江戸真砂六十帖・おあむ物語・老の寝覚・おきく物語

江戸真砂

江戸真砂六十帖広本(一部)

巻之十 (一部)

江戸男達断絶の事

延宝年中の治世、元和年中大坂落城以後静謐にして、日本始て天下泰平也、誠に神君の御加恩也、然れ共、武士、町人長命の者勇気の咄し、父祖骨肉を請し者共、其強気の形気失せずして、弓を張、腕をなで、気あら/\して、是を後に男伊達と云、出立自立、冬は厚く綿を入着物一ツ着し、ゆき短く、丈も膝を過ず、大小は地を引ずる程長くし、柄は白にて巻、利方能卯を望み、先白柄組とて、御旗本衆に、水野十郎左衛門、池田勘兵衛、近藤登、阿部四郎五郎、其外大勢也、又、下谷御徒町に、大小の神祇組あり、浅草筋は、幡随院長兵衛、浮世戸平、石町には、唐犬組、三左衛門頭にして、先祖宮部又四郎名主役を勤めて、唐犬組也、銀町に生れし働与兵衛、雷雲八、大竹矢之助、堀江町、小船町、牛五郎、横車半兵衛、芝に大仏四郎兵衛、八丁堀に勘五兵衛、本材木町の夢の市郎兵衛、堺町にはんしやう五左衛門、横山町に釣鐘弥左衛門、大門通りに梅の与四兵衛、其外所々大勢、一組に六七人、又十五六人も有り、町人も其頃は、妙綾、縮緬を着し、脇差だけ弐尺より長くして、落しざし、余り所々喧嘩多く、千石以下の御旗本へ被2仰付1、制すべきよし、役目則馬上にて供廻り多し、跡に棒を持せける、今の辻番役の事也、伊達仲間にて、是を棒ふりと申けるよし、紺屋町の男伊達、此棒ふりをむごいめに合せしよし、夫より金魚組と名付し也、其頃、中山勘ケ由殿とて、強勢の人を選て盗賊奉行に被2仰付1、町男伊達をきびしく捕へて殺されける、牛五郎は殊更意趣有て、屋敷にて首を刎られけり、首飛んで気味よし、と呼はりけるよし、勘ケ由殿にも大勢を殺せども、牛五郎性根の恐しきもの、と仰けるよし、また下りの巾着切り蠅のごとく有りしを、一人もなく、中山殿絶し被レ申候よし、子供迄も勘ケ由殿といふとおぢゑしよし、男伊達も相止みて静に成る、婚礼の水あびせも、同御停止に成りて、町人の腰の物はたけ一尺八寸迄、紗綾、縮緬着用停止、此勘ケ由殿は凡三万人余殺し被レ申しよし、病気前は屋敷に色々の化物出て、勘ケ由殿狂気して死去のよし、屋敷は小川町の由、近所屋敷迄迷惑により、本所へ屋敷替有り、今に津軽屋敷の隣家なり、

水野氏の事

水野十郎左衛門、白柄組の長本、高禄千五百石給はりし強勢の溢者にて、小身の御家人にても、男を立し武士は、朝夕出入す、爰に御先手同心に山田弥市と云者あり、牛込に同じ同心に小川五郎兵衛と云者有り、娘一人持しが、器量百人に勝れける、弥市見て達て望けるに、親五郎兵衛も弥市が強勢を恐れて、成程、我等承知いたし候へども、女共一家へも兼て奉公の世話を頼置候、一通り通達いたし、御返事可レ仕、との挨拶にて、弥市をかへしける、其跡にて、一家打寄て、兎角六ケ敷、と御城へ御奉公に出し候が宜敷とて、御年寄に縁を求めて、部屋子のやうに遣しける、弥市もさのみ達て望みもせず、月日を送りける、半年程過て、厳有院様の御目に留りて、御部屋と成る、親五郎兵衛も千石余被2下置1、然る処に、去る夜寄合、四方山の席にて、小河五郎兵衛は仕合者也、能娘をもち、被2召出1、弥市を聟にとらば、元の五郎兵衛成べし、と云、水野聞て、夫は日外の咄しに弥市申されし娘か、然らば、弥市は身が屋敷へ向後出入は無用、と苦が/\敷申、弥市不興して其坐を立、直に小川五郎兵衛宅に行き、玄関へ上り、侍取次に、小山田弥市御見廻申、少し御意得度筋御坐候、御対面可レ仕、と申入る、五郎兵衛何心なく立出て、扨々久々にて御意得申候、御物語りも御坐候哉、と申を、弥市、物語とは是よ、と抜打に五郎兵衛を左より袈裟に打放し、押へて首を取り、引提て門の外へ欠出す、家来驚き、あれ/\といふ内に、二三町過行ぬ、一家ども打寄て、御城へ申遣す、弥市は直に水野屋敷へ欠込、坐敷へ通り、皆々未咄し最中に、右の五郎兵衛が首を提げ出す、坐中の人々、水野を始め、是は男也、と誉興じて、各々私宅へ帰りける、扨、五郎兵衛娘のなげき大方ならず、段々上聞に達しければ、弥市を尋出し申すべき由、頭へ被2仰付1、隈なく尋しに行方知れず、此上はとて、弥市が人相書をして、国々浦々迄さがしけるに、年月を経ても見へず、再三の人相廻りけれ共見へず、或時、屋形船の内に弥市の様の者見へし、と注進故、涼船御吟味有、虎一といふ舟にて召捕る、弥市早四十年過し故、少々心ゆるみて、涼みに出でぬ、天運の程ぞ浅ましき也、同船せし侍、何もとらへて牢舎す、拷問せしが屋敷を申さず、しかし、水野がおもだかの紋付、余の紋と違ひ、格別大きにして、十郎左衛門殿着用とは推量もする、弥市は料の品を顕はさずして、はりつけに掛る、水野家も弥市をかくまひし訳なく、身持不行跡の儀に依て、板倉家へ御預ケ、切腹被2仰付1、知行被2召上1、屋敷も御取上げ、是は弥市に掛り御詮儀有と、歴々の御旗本衆多く難儀を思召て、水野殿迄にて仕舞ぬ、屋形船は、此節大川に橋なくゆへ、大船にして、虎一はたけ弐拾六間あり、船頭十八人乗り、此砌屋形船御停止也、其後小屋形となる、又、坐敷船江戸中百艘と限る事は、宝永年中、江島殿一件の砌に定る、右五郎兵衛娘は名をおでんと申て、徳松君御母也、後は三ノ丸様とて、八十歳余にて御逝去ある、代々御大切に被レ遊候、殊更御慈悲深く、御上の思召も宜敷也、大御所様一しほ御いたはりのよし、

(中央公論社刊『燕石十種』第四巻を底本としました。)

おあむ物語

おあむ物語

子どもあつまりて。おあん様。むかし物がたりなされませといへば。おれが親父(しんぶ)は。山田去暦というて。石田治部少輔殿に奉公し。あふみの国ひこ根に居られたが。そのゝち。治部どの御謀反の時。美濃の国おほ垣のしろへこもりて。我々みな/\一所に。御城にゐて。おじやつたが。不思議な事が。おじやつた。よな/\。九つ時分に。たれともなく。男女三十人ほどのこゑにて。田中兵部どのゝう。田中兵部殿のうと。おめきて。そのあとにて。わつというてなく声が。よな/\。しておじやつた。おどましや/\。おそろしう。おじやつた。その後。家康様より。せめ衆。大勢城へむかはれて。いくさが。夜ひるおじやつたの。そのよせ手の大将は。田中兵部殿と申すで。おじやる。いし火矢をうつ時は。しろの近所を触廻りて。おじやつた。それはなぜなりや。石火矢をうてば。櫓もゆる/\うごき。地もさけるやうに。すさまじいさかいに。気のよわき婦人などは。即時に目をまはして。難義した。それゆゑに。まへかたにふれておいた。其ふれが有ば。ひかりものがして。かみなりの鳴をまつやうな心しておじやつた。はじめのほどは。いきたこゝちもなく。たゞものおそろしや。こはやと斗。われ人おもふたが。後々は。なんともおじやる物じやない。我々母人も。そのほか。家中の内儀。むすめたちも。みな/\。天守に居て。鉄砲玉を鋳ました。また。味かたへ。とつた首を。天守へあつめられて。それ/\に。札をつけて。覚えおき。さい/\。くびにおはぐろを付て。おじやる。それはなぜなりや。むかしは。おはぐろ首は。よき人とて。賞玩した。それ故。しら歯の首は。おはぐろ付て給はれと。たのまれて。おじやつたが。くびもこはいものでは。あらない。その首どもの血くさき中に。寝たことでおじやつた。ある日。よせ手より。鉄砲うちかけ。最早けふは。城もおち候はんと申す。殊のほか。しろのうちさわいだことで。おじやつた。そのところへ。おとな来て。敵かげなく。しさりました。もはや。おさわぎなされな。しづまり給へ/\といふ所へ。鉄砲玉来りて。われらおとゞ。十四歳になりしものに。あたりて。そのまゝ。ひり/\として。死でおじやつた。扨々。むごい事を見て。おじやつたのう。其日。わが親父のもち口へ。矢ぶみ来りて。去暦事は。家康様御手ならひの御師匠申された。わけのあるものじやほどに。城をのがれたくは。御たすけ有べし。何方へなりとも。おち候へ。路次のわづらひも。候まじ。諸手へ。おほせ置たとの御事で。おじやつた。しろは。翌の日中。せめおとさるゝとて。みな/\。ちからを落して。我等も。明日はうしなはれ候はむと。心ぼそくなつて。おじやつた。親父ひそかに。天守へまゐられて。此方へ来いとて。母人我等をもつれて。北の塀わきより。はしごをかけて。つり縄にて。下へ釣さげ。さて。たらひに乗て。堀をむかうへ渉りて。おじやつた。その人数は。おやたちふたり。われはと。おとな四人ばかり。其ほか家来は。そのまゝにておじやつた。城をはなれ。五六町ほど。北へ行し時。母人にはかに。腹いたみて。娘をうみ給ひた。おとな。其まゝ。田の水にて。うぶ湯つかひ。引あげて。つまにつゝみ。はゝ人をば。親父。かたへかけて。あを野が原のかたへ落て。おじやつた。こはい事で。おじやつたのう。むかしまつかふ。南無阿弥陀。/\。又子ども。彦根のはなし。被レ成よといへば。おれが親父は。知行三百石とりて居られたが。その時分は。軍が多くて何事も不自由な事で。おじやつた。勿論。用意は。めん/\たくはへもあれども。多分。あさ夕雑水をたべて。おじやつた。おれが兄様は。折々山へ。鉄砲うちに。まゐられた。其ときに。朝菜飯をかしきて。ひるめしにも。持れた。その時に。われ等も菜めしをもらうて。たべておじやつたゆゑ。兄様を。さい/\すゝめて。鉄砲うちにいくとあれば。うれしうて。ならなんだ。さて。衣類もなく。おれが十三の時。手作のはなぞめの帷子一つあるよりほかには。なかりし。そのひとつのかたびらを。十七の年まで着たるによりて。すねが出て。難義にあつた。せめて。すねのかくれるほどの帷子ひとつ。ほしやと。おもふた。此様にむかしは。物事ふ自由な事でおじやつた。またひる飯などくふといふ事は。夢にもないこと。夜にいり。夜食といふ事も。なかつた。今時の若衆は。衣類のものずき。こゝろをつくし。金をつひやし。食物にいろ/\のこのみ事めされる。沙汰の限なことゝて。又しても。彦根の事をいうて。しかり給ふゆゑ。後々には。子ども。しこ名を。ひこ根ばゝといひし。今も老人のむかしの事を引て。当世に示すをば。彦根をいふと。俗説にいふは。この人よりはじまりし事なり。それ故。他国のものには通ぜず。御国郷談なり。
右去歴。土州親類方へ下り浪人土佐、山田喜助。後に蛹也と号す。おあんは。雨森儀右衛門へ嫁す。儀右衛門死して後、山田喜助養育せり。喜助の為には。叔母なり。寛文年中。よはひ。八十余にして卒す。予その頃。八九歳にして。右の物がたりを。折々きゝ覚えたり。誠に。光陰は矢の如しとかや。正徳の頃は。予すでに。孫どもをあつめて。此もの語して。むかしの事ども。とり集め。世中の費をしめせば。小ざかしき孫どもが。むかしのおあんは彦根ばゝ。いまのぢ様は。ひこねぢいよ。何をおしやるぞ。世は時々じやものをとて。鼻であしらふゆゑ。腹もたてども。後世おそるべし。又後世いかならむ。まごどもゝ。またおれが孫どもに。さみせられんと。是をせめての勝手にいうて。後はたゞなまいだ/\。より。外にいふべき事なかりし。
右一通。事実殊勝の筆取なり。誰人の録せるや。未詳。疑らくは。山田氏の覚書なるへし。田中文左衛門、直の所持をかり出し、といふ事しかり。

享保十五年庚戌三月廿七日   谷垣守



跋御庵物語

散楽狂言師倉谷岱左衛門門人某。安永年間。自大坂持来此書。且謂。狂言所云比丘貞者。羔(元字は羊に皿)演之也。従是。此書始顕人聞(正しくは門に月)云。余按。比丘貞狂言。有人皆以余所居。稱其人。猶僧曰御坊。娘曰御寮。今此書曰御庵。亦老尼尊稱也。但事蹟與比丘貞。毫不相渉。以其適同其稱。誤為比丘貞狂言所出。然此書。由是以顕。亦可謂幸矣。丁酉十月。善庵老人題。

蒋塘倍書


(岩波文庫『雑兵物語/おあむ物語』を底本としました。)

老いの寝覚め

山浦真雄筆録『老いの寝覚め』 (全文)

文中の赤字は、『鬼麿斬人剣』122p引用部分です。

 老の身能寝さめ可ち那るをい可にせん 独ともし火にむ可ひてつ久づ久おもひ侍るに我が好刀工の道多るや其うつわの利害得失盤さら那り 刃味の源趣位の高下に至る迄も同じ手して作里出ける多に お那じさまに盤出来ぬものなるを人の手して造り多らんはいふも可ひなき事になん有ける
 さて其同じ可良ぬが那かに都きて もろもろ能名工多ちの短なる所を知りてこれを捨て其長なる処をとりて帰せしめ 志可してのち能衆妙の門に悟入し多らまし可ばげに天の下の良工名作とも仰がれぬべしとぞおもふ ここにいにしへよ里有とし有ける世の名剣どもの上につきて考るに 剣てふもののよし安しをあげつろはんに盤 安那可知利鈍のうへのみにあら須 おのつ可ら其徳其威備は里ぬれは ぬ可ねとも鬼神おそ礼 ふるは祢とも強敵も伏しぬべからしめるを社た可らともいふ也けれ さ礼盤かしこ可れと 大御剣を奉始わ可日のもとにして盤 国の守世の守ともなりぬべきもの此剣の外やはある 可具もとふとき剣なれば そを作らん人は常に先我が志を高く
 清らかにして心に可可る事那く澄て 仁義信勇自然と備を肝要と心可くべき事曾可し 扨剣作らんとおもふ時は 先平素錬磨し置多る精神をも者ら槌に凝らし 我が身玉の如く大空も快く晴 わ可神静にして鬼神頭の上に在が如く 左右に現るる可如久なる時を得て 殺人刀より活人刀を作得て 国の守代の守ともなれ可しと打立るとき盤い可那る鬼神強敵といふとも などかおそ礼ざらんや さるを近頃の人々はかかる筋の心得多らんもの甚稀也けり 曾盤わ可道の本意那らぬのみにあら須 さる人の作り多らんもの帯びな須人さへに花な可る遍し
 おのれわかか里し時撃剣の技をたしなみて 年の十三斗の頃より志き里に太刀を得まほしくおもひ 是曾能きと見る器得毎に利鈍を試み 用法を考ひ 佩て軽重をは可り 長短得失に至る迄も座臥進退につけ都都ためしもて二百余刀に及べり されど一ふりだにも心に叶ものあらざりれり ここに水心子正秀といへる人は其頃の名誉也ければ その許にたづ年行て造刀の事を頼みけるに 快よくうけ引侍りて 寒き程の霜乃刃をば作り出してたびけり おのれう礼し久おもひて例の如く試みるに 心ゆ可祢ば 今一手際と望ける程に
 正秀大に腹たてていふよふ わ礼積年鍛する所千余刀に及びぬれと三都可らためして出しつる器再びなといはれし事おぼへ那し 曾もけし可らぬ人哉などと散々にののしられ里
 おのれいひけるはいやとよ わ可望ところは人と異先肝要とする所は姿也 身に帯する時はたとふに可のけものらや角のおのづ可らなる如く 剣と身と相わすれ 嶮岨をわたり遠路をゆ久とも腰都可れ須勇気たゆまぬを社よしと盤すれ 又反り浅きは佩ひ心よから寿
 祓に不便也 切味に婦うして堅物にかかりてはのるぞかし 戦争にはともすれば平打の難あり かかる得失利害を含給へて先生の業して打立る時は 金気充実してと可ぬ程より身潤を生じ 試み寿して疑なき刀の出来るものならんと曾おもふ
 されば新刀鍛冶数百家有といへとも たくら婦べき物なき名刀也とおもふ可故に望なりといふ 正秀此事を聞て忽色気を直し御身壮年に似合ぬおしろき事いふ人那りさら者打進らせん寿るものを手伝して給へとて 相鎚せさ勢て三七日程にまたなき程に曾作里出しける 其時此正秀をしも師とも頼み 此道の技折してほしうはおもひつれとやみぬ 今其折の事のもひ出るに都け 近頃我が自得しつる古伝の鍛法も 可の正秀におひてものいへし程よりぞ 淵原しつるもおほ可んめり
 曾れよりあまたの年月を経て後 おのれ二十六という年 刀剣の高下勝劣を倩考るに 刀工世々に衰へて 鎮護の要器たる事を旨として鍛する刀工甚稀也けり 文政の今に及んでいよいよ衰へ 皆世渡りの業と成行人目を惑す業而己長じ 自然と真実を失ひ 精神なき物おふ久 是ぞ世の守と信す遍きつるぎ見へざれば 是も天気のなす事とはおもひな可らも 頼みなき事とおもひ おのれ古伝の鍛法をさ久り 自可ら造りて佩刀となさん事をおもひ立て 河村三郎寿隆といへる人に逢て 始て此道に入立侍りたりける 此人盤諸国修行しぬれば 慶長この可たの事は 衆工の妙所を自得し
 花やかなる事はおさおさ いにしへ人も及ぬ程な可ら いにしへの法則には心得薄き可たなれば 其の妙趣におゐては い可可有とおもふも多可りける
 おのれ此人のもとに通へつる事二とせ斗にして 其後は家に安里てあまね久古今の鍛法をさ久りて打試みける事とはなしぬ
 昼は諸用の多ければ 夜毎に弟也ける清麿と二人して精を砕きて数多の都るぎ作立て侍るほどに またの夜さり更多けての知 い可に吹くとも可年乃わかざる事有けり
 その程は父の諱信風いまそ可里つる時なれば 傍よ里見給ひて 各よ気の疲たらんと給ひけるを 可げにて母聞給ひもとより常ならぬ事には気がかり有る性なれば 酒持出てたび給ひれり 兄弟ほっする寿じなれば 清麿是は有難し有難しとこおどりしてよろこび 父母にも進らせ おのれらものみて時うつりとりかかり吹立侍りれり可年のわ久事始には似ず いかにも快く鑠きぬるを面白久おもへ 夜のあくるも知ら寿鍛侍りけり 此事を考るに始めわ可ざりしは 夜半極陰の時なればなり の知の鑠きよろしき盤明近き頃にして鈍陽の故なんめ里 かくいろいろにおもひを凝らしぬ
 そも我家居所といふは信濃なる小県郡赤岩といふ処にて 先祖山浦常陸介信宗が城地をその儘住所にし侍りつる事なれば 功岸高して千曲川の激流を眼下に見下し 左に鶴が城 糠塚城 横根山といふ高山を見さけ 辰の方に袴腰城 己の方に布引山嶺岩寺が城 峩々として風景あり 可の葛尾の麓なる岩鼻を右に望みて 前後六七里斗が間 眼中に歴々たる風景也 一とせ夏の夜乃事にし有けるに 螢の光をきらきらとして千曲の河都ら一面に飛かふを見て 天地の気乃はたらきてふ事を風とおもひより侍りて おのが息と脈とをとりて考つるに よろ津の事すべてあめつ知のわざならぬは安らじとおぼひぬ礼ば 此天地に則をとりて わ可天性の理気を本として我精神よ里ねりいで多らんには 天人妙合の場に悟入せざらん事やはある登おもひとりては中々に夢にもわするる事な久 四十余の年月を此道に親灸しつれば 今盤か都か都世にも志られ 我が作の贋物を造る者処々にある程の身とはなりぬれど おもふ心の半にもわ可業のいたり可たきをい可にせん 安者れ安者れ斯老ぬる迄 とし頃赤き心もていか伝国の為 人の為とのみおもひ入てし誠を者 天津神国都神の志ろしめ給ひて
 我玉の緒の世々都々き多らん程 多々の一婦り也とも天人妙合互行互具 稀代のわざもの作り得せしめ 此道の幸知にあ津可らしめたび給ひ祢なと
 おもふも老の久里事那可ら 久里可へし久里可へし祢きおもひまつるになん有ける
 安那やさし 年盤明治四といふ秋の夜乃長きを可こ知わび

六十とせ八の翁

遊雲斎寿長 しる須

 除紙に一章を記
 いにしとし東国に遊し帰るさ 碓井てふ峠にて日乃出を拝しつるに 東海を直下に見る其風景言葉に及難を
 海山を 恬光や 初日の出

おきく物語

おきく物語(全文)

田中意徳(池田侯の医也)祖母は。大さかにて。よど殿に。つかへし人にて。名を。きくとぞいひける。落城の日。(元和元年五月七日)ながつぼねに居申候。なか/\いまだ。らく城などゝは。おもひもよらず。時に。そばの粉の有けるを。とり出して。その下女に申つけ。是を。そば焼にして。来れと。申けるゆゑ。そのものは。御台所へまゐる。あとにて。玉つくり口のかたは。やけ申候と申候。そのほか。ところ/\〃。やけ申候と。申し外。さわぎたち候ゆゑ。千畳じきの御縁がはへ。出申候へば。よく何かたも見え候ゆゑ。出見申侯へば。なるほど。ところ/\〃。やきたて候ゆゑ。つぼねへかへり。帷子をとりいだし。三つかさねて。下帯も三つして。秀より公より拝領のかゞみを。懐中して。御台どころへ。出申侯へば。武田栄翁くろき具足を着て。をり申候。そのほかに。見しらざるさふらひも。二人をり申候。女中に。あるひは知らざる士。御台どころ外にて。肩口のきずを。みて給はれ。上おびをも。しめて給はり候へと。申こゑをも。聞ながら。その女中は。如何しめされ候や。かまひ申さず。さしいそぎ出申侯。女中がた。いでられ申さず候やうに。栄翁申候へども。それにも。かまひ申さず。出申候。その辺に。金の瓢箪の御馬じるし。いかゞして。おとしおきけむ。これあるを。御手長のもの。(今の中居などいふやうなるもの)おあちやと申と。いま一人して。見て。すて置ては。御恥辱を。あらはすなりとて。取て打めぎて捨ける。それをもすてゝ。やう/\。城外へ出申侯ところに。竹束有レ之候へども。武者もをり申さず。また城中城外等にも。見えがゝりには。手おひ等も。見え不レ申候。しかる時。たけ束のかげより。ひとへものひとつ。着たるもの。さびがたなを。ぬきもちて来り。金にてもあらば。出せよと。いふにより。懐中に。竹ながし二本。もちてありしを。いだしつかはす。(一本七両貳歩にあたるといふ)さて。そのものに申は。藤堂殿御陣は。いづかたぞと問へば。まつ原口とこたへるゆゑ。そのところへ。つれゆき候はゞ。また/\。金とらせる間。つれ行くれよとたのむ。いざ此方へと。同道いたし。まゐるうちに。要光院殿(京極若狭守殿母儀。淀殿の御兄弟なり。)さふらひに。おはれたまひ。あとより。御あしをおさへて。御のき候。そのほか。女中さふらひも。つきをり申候をみつけ。すなはち。そこへかけより。夫より御供まうし。森口の。ある在家へ。御たちより候所。こもむしろをしき。畳二でふ。ふるきを。取いだして。要光院殿をば。そのうへに。おき申候。いづれも。そのむしろに。をり申候。その時。いづかたより来りしやらむ。行器に。こは飯もり候を。みな/\。紙にのせ。たべ申候。(これは若狭守殿より来りしなるべし。要光院どの城中に御座候て。御和睦の御使に御出候て。御逗留にて御座候。そのうちに落城ゆゑ也。)その御供の女中のうちに。秀頼公御めしつかひの女中。(山城宮内のむすめ)是は。たゞかたびら一つに。下おびもひとつして。居られ候ゆゑ。それにては。難義なるべしとて。わが帷子をひとつぬぎ。下おびもひとつときて。その女中に。まゐらせける。さて。要光院殿には。家康公へ御めしにつき。御出候御むかひに。御のり物などまゐる。そのとき。女中へ。仰られ候は。若将軍様仰ありて。いづれも。女の事なれども。城中にをり申たるもの。いかやうに。仰つけらるべきも。しれず候へば。随分よろしく申べく候へども。兎角御下知は。そむかれず。覚悟し給へと。要光院殿おほせられければ。その時。みななきかなしむこと。おびたゝし。追付御かへりなされ候て。御こしより御出も。なきうちに。事すみ候て。何れも。みな。のぞみ次第。いづかたへも。おくりつかはすべきよし。上意とあれば。みなよろこぶ事。かぎりなし。そのとき。きくは。松丸殿へ。まゐり候はんと。ぞんし。京都へとてぞ参りける。さて。その宮内むすめも。いづかたへ。行べきところもおぼつかなく候間。一所に京へ参候て。大さかにて知たる町人へ。たよりて。まゐる所。御城にては。かろく存候町人にて候へども。ことの外。大きなる町人にて候。しかれども。大さかの落人ゆゑ。一夜も得とめ申さず。両人へ。晒布一疋つゝ。引出ものにぞしける。さて両人。織田左門殿のやしきへ。まゐり候へば。なか/\。門内へも入申さず候。宮内娘は。左門殿姪ゆゑ。菊申侯には。是は御姪子にて候歟。それにても。御入なきやと申に付。早々内へ申いれられ申候。ことの外。饗応にて。左門殿。めひをひとり。ひろひたりとて。殊のほか。礼にてありし。扨四五日。左門どのへ。逗留のうち。あやしげなる二階へあがり。二人かくれをり申候。そこにて。其まゝ食など給べ申候。さて。いとま申て。松丸殿へ。まゐり候はんと申時。左門どの。ことのほか。礼にて。かたびらに。銀子五枚。たまはりける。さて。松の丸殿(秀吉公の妾)へ。御奉公いたしをり申候て。のちに。意徳祖父かたへ。縁づき申候。後。備前へまゐりて。しに被レ申。右そば焼いたしに。遣し候女は。いかになりけるやらむ。しらず。申候人の語に。秀頼公。よど殿。そのほか。大蔵卿。おもだち候つぼね中は。みな。山里へ。まゐられ候て御本丸には。無2御座1候。其義は。はや落城二三日まへより。然るゆゑ。御生死のほど。いかゞと申候由に候。
一 その落城のまへかど。鉄砲いづかたやらからまゐり。女中うちぬかれ。その跡の玉。御台子のわきに。とまりける。玉の通りける畳のへり。切れ候よし。そのたま。三十目ばかりと申候。手のうちへいれて見申侯に。なるほど。その程の玉と。存ぜられ候。それより。そのたまの来るかたに。幕をはられ申候。
一 いくさ評定。毎度御内所にて。ありしゆゑ。きゝける事も。ありしとなり。
一 毎日/\。やはり。もちつかれけるとなり。その餅を。みな/\。なが局のつぼねごとへ。くばられける。そのしかた。其もちを。朝はやく。そのつぼねごとのまへに。一つ宛置て通る。のち/\は。めづらしからぬものゆゑ。そのまゝ。明日まで置もあり。しかるときは。その餅を。わきへたてかけおいて。又今日のもちを。おきけるとぞ。
一 天樹院様御びんそぎをも。見けるが。碁盤のうへに。御たち被レ成候を。秀より公たかうながたなにて。御かみを。すこし御きりそめ。なされけるとなり。
一 御膳をば。おすゑより出すを。御てながのものうけとり。そのとき。御すゑのもの。どく味をいたし。また御そば衆へわたす。とき/\〃。御手ながのもの。毒味をして。出しけるなり。
一 そのらく城まへ。京都より。月心和尚といふ。東福寺の出家。かねて。まゐりをり申され候。その人に。きく申候は。われ/\は。やがて。御いとまねがひ申候て。京都へのぼり。可レ申侯間。それまで。これを御あづかり。下さるべく候。もし。そのうち。落城も候はゞ。なきあとも。とふらひ。下さるべく候へとて。狹箱ひとつに。着もの。または。うつはものども。少々とり入て。月心に。たのみ遣しけるとなり。その道具。いまも。少々田中氏に残あり。
一 此菊。よど殿に御奉公申ことは。きく親を。山口茂左衛門といふ。その親を。山口茂介といひて。浅井長政につかふ。この淀殿は。長政のむすめゆゑ。幼少より。御奉行申候。喪左衛門。のちに。藤堂和泉守高虎へ。浪人客分にて。三百石下され居申候。然る時。大坂御陣の沙汰を聞て。おほ坂城中へ来り。御奉公を。ねがひ候ところ。すなはち。御具足を下され。此時うち死しける也。その落つき。不レ知なり。御具そく拝領のとき。さし物無レ之故。むすめきくを。たのみて。いたしもらふ。すなはち。白赤の絹を。ぬひあはせて。さしものにして。つかはしける。その時。茂左衛門よろこびて。むすめにも。大きに。かゝりけると申候。それも。大かたいとまごひにて。ありしとなり。此茂左衛門。藤堂家へ。出ける子細は。前に與右衛門といひて。浅井家のあしがるにてありし。その小がしらは。茂介にて有しかば。ことのほか。其みぎり。高虎貧にありし。間には。朝のものをも。たべざる事ありしに。茂介妻。ことのほか。不便がりて。茶づけなど。たび/\ふるまひける。夫ゆゑ。後までも。茂介妻の恩をば。わすれぬと。たか虎申され候よし。此よしの故。茂左衛門をも。よび出し。しかも。客分にして。何も家中にて。殿あしらひに。したりけるとなり。この茂介も。のちには。千二百石まで。浅井家にて。とりけるとなり。此茂左衛門倅きくがおとゝを。甚左衛門といひて。安芸の国にあり。のちに。医者になりて。意朴といひける。いまに。そのすゑあるやしらず。菊。らく城のとき二十歳。のち。備前にて。死けるとき。八十三歳なり。かやうのはなしを。きゝたるとて。後。意徳ものがたりなり。此意徳といふは。きくが孫なりとしるす。これら。希有の事なるべし。是によて。かんがうるに。浪華城の広大なる。鎌くらの微々たるに。比すれば。人智をもて。量りがたき事也と。いひつたふれど。かれをもて。いまに比しなば。また量りがたき。ことなるべし。そも/\。かの菊女は。浅井家より。このかた。つきそひ。参らせたるに。いくさ評定などもきく。天樹院殿の。御びんそぎをも。見たりしほどならんには。いと近くめし遣はれん。格式も。ありしなるべし。さるを。ながつぼねより。一婢に命じ。そば粉を焼き。御台所へやりしにても。その手がるく。程ちかきを。みるべし。また。月心にあづけたりしも。要用の調度衣服なるべきか。わづかに。狹箱ひとつと。いへるは。ほかへ。もち出さん事。たやすからぬ時なるべけれど。今にては。似気なき様に。おもはれ。千畳じきの御縁がはへ出れば。いづかたも。よく見ゆるよししりて。出たるも。あさまなる事なるべし。ことには。城内を。にげいづるとて。みちさへ。案内しりけん。いぶかしき事なり。すでに。東都御城内出火のとき。大おくの女中。途方にくれて。出るところをしらず。狼狽したりをば。松平伊豆守殿御さし図にて。御だいどころ口まで。ひと通り。たゝみをうらがへして。道の目じるしと。せられしによりて。やう/\。難をまぬかれたり。今は。御用きゝの畳屋とて。此役かうふる。などゝいふなり。もとより。大さか一城となりては。太閤の御代とは。よろづ手狭く。なりたるべけれど。御膳など。たてまつるさまも。軽々しくおぼゆ。されども。これらは。太平。日いまだひさしからざる。故ともいふべし。それよりも。いぶかしきは。秀より公の御むま印。ふゆ夏両陣ともに。積川左近親近が。つかさどる所なり。この際に。婦女の手をかりて。わづかに。その辱を。かくせしにや。かゝるさまに。御和睦のこと。ゆかざりし。時運とは。いひながら。うたてかりし事なり。このとき。御旗奉行。郡主馬良列は。あづかるところの黄幌を。かへしたてまつりて。自害し。左近も。御馬じるしを。かへし置て腹きりしよし。諸書にのせたり。いづれかたゞしきや。しらす。われは。ために。きく女か語の。実ならんことを。はづるなり。

右阿菊物語一巻。余得諸亡友原念斎、念斎家久蔵斯書、但未詳其所出云、今按、叙事朴率、文無修飾、皆其所身經目賭、非傅聞也、当時謂、豊太閤起於徴賤、掌握天下、故務捏華靡、以明得志、然今以時攷之、城中仕女若阿菊者、衣服飲食、真素麁略、如此所紀、則其窮奢極欲、何足道也、要之、乱余時勢自爾、在今承平日久、飽食富貴、而不知屬壓(正しくは土でなく足)者、其可不念哉、丁酉十二月、善庵老人題 

(岩波文庫『雑兵物語/おあむ物語』を底本としました。)



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