左右の余りをたらし、ひらめかせて腰を飾ること。「透廊」勾欄などをつけた廊下。)
調拍子(とびょうし)
土、調に作る。神楽同時に始て之を作る。▲昔、調拍子に土をかく、今は調、よき也。(舞に合わせて用いる振り鈴か。)
湯屋(ゆや)
風呂有り。北嶺の相国寺より始る也。跋(金篇)陀菩薩、湯の音に得道する故に用る也。
和気(わき)
彼の家は典薬也、故に今に至るまで、典薬殿と名く也。内裏西門の前に居す也と云ふ。
丹波(たんば)
彼の家は、即ち施薬院也、と云々。△私云、和気、丹波は医者の氏。丹波とは神代の時、丹波に来る間爾云ふ、医者の始りも不審也。
典薬(てんやく)
典薬、言は、天下十二人、惣一也。十二人典薬は施薬等の衆也。今は断絶也。今に至るまで典薬殿は中良井殿計也。今に京都に栄ゆ。竹田、上池院の両家は、天下十二人の外也。彼の両人は公方様の薬師也。竹田の家は六百八病を司る、薬の銘真に書く也。同包紙の内に煎服の様体、又、禁好物等を散書にする也。賞翫也。封の字、古文に書く也。封の字片許を王(山冠)と此の如く書く也。即ち、山王の二字也。山王を用る事、口伝在り。彼の家は牛黄円の秘伝也。上池院の家には六百八病を司る、薬の銘は草に書す。煎服は包紙の上に記す。即ち、蘇香円秘伝也。典薬は医道の極官也。他人に之を任せず。唐名は大医署、又、尚薬局と云ふ頭也。四節薬草を置く也。種は此の寮に薬の園在り、山谷に曰く、四休居士大医孫君(居の意)肪、此の官に居り、去れば三平二満之説を薬に合る、歴の上に満平の日に臨て用る也。満、平の日より外は休む矣。此官は和丹両氏伝て月次日次の薬を進上する者也。
施薬院(せやくいん)
聖武天王の后き光明皇后より起る。施薬の字、心は医師を習始に、京は七口にして无縁の者に薬を施す。然る后に上品の薬師と名くる也。京の非田院之建立も天下の卑人施行也。△施薬院とは聖武天王の后き光明皇后より始る。千人沐浴の行を召され、我れと湯どのをめさるゝ也。九百九十人也。満ずる時、癩病の者来る、我と湯どのを召され、亦身をねぶりあれと申しければ、如何ともせられず、ねぶられける処に、忽に阿閃仏也。東を指して化し終る也。此后は天然に身香く光明有り。故に光明皇后と云ふ也。
房内の過度(ぼうないのかど)
夫婦之和合也。▲房内の過度の書とて巻物一巻在り。婬乱過の事を記したる者也。△房内とは、廿の歳までは、四日に一度、卅の歳は七日に一度、四十、五十の時は十日に一度充也。
恋慕の労苦(れんぼのろうく)
▲若衆、女房くるい、亦、こいなどして気をからす也。
底本はカタカナ書きだが、ここでは「ひらがな」にして読みやすくした。
(岩波書店刊『庭訓往来・双句集』新日本古典文学大系52を底本としました。)
天狗芸術論
天狗芸術論(抜粋)
佚斎樗山子著
事の熟するにしたがって気融和し、其ふくむ所の理おのづからあらはれ、心に徹してうたがひなきときは、事理一致して気収り、神定つて応用無礙なり。是いにしへの芸術修行の手段なり。故に芸術は修練を要とす。事熟せざれば気融和せざれば形したがはず、心と形と二つに成りて自在をなすことあたはず。
古へは情篤く志し親切にして、事を務ること健かにして、屈することなく怠ることなし。師の伝ふる所を信じて昼夜心に工夫し、事にこころみ、うたがはしきことをば友に討ね、修行熟して吾と其理を悟る。ゆへに内に徹すること深し。師は始め事を伝へて其含むところを語らず。自開くるを待のみ。是を引而不レ発といふ。吝にて語らざるにはあらず。此間に心を用て修行熟せんことを欲るのみ(中略)。是古人の教法なり。故に学術芸術ともに慥にして篤し。
今、人情薄く志し切ならず。少壮より労を厭ひ簡を好み、小利を見て速かにならんことを欲するの所へ、古法の如く教ば、修行するものあるべからず。今は師の方より途を啓て、初学の者にも其極則を説聞せ、其帰着する所をしめし、猶手を執て是をひくのみ。かくのごとくしてすら猶退屈して止者多し。次第に理は高上に成て古人を足らずとし、修行は薄く居ながら、天へも上る工夫をするのみ。これまた時の勢ひなり。
問ふ、禅僧の生死を超脱したる者は剣術の自在をなすべき歟。
曰く、修行の主意異なり、彼は輪廻を厭い寂滅を期して、初より心を死地に投じて生死を脱却したる者なり。故に多勢の敵の中にあつて、此形は微塵になるとも、念を動ぜざることは善くすべし、生の用はなすべからず。唯死を厭はざるのみ。
問ふ、古来剣術者の禅僧に逢て其極則を悟りたる者あるは何ぞや。
曰く、禅僧の剣術の極則を伝へたるにはあらず。只心にものよきときはよく物に応ず。生を愛惜するゆへにかへつて生を困しめ、三界窩窟のごとく一心顛動するときは、この生をあやまることをしめすのみ。彼、多年この芸術に志し、深く寝席を安んぜず、気を練り事を尽し、勝負の間において心猶いまだ開けず。憤懣して年月を送る所へ、禅僧に逢て生死の理を自得し、万法唯心の所変なる所を聞て、心たちまちにひらけ神さだまり、たのむ所をはなれて此自在をなすものなり。これ多年気を修し事にこころみて、其うつはをなしたるものなり。一旦にして得るにはあらず。禅の祖師の一棒の下に開悟したるといふも此に同じ。倉卒の事にあらず。芸術未熟の者、名僧知識に逢たりとて開悟すべきにあらず。
凡そ一芸に達したる者は常に心を用る故に、道理には暁きものなり。然ども志し我芸に専らなる故に、此に私して道には入がたし。偶学術を好む者ありといへども、芸術を以て主とし道学を以て客とする故に、聞く所の深理みな芸術の奴と成て広く用をなすことあたはず。況や心術を助ることあらんや。芸術を修するもの此所を自得せば、日々修する所の芸術我が心を助けて、其本然の妙用を証はすべし。是において芸術もまた自在を得べし。
然ども初より執する所の一念捨てがたき者なり。学術芸術ともに只この私心をさへ去れば、天下我を動す者なくして応用無礙自在なり。私心は金銀貨財情慾偽巧の類のみにあらず。不善にあらずといへども一念わづかに執する所あれば即私心なり。少しく執すれば少く心体をふざぎ、大に執すれば大に心体をふさぐ。芸術に達する者は、其業の上においては私心の己を害することを明らかにしるといへども、広く心体応用の間に試てしる事なし。心術を修する者といへども理は頓にしりやすく、一念隠微の間は修しがたき者なり。心術を修するものも我なり、芸術を修するものも我なり、此心二つあるにあらず。此ところまた熟思すべし。
問ふ、我に多子あり、年いまだ長ぜず。剣術を修すること如何して可ならむ。
曰く、年いまだ長ぜずして事理に通達する程の力なき者は、小知を先にせず、師にしたがってさし当り用の足る所として、事を努め、手足のはたらきを習はし、筋骨を強ふし、其上にて気を練り心を修して其極則を窺ふべし。是修行の次序なり(中略)。
もし初学より何の弁へしる事もなく、無心にして事自然に応じ、柔を以て剛を制す、事は末なりといひて頑空惰気になりて足もとのことをしらずんば、現世後生ともに取失ふべし。
問ふ。何をか動いてうごくことなく、静にしてしづかなることなしといふ。
曰く、人は動物なり。うごかざることあたはず。日用人事の応用多端なりといへども、此心物のために動かされず無慾無我の心体は、泰然として自若たり。
剣術を以て語らば、多勢の中に取籠られ、右往左往にはたらく時も、生死に決して神定り、多勢のために念を動ぜざる、是を動いて動くことなしといふ。
汝、馬を乗る者を見ずや、善く乗る者は馬東西に馳すれども、乗る者の心泰にして忙きことなく形しづかにしてうごくことなし。外より見ては馬と人とつくり付けたるがごとし。ただかれが邪気をおさへたるのみにて、馬の性に悖ふことなし。故に人鞍の上に跨て馬に主たりといへども、馬是に従て困しむことなく自得して往く。馬は人をわすれ人は馬をわすれて、精神一体にして相はなれず。是を鞍上に人なく鞍下に馬なしともいふべし。是動てもうごくことなきの、かたちにあらはれて見易きもの也。未熟なるものは馬の性に悖て我もまた安からず。常に馬と我とはなれていさかふゆへに、馬のはするにしたがって五体動き心忙しく、馬も亦疲れくるしむ。
ある馬書に馬のよみたる歌なりとて、
打込てゆかんとすれば引とめて 口にかかりてゆかれざるなり
是、馬に代りて其情を知らせたる者なり。唯馬のみにあらず、人を使ふにも此心あるべし。一切の事物の情に悖ふて小知を先にする時は、我もいそがしく人も困むものなり。
何をか静にしてしづかなることなしといふ。喜怒哀楽未発の時、心体空々として一物の蓄へなく、至静無慾の中より物来るにしたがって応じて其用きはまりつくることなし。静にして動かざる者は心の体也。動て物に応ずる者は心の用なり。体はしづかにして衆理を具へて霊明なり。用は天則に従ひて万理に応ず。体用は一源なり。是を動てうごくことなく静にしてしづかなることなしといふ。
剣術を以て語らば、剣戟を執て敵に向ふ。潭然として悪むこともなく惧るることもなく、とやせんかくやと思ふ念もなき中より、敵の来るに随て応用無礙自在なり。形はうごくといへども心は静の体をうしなはず、しづかなりといへども動の用を欠かず。鏡体静にして物なく、万象来移るにまかせて其形をあらはすといへども、去る時は影を留むることなし。水月のたとへに同じ。心体の霊明もまたかくのごとし。
小人はうごく時はうごくにひかれておのれを失なひ、静なる時は頑空になりて用に応ずることなし。
何をか水月といふ。
曰く、流儀によりて色々義理を付けていへども、畢竟無心自然の応用を水と月と相うつる所にたとへたる者なり。広沢の池にて仙洞(崇徳上皇)の御製に、
うつるとも月もおもはずうつすとも 水もおもはぬ広沢の池
此御歌の心にて、無心自然の応用を悟るべし。又一輪の明月天にかかつて、万川各一月を具ふるがごとし。光を分て水に移らざるときも、月において加損なし。又水の大小をゑらぶることなし。是を以て心体の妙用を悟るべし。水の清濁を以て語るは末なり。然ども月は形色あり。心には形色なし。其形色あつて見やすき者をかりて形色なきものの譬とす。一切のたとへみなしかり。譬に執して心を鑿することなかれ。
問ふ。諸流に残心といふ事あり。不審、何をか残心といふ。
曰く、事にひかるることなく心体不動の所をいふのみ。心体不動なるときは応用あきらかなり。日用人事もまた然り。
打あげて奈落の底まで打込といふとも、我はもとの我なり。故に前後左右無礙自在なり。心を容て残すにはあらず。心を残すときは二念なり。又心体明らかならずして心を容ずといふばかりならば、盲打盲突といふ者也。明は心体不動の所より生ず。只明らかにうちあきらかに突くのみ。是等の所かたりがたし。あしく心得れば大に害あり。
諸流に先といふことあり。此また初学のために鋭気を助け惰気に笞打つの言なり。実は心体不動にしておのれをうしなはず、浩気身体に充るときは毎も我に先あり。人より先へ打ちつけむと心を用るにはあらず。畢竟剣術は生気を養つて死気を去を要とす。懸の中の待つ、待つの中の懸といふも、みな自然の応用なり。初学のためにしばらく名を付たるのみ、動てうごくことなく静にしてしづかなることなしといふの意也。
初学の者は、気の剛柔事の応用を以て語らざれば因るべき所なし。故に其所に就て名を付教ゆるのみ。然れども名を付る時は、名に執して其大本をあやまり。名を付ざれば空にして取レ認なし。兎にも角にも其大意を識得せざる者には語るべきやうなし。一切の事みな然り。故に物の師をするもの、其人にあらざれば秘して妄りに語らざるも亦宜也。其大意を識得すれば、見ること聞こと直に分るもの也。
問ふ、剣術は心体の妙用なり。何ぞ秘する事あるや。
曰く、理は天地の理なり。我が知る所天下何ぞ知る者なからん。秘する者は初学のためなり。秘せざれば初学の者信あらず。是おしゆるものの一つの方便なり。故に秘することはみな事の末なり。極意にあらず。初学の者何の弁へもなく、みだりに聞きあしく心得てみづから是とし、人にかたるときはかへつて害あり。かかるがゆへに其得心すべきものならでは教へずと見へたり。其極則に至っては同門にあらずといへども、広く語りてかくすことなし。
(吉田豊編『武道秘伝書』徳間書房刊を底本としました。)

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